十年経とうとも
協会に着いた後、俺はすぐさま新たな問題を抱えることになった。
エントランスの奥の方で遺失物の受領手続きをしていたラグナが、何の気なしにこちらを向いた際にばっちり目が合ったのだ。その瞬間こそ穏やかに会釈をしてきた彼女だったが、俺のすぐ前にいる黒衣の中年魔術師の姿を見た瞬間にその形相を変えた。
ラグナも野蛮人ではないので感情の赴くまま突っかかって来ようとはしないものの、傍から見て取れるほどにわなわなと身体を震え始めさせた。力んだ手に持ったペンが折れ、職員が声を上げてそれを咎めると、周囲の視線も声に反応して集まった。グリードもその一人である。
グリードはすぐに興味を失ったように視線を逸らしたが、そのことに余計腹を立てたラグナは手元にあった遺失物受領用の書類をもくしゃりと握り潰した。職員から二度目の悲鳴が上がる。
「んだ、うるせぇな」
「どうしたんだろうね彼女。こちらを見ているけれど。こちらというか彼をか」
クルトは言いながらグリードを見たが、グリードは華麗に無視する。
お互いがお互いを認知した上で捨て置くことはできないので、俺はとりあえず彼女の元に行くことにした。
「……ちょっと行ってくる」
「おや、知り合いかい?」
「ちょっとな」
そう言って二人から離れてラグナの元へ。
俺がゆっくりと歩み寄っている間も、ラグナはグリードから視線を外すことはない。
そんな彼女へどう声を掛けようか悩みつつ人一人分ほどまで近づくと、怒りに震える彼女の方からこう問われた。
「どど、どうしてあの人が居るんですかっ?」
「あぁー……」
誤魔化しても意味がないので、ここは素直に教えることにした。
「……実は今回の高位試験の試験官をグリードが務めることになったんだ。その関係でつい昨日、キヴァニアに来た」
「じゃ、じゃあエルザさんは昨日の時点で知ってたってことですか?」
「いや、あいつらが来てるのを知ったのはラグナと会った後の事だ。まぁ色々と言いたいこともあるだろうが、とりあえず紙とペンは協会の備品だから、壊すのはやめような」
そう指摘され、ラグナは己の手の中で無残な姿に変わり果てたペンと書類を見つめた。
状況を正しく認識するのにしばし。
するとラグナの顔面は見る見るうちに蒼白していき、次の瞬間、風のような勢いで職員に対して頭を下げた。
「す、すす、すみません! べべ、弁償しますっ!」
「え、ええ。そうしてください……私は新しい書類を持ってきますので」
お怒り半分、ドン引き半分といった様子で職員の女性は新しいペンと書類を取りに裏へと向かった。
職員がいなくなってから顔を上げたラグナは、小さく自責の溜息を吐くとちらりと俺を見た。
「そそ、それで、し、試験官を務めるってどういうことなんですか?」
「今年は人手が足りないらしくてな。所在が分かっていて試験までに間に合う免許持ちがアイツしかいなかったんだと」
「ととと、ということは、あ、あたしはあの人に合否を委ねなきゃならないわけですか……」
何とも言えない表情でグリードを睨めつけるラグナ。昨日は自ら「どうせ受からない」と言っていたのに、真っ先にそこを気にするとは。
いや、考えてみれば当然か。ああいう言葉は往々にして本人の意志とは関係のない、強い自己不信や不安の念が言わせているものだ。ニヴルヘイムからキヴァニアまで大陸を縦断、遠路はるばる試験を受けに来ている時点で彼女本来の意志はそちらにある。俺の考えこそが浅はかだったのだ。
人知れず自省していた俺の心中を知ってか知らずか、ラグナは不審そうに眉根を寄せて問うてきた。
「そそ、そんなこと気にしていられる立場じゃないだろとか思ってますか?」
「思ってない」
「た、た、確かにあたしはそれほど優れた魔術師ではありませんが、ああ、あの人に判断されるのは、な、なんというか……」
葛藤を表情に張り付けたまま、ラグナは露骨に言葉を濁す。
彼女は明言したくないようだが、その心中をあえて言葉にするならば『あんな人に合否を決められたくない』だろうか。仮にこれが中らずと雖も遠からずならば、確かに口に出して言うには躊躇いのある嫌な言葉ではある。
すると、背後から唐突に鋭く圧のある声が掛けられた。
「オイ、聞こえてんぞエルザ。試験官のこと吹聴してまわってんじゃねぇ」
振り返るまでもなく、それはグリードの声だった。
グリードは俺越しにラグナの姿を確認すると、胡乱げに片眉を上げて巣頓狂な声を上げた。
「んぁ? あんだこのガキ。テメェの知り合いか?」
「ぐぐ、グリード・アヴァリティア……」
「ほう。何故俺の名を知ってる? 俺はテメェなんぞ知らねぇが」
威圧感を伴った警戒心を露わにグリードが言うと、ラグナは一瞬怯んだように見えたが即座にそれ以上の迫力でもって言い返した。
「らら、ラグナ・フィンブルヴェトルです! ああああ、貴方がニヴルヘイムで皆にしたことを、あたしは一秒たりとも忘れたことなんてありません!」
今度はグリードが面食らったように顔をしかめたが、その後しばしラグナの顔を見ると、舌打ちをしながらそっぽを向いた。
「けっ、あの時のガキか」
「が、ガキ……っ!」
遠慮のないグリードの物言いにラグナはかぁっと顔を朱に染める。
更に追い打ちをかけるかのようにグリードは悪態を吐いた。
「十年経っても酒飲める歳にゃ見えねぇよ珍竹林」
「な、な、な……っ!」
「んだそりゃ池の魚かテメェは。待ってても餌は降って来ねぇぞ稚魚」
「――!」
それは、とても出会い頭とは思えないほどのとんでもない悪口だった。
いつにも増して酷過ぎるその言い草に、俺も思わず顔をしかめる。
言われた当人であるラグナに至っては、より苛烈に怒っていた。熱を帯びて真っ赤に染まった顔と怒気で吊り上がった目は、我慢ならないというラグナの心情が見て取れるようだ。
突き刺すように伸ばされた人差し指をグリードに向け、ラグナは言い放つ。
「やや、やっぱりこんな人が高位魔術師なんてあたしは認めませんから! しし、試験官の仕事は、じじじ、辞退してください!」
エントランス中に響き渡る声量。短時間に同じ場所から三度目の大声ともなれば、周囲の視線も一瞬だけ向けられるには留まらず、自ずと釘付け状態になる。
その事に一瞬眉をひそめたグリードは、苛立ちを露わに言い返した。
「なんで俺がテメェ一人に配慮して仕事投げ出さにゃならんのだ。俺が嫌ならテメェが試験を受けんのをやめりゃあいいだろうが」
「ああ、貴方にはその資格がないからです! ひひ、人を、かか、簡単に、こ、殺してしまえるような人には相応しくありません!」
ラグナの言葉に、グリードはほんの僅かに目端を窄めた。
注視していなければ気づかないほど些細な表情の変化。親交の深い俺でさえ見逃しそうになった。
当然、ラグナがそれに気付いた様子はない。
「あいつらは全員納得した上で自ら安楽死を選んでんだ。人聞きの悪いことを言うんじゃねぇ」
「あ、あ、あたしは納得してません!」
「近親者ならともかく、同じ村で生まれたってだけのガキの納得がどうして要るよ」
「ひ、人の命を大切に思うのに、ちち、血の繋がりなんて必要ありますか!」
「ご立派なこって。しかし生憎と俺ぁテメェほど慈悲深くはなれんのでな。聖人ごっこなら余所でやってくれや」
挑発するには十分すぎる言葉に、ラグナの堪忍袋の緒が遂に切れた。
「そそ、そういう平気で人の心を踏み躙るようなところが、ふっ、相応しくないとあたしは言ってるんです! ひ、人助けとは真逆のことをしておいて、どうしてそんな平然としていられるんですかっ!」
涙声のように濁ったラグナの声色に、グリードの表情が冷たく変わる。
そして今度は挑発するような言い方ではなく、問い詰めるかのような言い方で言った。
「テメェは俺が慎ましく反省でもしてりゃ満足すんのか?」
「し、しません。そそ、それ以前の問題なんですから!」
「だったら黙りやがれ。それか文句が言いてぇだけなら言うだけ言って帰って寝てろガキが」
「なな、なんですかその態度は……!」
唇を震わせながら睨みつけてくるラグナにグリードは溜息を吐きながら返答した。
「当人たちは納得の上で死を選び、十年経った今も腹を立ててんのは無関係のテメェだけ。てこたぁこんなもんテメェ一人が溜飲を下げりゃ終わる話なんだよ」
「そそ、そんなわけ――!」
ラグナの言葉を遮り、グリードは吐き捨てた。
「ウルセェ。これ以上下んねぇ御託並べんな。言いたいこと言ってとっとと失せろゴミが」
「……ッ!」
皮肉を言うでもなく、ただ苛烈な口調でグリードは言う。
互いの熱量に幾分のズレはありつつも因縁がある二人という事で口を挟まずにやり取りを静観していたが、あまりにも粗悪なグリードの物言いについては流石に異を唱えざるを得なかった。
「グリード。言葉を慎め」
口を挟んだ俺に対して、半ば反射的に切れた目線を向けて来たグリード。
そして目と目が合い、彼の目の奥に並々ならぬ熱が宿っていることに気がついた。
さっきまでメランと面会していたというのも要因の一つではあるのだろう。表面的な態度が変わらないだけでグリードもラグナに劣らず相当心をかき乱されているようだった。
しかし、この場においては第三者である俺と、目尻に涙を浮かべながら震え、そのまま何も言えずに睨んでくるだけのラグナを見て、グリードは気を削がれたように消沈した。
そして腹に抱えた物をすべて吐き出すように深く息を吐き、グリードは瞑目の後、口を開いた。
「テメェじゃ何もできねぇくせして口だけは一丁前に動かすガキが何を喚こうが、んなもんは取るに足らねぇ空言でしかねぇんだよ。今すぐに言葉が出ねぇってなら、せめて試験の結果で示しやがれ。話はそれからだダボが」
吐き捨てるようにそう言って、グリードは背を向ける。
去り際、意図したわけではなかろうが俺にだけ聞こえるような声量で「クソッタレな気分だ」と吐き捨てるように呟いた。




