第4章 別れを告げる【4】
噛み殺しきれないあくびをしながら研究室のドアを開けると、金髪の同僚が朗らかにおはようの挨拶をする。その手元にある試験管の中身が泡立っていた。
「大きなあくびだこと。随分と大忙しみたいね」
金髪の同僚の向かいの机に着いていた別の青髪の同僚が、ずれた眼鏡を直しながら言う。
「コーヒーを淹れようか?」
「ああ、ありがとう」
青髪の同僚がコーヒーメーカーのほうに行くのを見送って、彼は脱いだジャケットをハンガーにかける。それからラックのほうを見回し、あれ、と首を傾げた。
「白衣どこにやったっけ」
「自分で持ち帰ったんじゃない」と、金髪の同僚。「疲労が人間の記憶力を低下させる良い例だわね」
「僕の予備を使いなよ」青髪の同僚が言う。「そっちの棚に置いてるから」
「悪いな。そのうち僕も予備をもらっておかないと駄目だな」
棚から青髪の同僚の白衣の予備を取り出し、またあくびをしながら着替えて作業机に着いた。適当にボタンを留める彼の机にコーヒーを置いた青髪の同僚は、金髪の同僚にもマグカップを差し出す。自分の机にも持って行き、ついでに、と何枚かのメモ用紙をゴミ箱に投げた。
同年代の三人で組まれたこの研究室は、とある研究のため所内で独立している。口うるさい上司がいないことで三人とも好き勝手に検証し、しかしそれがいずれ役に立つのだと確信を持っていた。
「で?」彼は言う。「何か観測できたか?」
「残念ながら」金髪の同僚が肩をすくめた。「はっきり言って侵入者が邪魔だわ。先にそっちを始末したい気分」
「エドガーが怒っていたよ」と、青髪の同僚。「また計測器を壊すつもりか! ってね」
「エドガーはケチなのよ。まだたった六台目よ? それくらいで怒らないでほしいわ。だから高血圧なのよ」
「そのうち、一台いくらすると思ってるんだ、とか言い出しそうだよな」
彼が軽く笑いながら言うと、金髪の同僚は顎に指を当てる。
「実際、一台いくらするのかしらね」
「それを聞いたら気軽に検証できなくなるよ」青髪の同僚が笑う。「それを言わないのがエドガーの甘いところだよ」
「まあしょうがないわ。相手にしているものが大きすぎるもの。計測器がチャチなのよ」
彼らの直属の上司であるエドガーは、何かと三人を叱りつける。彼らが言うことを聞かないとわかっていても、怒りながら度々顔を出すのだ。いつだか、様子を見に来る口実を作っているだけよ、と言って金髪の同僚が笑っていた。この中で最も反抗的なのが金髪の同僚だろう。
「んで?」と、金髪の同僚。「シリル・ラトはどんな調子?」
「特に報告できることはないな」彼は言う。「ただ、歪みが速度を増しているように感じる」
「のんびりしていられないのはいつものことだけど」と、青髪の同僚。「制限時間がどんどん短くなっていくね」
「修復してもすぐ歪むのは以前からだが、修復の間もなく歪んでいくのは、さすがに腕がイカれるかと思ったな。僕の魔力を受け付けなくなってきている」
「手掛かりくらい欲しいものね。あっちもこっちも手詰まりだわ。研究者としては、計測器を直接に繋ぎたい気分」
頬杖をついて溜め息交じりに言う金髪の同僚に、彼は苦く笑って肩をすくめた。
「それができたら早いだろうな。まあ、できたとしてもシリルは来ないよ」
「じゃあ、男爵邸別館に計測器を運びましょうよ。ものは試しよ」
「実験体じゃないんだから」青髪の同僚が呆れて言う。「きみは道徳心が足りないんだ」
「なによ。このままデスクと睨めっこしててもしょうがないでしょ! あなたからも何か言って……寝てる!」
「ほら。こんなになるまで尽力している彼を見ても、同じことが言えるかい?」
「はあ……わかってるわよ。だから計測器を五台も壊したんでしょ」
金髪の同僚が呆れた様子で彼の肩を揺さぶる。浅い居眠りから覚めた彼は、背もたれから体を起こした。背もたれに体重をかけるとまた寝てしまいそうだ。
「ねえ、せめて血液検査くらいできない?」
「どうかな……。メーガンさんだったらできるだろうけど、僕はどうだろう」
「ま、研究者と医師だったら、あたしなら医師を選ぶわね」
「時間がかかってもしょうがないよ」と、青髪の同僚。「シリルも生きた人間なんだから」
「わかってるわよ」
金髪の同僚は唇を尖らせる。彼女の気持ちもわかるが、急いては事を仕損じる。いまは慎重になる必要があった。




