宮廷会議1
「太陽系と呼ばれる恒星系ごと消失させるべきです」
侍女長が凛とした声で言い放つ。私たちは全員息をのみ、皇帝陛下でさえ青白く顔色を変えた。会議室に重苦しい沈黙が流れる。
「未成年の皇女殿下が、未成熟惑星の現地青年と二人きりで数日過ごしたなど、帝国の歴史に残してはなりません」
彼女の提案は冷酷でありながら、確かな信念に裏打ちされた言葉には重みがあった。
その瞳には、皇女殿下の名誉と安全を守るためにはどんな犠牲も厭わない強い決意が宿っていた。
グレタ・マイヤー侍女長。この会議に出席している誰よりも長く帝国に忠誠を誓い、その誓いのままに歴代の皇女に仕えている。
皇帝陛下の姉上が幼少のころから侍女として使えている古参の臣下である。
彼女がルナリア様を真珠のように大切に思っていることは知っていたが、「太陽系ごと消す」という提案には、思わず言葉を失った。
「リーベンタール元帥、太陽系自体を消すことは可能ですね」
「アクセレート・ノヴァを使えば……」
マイヤー侍女長の圧に押され、軍事総司令官が言葉少なに答える。
超新星促進弾、そんな兵器を使えば現地惑星の時間で1日も待たずに太陽は超新星となり、未成熟惑星はおろか文字通り恒星系自体が消え去るだろう。
マイヤー侍女長の意見を止めたいが、誰にも発言ができるような空気ではなかった。
帝国の名誉と一つの星系の存続。その天秤にかけられた重さに動きを止めた会議は、ルナリア様の一言で再び動き始めた。
「グレタ、ありがとう。ですが、私を助けてくれた星に仇をなすことは許しません」
ルナリア様を驚きの表情で見つめるマイヤー侍女長。
「しかし、ルナリア様……」
「その通りだ、マイヤー侍女長。ルナリアを救った恩を仇で返すことは、我がノクティス帝国の義に反する」
ノクティス帝国皇帝ルードヴィヒ・ノクティスの言葉で会議室の呪縛が解ける。
「良いのです、グレタ。帝国や皇族の名誉のために臣民がいるのではありません。臣民の幸福のために帝国や皇族があるのです。ましてや、私一人の名誉のために未成熟惑星の人々に害をなすことなど行ってはいけません」
ルナリア様の言葉は、マイヤー侍女長の帝国への忠誠と自分への愛情を受け止めながらも皇女としての責任の上の言葉であった。
マイヤー侍女長の目に涙が光る。「ルナリア様、お詫び申し上げます。私の狭い考えが……」
「いいえ、グレタ」ルナリア様は優しく侍女長の手を取った。「あなたの想い、ルナリアは皇女としてうれしく思います」
ルナリア様の一言は、帝国の未来を担う者としての成長を感じさせるものだった。私は思わず背筋を正していた。
「陛下、星間宙航艦エクリプスの事故と、ルナリア様が避難された未成熟惑星について、重大なご報告があります」
恒星系の消失の話題が終息したことに安堵しつつ、私、コンラッド・プルーデンスは、宰相として本来この会議で検討すべき議題を提案した。
「内務、外務、法務の三大臣に加え、この軍事総司令官まで出席させたのだ。何が判った」
リーベンタール元帥の低く通る声が、すべての出席者の視線を私に集めた。
「星間宙航艦エクリプスの大破したワープエンジンと、ルナリア様が着用していたエマージェンシースーツに破壊工作の痕跡が見つかりました」
出席者の顔色が変わる。私は、深呼吸のあと、さらに深刻な事象を伝えた。
「救難艇カニーナの帰還の後、該当の未成熟惑星からの暗号化された亜空間通信をプリンセスガード7艦隊旗艦ナイアードが検知しました」
皇族が乗船している星間宙航艦への破壊工作、そして未成熟惑星から発信された暗号通信、出席者の表情がこわばるのが見て取れた。
「太陽系第三惑星には、亜空間通信を行うだけの科学技術はなかったはずです。検知ミスではありませんか」
外務大臣のイザベラ・フォーサイトが驚きの声をあげるが、ナイアード艦長のアレクシス・フォレスト准将が、さらなる言葉を伝える。
「暗号通信の解読も完了しております。太陽系第三惑星には、反帝国勢力が潜伏しています」
「反帝国勢力が未成熟惑星にか……、して暗号通信の内容はなんだったのだ」
反帝国勢力の潜伏理由によっては、帝国は重い決断を迫られる。その責務を負った陛下の声が静かに響く。
『帝国の船は去った。このまま地球に残り、この惑星での戦争の継続を操作する』
再び会議室は重苦しい沈黙と緊張感に包まれた。今回天秤にかけられたのは帝国の法と義。どちらに天秤が傾いても帝国は血を流すことになるだろう。
「確認させていただきたい。この通信内容は、反帝国勢力が我が帝国の未成熟惑星への接触禁止政策を巧みに利用し、当該惑星を永続的な戦場として利用しているという理解で正しいでしょうか」
彼の言葉は慎重に選ばれ、各単語に重みがあった。内務大臣オットー・ハーモニアス、長年、臣民に寄り添い帝国の平和のために尽力してきた男の質問は、怒りと悲しみを押さえ込むような震えた声であった。
「未成熟惑星への接触禁止政策となる法律について説明いたします」
法務大臣フェリックス・クロイツ。彼もまた帝国の平和のため半生を捧げた誠実で実直な人物である。
「ノクティス帝国では、可能な限り平等な立場での交流をとりたいとの理念から、3つの接触禁止の条項を設けております……」
未成熟惑星への接触禁止政策とは、3つの条件を全て満たしている惑星以外には接触してはいけないという帝国法である。
1.自らの恒星系外への探査が可能な科学力を有すること
2.異星人の存在を肯定し、友好的な交流のメッセージを宇宙に向けて放っていること
3.千年以上にわたり、政治問題の解決方法として戦争という手段をとっていないこと
「以上の3つの条項が未成熟惑星に対する接触禁止の基本政策です」
フェリックス・クロイツ法務大臣は一瞬、言葉を切り、帝国の未来を見据えるように皇帝陛下を見つめた。
「皇帝陛下におかれましては、短慮をなさいませぬよう、ご英断を仰ぐ次第でございます」
まさに、反帝国勢力が取った方法は、この3番目の条項を逆手に取った方法であった。
しかし彼は、その立場上、帝国の法と義、その法を天秤に乗せた意見を進言したのであった。
こうして、帝国の法と義を天秤にのせた、正解のない会議は始まった。
正解の無い会議は空転を続けた。当たり前だ、どちらも正しくどちらの意見が正しいも間違っているも言えないのだから。
皆の疲労がピークに達しようとした時、今まで声を上げなかったルナリア様が初めて口を開いた。
「皆様の知恵を貸してください。私は、私を助けてくれた人が住む惑星が、幸福に包まれた星であって欲しいのです」
ルナリア様の言葉は、泣き声に近いものであった。
一見、皇女殿下のワガママに聞こえるかもしれない。しかし、私にはその思いが帝国臣民として皆が同じく抱く理想のように思えた。
方法論から論じられていた会議は、理想とする目的を実現するための会議へと姿を変えた。
ルードヴィヒ・ノクティス帝国皇帝の一声で、会議の方向性が決まる。
「彼の惑星の逸話として聞いた話がある。楽園に住まう男女を、楽園に忍び込んだ蛇が甘言で欺した結果、男女が楽園から追放される話だ」
「その蛇が、我が帝国の政策の影が生み出したものであれば放置はできぬ」
私は、皇帝陛下の体躯が数倍に膨らむような錯覚を覚えた。
こうしてノクティス帝国は、興国以来初めて、義による未成熟惑星への接触を検討し始めた。
アレクシス・フォレスト准将が、おずおずと手を上げ、緊張した面持ちで発言を求めた。
さすがに、皇女近衛艦隊旗艦の艦長といえ、このメンバーの中では発言が難しいのだろう。
「何か案があれば、遠慮せずに述べて欲しい」
私は発言を促す。
「因果関係を逆転させて、時系列を入れ替えれば、ルナリア皇女殿下の名誉も、未成熟惑星の反帝国勢力の対処も可能になるのではと愚考いたします」
「続けよ」
皇帝陛下は興味深げに声をかける。
「未成熟惑星に反帝国勢力があり、その調査に秘密裏にルナリア皇女殿下が出かけたことを最初にするのです」
「それを知った反帝国勢力は、破壊工作を行うも皇女殿下は単身、未成熟惑星で任務を続行」
「明らかな証拠を見つけてご帰還された」
彼は緊張ゆえに、途切れ途切れに考えを述べる。悪くない……
ルナリア皇女は、フォレスト准将の提案に複雑な表情を浮かべた。彼の忠誠心は理解できるが、事実を曲げることに抵抗を感じているのであろう。
「明後日の同じ時間に会議を行う。各自、未成熟惑星への公式な接触を行うための資料をまとめよ」
皇帝陛下の命が下る。
未成熟惑星への反帝国勢力の介入など、皇族以外誰も知らなかったことにすれば良いのだ。
私は帝国の未来を決める嘘を飲み込む覚悟を決めた。