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湧き上がる情動

 周囲の視線を集めていたことを煩わしく思ったのか、あるいは単にこの場からさっさと立ち去りたかったのか、グリードはクルトの元へは戻らず足早に協会から出て行ってしまった。険しい相貌と威圧感に誰もが自然と道を開け、彼を見ていた視線は必然的に残された俺たちへと向けられた。


 しかしそれも一時的なもの。当事者の一人がいなくなったこともあり、ざわついていた周囲の人間も次第に俺たちへの興味を失っていった。

 鼻をすすって濡れた頬を拭うラグナの肩を、慰めるようにポンポンと叩く。


「落ち着いたか?」

「……は、はい。ご、ごめんなさい……」

「謝ることじゃない。気にするな」


 目を真っ赤にしつつも、涙は止まった様子のラグナ。

 書類とペンを取りに行っていた職員もいつの間にか戻って来ている。いつからいたのかは定かでないが明らかに先程のやり取りを見て戦々恐々としており、泣き止んだとはいえラグナも放っておける状態ではない為、一応フォローとして間を取り持つことにした。

 口頭でのやり取りは俺が担い、書類はラグナが記入する。


 その間、ふと視線を感じて横を見やると、一人取り残された車いすのクルトと目が合った。クルトは協会の入り口を一瞥すると、わざとらしい大仰な仕草をしながら肩を竦めた。不可抗力とはいえお前が遠因でもあるので少しは待ってほしい。多分自覚もあるだろう。


 なんとなくそういう意図を込めてアイコンタクトをすると、クルトも渋々と言った様子で小さく首を揺らした。


 書類の記入を終え、職員が再び奥へと消える。

 目を伏したまま黙り込んでいたラグナは、力が抜けて枝垂れた両手をぎゅっと握り込んだ。


「あ、あたし、へへ、変なんですかね……」

「何がだ?」


 ラグナは固く結んだ唇を震わせながら解き、どこか強がるような響きを孕んだ声で言った。


「ふ、普通の人は、ああ、安楽死を仕方ないものだって思うじゃないですか」

「まぁ、その時の状況とか個人差はあるだろうが、受け入れる奴は多いだろうな」


 慰めに舵を切ろうかと少し迷って、しかし否定はせず、率直に答えた。

 あくまで個人的な肌感ではあるのだが、安楽死への賛否は二分しつつも賛が多数側であるように感じる。特にこの仕事をしていると、人よりも身近な話題であることも相まってより強くそう思うのだ。


 なにせ傭兵稼業に就く者は、常に死と隣り合わせの生活を送っている。


 一年前から車いす生活になったクルトがまさにそうであるように、俺たち傭兵はいつも五体満足で帰って来られるわけではない。魔物の持つ毒、僻地での感染症、あるいは精神的後遺症。命に直結する事柄は、挙げれば枚挙に暇がない。


 治る見込みのない怪我や病気。

 治療を受けようが薬を投与されようが一時凌ぎにもならぬ状況。

 緩やかに死へと向かう苦しみは、強者の心さえも容易に砕いてしまう。


 確証などないがニヴルヘイムでグリードが安楽死させたという六名も、おそらくそうだったのではなかろうか。


 想像を絶する辛苦が延々と続くくらいならば、いっそ死んで楽になりたい――そう思ってしまう気持ちを、俺は我が事のように共感は出来ずとも、看取った側の経験則として理解はできる。


 しかし、ラグナ・フィンブルヴェトルはそうではない。


「あ、あ、あたしはそれがどうしても納得いかないんです。だだ、だってそれって助けることを諦めるってことだから。た、助けられないなら、ここ、こっちが助けられるようになるべきなんです。あ、あたしは助けられないから諦めてなんて死んだって言えません。い、言いたくもありません」


 ラグナは実直なまでにそう言い切った。

 命を、というより『生きていること』を最も尊ぶラグナにとっては、やはりそう簡単に受け入れられるものではないのだろう。


 ただ一つの命。死ねば終わり。取り返しは付かない。

 それ故にこの少女は、たった一つのソレを繋ぐことこそを絶対の是とし、反対するものすべてに否を突きつけるのだ。


「だ、だから、みみ、認めさせます。し、試験で結果を出して、あ、あたしの方が正しいのだと、ああ、あの人に認めさせます」


 ラグナは首を捻って俺の方を見ると、涙で赤くなった瞳の奥に静かな熱を宿しながらそう言った。


「簡単なことじゃないな」


 試験で結果を出すという意味でも、グリードに認めさせるという意味でも。

 敢えて言ったが、ラグナが臆することはなかった。


「そ、そ、それはわかってます。で、でもやります!」


 ラグナは決意を固めた様子で宣言した。そこには病室で落第を予見していた少女の姿はない。

 と、ラグナは一瞬だけ思慮顔を見せ、それから問うてきた。


「そそ、それで。え、エルザさんの彼女さんの話って、まだ有効でしょうか?」

「彼女?」


 反射的にそう問い返し、そう言えば最近似たような勘違いをアマナにされたなと思い至って続けて返す。


「ミーティアはただの団員だ」

「え、あ、すみません。へへ変な勘違いを」

「別にいい。それよりミーティアに訓練付けてもらいたいんだろう。昨日は話があやふやなまま終わったからな」

「はは、はい。お、お二人ともやれることはやった方が良いと仰ってくれましたから。だだだ、駄目ですか?」

「いや、大丈夫だと思うぞ。ミーティアのことだから喜び勇んで引き受けてくれるだろう。伝えておくよ」


 目を輝かせて師匠ぶるミーティアの姿が脳裏にありありと浮かぶ。

 が、ラグナは小さく頭を振った。


「い、いえ。みみ、ミーティアさんの居場所を教えてください。じじ自分で行きますから」

「そうか? じゃあ街の北東にあるデカい屋敷に来るといい。俺たちの拠点がある」


 ミーティアとカイルは自宅組だが、試験日までは出来る限り密に訓練を行いたいというアリアーレからの要望を受けて、現在、ミーティアは団の拠点たる近衛屋敷に泊まり込んでいる。

 問題があるとすれば今はクルトやグリードも泊まっているという事だが、その点については訓練の場所さえ変えれば解決できる。


「ででは、こ、これからお邪魔してもいいでしょうか?」

「今からか?」

「だだ、駄目でしょうか?」


 言われ、若干面食らう。今からとは、なかなか積極的なことだ。

 俺はそれに一瞬、やめた方が良いと言いかけた。今からだと、先ほど協会を出ていったグリードが館に戻っている可能性があるからだ。


 が、すぐに、あの様子ならどこか適当な店に入って安酒を浴びているに違いないと気づく。もしかすると帰ってくるのは明日の朝になるかもしれない。歓楽街まで行って暴れないといいが。


 そんな考えてもどうにもならないことは置いておいてラグナである。


 今の彼女は、グリードから受けた煽りのせいで全身に力が入って血気盛んな様子だ。空いている片手が行く当てなく細かく右往左往している。その様は、怒り慣れていない人が振り上げた拳を持て余している様子によく似ている。


 察するに、こういう経験がいままで無かったのだろう。無理からぬことだ。


 ただ、訓練に前向きになったことは良いとして、怒りが先行するあまり不慣れな力の入れ方をするのはよろしくない。予期せぬ事故に繋がる可能性もある。

 故に、鼻息荒くふんすと唸るラグナをどうどうと一旦落ち着かせた。


「まぁ、大丈夫だとは思うが、急にそんな息巻いて来られたらミーティアもびっくりすると思う。一旦深呼吸してクールダウンだ」


 単に落ち着けと言ってしまうとグリードを想起させて余計な反発を招きかけないので、ミーティアを慮るべきではないかと体裁を整えて伝える。

 ラグナも「そ、そうですね」と納得した様子で大きく息を吸った。

 それから俺が手を動かして、はい息吸ってー、吐いてー、と何度か深呼吸させる。小刻みに震えていた身体が規則的な呼吸によって徐々に正常な状態へと引き戻されていった。


「よし。落ち着いたな。館に行ったら紫髪のハルモニアさんという家政婦がいるはずだから、彼女に頼んでミーティアへ繋いでもらうといい」

「ああありがとうございます。そ、そうしてみます」


 ラグナは最後に頭を深々と下げ、受領書の写しを固く握りしめて去って行った。

 協会から出るまでその背を見送っていると、自ら車いすを動かしたクルトが隣まで来る。


「僕に気を遣ってくれたんだとは思うけれど、ここに来た時点で君は用済みだったから、ついて行ってあげても良かったんだよ?」

「誰が用済みだ。……昨日言わなかったもう一つの要件はなんだ?」


 別に気遣ったわけじゃない。付き添わず残った目的はこれだ。

 不意に来たその問いに、クルトは一瞬、両目を(しばたた)かせた。


「はて、何のことかな?」


 クルトはとぼけたような声を出して肩を竦めた。

 昨日、何故キヴァニアまで赴いたのかとアリアーレから問われた時、こいつは俺の曖昧な質問を逆手にとって別件があることをはぐらかした。

 何かサシで話したいことがあるのだと思ったが、どうやら違うらしい。


 俺が見下ろし、クルトが見上げ、視線が交差する。

 片や鉄面皮、片や柔和な笑顔。

 どちらも張り付けた表情を崩さず、真意を探ろうと見つめ合い、数秒経った。

 そして先に視線を逸らしたのは、俺だ。


「……まぁいい。お前の事だから心配はしてないしな」


 クルトに言うつもりがないのなら、どれだけ問い質しても無意味だ。

 それに何かあれば、今日のように有無を言わさず無理やり巻き込んでくるだろう。

 クルト・マクギネスとはそういう男なのだ。

 そういう意味を込めて吐き捨てるように言ったが、クルトは殊更冗談めかした声音を作り、大袈裟な身振り手振りをしながら言った。


「おやおや、五体不満足な友人を指して心配してないとは薄情だねぇ。僕が成し遂げたことを考えたら、もっと丁重な扱いを受けてもいいくらいだと思うんだけれども」

「普段の行いのせいじゃないか」

「ふむ。普段の僕と言えば、協会の一職員として危険な依頼に赴く傭兵たちを手厚く支援しているよね。わお、善良だ。君の評は間違っているよ。改め給え」


 露骨にふざけはじめたので、侮蔑の視線だけ送ってあとは無視する。


「いる必要がないなら俺も戻る。帰りはエウアドネさんに迎え頼むからそれまで待ってろ」

「では長くなるだろうから陽が落ちてからでいいと伝えてくれ」

「言ってもすぐに来そうだがな」

「違いないね」


 クルトがははっと声を上げて笑った。そんなに面白くはない。

 エウアドネさんは本業協会の職員でありながら、自らクルトの専業家政婦に名乗り出た強火のクルト信奉者である。たぶん「陽が落ちたら迎えに行ってほしい」の「陽が」あたりで出発するだろう。まさに忠犬。もしくは番犬。いっけなーい、女性を犬扱いしてたら心までグリードになっちゃう! グリードを何だと思ってんだ俺は。えっと、酒カス、ですかね……。俺も大概性格悪いな。

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