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シバの政府の犬と高等専門学校生との二重生活は、成果主義で出席を気にしない校風もあって良好に送れている。
しかし、この国の政府は、大企業たちの間を取り持つ調整役。
その政府の犬たるシバには、企業間の調整作業に伴う色々な任務が舞い込んでくる。
任務の多くは、複数企業が出資した合弁会社に対するもの。
どうしてそういった任務が多いかと言うと、合弁会社に複数企業が関わっていることで、問題が起きた際にどの企業が業務改善を指示したり失敗の責任をとるかが問題になるから。
下手に問題に手を出そうものなら、企業イメージや株価に影響がでてしまう。
そういった危険から逃れるために、合弁会社の始末が政府に依頼されるわけである。
それに、出資しているからには企業はリターンを求めるわけで、ギリギリまで合弁会社を潰そうとはしないことが多い。
つまりシバが請け負う任務の多くが、大爆発寸前の案件になるわけである。
「つい先日、人工肥育の食肉を食ったばっかりなんだけど……」
今日シバが命じられた任務は、制御に失敗した人工生物の駆逐だった。
その人工生物は、食用牛の細胞を元にして作られ、様々な生ごみを食べても毒に当てられたり病気にならない免疫系を持たせ、肉体を切り取っても痛みを感じずにすぐに再生する回復力を与えられた。
思考能力は持たず、ただ与えられる生ごみを食べて体積を増やし、増えた体積は食肉や出汁用の骨として切り取ることで調整する。
飼育が簡単なためオートメーション化し易く、体積が増えるスピードが早いため換金性に優れている。
そういう売り文句で、次世代酪農生物として期待されていた。
しかし製造課程でミスがあったのか、それとも成長する段階で獲得したのか、この人工生物にないはずの思考能力が生えてしまった。その結果、世話をする職員を食料と認識して食べてしまい、肥育施設を飛び出してからは有機物を目につく端から取り込んで成長している。
そうシバに手渡された資料に書かれてあった。
「……いやいや。これは俺向けの任務じゃないだろ。俺は百kg程度しか持ち上げられない、念動力者なんだぞ」
愚痴るシバの視界の先には、広い野原の中で蠢きながら地面の雑草を口へ入れている、巨大な肉塊があった。
その大きさは、野球のドーム会場に入りきらないほどで、体重は百トンは越えていそうだ。
これほどの巨体になると、シバの能力が通じる余地すらない。
「こんな怪獣を相手するなら、ミサイルや砲弾の雨の出番だろ」
シバは愚痴は出しつつも、企業がミサイルや砲弾を都合しない理由を理解はしていた。
この国は資本主義社会であり、価値を生み出すことを至上としている。
そして兵器とは、製造した段階では価値を生み出すが、使用すると兵器自体と狙われた対象物の価値を激減させる特色がある。
例えばミサイルは、サラリーマンの生涯年収以上の値段がするのに、使い切りの兵器だ。しかも使用した効果は、命中した場所に大きな破壊をもたらすだけ。
その多大な価値の損失は、資本主義社会の体現者である企業にとって受け入れがたいものがあるのだろう。
「それでも、俺に仕事が回ってくるのはおかしいだろ」
シバは自分の能力の何を期待されているかを、あの人工生物に投資していた企業から出された資料から読み解こうとする。
その企業の予想では、あの人工生物に思考能力が生まれたのは、身体の中にある骨が理由だ。なぜかというと、骨には神経細胞があり、生物によっては骨の中にある神経瘤が第二の脳として働いているものもある。あの人工生物には脳を作る機能が存在しないからには、骨の中に生まれた神経瘤に思考能力が生まれたとするのが道理である。
予測と仮説になり立った資料だが、シバは自分にどんな期待がされているかの理解の助けになった。
「要は、その神経瘤を壊すために、全身の骨を壊してくれってことだ。そして俺の能力なら、安値でそれが出来ると理解している。そして俺の能力が通じなかったら、俺より上の能力者を出す口実にできるってわけだ」
つまりシバの役割は、あの人工生物を倒せればよしだが、もしだめでも威力偵察の役に立ってもらおうというわけだった。
「そうと分かれば、手早く済ませてしまうか」
シバは野原の上を歩きながら、自身の念動力を使用した。すると、シバの二メートル圏内にある複数の石と小岩が空中に浮いた。
「外野だけあって、拾う弾には困らないからな。一度に拾える限界は、百kgまでだけどな」
シバは念動力をフル稼働させて、持ち上げた石や小岩を山のように大きな人工生物へと投擲した。
全開の念動力による投擲は、石や小岩に砲弾のような速さを与えた。
石や小岩が空気を押し退ける大きな音と共に空中を飛翔し、人工生物へと着弾した。
巨大人工生物は暴走した食肉用個体だ。その肉体に、高速移動してきた石や小岩を受け止める強度はない。
石や小岩が命中した場所が弾け飛び、肉片や骨片が空中や地面に撒き散った。
しかし人工生物は、ドーム型球場ほどの大きさがある。シバが操る重さ百kg未満の石や小岩の砲撃では、巨体の一部を吹き飛ばすことが精一杯だ。
しかも悪い情報がある。人工生物は、地面に散った自身の破片を触手のようなもので集めると、それを自分の口の中へ。栄養補給を行ったことで、シバが負わせた傷が徐々にではあるが再生し始めている。
「これは攻撃の手を休んでいられないな」
シバは野原の中を駆け回って、念動力で少しでも多くの石や小岩を投擲しようと試みる。
しかし、人工生物にもイレギュラーで生まれた考える力がある。攻撃してくるシバのことを排除しようと決めたのか、その巨体を引きずるようにしながらシバに近寄ってくる。
遠目から見る動きは緩慢だが、その巨体さからどれほどの速度で近づいてきているのかが、ぱっと把握し辛い。
それでも普通の人が長距離で走るのと同程度の速さであることは、野原にある設置物を基準にしながら観察すれば分かる。
「チッ。意外と速いな」
シバは巨大人工生物から距離を放すように走りながら、石や小岩を念動力で投擲し続ける。狙いも付けずに数を重視して投擲しているのは、運任せに巨大人工生物の知恵が詰まった神経瘤に当てようとしているからだ。
しかし人間の骨の数が二百六個あることを考慮すると、あの巨大人工生物の巨体を支えるに足る骨の数は無数といっても良いほどにあることだろう。
その大量の骨の中から、神経瘤のある骨に当てるには、余程の運が必要なのは間違いない。
そしてシバは、生まれが孤児で今は政府の犬という、幸運とは言えない星の下の生まれ。
大方の予想通りに、何度石や小岩を放っても、命中させられない。
「だから、俺向けの任務じゃないって言ったんだ! 出し惜しみしないでセカンドプランを出せよ! どうせあるんだろ!」
シバは逃げつつ攻撃しながら、誰に言うともなしに大声を放つ。
その声が届いたのか、援軍は十分後にやってきた。それも空から。
ゴウゴウと音を立てて、一機の輸送機がこの場所に接近してくる。
思わず目を疑うのは、その輸送機の後方数メートルのところに、山を丸ごと引っこ抜いてきたような超巨大な岩が浮かんでいること。
その光景を見て、シバは顔を引きつらせる。
「おい、マジかよ。A級の念動力者を出せるなら、俺は必要なかっただろ!」
シバは愚痴を口にしながら、石や小岩を浮かすことに使っていた念動力を、念動対象を自身にして集中させる。
どうしてそんな事をしているのかと言うと、A級超能力者という存在は全員が大企業の手駒であり、そして企業よりも力のない政府の意向など気にしないからだ。もし政府の手駒であるシバを殺してしまっても、お詫びに幾らかの金を包んで送れば問題が解決すると考えている節がある。
その証拠に、超巨大な大岩が巨大人工生物の真上に来た瞬間に、大岩が空中落下を始める。輸送機に乗ったA級超能力者が、意図的に大岩を支える力を消失させたために。
「隕石落としなんて、何考えてんだよ!」
シバは絶叫しながら、念動力で自分の体を後方へと投げ飛ばした。レースバイクの最高速もかくやと言う速さでぶっ飛ぶことで、どうにか落ちてくる大岩の衝撃範囲から逃れようとする。
そんな努力の最中に、空中から落ちてきた大岩が、その真下にいた巨大人工生物を押しつぶし始めた。
巨大なプレス機に挟まれた人間よろしく、巨大人工生物は大岩の質量と落下速度によって上から潰されていく。
ほんの少しの間、巨大生物は大岩を押し退けようという素振りをしたが、その抵抗も押しつぶされる途中でなくなる。恐らくは、大岩に潰される最中に、思考能力を備えた神経瘤が入る骨が砕けたからだ。
ともあれ、上空から落ちてきた大岩の下敷きになり、巨大人工生物は潰されて沈黙した。
大岩が巨大人工生物に、そして地面に衝突したことで衝撃波が起き、野原の周囲へ突風が吹き荒れた。
シバはその衝撃波が自身に到達するまえに地面に伏せ、どうにかやり過ごそうとした。
やがて突風が止まった後で、シバは地面から立ち上がって周囲を確認する。
上空から落ちてきた大岩の下は、肉片と血の池で沼地と化していて、そこを中心に外へ向かって放射状に草や木が傾いでいる。
そんな環境破壊とも言える結果を目の前にして、シバはA級超能力者の恐ろしさとC級である自分の非力さを再確認したのだった。