5、アレクセイ
「なあ、レイブンの妹って、まだフランツの事好きなの?」
「ああ」
ならばレイブンの妹にも頼めない。
王太子を好きな女を、マリールーに近づけるのは本末転倒だ。
「いい加減諦めればいいと思うんだが、何なら王宮騎士の試験を受けるんだって明後日の方向に努力してる」
あわよくば王太子付きの近衛騎士になりたいと。
アレクセイは頭を抱えたくなった。
女の近衛騎士なら重用されるのは王妃付きか王太子妃付き。
どちらも王太子との接点はあるだろうが、恋敵の王太子妃を本気で守るとは思えない。
「フランツのどこが好きなんだろう。マジで理解できない」
「血筋とか、見かけは間違いなく良いからな。外面も悪くない」
「で、レイブンはマリールー嬢の事はコロンゾ虫だと思うか?」
そう尋ねられて、レイブンははて、と考える。
「別に。素直で努力家で良い子だし、誰かを陥れようとしたこともないしそんな話も全く聞かない。例の顔合わせの日のフランツのやらかしがあってから世間でマリールー嬢がコロンゾ虫って言われてるけど、実際にはそうじゃないのは俺達が一番わかってるしな」
うんうん、とアレクセイも頷く。
素直に頷けないのは、未熟な己の嫉妬心からだとカイトもわかっている。
悔しいが、不正や不義をよしとしないマリールーの凛とした姿は悪評の対極にある。
「俺は時々思うんだよ。本当にコロンゾ虫なのは、フランツの方じゃないのかって」
あんなに綺麗な子を不躾に辱めておいて、名誉を回復させてやろうという気もない。
かといって婚約を破棄して放遂するわけでもなく、大嫌いだと三下り半を渡すでもなく。
寧ろ、マリールーの方がフランツを嫌って避けているフシもあるくらいだ。
「俺がフランツだったら、あんな良い子を悲しませないのにな」
ボソッと口に出してしまったアレクセイを、レイブンとカイトは息を呑んで見守っていた。
「ああいけない。マリールー嬢が独りで壁の華になっている。今日の主役だというのに」
エスコートをすべき王太子は国王に追い払われてしまっている。
婚約者にも放置されたコロンゾ虫の公爵令嬢とヒソヒソ声も聞こえて来る。
ならば王族の端くれでもある自分が彼女を守らなければと思ったアレクセイは、急ぎ足でマリールーの方に向かって行った。
「なあ、レイブン。アレクってもしかして」
「…言うなカイト。王家への忠誠を疑われるぞ」
口を噤んだが、同じ事を考えているに違いない。
アレクセイは、主君の婚約者に横恋慕している。
見ると、壁際で何やら話していたアレクセイにマリールーがにこりと微笑み、手を取られてエスコートされながらフロアの真ん中に出てきた。
そして軽やかなステップでワルツを踊り出した。
未だ12歳ではあったがアレクセイは背が高い方で、身のこなしも成人前とは思えないほど洗練されていた。
マリールーも花が綻ぶように美しい笑顔をアレクセイに向けていた。
まるで、こちらの方が本物の婚約者同士のようだ。
お似合いの美しい恋人たち。
周囲の貴族たちは息を呑んで彼等を見ていた。
マリールーの笑顔は、フランツの横に居ては見られる事が無かったものだ。
あんなに美しい笑顔を、本当にコロンゾ虫ができるものかしら。
そして次期公爵となる、王太子の従兄弟があんなに優しい微笑みを向けているなんて。
この夜の事はあっという間に貴族の間で噂話として、またその目で見た事として広まった。
公爵令嬢に無礼を働いた男爵親子に続き、王太子までもが王に退席させられ、残った令嬢を次期公爵の王太子の従兄弟が慰めてエスコートし、幸せそうに踊る二人を国王は婚約者として挿げ替えるつもりなのかもしれないと。
数日経ってから、国王はまた頭を抱える事になった。
自分の娘を王太子妃にと売り込みに来る貴族が増えたのだ。
既にマリールーという婚約者が居るのにも関わらずにだ。
「婚約者と愛のない結婚をするのであれば側妃にでも、何なら愛妾でも」
そういったニュアンスの事を異口同音に奏上する。
側妃で良いとか愛妾でもかまわないなんて表向きで、そう遠くない未来に婚約は解消されるだろうと見込んでの事だ。
何より、公爵令嬢が婚約を解消したがっているという話まで聞こえて来るのだ。
愚息のやらかしを思えば仕方のない事だろう。
だけど王家としても放置しておくわけにはいかない。
甥のアレクセイに対しても、不用意に公爵令嬢に近づくなとは言えないでいる。
元はと言えば、王太子が悪い。
四面楚歌の可哀想な公爵令嬢を守って楯になってくれているのだ。
ディケンス公爵家に女児が誕生したと同時に息子と婚約させたのは、他でもなく彼女の血筋によるものだ。
北の帝国皇帝の孫娘となるマリールーを王家の嫁に欲しかった。
息子にはマリールーを大切にしなければいけないと口を酸っぱくして育てたのに、やった事は嫌がらせと彼女の悪評を作り出し、周囲から孤立させた。
これで婚約を解消して放り出したら帝国との関係が悪化するのは免れない。
もしもアレクセイが帝国の皇女を大切に愛しんでくれるのなら、国の為に弟に譲位するか、王太子を甥のアレクセイに挿げ替えるかしかなくなる。
今度こそ、息子の態度をはっきりとさせなければならない。