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SIDE:OTHERS 死を拒む

 グリフィスの呪砲によって掻き分けられた家屋。歩道を美しく彩っていた石畳は跡形もなく剥がされており、整列していた街路樹は薙ぎ倒されて燃えている。


 されど、この区間は勅命によって優先的に避難が進められていた為、現状、一般人への人的被害は確認されていない。


 つまりそれは一般人ではない者はその限りではないということだ。


 街の外で戦う傭兵たちの中には、既に多数の死傷者が出ている。

 壁の内側で行われていた怪我人の救護活動に関しても、咆哮による外壁の崩壊で別場所へ退避はしていたものの、初撃を優に超える二撃目の余波に巻き込まれてしまい、かなりの被害を被っていた。


 そして、抉り取られた街の中央。

 ちりちりと燃える木材の破片の上に倒れるエルザの元へ、数人の武装した集団が近寄る。皇国軍の近衛兵である。彼らが陣を組んで護衛しているのは皇太子ベルガ・オル・ヴァリアントと執事のマディロー。そして近衛兵より先だって倒れるエルザの傍へ寄ったのは、使用人のハルモニアだった。


 外見の特徴からかろうじて本人だとわかるエルザの状態は、酷いものだった。


 火炙りでもされたかのように焼け焦げた肌。瞼は開いたままだが白目を向いている。ハルモニアの接近に少しも反応を示さない。よもや生きているのか死んでいるのかもわからない状態だ。


 ハルモニアは左手を手首に、右手を心臓に当て、脈を測った。

 しかし、得られるのは少しざらついた指先の感触だけだ。


「まさか死んではいませんよね?」


 背後からベルガがそう声を掛ける。

 この状態のエルザを前にしてなお『死』を疑いすらしていない声色だ。ハルモニアは無意識に顔をしかめ、エルザの手首を握る手に力を込める。何も感じられないのは、ただ脈が弱まっているだけだと願うように。


「脈拍がないのであれば、拝借してきたアレを使ってください」

「はい」


 ハルモニアは懐から小瓶を取り出した。

 それはカインが所持し、厳重に保管していた巴蛇の髄液。一月前のあの日、メランとの戦いの場に現れた巴蛇から採取したものだ。


 報告によってその存在を知っていたベルガから命じられ、使用人という立場を利用してカインの部屋からくすねてきたのである。どれほど必要となるか分からなかったのであるだけ全部持ってきた。


 それでも片手で収まる瓶を一杯には出来ない程度の量である。

 ハルモニアは瓶の蓋を開けエルザの下唇に触れて動かすと、少量の髄液をそっと流し込んだ。


「どうでしょうか?」


 ベルガは自ら前に出てエルザの状態を確認した。

 巴蛇の髄液は切断された腕も繋ぎ直すほどの極めて強い再生力を持つ。それこそ死んでさえいなければどんな傷でも治ると言われるほどに。

 だが、再生は一向に始まらない。


「量が足りないのかもしれません。身体に直接塗ってみてください」


 言われるがままハルモニアはエルザの胸元に髄液をかけたが、僅かに熱を持つばかりでほとんど変化はない。

 ベルガは顎に手を当て、眉根を寄せた。


「心臓が止まっているからでしょうか。とすると再生には血流が関係しているのやも知れません。心肺蘇生を」


 ベルガは淡々と、そして無感情に指示を出す。

 ハルモニアと近衛兵が協力してエルザの身体を担ぎ上げ、平らな地面に移動させた。それから心肺蘇生を始めようとするが、ハルモニアも兵士たちも本職の医者ではない。頭の中で手順を確認しながらの動きは、どこか緩慢だった。


「どうか戻ってきてください、エルザ様……っ!」


 人工呼吸をして、さらに圧迫を続ける。


「戻って来なさい……っ!」


 ハルモニアは我知らず内に口の端からそう漏らしていた。


 と、そこへ何者かが遠くの方から駆け寄ってくる足音が。

 蘇生を行っていたハルモニアがその方を見ると、魔術師の格好をした少女と協会の職員らしき者らが数名、こちらに向かって走ってきていた。


 ハルモニアは少女に見覚えがあった。否、見覚えどころか既知の間柄だ。

 何故ならその少女はこの一か月、近衛屋敷の庭で血反吐を吐くような訓練をしていた者だったからだ。


「ラグナ様……」


 髪を乱しながら走ってきたラグナは、無残な姿で横たわるエルザの姿を見て目を見開き、呼吸を止めた。


「エ、エルザさん……っ!」


 しかし、それも一瞬のこと。

 ラグナはすぐに真剣な表情を取り戻し、ハルモニアの反対側に膝を落とした。そしてハルモニアの傍にある液体の入った小瓶を見て、短く問うた。


「そそ、それは?」

「巴蛇という魔物の髄液です。傷を――」

「な、なら知ってます。ああ、あたしが魔法を使ったら傷口に塗ってください」

「先程直接塗布しましたが意味がありませんでした」

「そそ、それは心臓が止まっているからです。い、今は説明している時間がありません。ハ、ハルモニアさんは蘇生を続けてください」


 そして杖を手に取ると、詠唱を始めた。


「【――し、白き羽根は黒く染まり天に曝される】」


 非常に短い詠唱が終わり、ラグナの周囲に一つ、色付いて可視化された魔力の滞留が生み出される。

 ラグナは息を整え、再度詠唱した。


「【――うう、産み落とされたのは理外の理】」


 さらに一つ。魔力が滞留する。

 連結詠唱。

 異なる魔法を待機状態で維持し、最後にまとめて発動するという極めて非効率な方法で紡がれる魔法。


 非常に高度な魔力操作を要求される上、ただでさえ暴発の恐れがある為、何か特別な意図がない限り普通は使わない技法だ。

 故にその光景を見守る者らは、皆、息を呑んだ。

 胸骨圧迫を行っているハルモニアでさえ、時折視線を向けている。


「【――てて、天より降り注ぐ断罪の雷霆】」


 三つ目。魔力に疎い者さえ噎せ返るほどの魔力。ラグナの額には既に滂沱の汗が滲んでいる。


「【――っみ、身を焼かれた賢者は一片の星座となった】」


 四つ目。ラグナは肩で息をしながら、杖を握る手に力を込めた。


「【――さ、されど賢者は女王をかどわかす】」


 五つ目。掠れた声で、息も絶え絶え。それでもラグナは詠唱を続ける。


「【――そそ、その名はアスクレピオス】」


 折り返しの六つ目。一つ一つの負担が大きいからか、さらに区切る範囲が短くなっている。


「【――ら、螺旋渦巻く蛇の杖】」七つ目。

「【――そ、その名はカドゥケウス】」八つ目。

「【――せっ、聖なる伝令の杖】」九つ目。

「【――っそ、その名はヒュギエイア】」十。

「【――いい、息吹与える蛇の盃】」十一。

「【――せ、誓詞は既に紡がれた】」十二。


 そして臨界。後は最後の詠唱を残すのみ。

 仮に暴発すれば、ここにいる者全員が跡形もなく吹き飛ぶほど濃密な魔力。

 しかしラグナの姿に圧倒され、誰もがこの場に留まり続けている。

 と、執事と近衛の背に庇われていたベルガが、彼らを押し退けて前に出た。


「ハルモニアと彼女以外は全員ここを離れなさい」


 そう命じられ、協会の職員らがこの場を離れる。近衛兵らは皇子の身を案じてか命令に背いて残ろうとしたが、ベルガは彼らも同様に立ち退かせた。

 残ったのは蘇生を行う二人と執事のマディローのみ。

 ベルガはぜぇぜぇと息をするラグナに冷徹な視線を向けた。


「ラグナ・フィンブルヴェトルさん。その魔法を彼に掛けた後は、目を閉じ、耳を塞いでいなさい」


 ベルガの言葉にラグナは返事が出来なかった。というより、そんなことを考えている余裕がない。

 ラグナは待機状態を維持したまま、エルザの蘇生を静かに待った。

 そして、すぐに。


「――がぁ……っ!」


 エルザが息を吹き返し、仰向けのまま激しく咳き込んだ。

 それを見計らい、ラグナは最後の詠唱を行う。


「【メガロ・アスクラピア】!」


 全方位を貫き迸る光。荘厳な鐘楼が鳴り響く。

 それは、命を尊び、人の死を拒絶する少女の狂気じみた願いの光。


 かつて出会った魔術師への反発心から生み出されたものの、術式の長さと自身が抱える吃音症、そしてその()()()()()()故に、今日に至るまで一度たりとも使われることのなかった、絶対無二の『回生魔法』。


 包み込むような暖かな光がエルザの身体を包み込む。

 ハルモニアは傍に置いていた髄液の小瓶を素早く手に取り、全身に隈なく塗って伸ばした。

 塗った傍から蒸気が上がり、瞬く間に傷が修復されていく。


 やがて曙光のような光が収束し、エルザの身体を覆うように沈下する。


 完治したエルザは大きく息を吸い込みながら跳ねるように身体を起こした。

 そして状況を理解するのに数秒。近くにいたハルモニア、ベルガ、マディローと順に確認し、最後に反対側にいたラグナと視線を合わせる。


「起、きた……」


 エルザの蘇生をその目で確認したラグナは、薄い笑みを浮かべて意識を手放し、エルザに向かって倒れ込んだ。


「お、おい、ラグナ!」


 倒れ込んできた華奢な身体を抱きかかえると、ハルモニアの隣まで来たベルガが彼女の寝顔を覗き込みながら言った。


「十三節から成る連結詠唱の後です。常人の限界を優に超えている。無理もないでしょう。クリス、彼女の救護を頼みます」

「畏まりました」


 マディローはとても老体とは思えぬ安定感でラグナを抱え上げた。

 同じく立ち上がったエルザは、気を失ったラグナの汗と疲労にまみれた顔を見て奥歯を噛みしめる。それから穴が空いたように穿たれた街を見て、敬語も忘れて尋ねた。


「どれくらい気絶してた?」

「そうですね。ものの数分ではないでしょうか」

「東側にグリフィスが現れたんだ。状況は?」

「報告によればほぼ壊滅状態。戦線を支えているのはグリード・アヴァリティアただ一人のみです。援軍も間に合っていません。とはいえ幻獣が相手では間に合ったところで足止めにもならないでしょうが」


 ベルガはそう言いながらエルザの正面に回り込んだ。

 そして端正な顔に悪戯っぽい笑みを張り付けて、上目遣いにエルザを見上げる。


「ですが、こちらには『龍樹』がいます。幻獣など一捻りでしょう」


 ベルガの手の平が晴馬の鳩尾あたりに触れる。


「その力、僕に見せてください」


 その指は氷のように冷たく、思わず全身が総毛立った。

 否、それだけではない。毛だけではなく、皮膚ごと全身逆剥いている。


 未だかつてないほど活性化している『龍樹細胞』。

 エルザは両の拳を固く握りしめ己が飛ばされてきた方を向くと、腰を深く落として力強く踏み込み、瞬間、跳ねた。


 突風が起こり、砂塵が舞う。

 音を置き去りにし、距離を殺し、一足飛びにグリフィスの元へ。

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