バリスタ風の男 来店時刻:15時20分
賑やかな通りから一本、そしてもう一本横に曲がった先にある、小さなカフェ&バー。
今日も若きマスターがいるこの店には、ほんの少しだけ、刺激的なお客様が訪れます。
――木製のドアベルが、しゃらん、と軽快な音を立てて鳴りました。
「こんばんは」
入ってきたのは、黒のエプロンを肩にかけたままの若い男性でした。
髪はやや無造作で、片手にはメモ帳のような小さなノートを持っています。
「いらっしゃいませ。お仕事帰りですか?」
「ええ。バリスタ見習いなんですよ、近くのカフェで。今日はちょっと勉強のために……」
「それは光栄でございます。何をお召し上がりになりますか?」
「エスプレッソを、お願いします。味を確かめたくて」
「かしこまりました」
マスターは豆を取り出し、丁寧に挽いていきます。その所作を、男性は熱心に目で追っていました。
「やっぱり、動きにムダがないですね……」
「ありがとうございます。習うより慣れろ、ということかもしれません」
しばらくして供されたエスプレッソを、男性は慎重に一口すすると、ふっと目を細めました。
「……うまい。酸味と苦みがちゃんと両立してる」
「豆の個性を引き出せるよう、意識しております」
「僕、いつか自分のカフェを開きたいんです。こぢんまりとした、小さいけど居心地のいい店を」
マスターは微笑みながら、そっと問いかけます。
「その夢、どのあたりまで描けていらっしゃいますか?」
「うーん、物件探しとか、資金とか、まだまだですけど……でも、コーヒーで誰かの心を軽くできたらいいなって」
「それは、すてきな目標ですね」
男性は手元のノートを開き、何かを書き込みながら言いました。
「マスターはどうしてこの店を始めたんですか?」
「……私も、昔、とある店で一杯の紅茶に救われたことがありまして。その記憶が、ずっと残っていたのです」
「なるほど……記憶に残る味って、ありますよね」
「ええ。味そのものより、そのときの空気や、会話、心の状態。すべてがその一杯に重なって」
男性はノートを閉じて、深くうなずきました。
「ありがとうございます。来てよかったです」
「どうか、良きカフェになりますように。心より応援しております」
立ち上がった彼は、深々とお辞儀をして、ドアへと向かいます。その背中は、どこか迷いが晴れたように見えました。
ドアの音が響き、静寂が戻った店内で、マスターはエスプレッソのカップを片づけながら、そっとつぶやきます。
「夢の香りが、どうか長く続きますように」
今日もまた、一杯のあとに、少しだけ。
誰かのこころが、ほどけていったようです。




