総理大臣
日本異星文明探査センターの高橋さんが退出した後、会議室は重苦しい沈黙に包まれた。
先日のノクティス帝国外交官ゼノ・エンボイとの会話が、私達の集団幻覚ではなく、世界中の科学的な検証で明らかになった異星人との遭遇の一環であることが理解できてしまったのだ。
地球人類が体験したことがない、歴史上初めての異星人との公式な会談が控えている。選挙対策や派閥争いに追われている自分たちには、手に余る問題だということはわかっている。
しかし、誰も発言しないのは困る。
もともと私は、大手のコンサルティング会社に勤めるコンサルタントだったのだ。
それが、政治家であった父の桜庭 高照の急逝により、私がその支持基盤を引き継ぐことになり、しかたなく政治家になった。
今度総理になった経緯も似たようなものだった。
本来であれば、総理になるべき重鎮の政治家たちが、健康上の理由やスキャンダルで候補から消え去り、さらには国内外のジェンダー・ダイバーシティ推進の圧力により私にお鉢が回ってきたのだった。
ここは、総理大臣である私が指示を出すしかないのか……
私は、こんな時期に総理大臣になった不運を呪った。
まずは、この問題を任せられる体制を整えなければ、すべての判断が私にのしかかることになる。
私は、強い決意を込めて発言した。
「今回の異星人との接触は、日本にとどまらず世界中、いや地球の存亡に関わるかもしれません。首相官邸に24時間体制の緊急対策本部を設置します」
出席者全員がうなずき、無言の同意が得られた。
「責任者は、内閣官房長官にお願いします。至急、官民問わず今回の事態に対応できる優秀なスタッフでチームを作ってください」
内閣官房長官は、大きく目を見開き私を見つめる。私は、力強く頷く。胃の痛みを抑えた表情は厳しいものに見えていただろう。
井上 俊明内閣官房長官、私を総理大臣に推薦した張本人だ。各省庁間の調整を行ってもらい、しっかりと私の補佐をして貰おう。
少しだけ胃の痛みが和らぐ。
異星人とのファースト・コンタクトと考えるから、問題が目の前の巨大な壁のように思えるのだ。
私はお飾りの総理大臣かもしれないが、コンサルタントとしての問題解決の実務については、長い経験と実績がある。
もっとシンプルに問題を捉えよう。「問題の特定と分析」が、総理としての私の仕事だ。
その後の「解決策の提案と戦略の立案」や「実行計画の作成と支援」は、各省庁や、その担当大臣に任せよう。私よりもずっと専門家のはずだ。
今回に限っては、組織の縦割りや横割りなどと言う人は居ないだろう。ゴタゴタ言っているうちに、地球がコナゴナになっても不思議はないのだから。
今回の基本的な問題は、日本の将来に重要な影響を与える国賓から依頼を受けたこと。
その依頼内容は、「恩人を探し出すこと」そして「恩人に謝意を伝える場所を用意すること」の二つだ。きっとこれが、最重要案件で、他はこれに付帯する問題でしかない。
警察庁長官に視線を移し、次の指示を出す。
「異星人の恩人である“タチバナリョウヘイ”氏の保護を最優先でお願いします。至急対応してください。」
“タチバナリョウヘイ”、どのような人物か判らないが、彼が今回の騒動の鍵を握っていることは間違いない。
秋山警察庁長官は、一瞬考え込むように手元の資料に視線を移したが、すぐに顔を上げて深く頷いた。「承知しました。全力で対応いたします。“タチバナリョウヘイ”氏の保護を最優先します」と力強く返答した。
秋山 武志警察庁長官。警察庁出身の彼は、現場を熟知している叩き上げだ。今回、秋山さんが警察庁長官であったことは、幸運と言えよう。
「併せて、国賓級のVIPと同様の警備を実施してください。間違っても会談に出席できないことがないように。会談場所は、警備しやすい施設を優先的に選んでください。」
「異星人に対する暴徒の襲撃を懸念しています。海上保安庁、消防庁、自衛隊と協力して、ノクティス帝国からの来賓に対する危害を防ぐ対策を講じてください」
秋山さんは、私を見つめ冷静に頷いた。
次に考える問題は、この会談を妨害するリスクの排除。せっかく準備した会談が妨害されて台無しになるのは避けたい。部外者には黙って見守ってもらいたい。
「今回の異星人との接触によるパニックを避けるため、国内外への適切な情報提供と協力要請が必要です。総務大臣はメディアとの調整を、外務大臣は各国への情報共有と国際協力の要請をお願いします。提供する『適切な情報』の判断は、内閣広報官に一任します。」
村上 美香総務大臣。私と総理大臣の座を争った女性議員だ。私の祖父、父ともに政治家であったことが災いして、私が総理大臣というジョーカーを引いてしまった。異星人との遭遇が判っていたら全力で彼女に総理の椅子を譲ったのに……。
彼女は、政治家としての力量は私よりも遙かに上の尊敬すべき女性議員だ。彼女であれば、各種メディアや都道府県のトップと連携して、日本国民がパニックに陥るのを防ぐに違いない。
小野寺 雅彦外務大臣。ベテラン議員であるが、私と同じ二世議員だ。今回のような修羅場とも言える未経験の状況への対応に不安がよぎる。
皆が驚いた顔で私を見つめるが、適材適所の人選だと自信を持っている。少しずつ胃の痛みが引いていく。
顔色が青ざめる出席者が増えるにつれ、胃の痛みがなくなっていく。
残りは、この会談が原因となり引き起こされる可能性のある問題への対処だ。この準備をしておけば、必要な対策は整うはずだ。
「異星人との会談が、日本経済に与える影響を考慮して対策を検討してください。財務大臣、経済産業大臣、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)が連携して対応をお願いします。」
「他になにか懸念事項がある方は、いらっしゃいますか」
藤原 英雄防衛大臣が口を開く。
「自衛隊による防衛対策が必要ではないでしょうか」
藤原さんは、私の父、高照の盟友だ。今回総理になった私を陰に日向に支えてくれている。今回も私の指示の不備を質問という形でフォローしてくれたのだろう。
もっともな意見だが、私は不要な対策だと考えていた。
「日本政府は、異星人からのメッセージの通りに、友好的な異星人として対応を行いたいと考えています。」
「しかし……」
「おっしゃいたいことは判ります。友好的な異星人であるかは判りません」
「異星人が、地球や日本のことを詳しく知っていたのに比べ、私たちは異星人から発信されたメッセージ以外に、何も彼らのことを知らないのですから」
「しかし私が、対策が不要と考えている根拠は、彼らが火星近辺まで訪れ、日本政府に平和裏に接触を図っていることです」
皆が怪訝そうな表情で私を見つめる。
「この地球でさえも、この惑星上の生命を滅ぼすことができる兵器が存在します。もしも、銀河系を渡るだけの科学文明を持つ国が戦争を問題解決に使っていれば、それらの国や星は星間戦争により滅んでいるでしょう」
「もしも、戦争という問題解決の方法を採りながら地球に接近しているのであれば、他の星々をねじ伏せるだけの圧倒的な軍事力を背景に覇道を進んできた国と言うことです」
「統合幕僚長、そのような仮想敵に対して、有効な防衛プランがありますか」
「有効な防衛プランは考えつきません。むしろ火星人が攻めてきたと言われたほうが、よほど有効な防衛プランが提案できます」
私は頷きながら答える。
「わかりました。自衛隊は、最悪の事態に備えて国民の避難誘導が行えるよう準備をお願いします」
藤原防衛大臣は、盟友の娘が立派になったと言わんばかりの優しい目つきで静かに頷いていた。
とりあえず、これで総理大臣としての私の仕事は終わった。残っているのは、うまくいかなかった場合に責任を取ることだけだ。
「異星人との会談まで、後二週間しかありません。至急、担当の作業に取りかかってください。以降の情報共有は、首相官邸の緊急対策本部で行います。井上内閣官房長官はじめ、皆さんには、大変な仕事になると思いますが、よろしくお願いします。」
私は、一呼吸の間をとって続ける。
「日本政府として、矢面に立たなければならないことがあれば、私が対応します」
「これからの二週間の我々の行動は、世界中の歴史の教科書で語り継がれることです。未来の人々や異星人から見ても恥ずかしくないベストな対応をしましょう」
未来の人々……、『もしも地球に未来があれば』、私はこの言葉を不安と共に飲み込んでいた。また、胃の痛みが強くなってきた……
私は、桜庭 明日香。不幸な星回りで日本初の女性総理になった日本人女性だ。