前編
昔々、とある異世界にて。
太古の昔より続く歴史と伝統の王国――メディア王国は、“老王”ハフタル二世の治世下にある。ハフタル王は初代のクルス王から数えて三十代目に相当し、その在位は四十年の長きにも及んでいた。
ハフタル王は長く子供に恵まれず、五十を超えて、ようやく第一子に恵まれた。しかし生憎と女児であり、男子の誕生を待ちわびていた両親の落胆はことのほか大きかった。翌年には第二子が生まれるも、やはり女児であったが、こちらは最初より覚悟していた事もあって落胆の度は姉に比べるといささかマシであった。
長女たる第一王女はレファナと、翌年に生まれた第二王女はティアと名付けられた。二人は両親の期待に応えられなかったという点で似通った存在だったが、その後の育ち方は大いに異なった。まずティアは器用の生きた見本みたいな存在で、何をやらせても平均よりは上手くやった。遊びも、勉強も、スポーツも、ダンスも、おめかしも……。一方、レファナは不器用を絵に描いたように何もまともにはこなせなかった。だから父母も、不出来な姉よりも妹に期待を寄せるようになり、期待はやがて偏愛に変じて、姉を冷遇する事に繋がっていった。
「どうして貴女はそんな事も出来ないの?」
母は、事ある毎にそんな事を言って、レファナの心を深く抉り続けた。
「ティアは凄い。これが男子であれば、迷うことなく世継ぎとしたものを。いずれにせよ、姉とは全く出来が異なるなァ。同じ腹の子とは思えん」
父も事ある毎にそんな事を言った。しかも姉たるレファナがいる目の前で。まさしく見せつけるかのごとく。
妹は妹で、父母に感化されたのか、姉に対する敬意など欠片もなく、
「姉上はどうせ何もできないのだから、おとなしく引っ込んで、その辺の掃除でもしていてくださいな」
などと言って、姉を姉とも思わぬ態度で一貫していた。
レファナはもはや何も感じなくなっていた。
そういうものだと思うようになっていたのだ。
所詮自分は妹の引き立て役に過ぎない。
目立たず騒がず、ただひたすらに妹を立て、口を開けば「さすがティアは凄い」「私なんかとは全然違う」などと愛想よく同調していれば、親達は満足してくれる。親達は自分の事等全く興味も抱いていないのだ……と思えば少なからず痛みも覚えるが、馬鹿にされず、怒られもせず、余計な干渉もされないと思えば、いっそ気楽で、有り難いぐらいのものである。
……と思う事にして、レファナはひたすら妹の陰に隠れて静かに暮らす事を心掛けるようになった。
ティアは全てを手に入れる。
玩具だろうと、優秀な家庭教師だろうと、親の愛だろうと、友達だろうと……。彼女は常に優れたものを身に纏い、アクセサリーのようにしてレファナを含む周りの人々にこれ見よがしに見せびらかすのが好きだった。そしてそれは想い人とても例外ではない。
ある時、レファナはとある社交の場で、一人の貴族と出会った。
彼の名はランベルト・ティアード伯爵。
父の跡を継いだばかりの、若き貴公子であった。
見た目は良い。絶世の美男子と言って良い。家柄も悪くない。ただ、元々メディア王国に敵対しながら降伏した国の重臣に端を発するティアード伯爵家は、当然にメディア王国の主流派に属するわけではなく、ランベルト自身、王国の要職に在るわけではなかった。
だからこそ、王家の“非主流派”に属するレファナとは馬が合ったのかもしれない。
「私は君を一目見た時から好きだった」
ランベルトは歯の浮くような台詞を平然と吐き出せる男だった。
「愛している。この世界中の、誰よりも」
一方のレファナは誰よりも愛に飢えていた。何しろ父母に蔑ろにされ、妹に馬鹿にされながら、今までの人生を生きてきたのだ。
「結婚しよう! 君はもう家族の虐めに耐える必要はないんだ。この私の手で必ず幸せにするよ」
だから彼女は、ランベルトの露骨な求愛も特に疑念に思う事無くすんなりと受け入れてしまった。元々、顔が良く、気も利いて、何より誰よりも優しい彼に対して好意らしい感情を抱いていた事も大きい。生まれてからこの方、悪意の中で純粋培養されてきた彼女は、それとは異なる感情に対する免疫を全く持っていなかった。
とはいえ、「はい!」と答えた時のレファナは、少なくともこれまでの人生の中では、最も幸せであった。
「なんか変だわ」
……と、レファナが疑念を抱くようになったのは、それから間もなくの事だった。
レファナが、ランベルトを自分の恋人として父王ハフタルや母后ロアに紹介して以来、ランベルトは事あるごとに王宮にやってくるようになった。確かにレファナと語らったり、愛を交わしたりするのだが、どうも彼女と別れた後も王宮内に留まり続けている形跡があるのだ。
妙な点はそれだけに限らない。
確かにランベルトはレファナの下にやってきて、いろいろ語り合ったりする。たいていが近況報告であったり、愚痴だったり、とりとめのない話だ。愛を交わす事もあるが、ハグやキスに留まり、それ以上先には一向に足を踏み入れようとしないのだ。
別にレファナとてそれ以上先に進みたいわけではない。いや、彼が求めるならば、拒む気はなく、彼の好意の全てを受け入れる覚悟はできている。しかし、彼は全く求めてこず、そのような素振りも見せず、淡々とした会話に終始して、そそくさと逃げるように帰ってしまう。
「あの人は一体王宮で何をしているのかしら?」
と、彼女が疑問を覚えたのも無理からぬ事で、
調べてみようと思い立ったのも当然の成り行きと言うべきであった。
レファナは王宮で冷遇されていると言っても、そこは仮にも王女様である。独断で動かしうる手駒の一つや二つはある。彼女が幼い頃より身辺に仕えてきた女官のフィオナは、この王宮においてレファナが最も信頼を置いている存在だった。だからレファナは、フィオナに白羽の矢を立てたのである。
フィオナは有能だった。
まもなくランベルトの尻尾を掴んで、レファナの下に報告に戻ってきた。
曰く。
「殿下。ランベルト様の件ですが、あのお方は……。まことに申し上げにくいのですが、殿下と別れた後はティア殿下のもとに通っておられます」
「ティアの?」
「はい。夜更け頃にこそこそとティア殿下の御寝所を出て、王宮を離れていく姿を何度となく確認いたしました」
またしてもあの妹!
レファナは怒るよりむしろ呆れてしまった。
ティアは全てを手に入れる。例えレファナの物であっても関係ない。世界の全てが自分の物だと本気で思っているような女なのだ。
「ハハハ。そういうこと。私はダシに使われたってことね」
「……」
フィオナはどう返すべきか困って、無言を保っている。
「全てはティアに近づく為に、あの男は私に接近したのよ。あの男は知っていたんだわ。ティアに近づくには、まず私に近づいた方がいいってね。ティアは私の物を全て奪おうとするから。……そう考えれば、全て合点がいくわ。王宮に招かれるまでの熱烈さと、それ以降の淡泊さ。妙だと思ったのよね。この私の恋路がこんなに上手くいくなんて。フフフ、まんまと利用されていたというわけね」
レファナは不器用で、何をやるにもとろいように見えるが、その実、幼い頃より聡明で、何かにつけて鋭い人物だった。あるいはそれは先天的な素質というより、幼少期から続く壮絶な環境によって育まれた後天的な資質なのかもしれないが、いっそ鈍感愚物であれば、必要以上に傷つく事もないのにとフィオナは思うのである。
何にしても、レファナの推測が正しかった事は、間もなく事実によって証明される。
ハフタル王は文武百官を一堂に集め、その場にてティア王女とランベルトが結婚する事を正式に明らかにした。そして、時が至らばティアは女王となり、ランベルトは共同王として共にこの国を治めるという大事も高らかに宣したのだった。
文武百官の反応は様々だったが、表立って反発の声が現れなかったのは、王の意向である以上従わざるを得ないという常識的判断とは別に、非主流派貴族の領袖であるティアード伯爵家と王家が結びつけば、挙国一致体制を確立する事が出来るという期待もあったからである。何しろ現在のメディア王国は、西より迫りくるロマニア帝国の脅威に晒されていて、伝統的大国としての地位も風前の灯であり、内部で争っている場合ではなかったのだ。早急なる挙国一致体制の確立が求められている中でのこの結婚は、群臣にとっては吉事としか映らなかった。
不満なのは、レファナ一人である。
しかし、今更彼女が何を言ったところで通じない。
国を挙げた祝福の中で、一人絶望のどん底に沈んでいたレファナは、全てを諦め、全てから逃げ出すように、王宮から出奔してしまった。
彼女が向かったのは、メディア王国の最北端に位置するデマバンド山の山麓一帯を治める従兄弟の“狂王”ライナルトの下であった。