少年 来店時刻:14時
賑やかな通りから一本、そしてもう一本横に曲がった先にある、小さなカフェ&バー。
今日も若きマスターがいるこの店には、ほんの少しだけ、刺激的なお客様が訪れます。
――木製のドアベルが、控えめに、ちりんと鳴りました。
「こんにちは……」
小さな声とともに現れたのは、ランドセルを背負った少年でした。
背丈はカウンターの高さに届くか届かないかというところで、入り口に立ったまま、きょろきょろと店内を見回しています。
「いらっしゃいませ。おひとりですか?」
「……うん」
「お好きな席へ。どの席も、空いておりますよ」
「うん……」
少年はおそるおそるカウンター席によじのぼり、ちょこんと腰を下ろしました。
ランドセルをおろして、両手を膝の上に乗せたまま、じっと前を見つめています。
「何になさいますか?」
「……オレンジジュース、ください」
「かしこまりました」
マスターが冷蔵庫からジュースを取り出し、グラスに注ぎながら、ちらりと少年の様子をうかがいます。
その目には、不安のような、さみしさのような、でも言葉にできない何かが宿っているように感じられました。
「学校の帰りですか?」
「……うん。でも今日は、ちょっと寄り道」
「そうなのですね。オレンジジュース、お待たせいたしました」
「ありがとう……」
少年はグラスを両手で包むように持ち、ひとくちだけ口に含みました。
「……おいしい」
「それはよかったです」
しばらく沈黙が続いたのち、少年はぽつりと口を開きました。
「お父さんとお母さんが、最近よくケンカするんだ。僕がいるときも、関係なく大声で」
マスターは驚いたようすも見せず、ただ静かにうなずきながら耳を傾けます。
「どっちも『自分は悪くない』って言って、相手のせいにするんだ。僕、どっちの味方もしたいんだけど、今はお父さんとお母さん、どっちの味方もしたくないんだ……」
「そうですか。それは、苦しいですね」
「家にいると息が詰まりそうになる。だから、少しだけ外にいたくて」
マスターはそっと、グラスの水滴を拭いながら言葉を添えます。
「誰かの争いに挟まれてしまうのは、とてもつらいことです。けれど、あなたが悪いわけではないのですよ」
少年は黙ってうなずき、もう一口ジュースを飲みました。
「……マスターは、ケンカしたことある?」
「ええ。ありますよ。大人になっても、うまくいかないことはございます」
「ふーん……大人って、難しいね」
「はい。でも、難しいからこそ、わかりあえたときの喜びも大きいのです」
少年は空になったグラスを見つめ、しばらく考えているようでした。
「僕も……ちゃんと話してみようかな。お父さんとお母さんに」
「それは素晴らしいことです。きっと、あなたの言葉は届きますよ」
少年はにこりともせず、それでもどこか、決意のような光を目に宿して席を立ちました。
「ありがとう。……また来てもいい?」
「もちろんでございます。いつでも、お待ちしております」
少年はランドセルを背負い、店をあとにします。木製のドアが静かに閉まったあと、マスターはその余韻に包まれたまま、空のグラスをそっと手に取りました。
「小さな声でも、真っ直ぐな言葉には、大きな力が宿るものです」
今日もまた、一杯のあとに、少しだけ。
誰かのこころが、ほどけていったようです。




