踏み留まる者達
「国会議員の半数を避難させる?」
小野寺外務大臣の提案に思わず聞き返す。
首相官邸に設置された異星人来訪への緊急対策本部。誰もが時間に余裕がない中、皆で意識合わせをしている会議の席で。
「さよう、桜庭総理はご存じないかも知れませんが……」
三宅 義彦法務大臣が、会話に割り込む。父、高照よりも先輩議員、そして父の政敵であった男だ。
「日本国憲法、第五十六条に『両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない』とあります」
出席者の半数が、うんうんとこれ見よがしに頷く。
「この国難の時に、国会を開くことができなくなる愚は犯すべきではありませんな……」そんな呟きも聞こえる。
彼らは何を言っている。異星人との接触は、日本や世界の存亡に関わる可能性があることなのに……
それよりも自分の安全が大事。国民よりも先に安全な場所に避難したい。
その言葉の意味を理解した時、怒りが全身に駆け巡り、体が震え視界が赤く染まった。
私は生まれて初めて、堪忍袋の緒が切れる音を聞いた気がした。しかし、その音は拍手の音で上書きされる。
思わず拍手の主に視線を向ける。強い視線で私を見つめる村上 美香総務大臣がいた。
目が合うとゆっくりと頷く。『気持ちは判るが我慢しなさい』彼女の表情は、友人のそれであった。
この会議の席上で最も信頼を置く藤原防衛大臣に視線を移す。藤原さんも目があうと、静かに頷いた。
私は村上総務大臣に向けて少しだけ手を上げて拍手を止める。
そして、この会議の出席者を見渡す。村上さんが拍手で私の行動を止め、父の盟友であった藤原のおじさんが行動を止めた私を肯定してくれた意味が判る。
この会議には、二種類の出席者が居たのだ。国民のために政治家という高貴な義務を負う覚悟を持った者と、利権という美味しいオマケ付きの政治家という職業を選んだ者と……
私は少しの間、瞳を閉じ天を仰ぐ。ゆっくりと呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。決して、熱くなった目頭から余計な物が零れそうになったからではない。
残りの半数の出席者の力強い視線を思い返す。『この場に覚悟無き者は不要』あの熱い視線は、施政者という高貴な義務を負う覚悟を持った者の視線であった。
これだから、私は腹芸の一つもできないお飾りの総理なんだな……。自嘲という笑みが浮かぶ。
しかし、自分の軸足が覚悟を持った政治家であったことも自覚できた。生まれて初めての堪忍袋の緒が切れる音は、義憤によるものだったのだ。自嘲が止まない。
「小野寺外務大臣、三宅法務大臣の仰るとおりです。至急、各政党の国会議員の半数を東京から離れた場所に避難させてください」
「札幌、大阪、福岡、いずれにせよ、避難先は、国会の運営が可能な会議場を有する都市にしてください」
半数の出席者が笑顔を浮かべる。安堵の笑顔だ。私の中には、怒りとも軽蔑ともつかない感情が沸き起こる。
しかし、日本の総理大臣として伝えなければならないことがある。
「首相官邸の緊急対策本部の機能が停止することがあってはなりません。避難先に避難する前に、この緊急対策本部で引き継ぎを行ってください」
そして、次の言葉を口に出す時、私は余裕の笑みを浮かべていただろう。
「国難の時です。引き継ぎ担当者は、緊急対策本部に留まる覚悟がある方を人選してください。至急、行動を起こしてください」
してやったりとばかりに半数の出席者が席を立つ。誰が席を立ち、誰が席に残ったのかを確認しつつ告げる。
「首相官邸の緊急対策本部が機能している限り、この緊急事態の現場を見聞きするであろう緊急対策本部の判断を優先します。よろしいですね」
会議の席に残った覚悟ある人達からは、割れるような拍手。そして、席を立った者からは弱々しい首肯により、同意が得られた。
席を立った者達の最後の一人が部屋を出てドアが締まる。緊急対策本部に静寂が生まれる。
私は立ち上がり、そしてこの場に残った戦友達に向かって頭を下げる。「ありがとうございます」
「総理、時間がありません。マスコミ対策についての報告をよろしいでしょうか」
村上 美香総務大臣。政治家としての力量は私よりも遙かに上の尊敬すべき女性議員の発言から、会議は再開された。
しかし、その会議は慌ただしい足音と共に開かれたドアによって、中断される。
「異星人からのメッセージに変化がありました。『私達は友好的な異星人です。恩人にお礼を言うために来ました。八日後にお会いしましょう。明日私達は月の周辺に移動します』、明日、異星人の宇宙船団は、月にまで移動します」
再び、緊急対策本部は沈黙に包まれる。異星人との始めての接触に対応するために作られた緊急対策本部であるが、毎日発信されているカウントダウンメッセージ。
これを重圧に感じていない関係者はいない。
それに加えて、明日月の周辺に移動する……。物理的な距離を詰めると言うメッセージ。
会議出席者の顔色も心なしか青ざめたように感じる。胃が痛くなる。
「問題ありません」
そして今回も、村上総務大臣の力強い発言により会議が動き始める。
「マスコミ、地方自治体に対する政府としての対策、指導内容。および、その現状について報告します」
村上さんの落ち着いた力強い声は、会議出席者に勇気と冷静さを取り戻させるには十分であった。
「異星人との接触について、本緊急対策本部は、二つの大前提の元に動いています」
「一つは、異星人との直接的な接触は、八日後に必ず発生するということ」
「もう一つは、異星人は友好的であるという希望的な観測です」
出席者は無言で頷く。そう、この緊急対策本部は、異星人からのメッセージを信頼することにより成り立っているのだ。
「地球との接触が行われるのであれば、異星人の宇宙船が、火星から地球まで移動することは判っていました。この移動の様子をライブで中継する手はずは整っています」
会議の出席者全員に驚愕の表情が浮かぶ。そして、その表情は笑顔に変わり笑い声が漏れる。
「いいですね。詳しく伺いたい」
秋山警察庁長官が質問する。彼もまた、万が一国民がパニックになった時の対応を任された責任者だ。
そう、この会議室に残った勇気ある者達は皆判っているのだ。星を超えてくる異星人に対して、抗う術など何もないことを。
そして、その異星人に対して、日本人として真摯に対応することが己の役割であることを。
村上総務大臣のマスコミ対策は、異星人が友好的であるという大前提に基づいたギャンブルではあった。
しかし、国民のパニックを押さえるという点においては秀逸の案であった。
・今回、地球が異星人と接触できるのは、とある日本人青年のおかげ。
・今回の異星人の来訪は、日本人青年に謝意を伝えるという感謝の表れ。
・史上初の異星人との接触のスクープ映像を撮りたいなら、緊急対策本部の方針を守れ。
・その代わり、緊急対策本部は、透明性の高い情報をリアルタイムで提供する。
今回の異星人宇宙船の火星から月への移動のライブ映像の放送にも、政府からの公式発表として、彼女がオブザーバーとして出演する予定になっていた。
したたかである。私は、未熟なお飾りの総理であることを実感していた。
「桜庭総理、今回の国会議員の避難に関して提案したいことがあります」
村上総務大臣が手を上げる。
「先ほど、総理が言われたように、現場を見聞きするであろう緊急対策本部から発信された情報を優先すべきだと考えます」
頷く私。
「現場の状況を知らない、避難した議員達の発言を報道規制する許可を下さい。異星人との接触までの期間限定で結構です」
少しだけ、政治家として成長した私は答える。
「報道の規制は容認できません。しかし、緊急対策本部から発信される情報は、日本において最重要な情報です。マスコミ各社が、どの情報を報道するかは、各社にお任せしましょう」
笑顔で答える私。
「異星人との接触が成功した場合には、信頼できる報道各社のみに情報を提供する旨も忘れずに連絡してください」
戦友は政治家の笑顔で頷いた。
私は、この会議室に残った本物の政治家に感謝していた。