試験当日
あの日からラグナとアリアーレは、暇を見てはミーティアに実技の訓練を付けてもらっていた。アリアーレは魔力操作の速度と精密性、ラグナは詠唱速度の上昇と術式の短縮を目指し、それぞれ稽古を付けられている。
訓練の様子は傍から見ているだけでもなかなかに苛烈だった。
たとえばアリアーレは身体を慣らす為、ミーティアに上乗りされた状態で魔力操作をすることから始めた。だがミーティアの魔力集積があまりにも早すぎるせいで途轍もない負荷に見舞われ、眩暈を起こし何度も何度も目を回していた。ここで言う「目を回していた」というのはアリアーレの名誉を慮った故の表現であり、実際には顔を雪より白くさせて胃の内容物を地面にぶちまけることもあった。見ないふりはした。そうしないと彼女の心が折れそうだったので。
それからラグナの方は、まず術式の短縮から始まった。
魔法の根幹を成す術式は、通常、長ければ長いほど効力が増す。
というよりも、術式が長ければそれだけ魔力の集積時間が増えるので、自ずと魔法の威力が上がるのだ。
しかし吃音症を抱えるラグナにとって長い詠唱文は致命的。
故に人よりも短い詠唱文が必要となる。
そこでミーティアが考えたのは、複数の文節から成る連結詠唱文。
彼女曰く、「呪文を一気に詠唱できないなら、一旦細かくしちゃえばいいじゃん」とのこと。
要は元々ある長文の詠唱文をいくつかの文節に区切り、それぞれを独立した術式として成立させ、別々に唱えて待機状態にし、最後にまとめて発動するという方法だ。
この方法は極めて魔力効率が悪い上、待機状態になる魔法が増えるほどに高度な魔力操作技術を要求されるので、やはりラグナの訓練も熾烈を極めた。アリアーレの受ける訓練とは違い、操作する魔力が自身の許容値を超えることがないので目を回すことこそないものの、集中力が乱れて待機させた魔法が暴発してしまうことは多々あった。
そして合間の時間には筆記試験の勉強だ。
大半はラグナが所有する魔術書を使った自習だったが、こと魔物生物学のみに関しては俺が自ら教鞭を取った。何故かミーティアやカインが参加している日もあったが、まぁ傭兵として必要な知識も多いのでついでに教えました。
毎日、毎日、毎日、毎日。
陽が昇る前から始まり、沈んで久しくなるまで険しい訓練は続く。
うら若き乙女がしごきにしごかれ、気を失ってぶっ倒れるまで訓練を受けている光景に、俺も似たような訓練させられたな、と郷愁に似た思いを覚えた。ミーティアもかなりのスパルタだが、俺のかつての仲間と比べればまだまだ優しい教官だ。あいつらほとんど死に体の俺に対して、水を飲ませる振りして傷口に塩水ぶっかけてくるような鬼畜どもなので……。
そうして試験までの短く濃密な一か月は、怒涛のように過ぎ去っていった。
そうして迎えた試験当日。
朝霧も晴れぬほど早い朝に、勇ましさすら感じる堂々たる佇まいの魔術師が二名、見送られるような形で館の門の前に立っていた。
「では、行ってきます」
魔術師の象徴である金糸の刺繍が入った黒衣に身を包んだアリアーレは、一月前に新調したばかりなのにもかかわらず既に年期の入った代物になっている杖を握り締めながら声高らかに言った。
隣に立つラグナも静かながらに「行ってきます」と一言。
一月の間、二人の師匠を務めたミーティアは感涙に満ちた表情で激励を送る。
「二人とも、今日は全力でやるんだよ! 私たちも応援行くから!」
「もちろんです」
「は、はい!」
それぞれ返事するアリアーレとラグナ。
俺も続けて激励の言葉を投げようと思っていたが、口を衝いて出たのは別の言葉だった。なんなら二人に向けた言葉ですらない。
「待て、『たち』?」
「どうせ行くでしょ。代わりに頼んどいてあげたよ」
思いもよらぬミーティアの発言に、胡乱な声を上げてしまった。
高位資格取得試験は午後の実技試験に限り部外者の観覧が許可されているのだが、どうやらミーティアが暇を見て俺の分も事前に申請していたらしい。別にいいんだけどそういうことは前もって一言くらい入れようね。
俺の視線からその意図を察したのか、ミーティアは手の甲で俺の腹をぽふぽふと叩きながら朗らかに言った
「その言葉は一旦飲み込んで、とりあえず『ありがとう』って言えばいーの」
「……ありがとう」
「どういたしまして!」
善意しか感じないミーティアの笑顔。こんな愛らしい笑顔を見ては何も言えまい。
と。
「応援ですか……それって今から前借りできますか?」
アリアーレが顎に手を当て神妙な顔つきで言う。はて、応援の前借りとは?
「前借りって?」
「頭撫でて『頑張れアリアーレ』って言ってください」
「頑張れアリアーレ」
言われたので、頭を撫でつつ言葉を反芻してあげる。アリアーレの精神的負担を軽減する為には必要なことなので、隣で奇怪な物を見る目をしているラグナのことは気にしてはならない。変に渋り躊躇う素振りを見せて調子を落とされてしまっては事なのだ。
ひとしきり撫でるとアリアーレも満足そうに唸ったので手を放す。
「ラグナもな。やれるだけのことをやってこい」
「は、はい。っぜ、全力を出してきますっ」
そう言葉を掛けると、ラグナはピシッと表情を強張らせた。
今回の試験、絶対に受かってやるという気勢はあるもののどこか力試し的なところがあるアリアーレと違い、ラグナには試験で結果を出してグリードを見返してやるという明確で確固たる意思がある。
その瞳には一月前と同じかあるいはそれ以上の闘志が宿っており、杖を握る手と連動してぐっと奥歯を噛みしめたのが見ただけで分かった。
「か、必ず認めさせてやります。ああ、あの人にっ!」
「その意気だ。……が、今からあんまり肩に力入れてると午後の実技試験まで持たないぞ」
「そそそそんな生半可な鍛え方してないので。ここ、この一か月でだいぶ筋肉も付きましたし」
「あー、まぁそれは確かに。もう薄っすら腹筋浮き出てるもんね」
何の気なしにミーティアが言い、俺は反射的にその光景を脳裏に浮かべた。実際に見たことはないのでだいぶ曖昧な輪郭で、ほっそりとして艶のある身体に浮かぶ六つの筋肉の隆起。ほえー。いいじゃん。
二十年来の鉄面皮で表情には出ていなかった筈だが、ラグナの腹部を向いた視線の動きで思考がバレでもしたのか、浮かれていた筈のアリアーレがジトッと目を細めた。
「何を妄想しているんでしょう。するなら私でどうぞ」
「妄想なんてしてない。ボーっとしてただけだ」
「本当の事言わないと今夜寝室に忍び込みますよ」
怖い脅しだ……。ここは素直に謝っておこう。
頭を下げ、アリアーレとラグナにそれぞれ丁重に謝罪。アリアーレは笑顔で許しませんなどと宣い、ラグナはそんなこと謝られてもと困惑気味だった。でしょうね。今夜は鍵掛けとかなきゃ!
そもそもだ、こんなしょうもないやり取りをする為に早起きしたわけではない。頭を上げ、二人をせっつくように手を振る。
「ほら、もう行かないと遅れるぞ。行った行った」
「いってらっしゃーい」
両手を上げてぶんぶんと振るミーティアと共に、二人の姿が坂道で姿が見えなくなるまで背を見送る。
二人の姿が見えなくなると同時に、背後の方からからからと地面を鳴らす音が聞こえてきた。それに首だけで振り返ると、クルトがエウアドネさんに押されながら近づいてくるところだった。
「おや。アリアたちはもう行ってしまったかな?」
クルトは近くまで来ると周囲に視線を通わせながらそう言った。
「一足遅かったな」
「残念。まぁもう僕からの応援を欲しがるような歳でもないか。寂しいような誇らしいような。……うん、やっぱり兄離れは寂しいな」
しんみりとしてそう呟くクルト。そんな顔をするくらいなら応援に来ればいいと思い、俺は問うた。
「お前も観覧しに来ればいいじゃないか。どうせ関係者だし事前申請も要らないだろう」
「時間があれば行っていたけれど生憎と仕事なんだ。ほら、例のアレがちょうど今日でね。昼前にはキヴァニアを発って東の国境へ向かわなければならない。まったく世知辛いよねぇ」
ミーティアがいるからかクルトは言葉を濁して言った。
例のアレとはメランの送還のことである。傭兵団解散とライセンス剥奪の書類手続き及び関係各所への通達等の事前業務がようやく終わり、本日をもってメラン及び部下であるノワールとアーテルは帝国へと強制送還されることとなる。
「帰りはロクサを経由するから往復で十日ほど掛かる。留守は頼むよ」
「留守も何も元々俺の団の拠点だ。というか、お前も行くのか?」
「責任者だからね。まぁ違っていても理由を付けて同行はしていただろうけれど」
片眉を下げながらクルトはその様に語る。
メランたち三名はいずれも重罪犯という扱いだ。さらに彼らは並外れて優れた兵士でもある。押送中の脱走や賄賂は十分考えられる。
それらの可能性を完全に潰す為には、クルトが最も信頼できる目――つまり自らの目による監視が必要であるという事だろう。
となると、心配事が一つ。
「それ、護衛には誰がつくんだ?」
「そこが気になるのかい。心配せずともジルとハーレイのところから優秀な人材を派遣してもらう手筈だ。安心し給え」
「んへぇ、ウチからも? 誰だろ」
ミーティアが頭の上に疑問符を浮かべると、クルトは小さく肩を竦めた。
「それが名前はまだ聞いてないんだよね。協力を打診した時には『任せな。活きの良いのを送ってやるよ!』とだけ言われた。相変わらずの適当さだね彼女は」
「ま~、それが理由で下がちゃんとする感はありますよねぇ」
なはは、と笑いながら言うミーティア。
ハーレイ傭兵団団長のハーレイ・スコデルフィアと言えば、明朗快活な女傑として知られる皇国屈指の実力者である。
活動範囲をキヴァニア周辺に絞っている為、知名度で言えば他の大規模傭兵団に比べて数枚落ちてしまうが、その分キヴァニア住民からの信頼は非常に厚く親しまれている存在でもある。
ミーティアがうちに出向することになった時に俺も一度だけ会ったことがあるが、良く言えば大らか、悪く言えば大雑把な人柄だった。ので、二人の語る所感にはおおむね同意。それと追伸、恰好がえっちでした……。
「いずれにせよ杞憂だ。そんなに心配なら君も来るかい?」
「別にそうしても良いぞ」
「え、行かないの?」
ミーティアが悲壮な表情を向けて来、クルトは苦笑して続ける。
「冗談だ。君を奪ったと知られたら僕がアリアに殺される。君たちは予定通り試験を見に行ってあげてくれ」
「安心してくださいエルザさん。クルトさんのことは私が命に代えても守りますので」
「エウアドネさんは戦ったことないでしょう……」
「なくたっていざとなればこれで一発ぶすりですよ」
そう言いながらエウアドネさんは腰元の護身用ナイフをちらつかせた。いろんな意味で全然安心できないですね……。
ただ、クルトが大丈夫と断言するのなら大丈夫なのだろう。
「まぁお前の事だから準備は十全だろうが、十分気を付けて行けよ」
「勿論だ。ではそろそろ僕らも行こうか、エウアドネ」
「はい。エルザさん、ミーティアさん、この一か月お世話になりました。他の皆さんにもお礼を伝えておいてください」
「ええ。エウアドネさんもお気をつけて」
「いってらっしゃーい。気を付けてー」
アリアーレたちに続き、クルトとエウアドネさんも見送る。
ミーティアが振り上げた手を下げると、そのまま剥き出しになった両腕を擦った。あまり長話をするつもりはなかったので、俺とミーティアは薄着のまま外に出ていたのだ。
「やっぱこの時間は寒いねぇ~。入ってあったまろ」
足早に館へと戻っていくミーティアの後を追う。
と、朝霧を貫いて払暁の日差しが降り注いだ。眩さにすっと目を細め、陽が差す方をふと見やる。
曙色に輝く朝焼けの空に、どうか憂いのない一日でありますようにと、俺は心の中で思った。




