魔術師のいろいろ
少女を担当した医者から意識が戻ったと聞き病室へ向かうと、病衣を着た少女が窓の縁に身体を預けて外の景色を眺めていた。想っていたよりも元気そうだったので安堵したのだが、どうやらそう思ったのは俺だけだったらしい。
というのも、その姿を見て少女が身投げをしようとしていたと勘違いしたミーティアが「うわぁ!」と声を上げ、血相を変えて少女の背後から腕を回し、身体を持ち上げてベッドに叩きつけたのだ。
ミーティア・コメットによる突然の奇行もとい蛮行。これには俺も少女もまったく反応できなかった。
ただ安心して欲しいのは、叩きつけたというのはあくまで動きが大仰であるが故の印象で、実際にはそれほどの衝撃はなかったことだ。少女も特に痛がる様子はなく、ただただ突然の出来事に驚いて戸惑うばかり。
息を荒げたミーティアが少女の肩に手を置き、迫真の表情で目をかっぴらく。
「だ、駄目だよ! まだ若いんだから身投げなんてしちゃあっ!」
「し、してません……」
鬼気迫るミーティアの形相がよほど恐ろしかったのか、少女は目端に涙を浮かべながら震えるように首を振る。
「おい」
「なにっ!」
「外見てただけだと思うぞ」
俺に向けられた視線が再び少女に向き、少女はインコのようにこくこくと首を振った。
しばし無言。しんとした時間が流れ、ミーティアの妙な勘違いが解けた。
「たはー! じゃあ早とちりだ!」
ついうっかりみたいな顔をするミーティア。なんだか今日は妙にテンションが高い。何か良いことでもあったのだろうか。……ああ、本借りられるからか。
とりあえず浮かれ調子の彼女は放っておいて、俺は寝台の前に回って少女に声を掛けた。
「調子はどうだ?」
「へ、平気です。……えっと」
言葉に詰まる少女。俺の素性については医者から伝えられている筈だが、察するにどちらがエルザかわからないのだろう。
「俺がエルザだ。そっちはミーティア・コメット」
「あっ。あぁ……」
少女は気づきを得たように嘆息を漏らした。エルザという名前は多く女性名として使われるので、こういう勘違いはよくあるのだ。
少女は戸惑いを残しながらも、ベッドに座ったまま会釈をした。
「あ、っと、申し遅れました。あ、あたしはラグナ・フィンブルヴェトルといいます。ここ、この度は危ないところを助けていただき本当にありがとうございました」
「いえいえそれほどでも。お礼は参考書貸してくれるだけでいいよー」
俺の代わりに返事をするだけに飽き足らず、こちらから真っ先に礼を要求するという厚かましさを見せるミーティア。
しかし、彼女が元来持つ朗らかな雰囲気がまったくそれを感じさせない。少女も気に留めた様子もなく普通に応じた。
「さ、参考書というと魔法の学術書でしょうか? ああ、あたしのでよければ……そうだ荷物!」
そこで初めて馬車に積まれていた荷物のことを思い出したのか、ラグナは顔から血の気を引かせて小さく悲鳴を上げた。彼女にとってはそれだけ大事なものなのだろう。
青ざめたラグナを安心させようと、荷物は回収済みであることを伝えた。
「馬車が横転した時に駄目になったものもあったけど、いちおう全部回収して協会に届けてある。退院したら受け取りに行くといい」
「だ、駄目に……」
ラグナの顔がみるみる蒼白していく。どうやら言い方がよろしくなかったようだ。見かねたミーティアがすかさず助け船を出してくれる。
「ああ、だいじょぶだいじょぶ。本は表紙が汚れたくらいで全部無事だから。駄目になったのは食料とか日用品とかそういうの」
「あ、そ、そうなんですね……よかった」
安堵の息を漏らして胸を撫でおろすラグナ。青ざめた顔は見るからに血色がよくなっていく。
「すまん。言葉足らずで」
「ついでに愛想もねー。普通の魔術師にとって本は命の次くらいに大事なんだから以後は気を付けること」
口の両端を指で持ち上げながらミーティアは言う。わざわざ『普通』と修辞するあたりミーティアさんはそうじゃないみたいですね……。まぁだからこその火力馬鹿なんだろうけど。
「とと特に昔の魔術書は数も少なくて貴重ですので……た、大切に扱わないと」
「んね。でさ、あんな荷物持ってたってことは、ラグナちゃんも試験受けに来た感じ?」
「い、いちおうそうです。……『も』ということは、も、もしかしてミーティアさんも試験を受けられるのでしょうか?」
ミーティアは首を振って猫のような声を出す。
「んにゃ、私は受けないんだけど、後輩ちゃんが受けるんだよね。でも私って学生時代にも大して勉強してこなかったからさ。流石におバカな先輩のままじゃ示しが立たないというかねー」
「示しはつくものだ」
「示しがつかないというかねー」
しれっと何事もなかったように言い直すミーティアに、ラグナも苦笑いを浮かべる。
しかしそこは流石の年長者。俺やラグナの胡乱な視線などは毛ほども意に介さない。
「んでね、私も本格的に勉強しなきゃなーと思ったところに、めっちゃ良い感じの参考書を持ったラグナちゃんが現れてしまったわけですよ。これはもう助けたお礼を盾に借りるっきゃないと思ってねー!」
「と、とても、しょ、正直な方ですね……」
かなりオブラートに包んだ表現をするラグナだが、苦笑する表情に嫌悪の色はない。正面切ってここまであっけらかんと言われては、もはや厚かましさなどは感じないらしい。
ともすれば、これこそミーティアの処世術なのだろうか。
天真爛漫、あるいは明朗快活を地で行く彼女の性格は、相対する人に悪意を感じさせない。彼女と一対一で相対すれば、どれだけ警戒心が強かろうが心を開くだろう。
大げさに聞こえるかもしれないが、計略や謀略の蔓延る世界において彼女の明るさはそれだけで武器となる。現にラグナもミーティアに対して警戒心を抱いている様子はない。出会い頭にベッドに叩きつけられたにもかかわらずだ。
「で、でも、助けて貰ったわけですから、あたしの魔術書でよければ是非使ってください。あ、あたしはどの道受からないと思いますし……」
自嘲気味に笑いながら言うラグナに、ミーティアが眉根を顰める。
「なんでそんなこと言うの。試験受けられるってだけでも優秀なんだから自信持たないと」
「でで、でも、今のあたしでは実技で躓きます」
「実技なら私が教えられるよ。自慢じゃないけどほとんどそっちの成績だけで卒業したみたいなものだから!」
「そ、そういうのではなくて……ええ、詠唱が上手くできないので」
「詠唱?」
頭の上に疑問符を浮かべるミーティア。魔術師である彼女にとって詠唱は基本中の基本であるが故に『どうして?』という疑問が先に来るのだろう。
しかし俺はその言葉の意味するところはすぐに分かった。
「……ああ、それ緊張してるからじゃないのか」
言うと、ラグナはこくんと小さく頷いた。
彼女がずっと言葉を詰まらせながら喋っているのを、俺は勝手に緊張しいなのだと思っていた。見るからに気の小さそうな子だからそういう面も多少はあるだろうが、彼女が言葉の初めの音を繰り返して喋る直接の原因ではない。
これは、いわゆる吃音症。個人によって症状は様々あれど、大まかにはどもってしまって上手く喋れなくなるという言語障害の一種である。
「はは、はい……。じゅじゅ、十二歳の頃から上手く喋れなくなってしまって」
その言葉にミーティアも合点がいったという風に息を漏らした。
ラグナは気まずそうに目を伏せて言う。
「お、お医者様には心因性だと言われました。ななな、治るかは分からないとも」
「それは、なんというか……」
知り合ったばかりの子を相手にどう慰めの言葉を掛ければよいかわからず俺まで黙ってしまう。こんな時クルトあたりならうまく励ませるのだろう。それが出来ない自分が心底情けない。
しかしこの場で一人、気分の沈まぬ者がいる。
「あぁーね。まぁでもあんまり気にしなくていいんじゃない?」
片眉を下げたミーティアが思慮顔でけろりとそう言ってのけた。
「き、気にしなくていい、ですか……?」
「うん。だってラグナちゃんのどもりって言葉の初めだけだし、そこさえ抜けちゃえば普通に喋れてるもん。詠唱中じゃなくて詠唱前にどもる分には問題ないし。あ、もしかしてできないんじゃなくてやってないんじゃないの?」
閃いたとばかりにミーティアは何気なく尋ねる。
図星をつかれたのか、ラグナはさらに露骨に言葉を詰まらせた。無論ミーティアにそんな気はないだろうが、ラグナからしてみれば責められたと感じてもおかしくはない。
「で、でで、でも息もあんまり長く続かないですし……」
「じゃあ術式短くしちゃお。その分魔力の集積は早めないとだけど、そういうのは私の得意分野だからお礼のお礼に訓練手伝ったげる!」
ミーティアは豊満な胸に手を当て、自慢げにふふんと鼻を鳴らしながらさらに言った。
「心配ないよ。こう見えても私、金剛石の魔晶を五十八秒で臨界させた天才ちゃんなので!」
「そ、そんなの悪いです。ああ、あたしみたいなのにわざわざ……」
「そんな寂しいこと言わないの。せっかく試験受けにキヴァニアまで来たんだからできること全部やんないともったいないよ! ね?」
ぐりんと首を捻って俺に同意を求めるミーティア。ほぼ蚊帳の外だった俺に振らないでもらえませんかね。
だが、無視するわけにもいかないので、一応返事はしておく。
「まぁ、そうだな。アリアーレも今は空いてる時間のほとんどを勉強に使ってるし、グリードもあれで勉強は死ぬほどしてた口だからな。やれることはやっておいた方が良いとは思う。試験受けるのだってタダじゃないしな」
そう言いながら、知り合いでもない個人名出しても伝わらないなと思ったが、ラグナは目の色を変えて顔をこちらに向けた。
「ぐぐ、グリードというのは、高位魔術師グリード・アヴァリティアのことでしょうか?」
「そうだが……そういやあいつ有名人だったな」
俺の中では酒に溺れる中年の駄目人間という印象が大きいのでつい忘れがちになるが、グリードは皇国では名の知られた魔術師だ。高位魔術師を志す者でその名を知らない者はいない。
ラグナもその例に漏れず彼のことを知っていたらしい。
ただ、どうもアリアーレやミーティアが見せたような好意的な目の色はしていない。嫌悪というほど明確なものではないが、半ば敵意に近いものは感じる。
「おおお、お知り合いなのでしょうか?」
「知り合いというか、傭兵団の元仲間だ。……あの馬鹿、何か君の恨み買うようなことしたのか?」
俺は、まさか、と思いそう問うた。
グリードという男は柄も性格も悪いいわゆるトラブルメーカーなので、何時何処で誰かに何をしでかしていたとしてもなんらおかしくない問題児だ。過去、この子に対してなにか無礼を働いている可能性は大いにある。
もしもそうだった場合、俺がそう思うのも変な話だが申し訳ないことだ。
ラグナは唇をきゅっと絞ると、かすかに肩を震わせながら呟いた。
「ああ、あの人はっ、ひ、人の命を軽んじる人です……! あ、あんな人が高位の資格を持っているだなんて許されません……っ!」
ラグナは吐き出すような勢いでそう言った。
病室の空気がしんと静まり返り、顔をしかめて小首を傾げるミーティアと目が合う。
俺がその言葉の意味を理解するのに、それから数秒ほど要した。




