第十七話 危急存亡の秋
「おい、さっさと起きろ」
背中に蹴られたような感触を受けて目を覚ますと、俺は見知らぬ部屋の床に落ちていた。
あ、そうだ、夏樹の部屋に泊まったんだ。
そんで蹴られたような感触ではなく、実際に蹴られていた。いてえよボケ。
「んあ、今何時?」
「もう六時半だ、早く起きろ」
六時半って、もう、なんて前置詞がつく時間だっけ?
ともかく、家主が起きろというなら起きるしかないので、眠い眼をこすって俺は立ち上がった。
「ふ、うーーーーん」
大きく伸びをして、それから大きなあくびをする。
お腹なんかもぼりぼり掻いちゃお。
そしてそんな様子を目の前の夏樹がぎろりと睨んでいることに気がつき、俺はばつが悪くて首をすぼめてみせた。
「朝飯はテーブルに置いてある、それ持ってさっさと部屋を出ろ、戸締まりするから」
言われてテーブルの上を見てみると、惣菜パンのようなものが置いてあった。
飯は出さないなんて言ってたのに、つくづくわかりづらいやつ。
半額のシールが貼ってあり、前日の夜にスーパーで買っておいたのだろうことが伺える。
「あんがと。でも意外だな、お前半額シールつきなんて貧乏人が買うものとか言いそうなのに」
「なんだそれ、くだらねえ。同じ内容なら安い方がいいに決まってんだろ」
それもそうなんだけど、イメージの問題というか。
ともかく、それを拾ってすぐさま言われた通り玄関へ向かう。
夏樹の方は既にスーツに身を包んでおり、いつでも出れる状態のようだった。
こいつ、マジでこんな時間に出社するのか。
働き者過ぎないか? 昨日の夜も遅かったし。
そんな事を考えながら先に外へ出ようとすると、夏樹が不意に後ろから声をかけてくる。
「お前さ、本気でそろそろどうにかしろよ」
「ん、なにがだよ」
「何がって……色々あんだろ」
俺は、なんとも言えない複雑な感情で頭をぼりぼりと搔いて見せる。
「……まあ、そうだな」
そんな風にだけ口にして、玄関のドアを開けた。
◇
「お帰りっすー、なんか遅くなかったっすか?」
俺が家路につけたのは、夏樹の家を出てから更に二時間ほど経った後だった。
確かに、いつもは六時に夜勤が終わって帰ってくるので、少し遅かったと言える。
「たでーま、まあ色々あったんだよ」
一度カラオケ店に戻ると既に防火シャッターは上がっており、そこから煤だらけながらも何とか無事だった鍵や財布を取り出して、さりとて服は着れる状態でなく、凍えながら自転車を漕いで帰ってきたのが今だ。
ついでに言えば、カラオケでロッカーのものを確認している間に心配した空が電話をかけてくれており、そこから何とか元気を貰って帰ってきた感じである。
「色々っすかー、まあなんというか、お疲れっした」
「お前な、そんな態度でいいのか?」
俺は憮然としながらきっちゃんに険しい声をかけ、ただならぬ様子を感じた駄女神もなんだなんだと居直ってみせる。
そうして俺は、今最も重要な事項を伝える。
「俺は、今日から無職だ。そして、こないだの勝ち分やらなにやらの貯金は、全てお前が食い潰した」
「……マジっすか」
マジである、家計のピンチである。
危急存亡の秋であった。
「取り敢えず、あたしはどうやって酒を買えば?」
「お前、そろそろほんとに働いてくれ」
◇
俺はひとまず、ネットであれこれと職探しに当たる。
取り敢えずは金払いが良くて、あんましんどくなくて、人間関係楽で、近所の仕事がいいなあ。
あれもこれもと絞り込み条件を付け足し、それっと心の中で掛け声一発検索をかけた。
『絞り込み結果:ゼロ件』
「あちゃー」
スマホをぽんとベッドへ投げて、そのまま自分も倒れ込んでしまう。
「どーおすっかなあ」
「またパのつくお店で勝ってくればいいじゃないっすか」
テレビの前の座椅子に座ってゲームをやっているきっちゃんが、なんか適当なことを言ってる。
「お前さあ……発想が駄目人間過ぎるだろ。人間じゃないから駄女神だけれども」
「そうすか? 普通の人ならそうかもしれないっすけど、蓮司は違うっすよ。だって蓮司が行けば絶対に勝てるんすから」
「むう……」
確かに、彼女の言うことにも理がない訳ではない。
俺が力を使ってしまえば、どんなギャンブルもギャンブルではなくなる。
奇跡のような勝ち方も思いのままなのだ。
「あ、でも宝くじは駄目っすよ? そもそも当たる確率が低すぎて、蓮司の力でも書き換えられないっす」
「あー、小さすぎない確率を連続で引くのはよくても、一発で極端に低い確率となると難しいんだっけ」
「そうっす、不可能ではないっすけど、相当大きく力を使うので周辺のカミノトに位置が丸出しになるっす」
同様の理由で、競馬の大穴狙いなんかもうまくないらしい。
というかそのビジュアルで丸出しとか言うなよなこいつ。
まあなんにせよ、宝くじもギャンブルのひとつに変わりはない。
そうした物から金を引っ張りだそうという考え自体が、今の俺には持てなかった。
「……なんで駄目なんすか?」
きっちゃんが、ゲームのコントローラーを置いてこちらに振り返る。
「そりゃ、だって……あいつに恥ずかしいとこ見せたくないし」
ギャンブルなんかで得た金で、空とデートはしたくない。
そんな、自分で言っていてこっ恥ずかしくなる考えが、俺が三年も泥沼に陥ったギャンブル依存から立ち直った理由だった。
「あーはいはい、ごちそうさまっす。ならあたしにいい考えがあるっすよ」
「いい考え?」
こいつの考えなんてあまり当てにしたくはないとは思いつつ、しかし馬鹿にも出来ないことも知っていたので、思わず身を乗り出して聞いてしまう。
「デリバリーっす、自転車で馬車馬のごとく走るっす。ギグワーク、働き方の多様性っす」
なんとも、普通の考えだった。