第十話 リハビリってしんどいですよね
俺は途方に暮れていた。
何にかってそりゃ、この完全に持て余した無駄な腕力についてだ。
手に入れてから初日の夜は、家中のものがあれこれと壊れてしまった。
脱衣所のドアは歪んで開きっぱなしだし、グラスや皿は四つもダメにしたし、それ以外にもお気に入りの箸をへし折ったり、あちこちでものを壊して、仕方ないのできっちゃんにひたすら介護されて暮らしている。
まあ、こんなことになったのもこいつの責任なのだし、それくらいやって貰いたいとは思う。
思うのだけれど、まるで子供でもあやすかのように扱ってくる見た目十代の少女に世話を焼かれるのは、どうにも尊厳が失われる気がする。
「はい、蓮司くん、あーんっす」
「いやもういいから、流石にフォークくらいは使えるようになってきたし」
「ええーつれないっすよお、新婚気分で楽しかったのに」
ちなみにバイト先には、流行りのウィルス性の病気にかかったと嘘をついて一週間ほど休みを申請した。
コンビニの店長の方にはもうめちゃくちゃ言われたので、じゃあもういいですとついでに辞職も伝えてしまった。
永浦くんあたりが苦労するかもしれないので、今度差し入れでも持っていこう。
「そろそろリハビリも兼ねて外出するか……お前におつかい頼むと七割くらいタバコの買い出しに失敗するし」
「しょうがないじゃないっすかー、あたし見た目はこーんな美少女っすし」
「やかましい、折るぞ」
「どこを!?」
このうるさい自称美少女は差し置いて、俺は着替えのために脱衣所へ向かう。
こいつが来てからというもの、ただの着替えにもいちいち気を遣わなければならなくなったので本気で面倒だ。
今まで付き合った相手とは同棲まで至ったこともないが、ましてやこいつとは別に恋人でもなんでもない。
そのうち出ていくのではないかとも思ったが、今のところ全くその素振りはなく、この身体の状態に慣れたら追い出せないかなと本気で考えている。
「蓮司くん、いいっすか?」
「おま、まだ着替えてる途中だっつの!」
俺が覚束ない手元でズボンを履いている最中に、この女は堂々と脱衣所のカーテンをめくりあげて中を覗いてきた。
ドアが歪んでしまっているので急ごしらえで設置したカーテンであり、当然鍵などないので防御力はゼロだ。
「べっつに蓮司くんの下着姿見たからってどうとも思わないっすよ。それより、出掛けるなら図書館がおすすめっす。あたしのイチオシッすよ」
「はあ? お前今度はなに考えてるんだよ」
「別にー、ひみつっすー」
こいつはいつもこんな感じで、人の聞いたことを適当に流したり、思わせぶりなことばかり言ってくる。
気まぐれというか自由人というか、まあ段々慣れてはきたんだけど。
俺は彼女の去っていった方をじろっと睨んでから、ひとつため息をついてズボンを履き上げた。
ちなみに着替えに関しても手伝うと抜かしてきたあいつを拒んで、俺が何着か服を駄目にしたのは言うまでもない。
お気に入りのものもあったんだけどな……無念だ。
「じゃあ俺は出掛けてくっから、お前も外に出るなら戸締まりはしてくれよ」
「了解っすー、行ってらっしゃーい」
雑な返事を背中に受けながら、俺は玄関を開けて外に出た。
◇
俺はまず、駄目にした服を新調するために服屋を回る。
今のところ、俺の手元には十分に金があるのだが、だからといってブランドものを買うつもりもない。
無駄遣いしていいほどの手持ちじゃないし、元々興味もないからね。
何着か買って適当にカバンに詰めてから、俺は昼食を取りにハンバーガーショップに寄った。
気がついていなかったが今日は世間的にも休日だ。
家族客や恋人同士で来ている人間も多く、その中で一人で飯を食うことに若干の気まずさがある。
最近は珍しく恋人が居たため忘れていたが、そういえば一人ってこんな感覚だったなと思い出す。
まあ、こういうのも慣れだし、すぐに何とも思わなくなるんだが。
一通りの用事を済ませて、俺はふと、きっちゃんの言っていた言葉を思い出した。
「図書館、ねえ……」
今の俺の状態では、本のページをめくるのも割と困難な気もするんだが。
まあ段々と力の加減を覚えてきているし、リハビリにはむしろいいかもしれない。
「そういえば、最近はあまり読んでなかった気がする」
別に、あいつの言うことを真に受けたと言う訳ではないが、逆に無視しなければいけない理由も特にはない。
そんな風に考えて、俺は図書館の自動ドアをくぐった。
◇
駅前にある図書館にしては珍しく、ここの図書館はそれなりに広い。
小説、雑誌、諸々の簡易な教則本から専門書まで幅広く置いてある。
年寄り向けのCDコーナーや児童書のコーナーに触ることはないが、それでも簡単には把握できないくらいに、様々な本が置いてあった。
昔は、こうした光景にそれなりに気分を高揚させたものだったが、ギャンブルを覚えてからこっち、読書をすることが減ってしまった気がする。
俺は何となく、好きだった作家の名前を探して、棚と棚の間をふらふらと彷徨っていた。
すると、ようやく目当ての作家の名前を見つけて、俺はその中でまだ読んだことのないタイトルを手に取ろうとする。
「あ」
「あ……」
しかし、全くの同時にその本を取ろうとした手があり、互いに気がつかずそれが触れてしまった。
気まずい思いをしながら、目を反らして立ち去ろうとするが、しかしその相手は俺に思いもしない声をかけてきた。
「先輩…………?」
忘れもしない、聞き覚えのある声に俺が振り向くと、そこにいたのは懐かしい顔。
会いたかったような、合わせる顔のないような、そんな相手。
「綿貫…………」
綿貫空、俺の高校時代の後輩だった。