成すべきこと
ベルガはゆっくりと近づいてきた。細い腕を伸ばし、手の平を俺の胸元にそっと触れる。すると触れたところから染み入るように熱が伝わってきた。ラグナに蘇生された後、『龍樹細胞』が活性化した時と同じ感覚だが、感じる熱はその時よりもさらに強い。
もはや疑う余地はないだろう。『龍樹細胞』への魔法的干渉は高位魔術師であるグリードをもってしても行えなかったことだ。それを可能としているということは、つまりベルガにも俺と同種の力が宿っているということである。
「……まさかとは思っていましたが」
「おや、言っていませんでしたか? とうに気づいていらっしゃるかと」
悪戯っぽくとぼけながら微笑むベルガ。
その口ぶりに、かねてよりの疑問が一つ解けた。スカライールと共に『龍樹細胞』という血の呪いを受けた片割れ、グラディオールの子孫は誰なのかということ。それこそ他でもない彼女だったのだ。
やや息苦しさを感じる熱に、俺は触られた部分を押さえながら疑問を漏らす。
「いったい何を?」
「より完全な『覚醒』へと至る為のほんの手助けです。先程はグリフィスがいたのでここまで出来ませんでしたから」
「――っ!」
ベルガが指を鳴らすと、胸に留まっていた熱が一気に全身へ広がった。腕や脚、指先までがちりちりと痛み、まるで灼熱を浴びているかのような感覚に襲われる。熱が頭の天辺から足の先まで広がると、身体の中で何かが、バチン、と立て続けに弾けた。
それはまるで、解き放ってはならぬモノを封じておく為の『枷』が外されたような音だった。
「ぐ、ぉ……っ!」
痛みが更に強くなる。急速に上がる熱のせいで意識が朦朧とし始め、立っていられなくなってその場に膝をついた。溢れ出る力を抑えられない。必死に抑え込もうとしても、肉を割いて皮膚の下から這い出てこようとしている。
そうして蹲りながら悶えている時、視界の端でグリードが動いたのが見えた。
「テメェ、何しやがった」
「枷を外したのです」
「枷だと?」
「ええ。力の発現は僕より早く、十分な訓練も重ねている。にもかかわらず練度は僕と比べて著しく劣る。その理由とは何か。そしてハルモニアに彼のことを探らせ、一つの仮説を立てました。彼と僕とでは『龍樹細胞』に対する向き合い方が異なるのではないかと」
樹皮に覆われた腕や背中から、木の枝や蔓が急速に伸びていく。抑え込もうと試みるほど成長し、制御できなくなっていく感覚だ。
そんな中でも坦々としたベルガの声は聞こえてくる。
「力の発現と共に両親を殺めてしまった彼は『龍樹細胞』を忌み嫌っている。ですが『力』そのものが有用であることも知っている。故に仲間の窮地には躊躇わず力を振るいますが、一方で力の真価を引き出そうとはしていない」
ベルガは膝をつき、俺の顎もって上を向かせた。薄く怜悧な目が俺を見つめている。
「どうですかエルザさん」
「からだが、やけそうだ……っ!」
「長きに渡る抑圧の反動でしょう。表面的な力だけを引き出していた歪な状態から、今まさに本来あるべき形に戻っているのです。抗おうとせず身を委ねなさい。そうすれば治まります」
そう言われるが、とてもそんな風には思えない。それほど強い力の奔流だ。
どうにか耐えようと床に爪を立ててギリギリと引っ掻くと、力が強すぎて爪が割れた。しかし血が滲んだ端から『龍樹細胞』によって傷が修復されていく。
痛みや熱が止む気配はない。
腹の奥から、途方もない力が際限なく湧き上がってくるのを感じる。
俺の表情から何かを感じ取ったのか、ベルガは首を傾けて問いかけてきた。
「思わず酔い痴れてしまいそうな万能感でしょう? 我々はそれを正しく制御せねばなりません。さもなくば身を滅ぼす。それは貴方が誰よりもよくわかっている筈です」
それが両親のことを言っていることはすぐにわかったが、言い返すだけの余裕がなかった。
「勝手な、ことを……!」
「今の貴方には必要なことです。受け入れなさい」
「ぐ……ぅ、ぁあああああっ!」
堪えきれず叫び声をあげ、遂に背中を突き破って力が溢れ出た。
翼のように広がる『龍樹細胞』は、広間の床や壁を傷つけながら膨張していく。幸い、ベルガやグリードたちには当たっていない。果たしてそれが俺の意思が成した結果なのか、単なる偶然なのかは分からなかった。
「無事か?」
「はぁ……はぁ……。……あぁ」
グリードの問いかけに、俺は息も絶え絶えに返事をした。
力の放出が治まると、さっきまで散々苦しめられた痛みや熱はすっかり引いてしまった。汗だくのまま視線を周囲へ向けると、そこには大広間中に張り巡らされた歪な形の樹木と蔓があった。まるで目を瞑りながら描いた迷路の様だ。
ベルガは立ち上がると、四肢をついて脱力したままの俺に手を差し伸べてきた。少しだけ迷ったが、俺はその手を取り立ちあがる。
「言った通り治まったでしょう。それにしても随分と溜まっていましたね」
俺が何も言えずにいると、ベルガは「さて」と背を向けて言った。
「ここからが本題です。僕の最終目標は依然として変わりありません。ですが今の我々では龍樹の封印を解くことさえ出来ない。仮に出来たとして、制御など夢のまた夢です」
「……それには協力しないと言った筈です」
そう言い返すと、ベルガはくるりと振り返って人差し指を立てた。
「では問いましょう。現在の龍樹がどのような状態にあるかはご存じですか?」
「封印されています。あの本は私も子供の頃に読んでいますから」
「ならばいったいどこに封印されているのでしょう」
何故そんなことを訊くのだろう。そんな思考が一瞬過り、俺は言葉に詰まりながら答えた。
「……『死滅渓谷』の底です」
「おや、底とは随分と曖昧な表現をしますね。『死滅渓谷』は大陸を横断する巨大な爪痕です。具体的な場所はどこでしょうか?」
「不明です。スカライールは具体的な場所までは記録に残しませんでしたから」
「なるほど。確かに『死滅渓谷』は人がそうそう足を踏み入れられる場所ではなく、なおかつ足を踏み入れる大きな理由もない場所。誰にも見られたくないものを密かに封印にはもってこいの場所ですね」
「いったいこれは何の問答なんです?」
嫌な予感がして、それを祓うように声を上げた。
だが、ベルガは俺が遠ざけた答えをまざまざと見せつけた。
「我々は龍樹が封印されている場所を特定しました」
「……なんですって?」
「そして今現在、龍樹の封印は非常に弱まっています。血の制約による強固な封印ですから今日明日にでも解けてしまうということはありませんが、けして悠長にしていられる状況でもありません」
ベルガはそう言うと、おもむろに指を鳴らした。
部屋中を埋め尽くしていた樹木が一気に朽ちて崩れ落ちる。相当な質量が一度に塵となったはずだが、落下の勢いで舞い上がるようなことはなく、すべて床に降り積もった。
それからベルガが腕をゆっくりと横に振ると、塵はさらに細かく分解されて色付くほど濃密な魔力に変わった。否。『変わった』というよりも『戻った』という方が表現としては正しいのだろう。
「端的に申し上げましょう。僕の目的や貴方の意思に寄らず、我々はこの力を完全に掌握し、この事態に対処せねばなりません。世界を一五〇年後退させてもいいと言うのなら、拒んでも構いませんが」
何を馬鹿なことを、と思う。こんなもの二者択一に見せかけた実質一択ではないか。
当然、そう思ったのは俺だけではない。代わりにグリードが悪態を吐く。
「実質一択じゃねぇか。クソ見てぇな脅しだな」
あまりの直球加減にベルガも思わず笑った。
「確かに。いささか強引であることは自覚しています。ですが傭兵業に従事していたお二人にも心当たりがあるのではありませんか? 大型の魔物がここ数年でかつて類を見ないほどの増加傾向にあることを」
「それが何だ?」
「それこそまさに封印が弱まっていることの弊害なのです。魔物は通常、生殖機能を持ちません。野生の動物が魔力によって肉体を変質させることで誕生する為です。つまり、魔物が生まれる数には限りがある。膨大な魔力を要する大型の魔物となれば特に」
「魔力なんざそこら辺歩いたって無尽蔵にあんだろ」
「ですが我々は魔物になりませんよね。それは大気中を漂う魔力に生物を魔物化させるほどの濃度がないからに他なりません。僕が言っているのはいわゆる『魔物の自然淘汰説』。エルザさんならばご存じなのはありませんか?」
双方から同時に視線を受ける。俺はグリードに向けて講釈した。
「動物が魔物化する時、自然界ではほとんどの場合で魔晶を介するだろう。だが人類の文明が発達して魔晶や鉱石が地表から掘り尽くされた場合、その過程がまるごと省かれることになるから、動物は人の手を加えない限りは魔物化しなくなるって説だ」
「んなもん、百年千年単位の話じゃねぇのか?」
「全体で見ればそうなんだが、局所的な話となると数十年で起こりうる」
「特に大型の魔物は幼体から成体に至るまでに膨大な量の魔晶を要します。経年による個体数の減少度合いは並の魔物の比ではありません」
俺は視線をグリードからベルガに移して言う。
「殿下がおっしゃりたいことはつまり、封印が弱まったせいで龍樹の力が自然界に影響を及ぼしているということですね。それこそ一五〇年前、グラディオールと龍樹が戦った時のように」
グラディオールとの戦いの中で龍樹が放った超高濃度の魔力が地表に大量の魔物を生み出したという話だ。これはちょうど一月前にグリードにも話した内容なので、彼も納得したようだ。
「その通りです。今のところ大型の魔物の増加はいずれも『死滅渓谷』付近の土地や国に限られていますが、封印が弱まるにつれて範囲は徐々に拡大していくでしょう」
「そん時ゃぶっ殺しゃあいい」
「相手は不滅。故に封印を選ばざるを得なかった理外の怪物ですよ?」
グリードも軽口のつもりなのだろう。特に反論はせず、忌々しそうに舌を鳴らした。
「エルザさん、これは大義です。貴方は龍樹の力を人の身に余ると仰いましたが、だからと言って黙って何もせず龍樹が世に解き放たれるのを見過ごせるわけでもないでしょう」
ベルガは正しい。
龍樹を止めることは大儀であるし、エルザ・フォレスティエ個人としても見過ごしておけない問題だ。例えば同じことをクルトあたりに言われたのなら、俺は率先して事の対処に当たっていたに違いない。
では、何故ベルガ相手にはそう素直に思えないのか。極めて単純な話だ。こうしてベルガの良いように扱われている状態が、如何様にも言い表せないほど腹立たしいからである。
「……無礼を承知で申し上げますが、卑怯ですね、貴女は」
「どちらの意味でも今更ですね」
改めてベルガと目が合った。見ているだけで引き込まれそうになる。相変わらず苦手な目だ。
「歩む道に正邪などありません。全てはその先で何を成すかです」
その言葉に、俺は何も言い返せなかった。




