後編
狂王ライナルトと、不遇の王女レファナの結婚は、瞬く間にメディア王国全土に伝わった。
当然に、ハフタル王は激怒し、ロア妃は呆気にとられ、妹のティアは地団駄を踏んだ。ハフタル王にとっては自分の許可なく娘が結婚するなど面目を潰されたも同然であり、激昂したのも無理からぬ事だった。まして相手があのダリウスの息子ライナルトとなれば、王が心穏やかでいられなかったのも当然である。
一方ティアにとっては、あの姉が幸せになる事自体が許せない。
しかも相手はあのライナルトである。
確かに狂王と揶揄される人物であれば、姉に相応しいという気がしなくもない。とはいえ、ライナルトは王の甥であり、王族における唯一の男系男子である。これまでメディア王国は必ずしも男系男子のみで王統を繫いできたわけではないが、しかし男系男子が尊重される事に変わりはない。やむを得ない場合に限り、男系女子でも構わないとされてきたのである。
ティアとランベルトが婚約し、ランベルトを共同王にするというハフタル王の宣布に対してさほど異議が生じなかったのは、群臣の頭からライナルトの存在が抜け落ちていた事も大きい。またライナルトはあのダリウスの子であり、かつ狂王と言われるほど性格面で問題がある……と見做されている人物でもある。そんな男を王にしたくないという本音も、ライナルトを忘れていた要因の一つと言えた。
だが、レファナと結婚したとなると、話は別である。
群臣は否応なしにライナルトの存在を思い出さざるを得なくなる。
男系男子の王族がいて、しかも現王の第一王女と結婚したというのに、それを無視して第二王女と結婚した非王族の貴族を王に仰ぐのはおかしいという正論が首を擡げてくるのは時間の問題だった。
だからこそティアは、レファナとライナルトの結婚に心穏やかではいられない。
二人が結婚するという一報に触れた時、彼女が地団駄を踏んだのは、姉の幸せを願いたくないという本音とは別に、そんな切実な事情もあったのだ。
間もなくハフタル王は病に倒れた。
そもそも老齢で、身体も強くなかったところへ、娘の裏切りに激昂し過ぎた事が引き金となって、急激に体調が悪化してしまったのだ。
焦ったのはティアと、その“婿”たるランベルトである。
このままいくと、レファナと結ばれたライナルトに王の座を掻っ攫われてしまう恐れがあった。既に群臣の半ば以上の支持はライナルト側に傾きつつある。ライナルトは確かに父殺しの疑いやら、かつての苛めっ子を虐殺した事などから狂王と呼ばれて恐れられているものの、領地においては善政を敷き、実際に大いに繁栄させている事から、あるいは彼が王になった方が今よりマシなのではないか、という輿論が首を擡げてきたからであった。
最悪の事態が生じる前に、事を急ぐ必要がある。
とりわけランベルトにとっては、王の座を得なければ、レファナを踏み台にしてまでティアに近づいた意味がないという思いがある。レファナを裏切って首尾よくティアと婚約できたのに、裏切ったはずのレファナに王位を掻っ攫われてしまうのでは、いい面の皮だ。
ランベルトとティアは、床に臥せっている父王の下に赴き、せっせと譲位を迫るようになった。事ここに至っては父王の勅命という形で強引に事を成す以外に打つ手はなかったのだ。
しかしハフタル王はなかなかしぶとく、床に臥せっていても意識ははっきりしていたから、娘夫婦の厚かましい願いに応じたりはしなかった。あるいは王位を失えば、自分の存在感がなくなって、蔑ろにされる事を恐れたのかもしれない。老いて病に倒れた孤独な王にとって、もはや頼り得るものは王位だけであった。
「こうなっては仕方ない」
いよいよ焦りを深めたランベルトは、王の暗殺を決意した。
かつてライナルトは、病床の父を暗殺したと言うではないか。確たる証拠はなく、噂話に過ぎないが、間違いないというのが専らの世評だった。父殺しのライナルトは、父の地位を奪って、今や王位すらも窺う立場にまで上り詰めてしまった。その顰に倣うのだ。
「で、でも、それはさすがに」
ティアはさすがに尻込みした。殺す相手が実の父だからでもある。
「じゃあどうするんだ。このままレファナに王位を掻っ攫われるのを臍を噛んで見ているのか。それにレファナが女王になったら、俺達は復讐されるんだぞ。あいつの夫になったライナルトは、かつて彼を苛めていた者を根こそぎ血祭りにしたんだ」
「……」
「生き残りたければ殺るしかないんだ。世の中、殺るか、殺られるかだ!」
ランベルトの説得は急激に熱を帯び、遂にはティアの僅かに残った理性をも焼き尽くした。
その日の夜、ティアの手配で王宮に忍び込んだランベルトとその手勢十数人は、ハフタル王の寝所に入り込んで、眠っている王の顔に枕を押し当てて殺してしまった。奇しくも殺し方までライナルトと同じであったが、一応は偶然という事になっている。
翌日、ハフタル王の崩御が公表された。かねてよりの病が急激に悪化して、人知れず息を引き取ったのだという。
だが、そんな大本営発表を頭から信じ込むバカはいない。
少なくとも王は前日夜まで元気だった。確かに歳も歳だから、急激に悪化するという事はあり得るだろう。しかし出来過ぎていた。王の死は速やかに病死と発表され、死因の調査は成されない。しかも王の魂を欠いた身体が未だ温かさを保っているうちに、ランベルトとティアが次の王として即位を宣言したのだ。
何かある、と疑いたくなるのが人情である。
当然、疑惑の目はランベルトとティアの二人に向けられた。
彼らは言う。
「濡れ衣よ」
「あらぬ疑いをかける者は死罪に処すぞ!」
今や彼らは、一応メディア王国の王であり女王だった。
自らに不利な発言をする者を実力で封じ込む事が出来る立場であった。
ランベルトは王国のスパイ組織である王の手を駆使して次々と不穏分子を炙り出して逮捕し、容赦なく粛清していった。そして自らの側近には実家のティアード伯爵家の家臣を登用し、“お友達政治”を露骨に展開していく。
ランベルトが推し進める恐怖政治と情実政治に対して、当然に不満の声が沸き起こる。
それは瞬く間に噴流となって、王国全土を呑み込んでいった。
新政権に対する不満や怒りを引き受ける帆の役割を果たしたのは、北方辺境のデマバンドに拠るライナルト・エッカートであり、その妻たるレファナであった。
機が熟するのを虎視眈々と見守っていた二人は、ここに至りて、改めて宣言した。
「我らこそが真の王である。奴らは先王を弑逆して王位を奪った簒奪者に過ぎぬ。醜悪な簒奪者、裏切者は滅ぼさねばならぬ。大義は我らに在り。真に王国の未来を想い、真に王家に忠節を尽くさんとする者は我らに付け」
その宣言は強烈な波紋となって王国全土に響き渡った。
ライナルトが王となり、レファナが女王になったという事実が伝わると、簒奪者に不満と義憤を募らせていた者達が次々とその下に集まり出した。それを見た貴族達も二人の下に伺候し始め、あたかもオセロのように盤面は一挙に反転していった。
これに対し、“僭王”ランベルトも黙っていたわけではない。
自ら五万余の討伐軍を率いてデマバンドに出撃した。
これに対して“狂王”ライナルトは、自らの下に集まった“反僭王連合軍”三万余騎を率いて迎え撃った。世に言う“狂王と僭王の戦い”はこうして始まったのだ。
両軍はデマバンド領の南境界沿いにあるタルーク平原で激突した。とはいえ、実際には勝負にもならなかった。ランベルト軍は数こそ多くとも最初から浮足立っており、実際にランベルトの号令に応じて戦いに参加した部隊は全体の三割にも満たず、ほとんどは割り当てられた陣地に引き籠って日和見を決め込んだからである。その三割にしても、少し戦って不利と察するやたちまち逃げ腰になり、ライナルト軍の攻勢に耐えようともしなかった。
「死ぬ気で戦え。臆病者どもが!」
ランベルトは本陣で孤独に怒鳴っていたが、
結局は彼も敗勢を察するや、我先にと逃げ出してしまった。
総大将の逃亡を受けて、ランベルト軍の壊滅は決定的になった。既に日和見を決め込んでいた部隊の多くはライナルト軍に寝返るか、陣を引き払って戦場を後にしていた。
難なくタルーク平原の戦いに快勝したライナルト軍は、そのまま王都ハグマターナに進軍する。一方、ハグマターナに逃げ戻ったランベルトと、彼が留守の間、王都を守っていたティアには悲劇が待っていた。
「残念です。女王陛下は命運を察して、自決なされました」
という誤報が王都入城を間近に控えたランベルトの下にもたらされた事が発端である。
「ああ、妻が死んだか」
ランベルトは天を仰ぎ、しばし呆然としていた。
彼とても状況が最悪なのは承知していた。もはやライナルト軍の攻勢を防ぐ事は出来ない。どのみち、今の自分達の未来には破滅の二文字が待っているだけなのだ。
だからティアが死んだと聞かされても、ランベルトは疑わなかった。
むしろ自分も後を追おうと思った。
ライナルト軍に囚われて、悲惨な目に遭うぐらいならばその方がマシだとも思っていた。
こうしてランベルトは自ら毒酒を呷り、瀕死の重体に陥った。
そしてその事は、未だ健在だったティアの下にも伝えられた。
ティアは別に自殺したわけではなく、する気もなかった。ただじっと、夫の帰りを健気に待っていたのである。しかしその夫が死んだという。事ここに至って彼女も死を決意した。夫の死に殉じたいというよりは、あの姉にこの屈辱的な姿を見せたくなかったのだ。姉はじきに大軍を率いて攻め上ってくるだろう。生まれてこの方、自分は常に姉より優れていたのに、その姉に敗れたという現実を受け入れたくなかったという事もあった。
いずれにせよ彼女は毒蛇に首を噛ませて死んでしまった。
呆気ないほど簡単に彼女は死んだ。
ライナルト軍が押し寄せてきたのは、そんな悲劇が生じた翌日の事である。
「妹が死んだの?」
ライナルトと共に全軍を統率する立場にあった女王レファナは、その報告に腰を抜かさんばかりの驚きを示した。あの妹が自ら死を選ぶとは思えなかったという事もあるし、仮に妹が死を選んだのだとしたら、それほどまでにあの妹を追い詰めた今の自分の立場が信じ難かったのだ。
あの日、この世の全てに絶望して従兄弟の下に逃げ込み、半ば以上ヤケクソでいきなり結婚を求めてみた結果が今に繋がっている。そう思うと、人生というのはなかなか面白いものだとレファナは他人事のように思った。
「どうする?」
とライナルトは問うてくる。
どう、と問われても、それこそどう答えればよいのかレファナには分からなかった。
「一応は妹だし、死んだ以上は手厚く弔ってあげたいわ」
いろいろ考えた末に、そう答えると、ライナルトは「そうか」と答えるにとどめた。甘い奴だ、とでも思っているのだろうかとレファナは思った。
一方、もう一人の人物に対しては、レファナも寛大さを示す事はなかった。
毒酒を仰いだランベルトは未だ死んでおらず、重体ながら意識も比較的鮮明であり、ゆえにそのまま二人の御前に連行されてきたのだ。ランベルトは譫言の如く、「助けてくれ」と喚いていた。そしてレファナの姿を視界に捉えるなり、
「レファナ。ああ、愛しきレファナよ。助けてくれ。かつて愛し合った仲だろう」
などと今更のように情に訴えるのだった。
しかしそんな彼を、レファナは冷然と見下ろしている。
「どうする?」
相変わらずライナルトはそんな風に問うたが、
「殺して」
とだけレファナは答えた。
迷いのない声だった。
ランベルトは「待て!」とか「助けてくれ!」「死にたくない」と情けなさを剥き出しにしたような声で、恥も外聞もかなぐり捨てて必死に叫んでいる。
だが、レファナは一度示した意思を取り下げたりはしなかった。
「よいのか?」
「ええ。こいつは私を利用するだけ利用して裏切った。誰よりも許せないわ。しかも私の父を殺した張本人。絶対に許せない」
断言するレファナに、ライナルトはニヤリと不敵に苦笑した。
いかにも“狂王”らしい、見るもおぞましい表情だった。
「よかろう。ではこやつは血祭りに上げよう。いずれにせよ臣下の身で王を殺し、王位を僭称した不逞の輩を許しておく事は出来なかったからな。問題はいかにして殺すかだが、古くからの伝統に応じて八つ裂き刑に処すのが妥当であろうな」
「ええ」
レファナは淡々と頷く。ライナルトは玉座からすっくと立ちあがった。
彼が号令すると、早速待機していた死刑執行官がランベルトの身体を悲鳴ごと死刑台に引きずっていく。既に準備は万端整えられており、ランベルトの身体を装填するのみであった。
こうして僭王ランベルトとその妻たる女王ティアは死んだ。
ライナルト王とレファナ女王は改めて王都ハグマターナの王宮にて盛大な結婚式を挙行し、晴れて正式に夫婦となった。二人は初めてキスを交わし、その夜には慣例に従って男女の仲にもなった。幸せ……であるかどうかはともかく、レファナはこの結末に満足していた。
ちなみにレファナの母であるロアは、かつて彼女を冷遇していた罪により王妃の地位を剥奪され、庶人に墜とされていたが、辛うじて娘の結婚式への参加だけは許され、その後は国外に追放されたと言われている。