保育士 来店時刻:17時30分
賑やかな通りから一本、そしてもう一本横に曲がった先にある、小さなカフェ&バー。
今日も若きマスターがいるこの店には、ほんの少しだけ、刺激的なお客様が訪れます。
――木製のドアベルが、かすかに鳴りました。
「こんばんは……あ、空いてますね」
入ってきたのは、落ち着いた服装の若い女性でした。髪は軽くまとめられ、制服の上からカーディガンを羽織っています。肩には少し疲れの色がにじんでいました。
「いらっしゃいませ。おひとりですか?」
「はい。アールグレイをお願いします」
「かしこまりました」
彼女はカウンターに腰を下ろし、深く息をつきました。マスターが茶葉を準備している間、彼女は手帳を取り出し、今日のページをぼんやりと見つめています。
「お仕事帰りでいらっしゃいますか?」
「ええ、はい……保育士をしていて」
「それは、大切なお仕事ですね」
「そう言ってもらえると、少し報われる気がします」
アールグレイの香りが立ちのぼるなか、マスターはカップをそっと差し出しました。
「どうぞ。あたたかいうちに」
「ありがとうございます……」
彼女は両手でカップを包み、一口飲んでから、ようやく表情を緩めました。
「今日、ある子どもに“先生なんか大嫌い”って言われてしまって……理由もわからなくて。いつもは仲良くしてくれる子なんですけど」
マスターは静かにうなずき、そっと問いかけます。
「そのお子さま、いつもと違う様子でしたか?」
「うーん、少し不機嫌そうではありましたけど……疲れていたのかもしれません」
「子どもたちは、まだ言葉で感情を整理するのが難しいことがございます。好きな人ほど、強い言葉で試すこともあるのかもしれません」
彼女はしばらく黙ってアールグレイを見つめていましたが、やがてぽつりとつぶやきました。
「そうですね……私も、あの子が好きだからこそ、言われた言葉が辛かったのかも」
「優しさが深いほど、揺れることも多くなります。でも、それが寄り添う力にもなります」
彼女は微笑みながら、カップをもう一口傾けました。
「明日、また普通に笑って話しかけてみようと思います。きっと、大丈夫ですよね」
「ええ、きっと。子どもは、大人の変わらない優しさを、ちゃんと感じ取っています」
「……なんだか、少し元気になりました。ありがとうございます」
「こちらこそ、そう言っていただけるのが何よりです」
彼女は立ち上がり、深く頭を下げて店をあとにしました。ドアの閉まる音は、心なしか軽やかに響きました。
マスターはそのあとを見送りながら、アールグレイの香りに包まれて、そっと呟きました。
「伝わるには時間がかかっても、優しさはきっと届くものです」
今日もまた、一杯のあとに、少しだけ。
誰かのこころが、ほどけていったようです。




