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一杯のあとに、少しだけ  作者: 塵無


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7/28

バリスタ風の男 来店時刻:15時20分

 賑やかな通りから一本、そしてもう一本横に曲がった先にある、小さなカフェ&バー。


 今日も若きマスターがいるこの店には、ほんの少しだけ、刺激的なお客様が訪れます。


 ――木製のドアベルが、しゃらん、と軽快な音を立てて鳴りました。


「こんばんは」


 入ってきたのは、黒のエプロンを肩にかけたままの若い男性でした。


 髪はやや無造作で、片手にはメモ帳のような小さなノートを持っています。


「いらっしゃいませ。お仕事帰りですか?」


「ええ。バリスタ見習いなんですよ、近くのカフェで。今日はちょっと勉強のために……」


「それは光栄でございます。何をお召し上がりになりますか?」


「エスプレッソを、お願いします。味を確かめたくて」


「かしこまりました」


 マスターは豆を取り出し、丁寧に挽いていきます。その所作を、男性は熱心に目で追っていました。


「やっぱり、動きにムダがないですね……」


「ありがとうございます。習うより慣れろ、ということかもしれません」


 しばらくして供されたエスプレッソを、男性は慎重に一口すすると、ふっと目を細めました。


「……うまい。酸味と苦みがちゃんと両立してる」


「豆の個性を引き出せるよう、意識しております」


「僕、いつか自分のカフェを開きたいんです。こぢんまりとした、小さいけど居心地のいい店を」


 マスターは微笑みながら、そっと問いかけます。


「その夢、どのあたりまで描けていらっしゃいますか?」


「うーん、物件探しとか、資金とか、まだまだですけど……でも、コーヒーで誰かの心を軽くできたらいいなって」


「それは、すてきな目標ですね」


 男性は手元のノートを開き、何かを書き込みながら言いました。


「マスターはどうしてこの店を始めたんですか?」


「……私も、昔、とある店で一杯の紅茶に救われたことがありまして。その記憶が、ずっと残っていたのです」


「なるほど……記憶に残る味って、ありますよね」


「ええ。味そのものより、そのときの空気や、会話、心の状態。すべてがその一杯に重なって」


 男性はノートを閉じて、深くうなずきました。


「ありがとうございます。来てよかったです」


「どうか、良きカフェになりますように。心より応援しております」


 立ち上がった彼は、深々とお辞儀をして、ドアへと向かいます。その背中は、どこか迷いが晴れたように見えました。


 ドアの音が響き、静寂が戻った店内で、マスターはエスプレッソのカップを片づけながら、そっとつぶやきます。


「夢の香りが、どうか長く続きますように」


 今日もまた、一杯のあとに、少しだけ。


 誰かのこころが、ほどけていったようです。


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