第十四話 なんで今さら
俺の宣言から、押し寄せてくる怪物の数は飛躍的に増えてしまった。
常に同時に数体以上の怪物が大小押し寄せ、俺は間断なくそいつらを叩き伏せる必要に駆られている。
先ほど手にしたこん棒はまだ俺の手元に残っており、これがなかったらとっくにやられているだろう事を考えると、やはり幸運だったと思う。
「けど……くっそ、キリがねえな……!」
怪物の数は減る様子が見えない。
むしろ、その数も質も更に増していっているように思える。
「あいつを……大本をなんとかしない限りはどうしようもなさそうだ……な!!」
ぶつくさと呟く俺に猪のようなものが突進してくるが、俺はそれをこん棒のフルスイングで打ち払った。
「落ち着け……気配を探れ……力の痕跡を辿れば、あいつの所にたどり着けるはず」
俺は次の怪物たちが襲ってくるまでのわずかな時間を使って、全神経を集中させた。
力の痕跡は、目を閉じると青い炎のようなものとして浮かんでくる。
それを瞑目した視界の中から辿って、綿貫の居場所を突き止めた。
「見つけた……けど……!!」
あいつの元にたどり着いたとして、そこからどうすればいい。
どうすれば、決着と言えるんだ。
「分からないけど……とにかく行くしかねえ」
俺は再び押し寄せてくる怪物を叩き伏して、綿貫の元へ向かった。
◇
私は、どうしようもなく臆病者だと思う。
高校一年、持病によって志望校へ入学できなかった私は、昏い絶望とともに入学式に参列した。
入れた高校は、お世辞にも柄がいいとは言えない第三志望。
第一も、第二も体調を崩して試験を受けられず、特例も認められずに受けた学校で、実際は志望した訳ではなく日程的にそこしか受けられなかったのだ。
けれどそこで、彼と出会った。
殆ど幽霊部員ばかりの文芸部で、彼はぼんやりと小説を読んでいた。
そんなのが似合う風体でもないのに、明治時代の文学作品の頁を睨み付けていた彼の目を、私は未だに覚えている。
背も高くて、顔立ちもそこそこで、けれどとにかくやる気がなくだらしない。
なのに、それにしては紳士的で、それがだからこそちぐはぐで、段々と気になっていったのだと思う。
私が小説を書いていることを伝えると、彼は普段の気だるげな声とは違って、読んでみたいと興味を示してくれた。
私はそれまで、自分の書いた小説を誰かに読んで貰ったことがなかったので、正直に言えばとても怖かった。
だが、彼は一通り読み終えてこう言った。
「すげー面白い、お前絶対才能あるよ」
今にしてみれば、殆ど妄想の垂れ流しと変わらない稚拙な文章だったと思う。
けれど、彼はその拙さを指摘せず、変に助言などもせず、どこが良かった、ここが好きだと伝えてくれた。
べた褒めだった、しかも気を遣っているわけでもないのだ。
その上、的外れなことも言わないのだから、一種の才能だったとすら思う。
私は、それが嬉しくてたまらなくて、毎週のように彼に小説をみせた。
彼は、それを必ず読んでくれた。
プロとして認められた今ですら、あの時間が私の一番の宝物だ。
だから、だから私は。
彼の事を、忘れられなかったんだと思う。
◇
「よう、さっきぶりだな」
俺は、結界によって無人となったビルの上階、開けたホールのような場所にたどり着いていた。
その奥、なにかの壇上で彼女は、綿貫空は俺を待っていた。
「最後の方は躊躇なかったじゃんか、気が変わって俺を殺す気なのかと思ったよ」
綿貫は、俺の姿を一瞥したのち、うつむいて何も言わなかった。
「なんとか、言ってくれねえかな」
俺が問いかけると、ようやく綿貫は、ぽつりぽつりと話し始める。
少し距離は離れているものの、広いホールで声は反響するためこちらまで届いてくる。
「ずるいですよ、先輩」
彼女の言葉を聞き逃さないよう、俺はその姿に目を凝らす。
「先輩の力、なんですかそれ。単に腕力が強いだけかと思ったら、どうやっても攻撃がまともに当たらない、反則じゃないですか」
「悪いな、聞いた話じゃ、今までの溜まった負債が戻ってきてるらしいんだよな」
俺は、まるで冷静にでもなったかのように軽口を叩いてみせる。
だが、その内心は全く穏やかなどではない。
どうすれば、彼女を止められるのか。
そればかりを考えていた。
「……なあ、教えてくれ。一体どうして俺にカミノリの儀なんて挑んだ。なんでお前はこんなものに参加してるんだ…………俺の何が、気に食わなかったんだ」
俺のその、最後の一言を聞いて、綿貫は弾かれたように顔を上げて俺を睨み付けた。
その目には、涙が浮かんでいる。
「何が気に食わないって……? そんなこと、そんな残酷なことを聞くんですか!! 気に食わないなんて、わたし、わたしは…………ずっと…………!!」
綿貫はそこまで言い掛けて、言葉を飲み込んでしまう。
もう一度うつむいて、再び顔を上げたかと思えば、その目には光が宿っていない。
まるで、抱えきれない憎念を表したかのような瞳だった。
「もういいです、やっぱり、殺します。死んでください、先輩」
彼女がそう口にすると、彼女の傍らから光が立ち上がる。
それは人の形を成して、腰に下げた剣を引き抜き構えてきた。
それは、騎士だ。
先ほどのような首なしの騎士ではない。
物語に現れるような、というまでは同じでも、その姿はまるで光の王子様とでも言わんばかりの青年だった。
「怪物しか出せないのかと思ったが、今度は物語の王子様かよ」
待て、物語の……?
俺はなにか引っ掛かりを覚えて、不意に思案に沈みそうになる。
だが、目の前の騎士はそんなことを許してはくれない。
「行って、あの人を……殺して!!」
綿貫の叫びとともに、騎士が凄まじい勢いで飛び込んでくる。
最初の戦いで奪った身体能力を以てしても、反応するので精一杯だった。
騎士は知性を感じない怪物たちとは違い、次々と剣術と呼ぶべきものを叩き込んでくる。
俺は必死になってそれをこん棒でいなそうとするが、次第に押しきられて生傷を増やしていった。
「綿貫……おい、綿貫! 話を聞けよ!!」
彼女はこちらを見ていなかった。まるで、見たくないものから目でも反らしているかのように、身体を震わせてうつむいていた。
「謝るから……俺が気に食わなかったんなら謝るから……! せめて何を謝ればいいのか位教えてくれよ!」
俺は、こいつに嫌われたくなんてなかったのに。
一体何が、ここまでさせるほどの、あんな目をさせるほどの恨みを買ったというのか。
だが、彼女はやはり、俺の言葉を聞いてこちらを睨み付けた。
しかし、今度はそのまま力なく、その場にへたり込んでしまう。
「先輩は……先輩は悪くなんてないです……私が、私に勇気がなかったから……でも、だって、先輩だってそうだった!!」
俺は騎士の振るった一撃によって壁まで吹き飛ばされる。
普通の人間の身体なら、この衝突だけでも即死になるような勢いだ。
背中から激突し、むせ込みながら綿貫の方を見た。
「私は……ずっとあなたのことが────────好きだったのに!!」
そして、そんな彼女の言葉に、思考がフリーズする。
「な……にを────」
「あんなにずっと想っていた、あんなにずっと待っていたのに……先輩はそれを知っていたのに!! 私の知らないところで、恋人なんて作って……だからもう会えないなんて、簡単に言ってしまって……」
綿貫の言葉が、悲痛な叫びが耳朶を震わせる。
ついさっきの、壁の衝突なんて目じゃないくらいに、心臓をえぐってくる。
「先輩に褒められた小説は、諦めきれなかったけど、褒められた長い髪はすっぱり切ったんです」
悲痛な独白は終わらない。
長い月日によって溜め込まれた情念は、この程度の言葉では解消されることはない。
「忘れようとした、何度も、何度も、何度も、何度も……! でも出来なかった…………そんなある日、カミサマが私に力をくれたんです。この力が、私を慰めてくれた。それでようやく、忘れられる筈だった、忘れられるところだった、あと少しで────なのにッ!!」
綿貫が手元の本を掲げると、騎士の剣が発光する。
騎士は剣を高く振り上げ、その光は、明かりの消えたホールすらも煌々と照らし上げるほどに、輝きで満たしてゆく。
「なんで今さら、私の前に現れたんですか────先輩ッ!!!」
剣が振り下ろされ、凄まじいエネルギーを伴った光がホール内を蹂躙していく。
まるで、破壊の権化のような光が建物を焼き尽くすなか、俺はそれに巻き込まれた。