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取引

 水路とは干渉しあわないように造られた地下牢獄は、元は魔術学院に通う学徒の為の訓練施設として設計されたものらしい。後年になって地上にも同様の施設が建造されたことで役目を終えたが、魔法の行使に耐えられるひたすら頑丈な構造を活かし、魔法犯罪者の収容施設に転用したのだという。


 階層の増築工事が行われたことで当時の内部構造からは随分と様変わりしているようだが、本来はだだっ広いだけの空間である。


 メランたち三名が収容されているのは、その中でも最下層。


 そこは四方の壁から天井、床に至るまで、見える場所全てにモーリュの葉が張り巡らされた絶対魔法不可領域となっている。加えて壁一面の幾何学模様のせいか、牢獄というよりは(こけ)()した古代遺跡のような印象を受ける場所だ。


 メランが収容されているのは最下層の最奥。

 身体に術式を刻み込んでいる彼専用に(あつら)えられた、この場で最も厳重な独居房である。


「青臭ェ上にカビ臭ェ。とんでもなく不快な場所だ」


 遠慮のないグリードの悪態。これが彼の常であると知らないベルガ皇子が律儀に応じる。


「魔法対策のモーリュの葉です。魔術師にとっては不愉快な場所でしょうが我慢してください」

「あぁ? 別に文句なんざねぇよ。魔術師相手ならこんだけやって当然だろが」


 いや文句は言っている。が、それはそれとして物分かりが悪い男ではない。

 ぶつくさと言いながら後ろを歩くグリードに苦笑いを浮かべ、クルトは謝罪を兼ねて言う。


「申し訳ありません殿下。彼は息をするように文句を言う男なんです。耳障りでしょうが、どうかお気になさらないでください」

「そうでしたか。何かあれば遠慮なく申し出てください」


 護衛付きの皇子に先導され、照明の少ない薄暗い道を進む。


「着きました。ここです」


 そこは、覗き窓さえない鉄製の扉で封じられた牢獄。

 三つの鍵を開錠して中に入ると、大人が五、六人並んで寝転べるほどの空間があった。網目状の鉄格子によって遮られており、その向こうにも同じくらいの広さの空間がある。


 鉄格子の向こうには、この独居房の住人である男がいた。


 囚人メランは床に片手をつき、逆立ちの姿勢で腕立てをしていた。娯楽のない狭い空間では他にやることも無いのだろう。床には彼が長い間腕立てを続けていた証拠である汗の染みが広がっていた。


「……?」


 腕を垂直に伸ばすと同時に、メランはこちらの存在に気づいた。

 腕立てを中断したメランは、皇子、護衛、クルト、そして俺の顔を順番に見て酷く怪訝そうな顔を見せる。


「皇太子にクルト・マクギネス、それにエルザ・フォレスティエ。意味の解らん組み合わせだ。一体何の顔ぶれだ?」

「んー。今更怖気づいたのかな。どうして入ってこないんだい?」


 クルトが背後に向けてそう声を掛けると、いまだ一人だけ通路側にいたグリードが不貞腐れたような声を出しながら入ってきた。


「テキトー言うんじゃねぇ。テメェらがせっかちなだけだろが」

「……!」


 皆の後ろから気だるげに姿を現したグリードを目にし、メランは息を呑んだ。


「グリード……!」

「よおエンヴィー」


 目を見開くメランに対し、鉄格子に触れるほど近づいたグリードは、黒衣のポケットに両手を突っ込んだまま明後日の方を向いて言った。


「あー、今は『メラン』だったか? しばらく見ねぇ内に随分とダセェ名前名乗るようになったじゃねぇか」

「……貴様が顔を見せに来るとはな」


 本名で呼ばれ、驚愕よりも怒りを滲ませた表情になるメラン。

 しかしグリードはけしてメランの顔を見ることはなく、上半身裸の彼の身体を見ながら忌々しそうに吐き捨てた。


「お師匠が死んでから何してっかと(おめ)ぇやあよ。下らねぇことしやがって」

「何をしに来たグリード……!」


 メランも鉄格子に肉薄し、威圧するような声を出す。その様は、遮る物さえなければ今にでも食って掛かりそうなほどだ。

 だが、グリードがそんなことを気にするわけもない。


「お師匠の魔法使って救世主の真似事か? スラムで泣いてた何も出来ねぇクソガキが、気づきゃ随分と大層なもん気取るようになったじゃねぇか」


 ……いや、メランの激昂の陰に隠れているだけで、グリードもかなり昂っているようだ。一見冷静には見えるものの、こめかみにうっすらと青筋を浮かべ、血走った目でメランを睨みつけている。


 この状況をよしとしてはいけない気がする。が、俺が仲裁に入ってもグリードは素直に聞かないだろう。少し身を屈め、車いすのクルトへ耳打ちをする。


「止めなくていいのか?」

「そうだねぇ……うん」


 クルトは両手を強く叩き合わせた。生身の手と義手がぶつかる独特の金属音がなり、メランとグリードの視線が同時にその方を向く。


「二人とも抑えてくれたまえ。僕らはここへ口論しに来たわけではない」


 その言葉にグリードは舌打ちをし、興を削がれたという風にだらだらと歩くと部屋の側面の壁に背を預けた。


 メランも同様に簡素な造りの寝台に腰を下ろすと、膝に肘をつきながら一度深く息を吐く。


「何をしに来た」

「取引をしよう、エンヴィー・インヴィディア」


 クルトが言うと、メランの目つきが露骨に変わった。先程までの怒りは鳴りを潜め、これでもかというほど懐疑的な色を浮かべている。


「ほう、取引? 何とも性急な話ではないか」

「僕らが事を急いているのではなく、君がそういう立場にいるんだよ」


 クルトは淡々とした説明口調でそう述べた。

 それにメランは少しだけ目の端を窄めた。鳴りを潜めたはずの苛立ちがその仕草に現れている。


「……まあいい。取引とはなんだ?」

「こちらから持ち掛ける取引は二つ。一つ目は情報が欲しい。条件は君の部下二名の釈放だ」

「皇太子暗殺の実行犯を釈放とは、よほど手に入れたい情報のようだな」

「まあね。欲しいのは皇国軍内部に入り込んだ帝国間諜の名簿だ」


 ここに至るまでの道中で、クルトが持ちかける取引内容については俺も聞いている。


 一つ目の取引。帝国間諜の名簿は、クルトではなくベルガ皇子が求めている情報だ。つまり、以前、東の国境守備隊が襲撃された際、皇子が近衛には頼れないと言っていたのは、間諜の摘発に難儀していたからというわけだ。


 しかしメランは逡巡する様子もなく即否定した。


「無理だな。軍が動かしている間諜の名簿など、外部の傭兵団である私の権限で閲覧できるものではない。それくらいは貴様らもわかっている筈だ」

「そうだね。だから軍が持っている名簿が欲しいわけじゃない」

「ならば何が――」


 メランの言葉を遮るように、クルトが姿勢を前傾に倒して言った。


「間諜の中に君の息が掛かった者がいるだろう。それを教えろ」

「……何故そう思う?」


 ほんの一瞬だけ言葉を詰まらせたメランに、クルトは不遜に微笑む。


「今の間が雄弁に語っているね。その上で質問に答えるけれど、水路の設計図だ。上手く使えばあれ一つでキヴァニアを落とせる。どんな国のどんな軍であれそんなものを『外部』の人間に渡すわけがない。特に『傭兵』なんかには」


 クルトは自虐的な意味合いを込めて言う。

 傭兵団は基本的に登録した協会のある国内で活動することになるが、軍や自警団とは違い国境を超えて活動することもしばしばある。


 それは傭兵の助けを必要としている者にとっては好ましいことであるが、対立する国や組織にとってはその限りではない。


 今日の面会を実現させたクルトもまさにそうだった。

 俺たち『傭兵』は、どれだけ実績と信用を積み重ねようが、傭兵である限り完全に信用されることはない。


 だからこそ、傭兵は信用稼業と呼ばれているのだ。

 メランはクルトの自虐に共感したのか、小さく笑った。


「君が設計図を手に入れているのであれば、軍が関与していない独自の経路によってだ。君の息が掛かった間諜以外にあり得ない」

「なるほど。良い読みだ」

「誉めて貰えてなにより。それで、取引には応じてもらえるのかな?」

「ふむ。……いいだろう。その取引には応じてやる」

「賢明な判断だ。では、二つ目の取引の話をしようか」


 クルトが言うと、静かにしていたグリードが我慢ならないという勢いで声を上げた。


「いや待て。その前に一つ訊いておかなきゃならねぇことがある」


 グリードはクルトの前に立ち塞がり、前のめりになって額を鉄格子に押し付けると、この十年でも聞いたことのないような険しい声音で問いかけた。


「エンヴィー。お師匠の遺言は覚えてるか」

「……忘れるものか。忘れていないからこそ、私は先生の遺志を引き継いだのだ」


 響くほど力強く、メランは語る。


「だが、貴様は私の元を去り、先生の遺志を蔑ろにした」


 ともすれば気圧されかねない迫力にも、グリードは身じろぎ一つ取らない。それどころか負けじと言い返している。


「お師匠の遺志だァ? 思い上がんじゃねぇ。お師匠が一度でも俺たちに役目を継げと言ったか?」

「亡き先生に代わって衆愚を導き、龍樹が壊したこの世界に未来永劫揺るがぬ秩序と安寧を与えねばらない」

「だから、お師匠がテメェにそんなことを言い残したのかよ」

「足を止めた貴様には理解できんだろうな、グリード」


 会話として成り立っていない返答に、グリードは舌打ちをし苛立ち交じりの溜息を吐いた。そしてこれ以上の会話は無駄だと言わんばかりに続ける。


「……会話にもなんねぇな」


 その声色には、明確な敵意の色が浮かんでいた。

 そのままグリードは額を鉄格子に押し付けると、クルトに代わって彼自ら二つ目の取引の話を始めた。


「テメェの釈放条件は傭兵団の恒久的な解散と傭兵ライセンスの剝奪だ。従わねぇなら俺が直々にテメェとテメェが集めた糞共に引導を渡す」


 グリードの口から語られた二つ目の取引。

 これはクルトがベルガ皇子と交渉し、追加で取り付けた取引だ。メランの率いる傭兵団が国家レベルの脅威であると断じた彼自身が、団の解散と傭兵ライセンスの剝奪を求めたのである。


 しかし、グリードの脅迫まがいな言い方も相まって、メランは失笑と共にそれを突っぱねた。


「とても取引には聞こえんな。それとも宣戦布告のつもりか?」

「んなもんテメェの身の振り方次第で変わる。二つに一つだ。ここで何もせず朽ちて骨になるか、娑婆(しゃば)で何もせず余生を過ごすか。選べよ」

「いずれにしても『何もせず』か。やはり取引とは呼べぬ」


 明確な言葉にこそしなかったが、メランは確かな拒否の意を示していた。

 その一連のやり取りにクルトは辟易と顔をしかめた。それから車いすを押す俺を見上げて、まるで「どう思う?」とでも聞きたげな表情を向けてくる。


「……なんだその顔は」

「いや、何でもないさ」


 クルトはそう言うと、視線を前に戻した。


「エンヴィー・インヴィディア。真面目な話、君の釈放条件はそのレベルじゃないと釣り合いが取れない。こちらは最大限譲歩もしている」

「関係ないな。私には使命がある」

「だが、君も残りの一生をここで過ごしたいわけではないだろう。君の先生の遺志を成し遂げたいというなら、やり方を変えるんだ」

「軽々しく言ってくれるな。……その取引に応じなかったとして、私をどうするつもりだ?」

「どうもしないさ。ただ君は生涯ここから出られないという、それだけのことだ。まぁ、君の部下たちは怒れる我が友によって手ずから葬られるだろうがね」


 白々しく言うクルトに、メランは忌々しそうな視線を向けた。


「ふん。もはや取引ではなく脅迫だな」

「いいや、取引さ。君にとっては応じざるを得ないものというだけでね」


 クルトは断固とした声音でそう言い切る。


 メランが置かれている立場は客観的に見ると非常に危ういものだ。帝国の命令で動いていながら、しかし立場は軍ではなく外部の傭兵という扱い。

 その上、与えられた任務は極秘裏の皇太子暗殺だ。


 つまるところ帝国軍にとってメランは動かしやすく、切り捨てやすくもある使い勝手の良い兵隊というわけだ。


 そんな立場にメランが甘んじたのは、それが己にとっても利のあるものだと判断したからだろう。その理由自体に興味はない。

 だが、こうして囚われの身でいることは本意でない筈だ。


 メランは天井を仰ぎ見て逡巡した様子を見せると、こちらを見ずに言った。


「良いだろう、応じてやる」

「思ったよりも素直だね。企んでいるのかい?」

「我が傭兵団は使命の達成に有用な存在ではあるが不可欠な存在ではない。ここで朽ちるのを待つほどの価値はない」


 淡々と語るメランの声音は、非情であり冷酷でもあった。


 今の発言に加え、間諜を即座に売ったことからしても、メランにとって仲間とは使命とやらを達成する為の駒に過ぎないのだろう。奴との戦いの最中にも思ったことだが、言いようも表せないほど傲慢な男だ。


 知らぬ内に手に力が入る。クルトにも車いすを伝ってそれが伝わったのか、少し俺を気にするような素振りを見せたが、何かを言ってくることはなく話を続けた。


「では取引成立だ。ちなみに傭兵団の解散とライセンスの破棄は我々が身柄を拘束している間に済ませてもらうよ」

「反故にするつもりなどない」

「悪いが君の意思など関係ない。――間諜の名簿については殿下にお任せします」


 ベルガ皇子は小さく頷きを返し、この場において何故かクルトではなく俺の方を見ながら言った。


「では、二つ目の方はそちらにお任せします」

「その為の僕です」


 クルトはそう言うと、グリードの背に声を掛けた。


「グリード。いったん戻るよ」

「……」


 少しの間鉄格子越しにメランを睨んだグリードは、言葉を発することなく、舌打ちだけを残して部屋を出て行った。

 皇子に会釈をしてから、それを追うように俺とクルトも部屋を出た。

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