第4章 別れを告げる【7】
夕食を終えると、シリルはのんびりとお茶を飲んだあと、アイレーに呼ばれて湯浴みに向かって行った。シリルは寝室に引き上げる時間が早い。夜が遅くて朝が早い何でも屋であるメリフとロスは、調査に行くまでのあいだ、サロンで作戦会議をした。
「それで、今日の調査はどうだったの」
「男爵邸本館のバルコニーに入れた」
ロスの報告に、へえ、とメリフは感心しながら頬杖をつく。
「よく入れたわね。あれだけの結界をよく越えられたものだわ」
「どこにだって穴はある。だが、気配を消していてもジェスターという執事には気付かれた」
「もともとラト伯爵家の執事だった男ね。これまでの戦術が何ひとつとして通用しないわね」
メリフの言う通り、グレンジャー男爵邸本館は別館と同じように何重にも結界が張られている。シリルを保護している現状、厳重な情報統制が必要だ。万がいちにも何でも屋のような危険な存在を近付けてはならないのだ。
「それで?」
「特に収穫はない。使用人の噂話が聞こえただけだ」
「まあそうよね」
メリフは目に見えてがっかりしているが、もともと期待はしていなかっただろう。ロスとしても、男爵邸本館のバルコニーに入れた程度では大した情報は得られないとわかっていた。気配を消していても気付かれたことは想定外だったのだが。
「なんだってこんな複雑な依頼なのかしら」
「シリルを根幹とした何かが事実を狂わせているような感覚だ。俺たちには、まだ表面しか見えていないんだろうな」
ロスは深く息を吐く。これまでに受けた依頼が単純なものであったことがよくわかる。今回の依頼は長期戦になる。それを覚悟しなければならなかった。
* * *
屋敷のドアを開けると、出迎える執事ジェスターの雰囲気がいつもと少し違うことに、シドニーはすぐに気付いた。
「おかえりなさいませ、シドニー様」
いつもと同じように辞儀をするジェスターに外套を預けつつ、シドニーは抜け目なくジェスターに視線を向ける。
「何かあったか」
「ええ……。夕刻、侵入者がいたようです」
ジェスターの話では、バルコニーに何者かの気配があったらしい。ジェスターがその正体を問いかけた直後、その気配は外へ消えた。気配を消しているようだったが、ジェスターは僅かな違和感を懐いたのだ。
「例の何でも屋かな。ルーカスには言っていないんだろう?」
「はい。ルーカス様は心配性でいらっしゃいますから」
グレンジャー男爵家の次男であるルーカスは、何かとシリルを気に掛けている。しかし、その心配性がいき過ぎてしまうこともある。諜報員がいたとなると、男爵家の騎士団を全集合させていたことだろう。
「シリルは何を調査しているのだろうな」
「シドニー様が何か信用を失われるようなことをされたのではありませんか?」
ジェスターは穏やかながらも、怪訝な表情で言う。もともとラト伯爵家の執事であったジェスターは、シリルのことをよく知っている。シリルが何に対しても懐疑的であることも把握しているだろう。
「そう言われると痛いが……そもそも、シリルは僕を信用していないよ。シリルは、自分が何をわかっていないかわかっていない」
「例の何でも屋、ホーキンズ殿が雇った補佐だと仰っておりましたが……」
「まあ、ホーキンズさんがそう判断するなら僕に異論はないけど」
シリルの叔父であるホーキング氏は、シリルの後見人であった。シリルに関することをすべて管理しており、そのホーキング氏が自分が雇ったと言うならシドニーに意見できることはない。
「そもそも、何でも屋と言い出したのはルーカスだ。本当にそうなのかはわからない」
「ジーグから報告を受けたと仰っていました」
「ジーグの言ったことを曲解したんじゃないか? だが、ホーキンズさんが自分が雇った補佐だと言うなら……」
「ラト伯爵家の御庭番、ということですか」
ジェスターが声を低くする。ジェスターはラト伯爵家の執事を担っていたが、その裏のことは何も知らない。ラト伯爵家の使用人の中でも、情報統制は完璧だったのだろう。
「残念ながら、僕たちはラト伯爵家の御庭番のことを知らない。けど、彼らがそうだと言うなら特に問題はないんじゃないかな」
のん気にも聞こえるシドニーの言葉に、ジェスターは窺うようにシドニーを見遣る。
「シリルを守るものは多いに越したことはないよ」
「さようでございますか」
とにかくシリルを守らなければならない。そのために男爵邸別館に住まわせているのだ。シリルを守る盾は多ければ多いに越したことはない。
「本日もシリル様のもとへ?」
「そうだな。レスターさんが手一杯のいま、僕が気に掛けておかないと」
シリルの兄レスターは、伯爵が遺した事業のことで手一杯だ。そうでなければ、伯爵位はレスターが継いでいた。そのとき、シリルがどうなっていたかはわからない。それでも、いまよりは数倍マシのはずだ。
「シリルを取り巻く状況は良くない。シリルが呑まれるのを防がないと」
そうは言っても、シドニーにも何も見えていない。それはシリル自身にも見えていない。彼らは何もわからない。シリルが何もわからないなら、霞を掴むようなものであった。




