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シーリが指定した店に着くと、そこは英国風の居酒屋だった。
重厚な人造木製の扉を取っ手を引いて開き、中に入る。
店内の内装は総人造木製で統一されていて、前時代の特色を強く押し出している。店内の中央部は立ち飲み用のテーブルとカウンターが設置してあり、座って飲むテーブルと椅子は壁際に配置されている。
立ち飲み客は足の長いテーブルに肘をつき、拡張現実上の中空に浮かんでいる映像モニターを見ながら、味の濃そうなツマミとアルコール飲料らしきものを口にしている。映像は他の国で人間が行っているスポーツのライブ映像のようだ。
ちなみにシバやシーリがいるこの資本主義社会の国に、人間が行うプロスポーツは存在しない。
スポーツは健康増進や身体強化に適した運動ではあるものの、価値を生み出さない無産活動とされ、国の根幹たる資本主義にそぐわないと決められた。そのためアマチュア活動は容認されているが、スポーツで金を得るプロ活動は認められていない。
しかし『競技』が全くないかと言うと、そういうわけでもない。
客が座って料理と飲み物を楽しんでいる壁際では、この国でプロ活動として認められている競技が、拡張現実上のモニターに映し出されている。
太い丸太を大鋸でいかに早く切り落とすか。素の木材を鑿と鉋で削ってどれだけ良い建築物を作れるか。限られた材料と時間で指定された形の鍛造ナイフを作れるか。どれだけ早くエンジンを分解洗浄した後に組み直せるか。
そういった競技を見ている客たちは、あの選手の手つきがどうのと難癖をつけたり、ああいうやり方があったかと膝を打ったり、自分が出場していればもっといい成績を出せたと嘯いたりと、楽しんでいる。
どうやらこの店では、腰を据える団体客にゆっくりと過ごさせるために人気の映像を見せ、すぐに立ち去ることが多い個人客には不人気な映像で映像の続きが気になって店をでれないという事態をなくす販売戦略をとっているようだ。
シバは、そういった店内の様子を一巡して見やって、ようやくシーリの姿を見つけた。
シーリは壁際にあるテーブルに着いていて、そのテーブルの上に『予約席』のプレートが拡張現実で踊っている。
「待たせ、ってわけでもなさそうだな」
シバが近寄ってテーブルの上を見やると、色々な料理がテーブル一杯に乗っていた。シーリの取り皿に料理の汚れがあることから、先に一人で食事を楽しんでいたことが伺える。
「遅いじゃない。もうちょっとで、勝手に乾杯するところだったし」
シーリは怒っていると装い、不機嫌さを示すように首を傾ける。肩上に整えた金髪が揺れる姿を見ながら、シバは対面の椅子に腰かける。
「別に先に始めてくれていて良かったんだぞ?」
「あのね。これ、私のお祝い。そちらが、私を、祝うんだけど、そこんところ分かってる?」
「余計なことを言った。お詫び代わりに、さっそく乾杯といこうじゃないか」
シバが自身の目の周りを覆う多目的軍用ゴーグルを用いて拡張現実のインターネットに接続し、店に注文を通す。
すると店内中央のカウンターから無音翅ドローンが飛び上がり、シバの目の前にグラスに入った極彩色の炭酸飲料が置かれた。
その怪しい見た目の飲料を見て、シーリは半目になる。
「それ、見た目がおかしいだけの健康飲料じゃない。この私のお祝いでノンアルコールって、舐めてるの?」
「すきっ腹にアルコールを入れる趣味はない。というか、俺たちにとって脳は商売道具だろうが。脳細胞を殺すアルコールの摂取は控えるべきだろ」
「はいはい。第一期の実験体様は、真面目でいらっしゃることで」
「いまでも俺は、定期的に研究所でデータを取らなきゃいけないんだよ。第四期のシーリと違ってな」
少し言い合いの形になったところで、シバの方から会話を切り上げる身振りをする。
「そんなことよりだ。仕事の一区切り、おめでとう。俺の奢りだから好きなだけ飲み食いすると良い」
「お祝いの言葉、ありがとう。遠慮なく奢られてあげますわ――といっても、あまり体重が増えそうなものは頼めないんだけどねえー」
「任務で俺とのコンビを解消するつもりなら、体重気にせずに食べてもいいんだぞ?」
「ばーか。乙女に体重増えろっていうなんて、デリカシーを疑うわ。それに政府からの任務では、シバは私の命綱だしね。その綱が切れるほどに体重を増やす真似なんて出来ないって」
「ほほう。俺のことを買ってくれているわけか」
「そりゃそうよ。なんたってシバは、個人戦に限っては最強だし、二人組でも危なげなく相棒を守ってくれる、得難い人物だもの」
「俺はC級の念動力者なんだが?」
「念動力が作用できる範囲が、重量なら百kgまで、距離なら二メートルまで。その限界部分が評価の足を引っ張っているってこと、私は知っているんだから」
「そっちの電創力は逆だよな。効果範囲は手元だけで、しかも最高威力がスタンガンと同程度。それだけならE級判定だったが、機械と『会話』できるとわかって、その一点だけでC級に認定されたんだろ?」
「超能力開発の第四期はB級を数多く作ることを目的にしていて、私はその下振れ個体ってことらしいけどね」
「逆に機械会話能力が存在すると知って、五期はほぼ全ての被験者を電創力にされたって噂だけどな」
「そりゃあ、私の能力ってコンピューター機器や電脳世界と相性が良いからね。一企業に一人いれば、業務を大幅に簡略化できるだろうし」
「超能力開発のスポンサーである大企業にとってみたら、無駄な人員を省くチャンスは逃せないってわけだ」
料理を食べつつ、飲み物を飲みつつの会話。
シーリは楽しそうに食事しているが、シバは料理の味の濃さに慣れなくて飲み物で飲み下すことで誤魔化す。
その上でシバは、自身の飲み物の減りよりも、シーリの方の減りが多いことに気付く。
「酒を飲む手が進んでいるな。鬱憤でも溜まっていたのか?」
「そりゃ溜まるってもんだよ。ソフトウェアのコード、他の社員に任せたらバグだらけで、結局私が一から組み直す羽目になったしさー。つーか、とりあえず動けば良いって考えが見え見えで、ゲンナリさせられるんだよ。その考えの果てが、バグや不良動作の元だって分かっているはずなのに!」
よほどソフトウェア開発が難航していたのだろう、シーリの愚痴が止まらなくなっている。
シバは相槌を打つことで、その鬱憤を口から出させることに終始することにした。
それからしばらくして、シーリの酔いが周り、テーブルの上の料理もなくなった。
後は会計して出るだけというところで、店内に悲鳴が上がった。
悲鳴の方を見やると、両手足を無骨な機械と化した男がカウンター内の店員の首を掴んでいた。
「おら! さっさと売り上げ金を寄越せってんだよ! 首の骨を折られてえのか!」
凄んでいる内容からするに、店舗強盗のようだ。
この国では、多くの店が電子決済を採用している。この英国風居酒屋でも、それは同じだ。
だから強盗が店から金を盗もうと思うのなら、店主を脅して電子資金を吐きださせるしか方法はない。
「チッ。最後の最後まで、厄介事に絡まれる日だな」
シバが舌打ちして、食事に使っていたテーブルナイフを手に取る。
テーブルナイフの重さは約40グラム。軽めの対物ライフル弾と同じ重量だ。
これをシバが念動力で打ち出せば、あの強盗の身体には大穴が開くこと請け合いだ。
そうしようとシバが動こうとしたところで、シーリから不機嫌な声が出てきた。
「ああもう、良い気持ちで飲んでいたってのに!」
シーリの身体から、パリッと音と共に稲光が起きた。
直後、店内の照明が明滅し、仮想現実上のモニターの映像にブロックノイズが走る。
そして強盗の様子にも変化が起きた。
唐突に店主を手放すと、その場に座り込み、さらには両手で自分の首を絞め始めたのだ。
「んなっ! 手と足が、思うように動かせねえ。くそっ、止めろ! 止めろおおおぉぉぉ」
ギリギリと音を鳴らしながら、強盗は自分の首を機械の手で締め上げていく。やがて首の骨が折れる音がして、強盗は完全に沈黙した。
傍目からは勝手に自殺した強盗に、居合わせた客は目を丸くしている。
しかしシバは、シーリが自身の超能力を使って強盗の機械の手足をハッキングしてみせたのだと理解した。
「シーリの能力は手元限定じゃなかったのか?」
「手元の端末で店のシステムに入り込んでから、店の情報提供端末を足がかりに強盗の脳に埋め込まれている電脳部品をハッキング。あとは両手足のデバイスプログラムを乗っ取れば、ああなるってわけ」
「……俺の頭の中に電脳機械がないことは、常日頃は不便に感じていたが、今日だけは無くて良かったと思うことにする」
「そういえば、シバって素人間なんだよね。珍しく」
「超能力開発の第一期の、比較対象個体だからな。あらゆる機械的な改造や補助は厳禁とされたからな」
「それは今でも?」
「言わなかったか。今でも研究に協力中なんだ。あっちが俺のデータはもう必用ないと言ってくるまで、こんな補助ゴーグルの世話になるしかない人生だよ」
シバが軍用ゴーグルを指で叩いて示すと、シーリは面白くなさそうな顔になる。
「ちぇー。シバの頭の中に電脳部品が入っていれば、苦労なかったのになー」
「なに恐ろしいこと呟いてやがるんだ、まったく」
強盗のせいで白けた空気を戻すため、もうすこしだけ二人は居酒屋を楽しむことにした。