為政と市井
場所を移しましょうと言われてベルガに連れられてきたのは近衛屋敷だった。皇家の屋敷は敷地と施設の一部を避難所として開放している為、話をするにはいささか人目が多いのだという。
屋敷の中に入り、向かったのは普段は使わない大広間。側近の近衛を屋敷の警備という名目で屋外に配置し、大広間の端あたりで、ベルガ、ハルモニア、マディローの三人に、俺とグリードが相対するように立ち並ぶ。
ベルガは開口一番、先の皮肉への訂正を行った。
「まず言っておかねばならないことですが、僕が魔物を指揮していたなどという事実はありません。当然、八咫烏が僕の手駒であるという事実も」
「んなこたわかってる。下らねぇ訂正は要らねぇ」
グリードは吐き捨てるように言う。不敬を極めたその口調を咎める者はいない。むしろベルガは薄く笑って付け加えた。
「少々込み入った話ですので、下らなくとも明言はします。ご理解ください。今はそれぞれの立場を明確にしなければなりませんから」
ベルガの言葉をグリードは鼻で笑い、気怠そうに壁に背を預けた。次いで顎をしゃくり、話を急かす。
「で、どうやって魔物の掃討を確認した? この手のことが起きれば普通は数日掛けて街に入った魔物を虱潰す筈だ。この規模の街を人手不足の中、数時間でそうすることは出来ねぇだろう」
グリードの言う事はもっともだった。
確かに近衛屋敷まで来る道中、辺りを警戒して動く傭兵や魔術師らの姿はあれども、生きている魔物の姿は一匹たりとも見かけなかった。
その問いに対するベルガの回答は、やや斜め上をいくものだった。
「八咫烏を含む魔物の軍勢を手配したのは皇国軍に潜む間諜、つまりはメランの配下です。彼らの動向を把握していれば、自ずと魔物の動きも把握できる」
それにグリードは呆れたような顔を作る。
「間諜の名簿を手に入れたのは一月も前だ。てことはなんだ、名簿を手に入れるだけ手に入れて放置でもしてたってのか?」
「いいえ。数名を残し摘発は済んでいます」
「数名残している? 何故です?」
何故そんなことをする意味があるのかと思い問うと、ベルガは胸に手を当てて答えた。
「端的に言えば、便利で都合の良い連絡網として使えるからです」
「連絡網?」
問い返すと、ベルガはゆっくりと頷く。
「ええ。例えば、我が皇国が能動的に諸外国に対して『皇国は龍樹の力を掌握し、その力でもって幻獣グリフィスを打ち倒した』などと喧伝したところで、まず誇張や出鱈目だと言われてしまうでしょう。世の常識では『龍樹』は百五十年前に討たれた存在です。まさしく唾棄に値する、あまりに粗雑で出来の悪い嘘です。聞くに堪えないと一蹴されるだけならばまだしも最悪の場合、芳しくない戦況を憂いた末に絞り出した苦し紛れの戯言と取られるやもしれません。そうなってしまっては、我が皇国に明日はない。
しかしです。皇家がそれらの情報を全て隠匿した上で、間諜から同じ情報が伝わった場合は果たしてどうなるでしょう。もしかするとそれだけでは足りないかもしれませんから、ついでに他の情報も掴ませてみましょう。たとえば、『スカライールが遺した原本の歴史書によれば『龍樹』は封印されたのみでいまだ健在』という風に。しかも『龍樹』の力の一端を宿す者が皇国第一皇子と懇意であり、その者は彼の力を振るって瞬く間に幻獣を沈めてみせた、と。
当然、誰もが耳を疑うでしょう。間諜の気が違うと疑うでしょう。証拠を見せられても、そんなわけはない、なにか裏があるはずだと。しかし敵はそこに一抹の疑念を抱くのです。『龍樹』の健在を否定しようにも、現に幻獣は沈められている。幻獣は古代竜と並ぶ生態系の王者です。いかに名高い傭兵団とて、そう易々と討てる存在ではない。故に敵は『龍樹』の健在を否定しきれない。仮に『龍樹』ではなくとも、それに匹敵する――幻獣を容易く打ち取れる『何か』が皇国にはあると断じざるを得ないのです。
いずれにしろ敵は二の足を踏む。少なくとも事の真偽を確かめるまでは大きな行動に打って出られなくなります」
ベルガは終始滔々と、しかしどこか高揚したような様子で長々と語った。
それを聞き終えたグリードは深々と溜息を吐いて鼻で笑う。
「で、あわよくば戦争の趨勢をこっちで握ろうって話か。くだらねェ」
「それが国の長たる者の務めです」
グリードの嘲笑など歯牙にも掛けず、ベルガは確固たる意志を持ってそう宣言した。
が、これだけ語っても未だ知りたいことは聞けていない。
「殿下、一つよろしいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「殿下は先ほど『間諜の動向を把握していれば、自ずと魔物の動きも把握できる』とおっしゃいました。という事は、殿下は今回の襲撃が起こることを知っていたのですね?」
俺の言葉はどこか咎めるような響きを孕んでいたが、ベルガはまっすぐにこちらを見て答えた。
「ええ。知っていました。そしてそれが住民の避難が迅速に行われた理由でもあります」
「では、協会を通して襲撃を周知していた方が良かったのでは? それでもグリフィスがいた以上、死者無しとはいかないでしょう。ですが周到な準備があれば被害を極限まで減らせたはずです」
今日死んでしまった者達も、武器を持ち戦うことを選んだ時点で死ぬ覚悟は出来ていたのだろう。
だがそれは、彼らの命を徒に消費していいという事ではない。
なのに、返ってきたのはあまりに素っ気ない言葉だった。
「おっしゃる通りですね」
そのあまりにも他人事すぎる返答。腹の底に煮えたぎるような熱が燻る。
「わかっているのならば何故、そうしなかったのです?」
「今現在、キヴァニアにはハーレイ傭兵団に加え、クライヴ傭兵団の本隊が駐在しています。加えて高位資格を取得する為に国内外から優れた魔術師が集っている。いえ、受験者だけではありませんね。彼の高位魔術師グリード・アヴァリティアが、偶然にも試験官として滞在していました。あり得ぬことではありますが、これらが一つに纏まれば帝国の一個師団とも対等以上に渡り合える人材でしょうね」
「そんなことは聞いていません」
思わず語気が強くなる。それでも一度ついた火は簡単には消えない。
「準備していれば犠牲は減らせた。そうしなかった理由を聞いているんです」
しかし、ベルガは酷なほどに冷徹だった。温度のない目を細め、凍り付くような怜悧な視線を向けてくる。
「それだけの人材が十分な準備をして臨めば、『龍樹』の力など振るわずともグリフィスを葬れてしまうでしょう。そんな結果に意味はない」
その言葉に、俺ははっと息を呑んだ。
視界の端でグリードが怪訝な顔をしている。普段の言動からは感じられないが頭の切れる男だ。気づいたに違いない。
「それでは『龍樹』は『象徴』足り得ない」
ベルガは一切の迷いもなく言い切った。
「……だとしても、俺さえいれば象徴としては十分だったはずです」
言い返したがベルガは鼻で嘲笑った。
「足りませんね。有象無象の内の一人では、貴方は少し珍しい魔法を使う一傭兵でしかありません」
ベルガは拳を固め、目を大きく見開いた。
「誰もが地に伏せ、希望が絶たれたと思われた瞬間、たった一人戦場に現れ、真っ向からグリフィスを打ち倒すことで貴方は初めて、眩く、鮮烈で、劇的な『象徴』となれるのです」
ベルガの言う事は少しも論理的ではない。襲撃が起こることを事前に知っていた。その襲撃を最小限の被害で抑え込める人材も揃っていた。やろうと思えば動かすことも可能だった。なのに一般人の避難誘導以外は何もしなかった。
何故ならそんなことをしては、『龍樹』の力が必要にならないから。
一から十まで破綻している。正しく狂人の理論。
いや、そうだ。何を忘れているのだ、俺は。
今、俺の目の前にいるこの子供は、皇位継承の為に『龍樹』の解放を目論む人間ではないか。
元より俺が――誰が何を言っても無駄なのだ。
何故ならベルガ・オル・ヴァリアントは為政者だから。
目の前の一を糧にして、未来の百を救わんとする者だから。
今、救える命を救おうとする俺たちとは、そもそも前提からして異なるのだ。
理解は出来ても、俺には到底許容できない考え方だ。
「殿下の考え方は間違っていると思います」
「貴方方にとってはそうなのでしょう。ですから理解する必要はありません。理解を求めもしません。だからこそ我々は市井には見えぬところで計略を巡らせるのです」
「そういう問題ではありません」
「では、どういった問題なのでしょう?」
首を傾げて訊いてくるベルガに、俺ははっきりと伝えた。
「もしこれからも同じようなことをするのであれば、先日の契約を反故にすることにはなりますが、今後は何があっても協力は出来ません」
「ついでに言っとくが俺もだからなァ。さっきの言いぶり、俺を呼んだのもテメェの計略の内ってんだろ。何も言わねぇのはこっちを慮ってってことなんだろうが、ふざけんじゃねぇ。吐き気がする」
グリードもおおむね俺と同じ意見なようで、口汚く罵りながら反発を示した。
しかしベルガは慣れたことのようにまるで意に介さない。両手を叩いて話を切り上げようとする。
「これ以上は平行線ですね。議論は不要でしょう。それよりも優先すべき話がまだあります」
「待ってください。まだ話は――」
食い下がろうとしたが、ベルガは遮って言った。
「貴方の不完全な『龍樹細胞』についての話です。聞いておいた方が身の為ですよ」




