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SIDE:OTHERS 皇都にて

 床の木板を軋ませながら車いすに乗った男がその店に入ると、少なくない客の視線が一斉にその男を捉えた。

 金色の髪をうなじあたりまで伸ばし、柔和さと鋭さを兼ね備えた穏やかな目つきをしている。怜悧で端正な顔立ちは、たとえ車いすがなくとも人目を引く容姿だ。


 男は従者に車いすを押させて視線の中を進むと、客の中で唯一視線を向けずにいた男の元へと近づいた。

 その男は草臥(くたび)れた黒衣に身を包み、昼間から酒を(あお)っている。

 金髪の男と比べて十歳ほどは上であろう中年の男は、不機嫌さを露わにしながら金髪の男の方を見もせずに言った。


「今日は休みだ。さっさと失せろクルト」


 つっけんどんな態度を笑って流し、金髪の男は彼の名を呼んだ。


「そう突っぱねてくれるな、グリード」


 中年の男グリード・アヴァリティアは辟易とした様子で溜息を吐いた。

 腹の底から吐き出された息は酒気を伴っており、金髪の男クルト・マクギネスは思わず顔をしかめる。


「それ、いったい何杯目だ?」

「何杯飲んでようが俺の勝手だろうがよ。もしそんなくだらねぇ説教しにわざわざ来たんなら残った片腕へし折るぞ」


 言いながらグリードは酒器に残った酒を一気に呷る。

 それを叩きつけるように机に置くと、ほとんど同時にクルトの従者がバンッと大きな音を立てて机を叩いた。

 露骨に機嫌を悪くしたグリードが従者の女を睨み上げると、女も負けじとグリードを睨み返す。


「貴方、クルトさんになんてことを言うんですか! いますぐ謝りなさい!」

「黙れクソアマ。テメェは雇い主に言われたことだけやってろ」

「クルトさんに無礼を働く者あれば諫めるのも私の仕事です! 元々同じ団の仲間だからといって言って良いことと悪いことの区別もつきませんか!」

「キャンキャンうるせぇ。躾のねぇ犬かテメェは」


 心の底から嘲るような物言いでグリードが言うと、女も鼻を鳴らしてそれに応える。


「意味もなく礼節を欠いた暴言を吐く方がよっぽど躾のなっていない方だと思いますが。私たちより十年以上も長く生きておいてご自身の態度や言動を顧みることもできないようですね。ほんっとみっともない」

「勝手に腹立てて無様に喚く馬鹿女に言われたかねぇ」


 それからもしばし、やいのやいのと言い合う二人。

 周りの客や店員の冷ややかな視線が痛くなってきた頃を見計らい、クルトは金属製の義手をカチカチと鳴らして二人を窘めた。


「二人とも、そこまでだ。市民の憩いの場でこれ以上剣呑な空気を広げないように」


 静かな物言いだが、底知れぬ迫力のある言葉。

 それに怯んだ女はおずおずと引き下がり、グリードは舌打ちをして視線を逸らした。

 それでもなお不服そうな女を見て、クルトは慰めの言葉を掛ける。


「気にすることはないよエウアドネ。彼は誰に対してもいつもこうなんだ」

「そんなの理由になりません……この歳で人として最低限の礼節も持ち合わせていないのなら、それは単なる怠慢です。見て見ぬ振りも同罪ですよ」

「はは。手厳しいなぁ」


 薄く笑うクルトをエウアドネと呼ばれた女性は不満げに見やる。


「でもねエウアドネ。世界とは常に相対的なものだ」

「……意味がよくわかりません」

「この世に『絶対』は存在しないということだよ。物事に評価を下す時、人は無意識に似た何かと比べる。たとえば下品な人間を見て他の誰かを上品だと評価するようにね。そう思えば、品性のない人間も必要だと思えてきやしないかい?」

「いや……それとこれとは関係なくないですか?」

「ないね」


 下らぬ詭弁には翻弄されず、一層顔をしかめながらエウアドネは首を捻る。

 と、別方向から抗議の声が上がった。


「テメェは人を詰る為に来たのか?」


 苛立ちが最高潮まで至ったグリードが目を剝きながらクルトを見る。グリードは愚鈍な人間ではない。下品な人間という例えが己を指していることくらいすぐにわかった。

 そしてクルトは弁解するわけでもなく、ただ肩を竦めた。


「まさか。ただの冗談だよ」

「クソみてぇな冗談だ」


 言いながらグリードは懐から取り出した硬貨を空になった酒器に無造作に入れた。


「俺は休みの日にまでテメェらの顔なんざ見たかねぇんだよ。たまの休みの酒くらい安らかに飲ませやがれ」

「そうそう。昨日まで丸一週間、カリア村で守衛の仕事をしていたんだったね。魔物の被害に遭って村の自警団が動けなくなったとか。一人で村の防衛とはさぞ大変だったろう」

「世間話をするつもりもねぇ」

「最初はおっかなびっくりだった子供達も最終日には驚くほど懐いていたらしいじゃないか。子供は悪意のある人間には懐かない。まさに君の人徳がなせる業だね。いや、もしくはただのゲインロス効果かな?」

「テメェ耳に糞でも詰まってんのか。うんざりだ。死ぬまで空の酒器にでも話しかけてやがれ」


 そう吐き捨てて出て行こうとするグリードをクルトはまさに現金な方法で呼び止めた。


「そう邪険にしてくれるな。ここのお代は持つからさ、話くらいは聞いてくれよグリード」

「……」


 振り返ってクルトを見つめ、しばしの熟考。

 肺の空気をすべて出し切る勢いの深い溜息を洩らし、グリードは再び席に着いた。


「迷惑料も追加で払え」

「がめついなぁ」


 クルトは綺麗に揃えた硬貨を机の上にそっと置く。グリードはそれを強奪するように掴み取り、黒衣のポケットに雑に入れた。


「で、わざわざ休みを狙って来る用はなんだ?」

「まずはキヴァニアから君宛てに手紙が来ていてね。これがその手紙だ」


 クルトから受け取った手紙を開封しながらグリードは眉根を揉む。


「またエルザの野郎か。しつけぇな」

「いいや今回は彼じゃない。差出人は魔術学院だ」


 グリードは封を切って取り出した便箋を上から読んでいく。

 丁寧な言葉で長々と書き連ねてはいるものの、中身を要約すれば高位魔術師(ハイメイジ)として試験官となってほしいとのことだ。

 それが分かった瞬間、グリードは読む価値なしと断じて手紙をくしゃくしゃに丸めて捨てた。


「今や紙は貴重品だ。もっと丁重に扱わないと」

「知るかよ。使用済みの紙に使い道なんざねえだろうが」

「確かに。それで試験官の仕事は受けないのか?」

「誰がんな面倒なことするかよ。資格持ちなんざ他にもいんだろ。やることねぇ暇な年寄りにでもやらせてろ」

「僕としては君が誰よりも適任だと思うけれど……まぁいい」


 次いでクルトは二つ目の手紙を取り出した。それを見たグリードがまた手紙かと目を細める。


「何通くんだよ」

「これは僕宛の手紙だ。ただし内容は僕より君に関係がある」


 クルトは二枚ある便箋の内、丁寧に四つ折りされた方を手渡す。

 それは似顔絵の覚書だった。


「国境守備隊にいる友人から送られてきた覚書の内の一枚だ。通名はメラン。現在は帝国最大の傭兵団で団長をしている。構成員の中には彼に感化されたシンパも相当多く在籍しているようでね。今や小国の軍隊にも匹敵する規模だ」

「メランねぇ……」


 グリードは無感情な瞳で覚書を見つめる。皺まで精密に描かれた似顔絵の男は記憶の中よりも歳を取っているものの、たしかに覚えがあった。


 しかも、ただ見知った顔というわけではない。

 血こそ繋がっていないが、昔は兄弟といえるような間柄だった。


 しかし今では顔を見、名を聞くだけでも苛立ちを感じる。

 海馬に刻み込まれ、けして消えることのない鮮烈な記憶。


 グリードと似顔絵の男は、かつて同志だった。

 同じ師の元で育ち、同じ理想を追い求め、しかし師の死をきっかけに別々の道を征くことになった。


 もう十年以上も会っておらず、在りし日の思い出さえも今では忌々しく思う。


 グリードは腹の底から湧き上がる黒いものを吐き出すように言った。


「こいつの名前はメランじゃねぇ。エンヴィー・インヴィディアだ。別にそれも本名ってわけじゃねぇがな」

「なるほどエンヴィーというのか」

「奴がどうかしたのか?」


 グリードは覚書を机に放り、眉を上げながらクルトを見る。

 クルトは少しだけ周囲に目を配ると、誰かに聞かれてしまわないように声を抑えて言った。


「エルザが捕まえたらしい。いま部下の二人と共にキヴァニアで拘束されている」

「はぁ? んでそうなんだよ……」


 グリードの中では間違っても繋がりようのない友人の名前を出され、やや間の抜けた顔になってしまう。

 クルトは眉を下げると唸りながら言った。


偶々(たまたま)らしいけれど、皇子が絡んでいるからその線は薄いだろう。エルザはそういうの見抜けないだろうから余計にね。……天性の巻き込まれ体質なのかな?」

「テメェがそれ言うか」


 グリードは呆れ交じりに言う。

 エルザは間違いなくクルトに人生を歪められた側の人間だ。それが良いことなのか悪いことなのかはさておき、当の本人が「巻き込まれ体質なのかな?」などと他人事のように言える立場ではなかろう。


「でだ。この覚書を俺に見せたってことはなんだ。面会でもさせるつもりか?」

「それを条件に試験官の仕事を受けさせるつもりだ」

「明け透けに言いやがって。言っとくが受けるつもりはねぇぞ。故に面会もしねぇ。俺たちはとっくの昔に袂を分かったんだ。今更奴と話す事なんざねぇよ」

「そう言うと思ったから首から下の覚書も頼んでおいた」


 クルトはそう言い、残るもう一枚の手紙をグリードに差し出した。

 その言いぶりに嫌な予感を覚えたグリードは、適当に四つ折りにされた便箋を開く。


 そこに描かれていたのは、術式が刻まれた肉体の写し描き。

 抱えていた嫌な予感が、考えられ得る中で最も悪い形で的中したのだ。


「彼は君のお師匠様が作った道を未だに歩いている。それを許容できる君じゃないだろう?」

「……あの糞野郎」


 グリードは奥歯を強く噛みしめた。怒りで砕けてしまうのではないかと思うほど強く。

 彼にしては『らしくない』苛立ち方。

 クルトはそんなグリードの横顔を見て、思慮を伴う声音で言った。


「倒す、あるいは殺すことだけならエルザに任せてもいい。彼ならできる」

「……」

「だが『思想』は死をもってしても止められない。エンヴィーを殺してシンパ全員が動けば、間違いなく国を巻き込んでの全面戦争になる。同じ師を仰いだかつての兄弟子である君でなければ、彼の『思想』を止めることはできない」


 クルトの言葉にグリードは目端を震わせる。


 エンヴィー・インヴィディア――今はメランと名乗っているこの男は、親であり師でもあった魔術師の死をきっかけに変わってしまった。憑りつかれたように日々を過ごし、それまで以上に魔法を学び、師の意思を模倣したような思想に染まり、末に狂った。


 あの時も、奴を止めようとしたが、言葉ではどうすることもできなかった。

 故に、袂を分かったのだ。


 グリードは覚書に描かれた弟分を顔を改めて見やる。

 そして二枚の覚書を重ねると、皿の上のフォークを手に取って額あたりに突き立てた。


「お師匠の顔に泥塗りやがって」


 グリードは舌打ちをして立ち上がると、黒衣を翻しながら出口へ向かった。

 その最中、振り返ることなくクルトに言う。


「返事はテメェがしておけ」

「その必要はない。出発は明日だ」


 その言葉にグリードは一瞬足を止めたが、溜息を吐くと再び歩み始めた。

 クルト・マクギネスという男は昔からこういう奴だ。何をすればこちらがどう動くのか、すべてわかった上で常に先手を打っている。

 忌々しくもあり、死んでも口にはしないが、頼もしくもある男。

 去り行く背中に、少しだけ揶揄うような声色が投げ掛けられた。


「寝坊して遅れないように頼むよ」

「うるせぇ。余計なお世話だクソッタレ」


 そう吐き捨てて店を出たグリードの背中に、キャンキャンとした金切り声がいつまでも浴びせられた。

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