割腹
私の前にある膳の真ん中に置かれている盃に酒がそそがれた。
盃に手を伸ばそうとしたら、そそがれた酒の中に一枚の桜の花びら舞い落ちる。
神か仏か知らないが、粋なことをしてくれるものだ。
盃にそそがれた酒を桜の花びらと共に飲み干し、盃を膳の上に戻す。
盃が乗った膳が下げられ、白刃の短刀が乗った膳が置かれた。
その白刃の短刀を手に取り白装束の前を開け、裂帛の叫び声を上げ白刃の短刀を左の脇腹に刺しこむ。
「イテテテテ、畜生! 刃物を身体に刺すとこんなに痛かったのか?」
左の脇腹から真一文字に右の脇腹まで切り、一度短刀を引き抜く。
「クウーイテェ! やっぱり此れだけじゃ死ねねえなぁ」
引き抜いた短刀を臍の下に突き刺し胸まで切り裂いて行く。
「早く、早く、死んでくれ、痛くてたまらねぇー」
臍の下から胸まで切り裂いていき最後に心臓を切る。
「畜生ー! なんてしぶといのだ? 自分自身とはいえ、こんなに頑丈な身体だったのか私は」
心臓に切れ目を入れてから短刀をまた身体から引き抜き刃を返し、首の頸動脈を切り裂いた。
『ああ……此れで……死ねる……』
• • • • •
盃の酒を飲み干し白刃の短刀を手にした男の周りには、幾人かの険しい顔の男たちがいた。
『オイ、オイ、声、声が出ているぞ』
『どんな豪傑でも割腹のとき声が出るものなのか?』
『割腹とはこんなにうるさい物なのか?』
『あぁ……やっと、やっと、息絶えてくれた』
男たちの前には、正座したまま身体を丸めるような姿勢で息絶えた男の骸があった。
割腹した男の周りにいた男たちの中の最上位の者が叫ぶ。
「見事! 見事なり! 良いか、此の男は作法通りに割腹した。
だから! 声を発しながら割腹していたなどと吹聴してはならぬぞ! 皆のもの分かったな!」