皇女遭難
突然の爆発音が船内を揺るがし、私の体に衝撃が走る。非常灯が赤く点滅し、耳をつんざくようなアラームが鳴り響く。
「ワープエンジンが爆発しました。艦が崩壊する恐れがあります」
「皇女殿下、避難を」
亜空間航行中の事故。船室にいた近衛騎士は、私の手を引き最寄りの脱出ポッドへ急ぐ。彼女の眉間にはしわが寄り、額には汗が滲んでいた。繋いだ手の震えが、彼女の緊張を物語っている。
断続的に響く爆発音と激しい揺れ。星間宙航艦エクリプスは、致命的なトラブルに囚われつつあった。
「この宙域にある生命維持可能な惑星までワープで避難できます」
私は脱出ポッドに乗り込む。刹那の後、通路が炎に包まれる。近衛騎士は最後の叫び声とともに炎と爆発音に呑み込まれた。心に深い悲しみが広がる。
一人用の脱出ポッドは短いワープ航行の後、軽い揺れとともに通常航行に戻る。目の前には青い惑星が輝いていた。
ディスプレイには、この星系の情報が表示される。見覚えのない惑星だ。
「太陽系、第三惑星。この惑星は帝国との接触が許可されていません」
ポッド内に響くAIの声が、最悪の事態に冷徹なルールを告げる。
「ポッドは惑星上に持ち込めません。地表に転送後、大気圏外で自壊処理を行います」
「現地の小動物にメタモルフォーゼすることを推奨します」
「緊急時なのに、AIは冷静ね……」
不安に震えつつ、青い惑星を見つめる。未知の惑星、未知の生物への変身。生き延びるためには必要だった。
私は深呼吸し、メタモルフォーゼ機能を起動する。小さな動物に変身。淡い光に包まれ地表に転送された。
「寒い……」つぶやいた声が白く変わる。
昨日までに降り積もった雪は歩道脇に高く積もり、街灯の光を柔らかく反射している。
雪の中に毛玉のようなものを見つけた。子猫?
雪に埋もれていた子猫はぐったりしている。冷え切った小さな体。わずかに震える瞼が生きている証だった。
「温めないと」
子猫をマフラーに包み、その小さな体を自分の体温で温める。足元の雪を踏みしめ、急ぎ足でアパートへ向かった。
電気ケトルのお湯を湯たんぽに入れ、バスタオルで包む。その上に子猫を寝かせ、タオルをかける。手のひらでそっと撫でながら、温かさが小さな体に伝わることを祈った。
子猫が湯たんぽの上で静かに眠っているのを確認すると、ふと駅前のスーパーのことが頭に浮かんだ。ペットフードのコーナーには、確か子猫用のミルクがあったはずだ。閉店時間が近いかもしれない。急いで外に出ることにした。
「大丈夫、すぐに戻るからな……」子猫にそっと言い聞かせるようにしながら、部屋を後にした。寒さを防ぐためにしっかりとコートを着込んだまま、ドアを閉める前にもう一度子猫の様子を確認する。湯たんぽの温かさに包まれた子猫の体がわずかに動き、静かな寝息をたて始めたことに少し安心した。
外に出ると、澄み切った星空が広がっていた。冷たい空気が肺にしみ込み、街灯に照らされた雪が一層の静けさを演出している。
「今夜は特に冷えるな……」そうつぶやきながら、星空を見上げて歩いた。スーパーの明かりが見えてきたとき、ほっと胸を撫で下ろした。
スーパーに入ると、温かい空気が一気に体を包み込む。ペットフードのコーナーへ急ぎ足で向かい、目的の子猫用ミルクを手に取った。レジに並びながら、再び子猫の姿が頭に浮かんだ。
買い物を済ませ、急いでアパートへと戻る。駅前のスーパーまでの道のりは短いが、夜の冷え込みが一抹の不安を抱かせる。部屋に戻ると、子猫はまだ意識を取り戻していなかった。小さな体が湯たんぽの温かさに包まれているのを確認し、彼は安心してコートを脱ぎ始めた。
「第七皇女殿下が乗艦していた星間宙航艦が事故で大破。殿下は脱出しましたが、消息不明です」
その報せに、ノクティス帝国の宮殿は騒然となった。対策会議を行う宮殿の会議室は、いつになく重苦しい雰囲気に包まれていた。厚いカーテンが閉ざされた窓からは一筋の光も差し込まず、室内は薄暗かった。
重々しい空気が漂い、誰もが声を潜めていた。私は、この重い空気の中で会議を進行する責任を感じていた。
皇帝の鋭い視線が、集まった高官たち一人ひとりを見渡した。「ルナリアの安否は不明だ」その声には微かな緊張が感じられた。
「申し訳ありません。ルナリア皇女殿下をいまだ発見できておりません」近衛騎士団長の声には、抑えきれない自責の念と焦燥感がにじんでいた。
「帝国軍の捜索隊、遭難宙域の領主艦隊からも発見の報はありません」情報担当の官吏が震える声で答えた。
「時間がない」団長は低くつぶやいた。「皇女殿下が無事である保証はどこにもないのだぞ」
その言葉に、会議室の空気がさらに重くなった。全員が感じていたが、誰も口に出せなかった事実。それが団長の口から放たれた瞬間、皆の顔が一層蒼白になった。
「新たな捜索隊を編成します」側近の一人が声を張り上げた。「全力を尽くして皇女殿下をお救いするのです」
「それができれば苦労はしない」団長の言葉には、苛立ちと無力感が混じっていた。
私は、沈黙が会議室を包むのを感じ取った。その沈黙は、まるで重石のように皆の心にのしかかっていた。誰もが何かを言いたくても言えない状況だった。
「捜索範囲や捜索方法に不備はないのか?」私は皇帝に代わって問いかけた。
法務大臣が口を開いた。「もしや、未成熟惑星に避難された可能性が……」
その言葉に、会議室が一瞬静まり返る。皇帝の眉が僅かに動いた。「未成熟惑星、だと?」
未成熟惑星とは、惑星に住む知的生命体に帝国が影響を及ぼさないように、接触を禁止している惑星。捜索範囲の盲点であった。
法務大臣は頷き、説明を続けた。「亜空間での事故による脱出です。そのため、緊急避難措置として、亜空間出口近くの未成熟惑星に避難することが考えられます」
科学技術長官がその可能性に思い至り、即座に発言した。「未成熟惑星に到着後、脱出ポッドは自動的に自壊するプログラムが組み込まれています。これは、惑星の発展に干渉しないための措置です」
脱出ポッドからの救難信号がいまだ受信できない理由が判り、会議に初めての希望が灯る。
「では、その未成熟惑星への捜索も強化せねばならん」私は決断を口にした。
皇帝は冷静な表情を崩さず、威厳を保って命令を下した。「乗務員の捜索と救助を最優先とする。しかし、法務大臣の示唆した可能性も視野に入れ、未成熟惑星への捜索も強化せよ」
近衛騎士団長は、皇帝の真意を理解しつつ、その命令を受け取った。「了解しました、陛下。近衛艦隊は、該当宙域の未成熟惑星探査に注力します」
「とにかく、手を尽くさなければ」私は騎士団長の言葉に続けた。「皇女殿下をお救いするのだ。それを忘れてはならない」
広間の空気が再び引き締まる。皇帝は表情を変えず、内心では娘の無事を祈り続けていた。その想いを察するのは、そばに立つ皇宮内務長官だけだった。
会議室に再び沈黙が訪れた。しかし、この沈黙は先ほどまでの重苦しい緊張感とは違う。高官たちの目には希望の光が宿り、全員が皇女救出の決意を胸に秘めていた。
「暖かい……」
身体を包む暖かさにまどろみながら、私は意識を取り戻す。
無事に救助されたと安心して周囲を見渡す。目に飛び込んできたのは、見知らぬ部屋の様子だった。帝国の建物や艦船の中ではないようだ。天井から光が射しているが、天井自体が光を放っているわけではない。
「帝国との接触が許可されていない惑星……」脱出ポッドのAIの無機質な声が不意に脳裏をよぎる。
私は身を起こし、自分がどこにいるのかを確かめようとする。だが、次の瞬間、強い不安が胸を締め付けた。もし、ここがその惑星なら、私は捕らえられたことになる。帝国が接触を禁じている未知の人類種に。
遭難の恐怖とは別の恐怖が心を覆う。彼らがどのような存在なのか、何を考えているのか、全く見当もつかない。私は息を潜め、周囲の音に耳を澄ませた。
遠くからかすかに聞こえる足音。誰かが近づいてくる。心臓の鼓動が早まるのを感じながら、私は身を縮めた。
「目を覚ましたのか、よかった」
自動翻訳機は、未知の人類種の言葉を正常に翻訳しているらしい。私が意識を取り戻したことに安堵した様子の声が聞こえる。
小動物にメタモルフォーゼしているため、巨大に感じるが帝国の成人男性と同じくらいの背丈のようだ。
少しの間、私を見つめ優しい笑顔を向けている。
「ちょっと待ってろ。ミルクを温める」
優しそうな声と笑顔で、少しだけ恐怖心が薄れた。