その後 前編
メディア王国の女王、レファナには気がかりな事がある。
それは結婚初夜以来、夫たる国王の“お渡り”が全くないという事だった。
……嫌われているわけではないと思う。
実際、夫とは政務の場では常に顔を合わせ、話もする。自分達は共にこの国を治める王であり女王なのだから当然だが、真面目な話の合間には世間話だってするし、昔話だってする。家臣達が用意したボードゲームやカードゲームに興じる事もある。仕事が終われば食事だって共にする。そうやって過ごしている時、決して居心地が悪いわけではなく、むしろこの時がずっと続けばいいとすら思えるほどだった。
しかし、肝心の夜の“お渡り”は全くない。
自分達は夫婦だと言うのに、別の部屋でそれぞれの夜を過ごしている。
あるいは、他に女がいるのかと疑ったりもした。王である以上、愛妾の一人や二人いたとしても何ら不思議はない。だが側近のフィオナにそれとなく調べさせても、王の身辺に女の気配を感じとる事は出来なかった。夫はレファナと別れて自室に戻った後も、ひたすら執務に励み、日付が変わった頃にようやく一人で床に就くという。美少年の類を傍に侍らせているという事も無いようであった。
その事自体は、レファナを安堵させたが、
代わりに困惑にも落とし込んだ。
あの人は、異性というものに興味がないのかもしれない。
あるいは、妻たる自分に対する遠慮から他の女を遠ざけざるを得ないが、肝心の自分に女性的魅力に欠ける為に、結果としてあらゆる異性を遠ざける羽目に陥っているのか。
レファナは己の体つきとか、顔立ちに、全く自信を持っていない。
幼い頃から、両親や妹に馬鹿にされて育ってきた弊害ともいえるが、それを差し引いても、自分は平凡以下の外見でしかないと思っていた。
だから夫たるライナルトが自分に興味を示さなかったとしても、
「そうだよね」
と納得するしかないのだ。
そもそも自分達は、互いに惹かれ合って結婚に至ったわけではない。両親や妹の迫害や裏切りに耐えかねて彼の下に逃げ込んで、ヤケクソ気味に結婚を申し込んでみたら、なぜか上手くいってしまっただけ。その場のノリと勢いが功を奏しただけであり、当時の自分達の間に恋愛感情などは全くなかった。そして自分達の婚約を機として状況が激変し、あれよあれよという間に革命が始まって、遂には王様にまで成り上がってしまったのだ。事ここに至って、実は嘘でした、冗談でした、なんて言えるわけもなく、逆に結婚の事実を強化して、現在に至っている……。
表向きは仲の良い夫婦を装いつつも、
実態が伴わない。
しかし、経緯を考えれば、自然な事なのだ。
むしろ、夫婦関係は生じずとも、仕事仲間、あるいは同志として親密な関係を築けている事の方が意外であった。
であれば、この関係を続けていってもよいのではないかとも思う。
下手に深入りして、せっかくの居心地の良い関係を壊してしまっても嫌である。
だが、心の中でそんな結論に至るたび、
――本当にそれでいいの?
誰かが囁くのだ。
いいわけない、と思う一方で、仕方ないじゃないという気持ちが激しく火花を散らしあう。
ある日、そんな不毛な葛藤に耐えかねたレファナは、どうしたらいいかについてフィオナに尋ねてみた。
「そうですね」
するとフィオナも自分の事のように考え込んでくれる。
フィオナとも随分古い付き合いだ。
かつてこの王宮で家族に冷遇されていた時、ほとんどの女官が妹に靡く中、彼女だけがレファナの味方であり続けてくれた。レファナの“逃亡”も彼女が手配してくれたおかげである。ライナルトの下に逃亡した事でレファナの人生が一挙に切り拓かれた事は今更言うまでもないが、間違いなくフィオナは功労者の一人といってよかった。
ライナルト軍がハグマターナ入城を果たした日に、二人は再会を果たし、以来フィオナは女王付の首席秘書官として始終身辺に侍るようになった。まさに側近中の側近である。
「いっそ女王陛下の方から思いのたけをぶちまけてみては如何ですかね」
そのフィオナはあっけらかんとそんな事を言う。
「国王陛下は、私が見たところかなり奥手な御方です。国王陛下も女王陛下とどのように接すればよいのか悩んでおられるのですよ。本来であれば殿方の方が歩み寄るべきですが、それを待っていては、一向に話は進まないでしょう」
「で、でも、それで拒絶されたらどうするの?」
「そんな事にはならないかと」
フィオナはやけに自信満々に言い切った。
「いっそ女王陛下の方から押し倒してみては。案外、国王陛下も乗り気で応えてくれるかもしれません」
「……そ、そんな、はしたない」
「両陛下のもどかしい関係を思えば、多少のはしたなさはむしろ必要ですよ」
「……」
「それに女王陛下。男という生き物は、口ではどんな高尚な事を言っていても、結局は好きな女と一発やりたいのですよ。何もやらせてくれない女には、どれほど情熱的な愛を抱いていたとしても次第に醒めていくものです。
逆に言えば、一発やってしまえば、男なんてチョロいものです。特に女王陛下は基が良いのですから、やる事さえやってしまえば国王陛下の御心もばっちり射止められましょう」
王宮勤めの女官らしからぬフィオナの下品な物言いに、レファナは呆気にとられたように固まってしまっている。
だがフィオナはあえて確信犯的に下品な言葉を発したのだ。そうでも言わなければ、逡巡に憑りつかれたレファナの心を動かす事は出来ないと思ったから。
「それとも、いつまでもウジウジして、かつての如く他の女にとられてしまっても良いのですか?」
かつてとは、想い人であったランベルトを妹に寝取られてしまった時の事を指しているのは言うまでもない。フィオナは当時の事を知る、数少ない女官の一人であった。
そこまで言われてしまっては、さすがのレファナも重い腰を挙げざるを得ない。
好いた男を別の女に寝取られる。
今やあの憎たらしい妹はこの世にいないが、妹の代わりとなり得る者ならばそこらじゅうにいるだろう。
あんな悲しみは、二度と御免だった。
「わかったわ。……私の方から陛下のもとに赴けばいいのね」
「ええ、左様です。手筈は私が整えます」
「……任せるわ」
観念したように、あるいは覚悟を決めたような顔をして首肯するレファナを、フィオナは満足そうに、しかしどこか不安そうに見つめている。
果たしてこの人達は、寝屋を共にしても、そういう事がきちんとできるのだろうか。
いや、結婚式の日に初夜は迎えている。
一度できたのだから、二度目も問題はないだろう。
とりあえず今は、奥手過ぎる彼らの為に準備を進めないといけない。
ライナルト王の秘書官や近侍に話を通せば、彼らも文句は言わないはずだ。彼らもまた、奥手過ぎるライナルト王には手を焼いているはずなのだから。