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星屑の伯爵と昔日の双子は世界崩壊の幻想(ゆめ)を見る  作者: 瀬那つくてん(加賀谷イコ)


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第2章 何でも屋は夜が遅くて朝が早い【2】

 情報収集に向かうロスを見送ると、執務室に向かうシリルにメリフが続いた。並んで歩いていると、メリフの頭はシリルの肩の下辺りにある。ロスは身長が高く、シリルより頭半分ほど上だ。

「メリフは調査に行かないの?」

「こうしてシリルにくっついて屋敷にいないと、ラト家のことはわからないでしょ? 互いのことを知らないと、信頼関係は深まらないのよ」

「ふむ……」

 シリルはここしばらく、親族と屋敷の使用人以外の者とはほとんど関わり合いがなかった。他人と信頼関係を結ぶ方法など思い付かない。それが顔に出ていたのか、いい、とメリフが人差し指を立てる。

「一番に簡単なのは、相手に質問をすることよ。何か疑問を持ったら訊いてみるといいわ」

「そう……」

「なんでも訊いてごらんなさい?」

 メリフは左目を瞬かせ、優しい口調で言う。えっと、とシリルは必死に頭を動かした。いざ質問しようと思うと、様々なことが頭の中を忙しなく巡る。そのどれもが碌な質問ではないような気がして、どうにか無難な質問を引っ張り出した。

「じゃあ……メリフはいくつなの?」

「あら! していい質問としちゃダメな質問をまだ弁えていないようね!」

「ええ……なんでもって言ったのに……」

 困り果てて眉尻を下げるシリルに、ふふん、とメリフは悪戯っぽく笑う。シリルを困らせることを楽しんでいるようにも見えた。

「あたしは別にいいけど、他のレディにはその質問はしちゃダメよ」

「レディに年齢を訊くのは失礼って話?」

「どうして失礼かわかる?」

「え、えっと……わからない、かな……」

 自信を失い徐々に声がしぼんでいくシリルに対し、メリフは快活に人差し指を突き立てた。

「社交界において、女性は二十歳を超えると行き遅れって言われるからよ」

「ん、そうなんだ……。でも、メリフはまだ十代でしょ?」

「うふ、そう見える?」

 メリフが意味深に笑う。引き続きシリルを困らせることを楽しんでいるようにも見えるが、人の表情が読めないシリルにとってその含みを感じる言葉は少々居辛さを覚えさせた。

「えっと……敬語のほうがいいかな……?」

「どうかしら」

 やはりただ楽しんでいるようだ、とシリルも曖昧に笑う。メリフが本当に十代なのか違うのかはわからないが、それを追及する必要もないだろう。メリフが行き遅れかどうかは、シリルには関係のないことだからだ。



 執務室に行くと、机には相変わらず書類が積まれていた。トラインが片付けてくれた書類もあるようだが、ラト家現当主であるシリルが確認しなければならない書類がこうして山を作るのだ。シリルに自分の実力不足を見せつけるような光景である。

 書類も片付けなければならないが、領地経営の引き継ぎのために各町の代表者が屋敷を訪れるのも対応しなければならない。急ぎの要件を優先させつつなんとかこなしているが、伯爵領は広い。中には調整に何日もかかることもあるため、半年が経ったいまでも完全には終わっていない。

 とは言え、今日は応対の予定はない。書類整理に集中することができるだろう。

「シリル、そこじゃ枠から外れちゃうわ」

 正面から書類を覗き込んでいたメリフが、判を押そうとしていたシリルの手を止めた。多少のずれは許容範囲内だが、どうやら大きく外れていたらしい。背中を丸めて目を近付け、正しい位置に押印する。

「ありがとう。判子がズレると書き直しになるんだ」

「正式な書類は写しにできないし、鉛筆では書けないものね」

「うん……。万年筆のインクも消せるようにならないかな」

「そんな物が開発できたら、間違いなく成金貴族になれるわね」

 それから、メリフに度々指摘されながら書類を片付けて行く。間違えて書き直すことが多いシリルにとっては、非常に優秀な補佐である。いつもはトラインが手を貸してくれるが、トラインはずっと執務室に居られるわけではない。メリフの手助けによって、いつもより多くの書類を「確認済み」に送ることができた。

 休憩の時間。アイレーが持って来たレモネードでひと息ついた頃、執務室にトラインが入って来た。

「ホーキンズ家の誕生日パーティの招待状が届いております」

「ああ、ハディの……。それは欠席できないですね」

「無理にとは申しませんが……」

「大丈夫。出席で返事を出しておいてください」

「かしこまりました」

 いままで、社交界からのパーティの招待状は何通も届いていた。シリルは曲がりなりにも爵位を持つ貴族であり、父の築いた事業もある。ラト家とコネクションを持ちたいと思う家もあるだろう。しかし、シリルにはパーティに出席する余裕がない。もちろん、ラト家でパーティを開催することもない。完全に社交界から取り残されていると言ってもいいだろう。

「貴族って大変ね」メリフが言う。「一般庶民万歳だわ」

「うーん……確かに、生まれる家を間違えたとさえ思ったことがあるよ」

「あら、シリルでもそう思うことがあるのね。意外だわ」

「そう……?」

「与えられたものに疑問を持つことはないと思っていたもの」

 メリフは頬杖をつき、なんでもないことのように言う。シリルは思わず苦笑いを浮かべた。

「ええ……そんなことないよ。庶民の暮らしのことは知ってるし、正直、テーブルマナーを習っているときは、カトラリーを全部ぶちまけたい気分だったよ」

「そのときの鬱憤を、いまナイフを落とすことで晴らしているのね」

「いや、それは……」

「冗談よ」

 またメリフは悪戯っぽく笑う。シリルを揶揄って楽しんでいるように見えた。それは自分と親睦を深めるためなのかもしれない、とシリルはふとそんなことを考えた。

「ちなみに、ホーキンズ家ってどんな家?」

「えっと……長男のハディが僕の従兄(いとこ)で、現当主が婿入りした僕の叔父なんだ」

「なるほど。確かにその招待はお断りできないわね」

「うん。……メリフとロスは、何でも屋だけど……この領地のことはあまり詳しくないんだね」

「何でも屋だからこそ、かしらね」

 アイレーにグラスを返しながら、シリルは問いかける視線をメリフに送る。

「いろんなところに行くから、その都度、情報を調達するの。必要のなくなった情報は頭から消すこともあるわ」

「どこまで遠くに行ったことがあるの?」

「地図の端から端まで移動したこともあるわ。まったく文化の違う国に行ったこともあるのよ」

「へえ……面白そう。僕はこの領地のことしか知らない」

 シリルは他国どころか、ラト伯爵領の外へ出たことすらない。メリフたちのようにどこにでも行けるのは、少し羨ましいような気もする。しかし、自分が知らない土地に順応できるかと考えると甚だ疑問だった。

「じゃあ今度、異国の料理を作ってあげましょうか」

「うーん……毒を盛られたら困るからいい」

「あら! シリルは毒を盛るまでもないわ!」

「ええ……怖い……」

 シリルは、これも自分と親睦を深めるための言葉なのだろうか、と考えてみる。それでも恐怖を懐くことに変わりはなかった。

 会話にひと段落ついたところで休憩時間を切り上げ、シリルは再び書類整理に取り掛かった。書き間違えのないよう集中していると、次第に目が疲れてくる。しばらくは自力で書類を片付けていたが、街の予算に関する書類に確認のサインを書き込もうとしたとき、メリフがシリルの手を止めた。

「ここ、計算が合ってないわよ」

「え、本当? ……うーん……? ここが合ってないと……あれ、どれだろ……」

 その予算一覧は他の書類と関連すると記憶している。その書類はまだ「未確認」の中にあるはずだが、未確認の書類が散らばっていて見つけることができない。シリルがもたついているのに痺れを切らせたメリフが、未確認の書類にサッと目を通して素早く並べ替えた。そうして、シリルはようやく書類を見つけ出す。

「えーっと……」

「ここね。桁が間違えてるわ」

「うん。あれ、訂正印どこだっけ……」

 机の上を見回すシリルに、メリフが引き出しの中からサッと判を取り出した。

「さっき自分でしまったんでしょ」

「ああ、そっか……ありがとう」

 自分の忘れっぽさに呆れつつ訂正印を朱肉に押し付ける。メリフがいなければ、あと十分は探し回っていたかもしれない。シリルには、その末に発見できなくてトラインを呼ぶ自分の姿が見えていた。

「いつもこんな調子なの?」

「うん……。僕がこんなんだから、引き継ぎに時間がかかってるんだ」

「なるほどね。ちょっと待って、訂正はそこじゃないわ」

「うう……字がよく見えないんだよ……」

 メリフの目と指を頼りに訂正し、その次の書類も修正して押印を終えると、ようやく書類を「確認済み」に移動させた。

「この半年間、よくやって来られたわね」

「うーん……僕じゃなかったら、もっと早く仕事が済んだだろうね」

「でも、仕事はほとんどシドニー・グレンジャーがやってるんでしょ?」

「そうなんだ。僕はよく知らないけど……」

 曖昧に言うシリルに、メリフは呆れたように目を細める。シリルがなんと答えたものかと困惑していると、メリフは小さく息をつき、決めた、と意志を込めた声で言った。

「あたし、シリルの秘書になってあげるわ」

「ん、でも……メリフは依頼を受けに来ただけでしょ?」

 シリルにとってはありがたい申し出だが、メリフの本来の目的はシリルの依頼を遂行することだ。領地経営は依頼とは関係ない。

「シリルは見てて冷や冷やする……というか、イライラするのよ」

「ええ……でも……」

「依頼人のサポートも手厚く、が当社のモットーよ」

「そういうサポート……?」

 首を傾げるシリルに、ふふん、とメリフは誇らしげに笑う。

「そうやってシリルの信用を得ようという魂胆よ」

「そういうのは言わなくていいんじゃないの……?」

「見たところ、シリルは遠回しに言っても伝わらないタイプだわ」

「うーん……?」

 シリルが首を反対側に傾げると、メリフはパシッと机の上を手のひらで叩いた。

「じゃ、まずはこの書類を初めから書き直すところからね」

「初めから……」

 シリルが手にした書類は、五分の二ほど書き進めてある。初めからだとしても書き直し部分は少なくて済むだろう、とシリルは小さく溜め息をついた。




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