転生したら乙女ゲーの世界に来た俺
俺、斎藤 斗真は死んだ。
トラックに轢かれたらしい。
良い人生だった。友達は少なかったけど、それなりに学校は楽しかったし、帰ってからも、本やらゲームやらに熱中していて、一日一日に悔いはないように過ごしていたから。
そして目を覚ますと、知らない世界。
中世ヨーロッパを思い出させる街並みに、前方に見える大きなお城。
間違いない。ここは剣と魔法の世界だ。
もしかしてあの憧れの異世界転生とやらだろうか。だが今のところ、知っているキャラクターは登場していない。女神とかにも会っていないぞ。
まあいいか。いつか、ここがなんの世界か分かるだろう。
さて、そんなおそらく剣と魔法の世界で必要なのは一体何か。
技術、魔力、色々。
だけど、戦闘に巻き込まれて命を落とすのは勘弁だし、痛いのはもう嫌だ。だから今世はゆっくり過ごそう。スローライフ、というやつだ。
前世は学校も楽しかったな。せっかくなら勉強しよう。
知識や技術は学校で学ぶもの。ならば学校に行かなければならないのは摂理。
俺は憑依先の男の子の知識を頼りに、勉強に励んだ。
この世界の有名な学校といえば、レムア国立魔法学校という学校らしい。かっこいい名前だ。魔法学校というのだから、某有名眼鏡の魔法使いと同じような経験ができるのだろうか。
俺はそんな期待を胸に抱きながら、必死に勉強し、受験した。六年かかった。まったく、幼いながらよく頑張ったと思う。
全て順調に通過し、俺は入学が認められた。それも特待生での入学でだ。
俺は喜んだ。独学でよくここまでやれたな、と自分を褒め称えた。
平民でなんの技術も持たない俺が、名家だらけの学校に入学した。
────
「ふわぁ……つっかれたぁ……」
俺はトーマ。この国一の名門校、レムア国立魔法学園に入学したてほやほやの一年生だ。
入学してはや一ヶ月が経ったものの、平民の俺は未だに周りと馴染めず、ぼっち生活を送っている。
だが前世も似たようなものなので、この孤独感に慣れている。友達なんか、一人やふたりで十分だろう。俺は今のところゼロだが。
俺は肩から指先にかけて力を込め、ぐぅっと背伸びをする。
異世界の授業も日本の授業も、退屈なのは共通なのだと痛感している。よく分からない事を学ぶよりも、はやく魔法について学ばせてほしい。
「……はぁっ。さて、と」
俺は先程の授業で使用した教材をかき集め、ひとつにまとめるとそれらを鞄に詰める。
革の鞄は使い心地があまりよろしくない。足に当たったら痛いし、物もたくさん入るわけではないので、早急にリュックサックを開発して欲しいものだ。
帰宅準備は万端だ。さっさと帰ろう。
「……ねえ」
席を立ったその瞬間、隣の女の子が声を掛けてきた。
平民なんかの俺に話しかけるとは、なかなかに度胸のあるやつだ。
俺は彼女を勘ぐりながら、答えた。
「どうしましたか?」
「これ、忘れているわよ」
差し出してきたのは、俺が愛用している羽ペンだった。
どうも俺は疲れているらしい。お気に入りの文房具を、鞄に入れ忘れるとは。
俺は内心勘ぐってしまったことを反省しながら、当たり障りのない笑顔で羽ペンを受け取った。
「ああ、ありがとうございます」
「気にしないで頂戴な」
銀髪の腰まで伸びたストレートヘアーは、俺の目を刺激する。
草原のような深緑の瞳に、凛とした慎ましい雰囲気。
俺はすぐさま気が付いた。忘れ物を教えてくれたその人の存在を。
「あ、アマリリス?!」
俺は思わず大きな声を出して驚いてしまった。
彼女はアマリリス・キャレナンシア公爵令嬢だ。キャレナンシア家は王家に次ぐ権力を持っていて、目的のためならどんな犠牲も厭わない冷酷な一家であると、俺ら平民の中で噂されている。アマリリスのあだ名は「冷血淑女」だ。貴族間ではどう呼ばれているのかは知らない。だがおそらく似たようなものだろう。
そしてようやく、俺は気が付いた。ここは恋愛ゲーム『あいのものがたり』の世界であると。
『あいのものがたり』とは、主人公のヒロインとイケメン貴族達がが紆余曲折あって結ばれる、ただの微笑ましいラブストーリーだ。王道でありがちな、頭を空にして読める童話のようなストーリーが話題を呼んでいた。
『あいのものがたり』中の情報でいうと、第一王子ルートの彼女は、後に出てくるであろうヒロインの敵役だ。元々第一王子が好きだった彼女はヒロインに取られてしまい、嫉妬しヒロインに嫌がらせばかりするようになる。だが第一王子はヒロインを構うばかりで、嫉妬に狂いとうとう平民や貴族を無差別に殺害してしまうトンデモ暴走悪女だ。ストーリーを進めていて、犯人がアマリリスだと知った時、「まさかコイツが?!」と驚いたのは今でも鮮明に覚えている。アマリリスが第一王子の事が好きな事は作者によって明言されていたものの、まさかヒロインを殺そうとしてまで婚約したがっていたなんて、読者はだれも思っていなかっただろう。中盤まで儚げな負けヒロインムーブだったから。ゆえに、ゲーム感想欄にアマリリス推しのお気持ち表明が何件か書かれていたり、俺の友達はショックで寝込んでしまったりした。それくらい意外であり、読者に絶大な印象を与えた人物である。
だが、どうして今まで気付かなかった? きっとよく顔を見てなかったからだろう。つまり、授業中も隣の席で受けていたということになるだろうが、俺は何かヘマをしでかしてないだろうな。心配になってきた。言い訳としては、席の間隔がそこそこ空いているから気付かなかったのである。いやまあ、長机の二人席なので離れすぎてるわけじゃないけど。
てかそもそも、どうして俺が冒険溢れる世界ではなく女性向け恋愛ゲームの中にいるんだよ!!!! このままいくと男だらけじゃねぇか!!!
俺は怒れる感情を抑え、他人用の表情を作り続ける。
「ええ、そうよ。だけど、爵位を付けず呼び捨てだなんて、無礼極まりないこと」
扇をばさっ、と広げ、彼女は口元を隠した。
「あはは、すんません。平民なもんで、呼び方とか分からねぇんですわ。まあ次から気を付けるんで、許してください」
俺は苦笑を浮かべ、では、と言って立ち去ろうとした。
するとアマリリスは、まだ何かあるようで、
「待って」
と言って俺を引き留めてきた。
俺は今度こそアマリリスを疑ってやる。なんだか嫌な予感がするので、俺は急いでるような、嫌そうな雰囲気を醸し出してやった。
「……貴方、トーマ・デオルドでしょう? 特待生の」
「ええ、まあ。はい」
俺はいい加減な返事をして。
「貴方、生徒会に入らない?」
「嫌です」
俺は正直な感想を放ってやった。
生徒会はともかく、アマリリスと関わるとロクなことにならないだろう。だって未来のラスボスだぜ。死にたくないだろ。この女と関わって第一王子やヒロインなんかに嫌われてしまえば、俺のモブスロー平民ライフはお終いである。処刑エンドを迎えてしまう!
しかしながら、彼女は一年生ながらもう既に生徒会入りとは。あっぱれである。ゲームの中では生徒会に入っていたのか、よく覚えていないが。
それに、俺は生徒会に入れるような器ではない。陰キャには厳しい。とても。
「見学だけでも、どう? 私達、貴方の事が気になっているの」
入学しておよそ1ヶ月、もう目をつけられていたのか。
やっぱ学校怖すぎ。異世界で引きこもりになりそうだ。
面倒ごとは真っ平御免。俺は前世も今世も、日本でも異世界でも平凡に過ごしたいんだ。可哀想だが、断ろう。
「ですから、俺は──」
「生徒会命令でもあり、公爵家の令嬢としても貴方に命令しているの。どうかしら?」
「…………行きます」
そんなのズルすぎるだろ。
生徒会室前。
アマリリスが、頑丈そうな木製の扉を前に押した。
着いてきてしまったからには、全力でやったもの勝ちだろう。
よし、頑張れ自分。ここから俺の異世界ライフが始まるんだ!
ああ神様、どうか俺が死にませんように……。
「……あ! アマリリス様、こんにちは! と、その後ろの方は?」
「ごきげんよう、マヴィナ。マルス殿下も、ごきげんよう。彼は以前言っていた、あのトーマよ」
アマリリスはそう俺を紹介した。
続いて俺も、無礼のないように挨拶をする。
「こ、こんにちはー……」
恐れおののきながら、控えめに挨拶した俺。
生徒会室の中にいたのは、桃色の髪と瞳をした、童顔の少女。そう、彼女こそが『あいのものがたり』のヒロインである、マヴィナ・テンレスである。
そして執務机に座っている金髪の彼。彼こそ、この国の第一王子、デレン・ル・レムアだ。
ということはもしかして、生徒会って結構気まずい組織なのでは。
よし帰ろう。さっさと挨拶して即帰ろう。このままでは俺はこの銀髪女に殺される。
「あー! あのトーマさん?! 本物ですかー! すごーい!」
マヴィナはなぜか俺を見て、跳んで喜んでいる。
そんなに俺は有名人だったのだろうか。悪い気はしないが。
いや目を付けられてるんだから悪いのか。
「ふむ、君が噂のトーマか。どれどれ……」
俺の顔をジロジロ見てくるデレン。
黒目黒髪普通顔なんか見ても、何も面白くないですよ。
「トーマ・デオルドです。はじめまして、王子様」
「トーマ。君の話は常々聞いているよ。是非とも生徒会に欲しい人材だ」
第一王子自らの勧誘とは、恐れ多い。
これで完全に断れなくなってしまった。
「私、トーマさんとお友達になりたかったの! だってほら、この学校の平民って私と君だけでしょう? 絶対私達、良いお友達になれると思うのです!」
この子、グイグイ来るな。
この空気を読まないような、じゃじゃ馬のような彼女にデレンは心惹かれてしまったのだろう。
それに、そんな期待の目を向けられてしまえば断るわけにもいかないし。
「まあ。平民どうし、仲良くしましょう」
困りながらも、無難にそう返事をした。
これで顔見知りにはなれただろう。あとは俺が引っ込むだけだ。
「本当? わあ、嬉しいです! 私、マヴィナ・テンレスといいます! ふふっ、これでお友達ですね!」
彼女は俺の手を取り、ブンブン縦に振って。
あはは、どうも。と俺は苦笑しか浮べられなかった。
「マヴィナは流石だな。どんな相手とも一瞬で仲良くできるとは。きっといい外交官になれる」
金髪イケメン第一王子は、そういってマヴィナを褒める。
「えー、そうですかー? デレン様も、たくさん貴族の方とお友達でしょう? 私なんかとても敵わないですよー」
「ははっ、そうか。ありがとう。美しい未来の姫にそんな事を言われては、負けてしまう」
「もう、デレン様ったらあ」
は?
何を見せられてんの、これ。
俺とアマリリスそっちのけで、いちゃつき始めたぞ。
あの二人の周りに、ハートが飛び交っている。俺は見える。幻想だがはっきりと見える。
横目でアマリリスの顔を見てみる。彼女は彼の事が少なくとも好きであるから、どんな反応をしているのか気になったのだ。
だけども、アマリリスは顔色ひとつ変えず、ただ凛と佇んでいた。
その顔を見て、俺は思わず美しいと思ってしまった。
『アマリリスちゃんはな、ただの可愛い女の子なんだぜ』
昔の友の声が、俺の脳内に響く。
アマリリス推しの友は、よく俺にそう言っていた。
未来のラスボスながら、可愛い女の子という点はちゃんと的を得ているらしい。
彼の意志を否定していたわけではないが、俺は初めて、心の底からそれを肯定できた。
「……アマリリス、大丈夫か?」
「トーマ。私は公爵家の人間よ。自分の立場を弁えなさい」
彼女はまた、扇をバサッと広げ、口元を隠す。
翠の瞳で睨まれては、それ以上は言うなと言われたような気がした。
ただの平民如きが、貴族の事情に首を突っ込んでしまえば、それは自殺行為だ。
生徒会は、本当に必要な時だけ来ればいいか。
「……そんじゃ、俺はこれで。また何かあったら呼んでください」
「ああ、気を付けて」
「トーマ君ばいばーい!」
背中にぶつかる二人の声。
アマリリスは、何も言ってくれなかった。
月日が経ち、俺は学校にそこそこ馴染めてきた。
相変わらずアマリリスは隣の席だし、授業も退屈で眠たくなる。だがそんな時、アマリリスは俺の肩をツンツンして起こしてくれる。
それと、俺はなんやかんや生徒会に加入してしまっていた。生徒会によく呼ばれているが、俺は週に一度顔を出すくらいで、あまり深入りしないようにしていた。
だけど何故か、周りからものすごく信頼されている気がする。
「トーマ君! この資料ってさ……」
「ああ、それはこの部分がおかしいんだ。直すとしたら……」
「トーマ。これについてどう感じるかな?」
「んー、ここは逆の方がいいかもな。例えば……」
「アマリリス。今の計算、分かんねーんだけど……」
「はぁ。仕方ないわね。授業が終わったら教えてあげるから、今は先生の話を聞きなさい」
皆の業務を手伝っただけで、俺は特に何もしてない。
いつしか皆は、業務以外の事についても話しかけてくるようになってきていた。
友達だとは思いたいんだが、得意の主人公気質で厄介事に巻き込まれそうで怖い。だから俺は、皆と一線の距離を置いている。いや、置きたかった。
「トーマ。どこ行くんだ?」
「……ああ、デレン様。学校は終わったし、帰ろっかなって」
デレンは最近、事ある毎に俺に話しかけてくる。
学校の改革に平民の意見を取り入れたいとか、街の視察を手伝って欲しいだとか。
マヴィナと行けばいいだろう、なんて言って断る事も出来ないので結局着いていくことになるのだ。まあデレンに街を案内する時は楽しいので、それもあって断っていない。
「よそよそしい返事はしないでくれ。まあいい。今日も街に行かないか? 次期国王として、平民の暮らしは知っておかなければならないからね」
「一昨日も聞いたセリフだな……」
「最新の流行に乗り遅れてはいけないだろう。さ、早く行こう」
こんな感じで、デレンはしょっちゅう街へ遊びに行こうと誘ってくるのだ。
俺が一体何をしてこんなに懐かれたのかは本当によく分からない。ただ普通に生活していただけだったが、彼の中に何か良い印象を与えることが出来たのだろう。
だが、俺が求めてるのは第一王子から好かれる事じゃないんだよなあ。
そして街。
俺らは制服を着たまま、街を巡る。
放課後に遊びに行く学生気分が、またこの世界でも味わえるなんてな。
「……デレン、寄りたいところがあるから着いてきてくれないか?」
「勿論だ。だが珍しいな、君が行きたい所だなんて」
「まあな。欲しい本があるんだよ」
「本? ははっ。君は勉強熱心だな。だが、授業が分からないのなら家庭教師を雇えばいいじゃないか」
「この王族め。そんなもん雇う金なんか、俺にはねえよ。それに、分からないところがあったら、アマリリスかお前に聞くようにしてるからな」
「……そうか。嬉しいよ」
なんだか照れくさい雰囲気になったまま、本屋に到着した。
俺の目的の品、それは植物に関する本だ。
趣味兼仕事であるポーション製作において、植物の知識は欠かせないものだ。だが魔法植物学の授業は三年生から選択可能であるため、まだ一年生の俺は独学しかない。
「それで、トーマ。何が欲しいって?」
「魔法植物図鑑を探してくれ」
「ああ、分かった。だが、そんなの俺の図書館にあると思うが……」
「王子様に本なんか借りたくない。国からの取り立てとか、一番怖いだろ」
「ははっ、確かにそうかもな。手伝うよ」
手分けして探した結果、数分で見つかった。
分厚い本をデレンから受け取り、中身を確認する。おお、これは最新刊だ。ありがたい。
早速買うために会計を済ませようとしたとき、デレンは店員と俺らの間に入り、
「ああ、それは俺が払うよ。金貨でいいかな?」
「そんな高くないぞ」
「……え、ええっと……?」
「大丈夫ですよ、店員さん。銀貨何枚でしたっけ?」
「さ、三枚です……」
「トーマ。俺はこの国の王子だ。お金なら腐るほどある」
「デレン。これは俺の買い物だ。それに、友達に借りは作らない主義なんだ」
「ええっと……」
店員さんが困ってる中、俺達はどっちが払うか論争を繰り広げていた。
借りなんか作りたくない俺と、なぜか払いたがるデレン。
このまま争っても埒が明かないので、仕方なく俺が折れることにした。
「……わかったわかった。じゃあ、デレン。頼んだよ」
「最初からそう言えばよかったものを。ほら、これでいいだろう? 行こう、トーマ」
デレンは金貨十枚を店員に渡し、そのまま店を後にした。
俺は駆け足でデレンを追う。全く、よく分からない王子様だ。
「デレン! その、ありがとな」
「……勿論だとも。さて、次はどこに行こうか」
そろそろ日が沈む頃だ。
また明日も学校なのだし、お互い解散しても良い時間だろう。
「そろそろ帰ろう。課題も終わらせなきゃならんしな」
「トーマ。もし君が良いなら、今日は泊まっていかないか?」
「……俺が、か?」
「ああ。君は平民だが、俺は友と認めている。俺は、平民を差別する程穢れた心は持っていない」
憧れの、王城!
行くしかない、これは行くしかないだろう。
だが興奮を悟られるわけにはいかないので、すかした顔をして答えた。
「ふっ。そうか。ま、たまにはいいぜ」
「そうこなくては。では、着いてきてくれ」
俺はデレンの後に続く。
しばらく歩き、俺とデレンは少しひらけた場所に到着する。そこには絢爛豪華な馬車が停められており、どう考えたって貴族用の馬車だというのがよく分かった。金ピカなんだもの。
「お帰りなさいませ、殿下」
「ああ。それと、この者は客人だ。丁重に扱うように」
「はっ!」
俺は馬車に乗り込み、城まで乗せていってもらった。
遠目では見た事があったが、俺は王城に行くのは初めてだった。
緊張してきた。無礼を働かないようにせねば。
「なあ、デレン。俺、マナーとか分からないんだけど」
「安心してくれ。君のマナーは平民にしてはよく出来てる方だ。ああ、あと一つ。俺の弟には、あまり近付かない方がいい」
薄ら現れる前世の記憶。
カリオス・ル・レムア。
第二王子と呼ばれる彼は、主に女性プレイヤーから人気を博している。
誰にでも優しく接するデレンとは違い、ヒロインにしか見せない顔と溺愛っぷりで、女性達はメロメロになっている。知らない女には平気で酷いことを吐ける、まさにヒロインのために存在しているような人である。
「カリオス様か。仲、悪いんだっけ?」
「ああ。カリオスも大人にならなければならないというのに、子どものような我儘ばかりで……。それで最近、アマリリス公爵令嬢との婚約を破棄したいとか言い出したんだ。まったく、身勝手な人間だよ」
カリオスの愚痴を、これでもかというくらいボロボロ零すデレン。
今の会話だけで、二人の仲は最悪だということが分かってしまった。
なるべくカリオスの顔を見ないようにしようっと。
ていうか、アマリリス婚約者居たんだ……。なんだか失恋した気分だ。
「……さあ、到着だ。ようこそ、王城へ。部屋はメイドに準備させるから、適当にくつろいでくれ」
馬車から降りると、メイドが横一列に並んでいた。そして彼女たちは、デレンに向かって綺麗に揃って礼をした。
そうそう、これこそ異世界って感じだ。それに本物のメイドさんだし、城でかいしで。俺は開いた口が塞がらなかった。
「お荷物をお預かり致しますね」
「ああ、ありがとうございます」
学校鞄を持ってもらっちゃったりして。
「では、トーマ。俺は債務があるから、また夕食の時に会おう」
「ああ。頑張れよ」
とはいいつつ、俺を一人にしないで欲しいという切実なお願いができるわけもなく。
さて、部屋まで連れてきてもらったのはいいのだが。
「……でっか、ひっろ、ぴっかぴか……」
俺は未だ、開いた口が塞がらない。
俺も貴族になったみたいだ。あの大きなベッドにダイブしてやろうか。
いや。だがまて、慎重になれ俺。これは国王からの試練であり、貧乏くさい仕草をしたら即刻追い出されてしまう、みたいなものではなかろうか。
けれど、だからといって部屋を歩き回ると汚してしまわないだろうか。全部高いものだろ。何も触れねえよ。
俺はベッドの端に座り、緊張しながら、夕食のイメージトレーニングをしながら時間が過ぎるのを待った。
するとしばらくして、扉からノックの音が鳴った。
「夕食の時間でございます」
「ああ、今行きます」
俺はメイドさんにダイニングまで案内してもらう。
緊張しすぎて、足の出し方も忘れた。お腹も減っていない。
それにしても豪華すぎる。これぞ中世のお城、という感じだ。日本の知識を引っ張ってくるのならば、ベルサイユ宮殿をイメージしてしまう。
「やあ、トーマ」
「デレン……と、なんでアマリリスがここに?」
長すぎる机に置かれた、豪華な料理の数々。
だがそこに目がいく前に、手前に座っていた銀髪の淑女が目に入った。
「ごきげんよう、トーマ。何か悪いかしら」
「……何もないですけど」
少し気まずいまま、俺は席に着く。
「さて、食べようか」
デレンが音頭を取る。
「いただきます」
俺はそう言って、ナイフとフォークを手に取る。
できる限りのテーブルマナーで、食事を進める。
「……なあ、いつもこうなのか?」
俺は二人に問いかける
「いいや、そんなことは無い。だがまあ、人数は多い方が良いだろう?」
「まあ、たしかにそうか」
納得できるような、できないような。
銀髪の淑女は、静かにステーキに刃を入れる。
食べる姿も美しいとか、完璧かよ。まるでお手本だ。
そうして俺達は食事を終え、軽い世間話を始めた。
「貴族って、パーティとかあるんだろ? あれって、どんな感じなんだ?」
「楽しいよ。疲れるけれどね」
デレンは微苦笑して。
「ええ。ダンスを踊ったり、令嬢達とのお話をするのは楽しいわね。平民の中で、そういったものもあるでしょう?」
「パーティっつーよりも、祭りかなあ。酒を飲んだり、それこそ貴族達と同じように、ダンスを踊るぜ。まあ、そっちの方が上品だろうけどな」
二人は少しだけ興味を示してくれた。
貴族と平民の距離は縮まることはないと思うが、少しでも関心を持ってくれるだけでも有難いことなのだ。
「では、今度トーマを招待してあげよう。この城で開かれるダンスパーティなんだが、どうだ?」
「でも、いいのですか? 殿下。平民を招待するだなんて……」
「ああ、問題ないだろう。彼はレムア国立魔法学校の学生であり、特待生だ。それだけで、そこらの子爵家よりも価値がある。それにマヴィナもいるし、トーマからしたら心強いのではないかな?」
どうかな、と。
行けるものなら行きたいのだが、やはり怖いのは世間の目である。
確実に良い目を向けられないだろうし、不安だ。
「……どうだろうな。だが、招待してくれるなら、喜んで行くよ」
「ありがとう。嬉しいよ。だがしかし、ダンスパーティとなればペアを見つけなければならないな。どうしようか」
「……初めてのパーティでしょう。私が相手になってあげるわ。構いませんよね、殿下」
アマリリスは、口元をナプキンで拭きながらそう言ってくれた。
なんだかトントン拍子で話が進んでいくな。余計不安だ。これから先、何か悪い事が起きてしまうのではないか、と。
「公爵令嬢はそう言ってくれているが、トーマはどうだ?」
「アマリリスが良いなら。だが、本当にいいのか?」
「気にしないで頂戴な。今、私は貴方を選んだの。つべこべ言わずに、はい、と言いなさい」
慈愛の緑の瞳が、俺の心をぐさりと突き刺した。
その瞳には自信に溢れ、俺の今までの不安を全て吹き飛ばした。
俺は、この人なら踊れる。そう決心した。
そして夕食後。
アマリリスを見送った後、暇になった俺はデレンの部屋に向かった。
メイドさんに聞きながら、探検気分で歩く。
すると前方に、俺よりも身長が高くがっしりした体格の男性が歩いてきた。
ああ、あれがカリオスか。
白髪、筋肉質、褐色の肌。
間違いない。あれはカリオスだ。
道はこちらしかないし、すれ違うことは避けられないな。
俺はなるべく目を合わせないようにしながら、横を歩いた。
通り過ぎ、大丈夫だと油断したその時。
「……お前、見ない顔だな」
「……そうですか? 俺はあんたの事、よく見たけどな」
背後から声がした。
最悪だ。話しかけられた。
思わずいつものテンションで答えてしまった。これはまずいか。
「お前、魔法学校の生徒か」
「ええ。あなたのお兄様には、よくお世話になってますよ」
「……ほう? 兄貴のツレっちゃあ、あの特待生か。名前は……トーマだったか?」
「あはは、よくご存知で」
こわい! なんでそんな知ってんだよ!
「アマリリス公爵令嬢は気を付けな」
「……どうしてですか?」
「あの女、つまんねぇからよ。笑いもしないし、何考えてるか分かんねえから。不気味だぜ。まあ、あのクソ兄貴とつるむお前も、兄貴もいる変な生徒会には誰も寄らねえだろうがな。」
カリオスは、そう自分の婚約者と兄を侮辱した。
それは、誰も喜ばないことだ。俺だって、カリオスだって。
俺のことは何と言っても構わない。だが、友を馬鹿にするなんて。思わず手が出そうだ。
「……アマリリスに同情するぜ」
「あぁん? テメェ、今なんつった?」
「お前のせいで彼女は幸せになれない、と言ったんだ」
俺は振り返り、カリオスの方を見た。
相手が王族だからって、許さない。大事な人を馬鹿にされるのは、誰であっても許してやらない。
すると俺達の声が聞こえたのか、奥から人影が見えた。
「……カリオス。戻ってたのか」
「チッ、兄貴か。はっ、兄貴も堕ちたものだな。平民を愛するだけでなく、友にまでしてしまうとは」
「カリオス。そんな君に、友はいるのかい? 俺はトーマやクラスメイトの人達がいるのだが、どうなんだ?」
「……勝手にやってろ」
カリオスは、舌打ちを残し去っていった。
「はぁ、びっくりしたぁ……。ありがとな、デレン」
「ああ。だが、どうして君はカリオスに近付いたんだ。トラブルの元だと言っただろ?」
「……友達を馬鹿にされたら、言い返すしかないだろ」
デレンが居なかったら、俺は今頃どうなっていたことが。
普通に殺されてそうで怖いな。
「そもそも、どうして君が廊下にいるんだ。迷子か?」
「いやまあ、暇だしお前の部屋に遊びに行こっかなあ、って」
「……はぁ。まったく。君には手を焼くよ」
こうして、俺達のお泊まり会in異世界がスタートした。
お泊まり会といえば、もちろん恋バナである。
俺は明日の課題に取り組みながら、恋愛についての話を振った。
「好きな人か? それはもちろん、マヴィナだ。彼女は俺の妻となり、この国の女王にするつもりだよ。そういう君はどうなんだ?」
デレンは、ごく普通、常識だという顔で答えて。
好きな人を聞かれたら、相手に聞き返す。至極真っ当な行動だ。
だが、俺はそれ用の答えを用意していなかった。
「……分かんない。好きな人はいるにはいるんだが、俺には手が出せねぇんだよ。高嶺の花、つーの? 諦めた方がいいのかなぁ。あの人絶対、俺なんか視野にないんだろうしさあ……」
その花は、触れることすらできないような高貴な花だ。
常に気高く、威厳のある、美しい花。
俺はそれに値するような、相応しい人間ではないのだ。
「なー、モテ男さんよお。どーしたらいいかなあ……」
「君も十分、女性からの注目を集めていると思うけどね。だけど、君の言いたいことも分かる。自分なんかに釣り合わない。そう思うのは結構な事だ。だけど、俺から見た君は、羨ましいと感じることが多々あるんだ」
「お前が、俺を?」
「ああ。君は物怖じせず、生徒会に混ざって会議に参加していただろう? マヴィナは幼い頃から平民だったが、俺が社交界に連れ出すうちに慣れてきていた。言ってしまえば、不利だったのは君だけだったんだよ。トーマ」
そうだったのか。ゲームは学校に入学したところから始まるから、分からなかった。だけど今思い返してみれば、初対面だったにも関わらず、デレンと馴れ馴れしく接していたマヴィナの姿が描かれていたような気もしなくもない。
「それに君は特待生だ。あの困難な試験を突破し、加えて誰よりも優秀な状態で入学した。もちろん、俺よりもだ。一体何点取ったのか、見せてほしいくらいだね」
デレンは債務中の筆を置き、俺の目を見てこう言った。
「聞いてくれ。俺は君を尊敬している。君との会話はとても楽しいものだし、過ごす時間は有意義なものだ。それに彼女も──」
デレンは何か言いかけて、「やっぱり何でもない」と笑みをこぼしながら言葉を戻した。
それが何か問い詰めはしたが、デレンは頑なに口を割らなかった。
「とにかく、きっと何も考えていないわけじゃないと思うよ。あの冷血淑女を懐柔させたのは、おそらく君が初めてだろうね。それにアマリリスは、俺と同じく君を尊敬している。これは本当だとも」
「……そっか。まだチャンス、あんのかな」
「ああ。あとはカリオスが婚約破棄をすれば、完璧なのだけどね」
俺は嬉しかった。
この後、何ひとつ課題に手が付かなったくらいは。
そうして俺達は、夜通し語り合った。
恋愛の話、勉強の話、嫌いな人の愚痴など。
笑いながら、朝まで語り尽くしたのだ。
案の定、課題は終わらなかったけれど。
「……寝不足でしょ?」
「ああ、アマリリスか……。ああ、寝不足、だよ……」
俺は半分眠りながらそう答えた。
隣でため息を吐かれたものの、俺はそんなの心底どうでもいい。
眠たいから、寝たい。
デレンも今頃、こんな感じなのだろうか。
「はぁ。貴方って本当に馬鹿ね。だけど、授業中に寝たら許さないわ」
「はいはい、わーってますよ」
半分目を瞑っている。
後はゆっくり瞼を閉じれば、俺は一瞬で眠りにつける。
「そうそう、ダンスパーティは明後日よ。ダンスの練習は勿論しているわよね?」
「……明後日?」
俺はバキバキに目が覚めた。
デレンに昨日ステップの基本を教えてもらったが、深夜テンションすぎてあまり覚えていないし。
なんならデレンもふざけていたし、あれが本当のステップかどうかすら疑問である。
「ええ、そうよ。貴方は私のパートナー。醜いステップなんかを披露してみなさい。足を踏むわ」
「うぅ、怖い怖い。まあ、できる限りの努力はするよ。でもアマリリス。婚約者はいいのか?」
「ええ。関係はほとんど破綻しているようなものだし、本人も存じているわ。だから大丈夫よ」
「……そっか。なら、いいんだけどよ」
俺は言い表せないモヤモヤ感をしまったまま、授業を受ける。
だが教師の話なんかよりも、ダンスパーティで頭がいっぱいであった。楽しみなのか、拭いきれない不安なのか。それはまだ分からない。
放課後。生徒会室にて。
「初めてのダンスパーティーのための、ダンスが練習したい?」
「ああ。だからダンスを教えてくれ! マヴィナ、頼む!」
俺は手のひらを合わせて懇願した。
マヴィナは即刻OKしてくれた。
「でも私、女性用のステップしか分からないよ?」
「ああ、それでいい。動きは昨日、大体覚えた。あとはレディの動きに合わせるだけなんだ」
「そっかあ。じゃあ、はい。手と腰を持って」
俺はマヴィナの手を取り、腰に手を添えた。
細い腰。小さな可愛らしい手。正直、今の俺の鼓動は早いと思う。
「……ドキドキしてる?」
「し、してねぇし」
マヴィナは俺を揶揄し笑う。
咄嗟に目を逸らしてしまった俺は、まんまとからかわれたわけで。
二人の足音だけが響く部屋の中。やけに心臓の音がうるさい。
音楽がない中でワン・ツー・スリーとリズムを刻み、女性をエスコートするため必死に足を動かす。
だが俺の拙い足取りで、何度かマヴィナの足を踏み付けてしまった。
けれど彼女は、何事もなかったかのように踊り続ける。
何度も、何度も。できるまで繰り返す。日が落ちたって関係ない。俺達は踊り続けた。二人で、ずっと。
「……うん、うん! 今の完璧だった!」
「そ、そうか……? よし、やっ、た……!」
既に外は暗闇。
喜びを噛み締めながらも、俺達はさすがに急いで学校を出た。
平民なので、お迎えの馬車があるわけでもない。歩いて帰るしか術がない。なので俺達は疲れきった足で、とぼとぼ街を歩いて帰った。
「でも、いいのに。わざわざ家まで送るだなんて」
「気にすんな。女性一人で夜歩くのは危険だからな。平民なら、よくわかってるだろ」
「……そうだね。ありがとう」
今宵は美しい星々が散っていた。
空を見上げ、星座でも見つけながら歩く。
「こうして二人きりで帰るの、初めてだね」
「たしかにそうだな。いつもは俺が先に帰るから、タイミング合わないもんな」
「そうだよ! 会議の最中でも、時間だから帰るーって行っていつもいなくなっちゃうもん!」
「ははっ、悪いな」
「もう、トーマ君ってば……。でも、家が同じ方向なら、先に言って欲しかったな」
「どうして?」
「だって、こうやって一緒に帰れたかもしれないでしょ?」
不覚にも、鼓動した。
いけないいけない。俺にはアマリリスという女性がのだ。それに、マヴィナもデレンという将来の結婚相手がいるではないか。
だからこのドキ、はノーカンだ。
「……デレンが泣いちまうぞ」
「わ、それはダメだね。じゃあやっぱりやめよう」
「お利口さん」
こんな調子で話しているうちに、彼女の家までたどり着いた。
「トーマ君、今日はありがとう。おかげで楽しかったよ」
「お礼を言いたいのは俺の方だ。ありがとな、マヴィナ」
「ふふっ。どういたしまして。じゃあまた明日、学校でね!」
「おう!」
そして俺も帰路に着く。
意外にも、俺たちは近くに住んでいるらしい。とは言っても、数十分は歩かなければならないのだが。
さて。帰ってからも自主練するか。
ダンスパーティ当日。
デレンに借りた豪華すぎないタキシードを纏い、王城へ赴く。
人生で初めてのダンスパーティだ。準備万端なのは見た目だけで、心の準備はまだできていない。
門付近で彼女を待つ。
続々とやってくる貴族の方々を観察しながら、彼女の姿はないかと探す。
今のうちにマナーやステップの確認をしておこうか。足はあそこで、一度止まって、少し左に動かして……。
「待たせたわね、トーマ」
声がする先。
そこには、普段のお淑やかな制服姿からは考えられない華やかなドレスを着こなす女性がいた。
銀の髪色に合う青のドレスに、開いた胸元。ネックレスはキラキラしてて、髪飾りも素敵だ。
「あ、あああ、アマリリス……」
「トーマ。ここは社交界よ。爵位を付けなさい」
「こほん。アマリリス様。今日は、一段と麗しゅうございますね」
「ありがとう。貴方も、その……素敵よ」
「光栄です、では、行きましょうか」
「ええ」
俺は、アマリリスを直視できていない。
美しいという単語では意味が補えないくらい、今日のアマリリスは刺激的なのだ。
落ち着け俺。あと理性もしっかりしろ。
「アマリリス……様。失敗しても怒らないでくださいね」
「貴方の努力はマディナから聞きました。ですから、ええ。彼女に免じて大目に見てあげます」
「それはありがたい。でもまあ、初心者ながら頑張ったからさ。もし一度も踏まなかったら、なんかご褒美くださいよ」
俺達は、ワルツの準備をする。
手を取り、アマリリスの腰に手を添える。
背丈も低いし、腰も細いし、手も柔らかくて可愛らしい。彼女は手袋をしているので、スベスベかどうかはわからない。緊張しすぎて強く力を加えないように、気をつけよう。
あとは曲が掛かるだけだ。
「ふふっ。ええ、いいでしょう。やってみなさいな」
「よっしゃ。頑張ります」
アマリリスの引き締まった表情が、一瞬だけ緩んだ。
そのおかげか、俺は少しだけ緊張がほぐれてきた。
ヴァイオリンが鳴る。
最初の一音で曲を判断しなければならない。これはおそらく、交響曲の序曲だ。
ともかく、足を踏まなければ良いだけのこと。
この曲の動きは簡単だ。これが一曲目でよかった。
マヴィナはこの曲と、一番難しい曲を念入りに練習させてくれた。ありがたいことに、俺は終盤まで何ひとつミスをせず踊れている。
「……本当に練習したのね。上手よ」
「それはどうも。ま、苦労しましたけどね」
蘇るスパルタの記憶。
完璧を追求したマヴィナは、厳しくも優しい先生だった。終わったら何かお礼しよう。
ラストスパート。ここから少しばかり複雑になる。
裏拍のようなステップを踏み、数節したらば元のステップに戻る。
ここは自信がある。マヴィナ先生ありがとう。
そうして俺は、一度もミスをせず、足も踏まずで曲を終えることが出来た。
「……っはぁ、どーですか。俺のダンス」
「素晴らしかったわ。よく頑張ったわね」
「アマリリス様に褒められるとか、嬉しすぎて死にそう……」
俺達は綺麗にお辞儀をし、無事曲を走りきることが出来た。
喜びと安堵の混じった深い息を吐き、またいつもの調子に戻ろうとギアを入れる。
「トーマ。凄かったよ」
「トーマ君、やったね!」
「二人とも! 見ててくれたのか!」
背後からやってきたのは、デレンとマヴィナのペアだった。
デレンは流石の王子様で、その豪華な夜会服は男の俺ですら魅了された。
マヴィナは自身の桃色の髪と同様の、淡いピンクのドレスを着ていた。いかにも女の子らしい格好だ。
いつも制服姿なので、こういった機会はとても興味深いと同時に目の保養となる。毎回招待して欲しいくらいだ。
「踊りながら見てたよー。頑張ったね!」
「流石、マヴィナが教えていただけあるね。マヴィナは将来、ダンス講師になってもいいんじゃないかな?」
「もう。私はデレン様としか踊らないです!」
「はははっ。そうか。嬉しいな」
この夫婦漫才はよくあることで、俺はその度に苦笑を漏らしていた。
「はいはい。そーゆーのは他所でやってくれ」
「ははっ、悪いね。だけどトーマ。念の為に言っておこう。君達の事を悪く言う者は皆、無視して構わない。それか俺に報告してくれ。処刑しよう」
「暴君すぎない?」
「そうかな。これが普通だと思うけど」
そもそも、俺の耳には悪口など入ってこなかった。集中していて、周りの声が聞こえなかったのだろう。
だがデレンに言われなくとも、彼らの声は無視するつもりだ。
「ごきげんよう、殿下。レムアに栄光があらんことを」
アマリリスは、そうデレンに向かってカーテシーをした。
「アマリリス公爵令嬢。君のダンスも素晴らしかった。流石、キャレナンシア公爵の娘なだけある」
「もったいないお言葉ですわ」
学校の時よりも、いくらか倍の上品さを感じた。
それと、少しの上辺さも。
「おい、アマリリス」
「っ?!」
突然、聞いたことのある声がしたと思えば、アマリリスはその男に手首を掴まれていた。
カリオスだ。彼もいたのか。
「……は、離してください」
「はっ! 良いだろう。お前が望むのなら、俺から全て離れてもいいぜ」
「カリオス。慎まないか!」
「兄様は引っ込んでな。その平民と一緒に、仲良く幸せに暮らせばいいじゃねぇか」
周りはザワつく。
マヴィナが平民なのは周知の事実なのだが、それよりもカリオスの言動がおかしな事に皆驚愕していたのだ。
「お前、トーマだろう? はっ! アマリリス、お前まで平民と仲良くするようになったのか?」
「……」
アマリリスは、うつむいたままだった。
言い返す様子もなく、ただ、されるがままに。
「ふん。ダンマリか。まあいい。ならば今、ここで宣言してやる。この俺、カリオス・ル・レムアは、キャレナンシア公爵の娘との婚約を破棄する!!」
カリオスは、そう声を上げて断言した。
周囲は惑い、余計ざわめいた。
アマリリスは、震えていた。
抵抗もせず、ただ震えていたのだ。
彼女を虐める悪いやつ。
男ならばどうする。ただじっと見ているだけではないだろう。
ならば、一歩踏み出す以外の選択肢は無いに等しい。
「……カリオス! 今、お前はアマリリス様との婚約を破棄したな! ということはつまり、お前はアマリリス様と他人って事だ」
腹から声を出し、体格差はあれど、まずは言葉で戦ってやろうと。
「まずは、その手を離してやったらどうだ?」
「……へえ? テメェ、平民のクセして俺を呼び捨てにしたな?」
「そんなことはどうだっていいんだよ。早くその赤の他人を解放してやれ」
カリオスは眉間を寄せ、俺を睨む。
だが俺は余裕そうに振舞ってやる。
「チッ。ほらよ。こんなヤツ、欲しくもねえっての」
荒々しく離された手首。少し赤くなっていた。
「平民。覚えておけよ。俺がいつか、テメェを殺す」
そう言ってカリオスは、大人しく去っていった。
突然起きた騒動は、これにて幕を閉じた。
アマリリスが婚約破棄をされたまま、エピローグに突入した。
「……」
「大丈夫か」
俺はアマリリスに駆け寄る。
彼女はしゃがみこみ、赤くなった腕を抑えていた。
「……ええ、大丈夫よ。大丈夫」
嘘だ。涙目じゃないか。
強がりのアマリリス。姿勢正しいその姿に、激しい悲痛に悶えている感情が隠されているに違いない。
俺は見逃さない。斗真ならば、きっと見逃してしまう。
だが今の俺はトーマだ。この世界の、アマリリスという一人の女性が好きな人間だ。
「アマリリス。俺は、君が泣いていたらそばに居たい。辛いのだったら、共に乗り越えたい。泣かないでくれ、なんて無責任なことは言わない。だけど、俺に頼ってほしいんだ。好きだ、アマリリス。俺は、君の力になりたい」
彼女の素敵な緑の瞳をしっかりと捉えながら、そう告白した。
その時、アマリリスから一筋の雫が頬に流れた。
「トーマ……」
彼女は必死に涙を堪える。
これ以上恥をかくものかと、堪えていた。
「アマリリス、聞いてくれ。俺は──」
「……トーマ。これ以上私を哀れむことは許さないわ。私は平気。だから黙りなさい」
アマリリスは立ち上がる。
そして大きく深呼吸して。
「……ええ。落ち着いたわ。騒ぎを起こしてしまって、ごめんなさい。気にせず楽しんで頂戴」
そう言ってアマリリスは、早足で中庭へ向かった。
追いかけるべきか迷ったが、デレンは俺の目を見て
「行け、トーマ」
と背中を押してくれた。
ならば行くしかない。俺は彼女を追いかけて走る。
だけど、アマリリス公爵令嬢は足がとても早いようだ。まったく見当たらない。
広すぎる中庭を探してしばらく。俺は噴水に座る、青いドレスを着飾る女性を見つけた。
「……公爵令嬢。探しましたよ」
「……トーマ。どうしてここに……」
「アマリリスが居るところに俺在り、ってね。大丈夫か?」
「言ったでしょ。哀れむなって。……でも、ありがとう」
綺麗な月だ。今日は満月だったらしい。
静かな風の音を聞いて、星を眺める。
先程のトラブルさえ無ければ、今のこの状況は天国のようだったのだろう。
俺ですら、カリオスに呆れてしまう。
「……トーマ。さっきのダンス、素晴らしかったわ」
「え、ああ。どうも」
アマリリスは、いきなりさっきのダンスについて話題を振ってきた。
俺は予想できず、咄嗟の答えが無愛想なものになってしまったのを少し後悔して。
「ご褒美、あげなくちゃね」
「え、それって──」
俺の頬に触れたのは、温かく柔らかい何か。
そして俺が理解する間もなく、特有の「チュッ」という音が聞こえて。
「え、今、い、アマリリス……」
「……」
頬を真っ赤に染めるアマリリス。
俺も、蒸発してしまうくらい。体温が急上昇する。心拍数も爆速だ。
「……何か言いなさいよ」
「キスしていいですか」
「なっ、貴方何を……!」
そこで彼女は言葉を終えた。
少しの沈黙の後、彼女は小さく頷いた。
アマリリスは、俺を受け入れた。
───
花は咲いた。
氷は溶け、春を迎えた。
けれどすることは、何ら変わらない。
「おはよう、アマリリス」
「ごきげんよう。今日は随分早いのね」
「ああ。早くアマリリスに会いたくて」
「……そう。……私もよ」
俺の彼女は照れ屋さんなので、愛情表現は下手っぴだ。
だけど、そんなところも愛おしい。
「では授業を始めます。教科書135ページを開きなさい──」
そう。
アマリリスが恋人になったからって、日常は何ら変わらないのだ。
ちょっとだけ、幸せが増すだけで。
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