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シバは、動物の毛と植物の繊維で作られた服を着た姿で、街中を歩く。
化学繊維の服を着ていたときには多少あった、他者からの伺う目が、この服に着替えただけでなくなっている。
この国で任務を行う身としては、他者に感心を抱かれないことは良い事だ。
シバは、着替えるアドバイスをくれたホテルの従業員に感謝しつつ、この国に潜ませている味方の工作員の合流を目指した。
観光客をメインな客層に据えた店舗がある道からはずれ、地元民を顧客にする店が並ぶ道へ。
その道の更に脇道へと向かい、そこにある一件の大衆食堂に足を向ける。
手で取っ手を引いて開けるタイプの扉から中に入ると、多数の客が席の多くを占領している光景が見えた。
どの客も年齢は高めで、友人同士でテーブル席に座っていたり、逆に一人きりでカウンター席に座っていたりするが、その誰もがちょっとした料理を肴に安酒を飲んでいる。
店内の客層からすると、シバは偽造パスポートに書かれた年齢である二十歳にしても若くて浮いて見える。
しかしシバは怖気づくことなく、自分が座れる席を探して視線を左右に巡らせる。
すると食堂の店員らしき、腰にエプロンを巻いた男性が近寄ってきた。
「あんた、見ない顔だな。たまたま寄ったのか、それとも誰かに教えられてか?」
男性の質問に、シバは合言葉として教えられた文言を口にする。
「キャプテン・リズムに教えられた。ここの煮込みは不味いから、焼き物を頼めって言われてな」
シバの言葉を聞いて、男性店員は一瞬だけ顔を強張らせてから、鼻で笑う仕草をした。
「はっ。そのリズムさんってのは、とんだ舌音痴だな。うちのごった煮は一番人気なんだぜ」
店員はシバをカウンター席の一つに案内する。その席はカウンター端の曲がった場所にあり、店の構造上左右に客が座らない場所だった。
シバがその席に座ると、常連客らしき人たちが納得するような雰囲気を醸しだす。おそらく一見の一人客を座らせる席なのだろう。
そんな考察をシバがしていると、先ほどの男性定員がメニュー表を差し出してきた。
「おススメは、やっぱりごった煮だ。だが無理に頼めとはいわねえ。メニュー表を最後まで見て、頼む料理を決めてくれ」
店員はそそくさと、他の客の注文を取りに行ってしまう。
シバはメニュー表を開いて中を見ると、そこには手書きの文字でメニューが書かれている。メニューの中には作るのを止めたらしき料理があり、その料理名は横線で塗りつぶされていた。料金も改訂があったようで、線を引かれた数字の上に新たな数字が書かれている。
シバは、店員に言われたように、メニュー表を一枚ずつ最後まで捲った。
そしてメニュー表の最後のページに、手の内に隠せる程度の小さな紙片が挟まっているのに気付く。
その紙片には、次に行く場所の住所と店名、そして合言葉が書かれていた。
シバは紙片を手の内に握り込むと、店員がおススメだといっていたごった煮を頼んだ。
出てきたのは、トウガラシの辛味とトマトの酸味、そして多種の根野菜の出汁によって、端肉や内臓肉が煮込まれた料理。酒飲み向けの料理らしく、辛味と酸味が強く、端肉や内臓肉の臭みも取り切っていない、荒々しい料理。
この強気な味を押し付ける料理は、味気ない完全栄養食に慣れているシバの口には合わず、架空の存在であるキャプテン・リズムも煮込みを酷評するはずだという感想を抱いたのだった。
シバは指示された店に向かい、さらに新たな店へ向かうという行程を繰り返す。
やがて辿り着いたのは、首都郊外に儲けられた、競走馬の競馬場だった。
入場料を払って中に入ると、馬券を手に熱中する客の姿が見える。
シバは紙片の指示に従って、競馬場にいるブックメーカーの一人に会いにいった。
指定された人物は、使いこまれた鼠色のスーツにハンチング帽を被った三十代の男性で、今まさにゴールに飛び込もうとする競走馬を映すテレビ画面を見つめていた。
シバが声をかけようとする直前、その人物が喝采を上げた。
「よしよし! 俺が予想した通りだったろ! このレースは荒れるってな! 俺を信じずに馬鹿を見たやつは、ご愁傷さまってな!」
大声を上げ続けた所為で壊れた喉特有の、掠れと野太さが混在した、聞き取りにくい声だった。
このブックメーカーが上げた声に、同じテレビ画面を見ていた馬券を握る客の多くが項垂れ、ほんの二・三人の客が大喜びした。
「負けた奴は次のレースの予想しろ! 買ったやつは馬券をあっちで引き換えておけよ。後生大事に持って、はずれ馬券と一緒に捨てちまったら、泣くに泣けねえからなあ!」
ブックメーカーの指示を受けて、客たちが流れ始める。
その人の流れに取り残される形で、シバとブックメーカーは顔を合わせる。
「そんで兄ちゃんは、なにか聞きたいことでもあるってのかい?」
「一発逆転の大穴はないか。競馬以外で」
「あん? 競馬以外でだって? ここは競馬場だぜ? 馬に賭けろよ。二つ後に荒れそうなレースがあるからよ」
「馬の事は分からん。株式の事なら多少わかる。その道で、ヒントをくれないか?」
「馬鹿言え。こっちはチンケなブックメーカーだ。株なんて国際ギャンブルは管轄外だ」
「じゃあ国際試合については? 野球やサッカーなど、五輪競技にある有名どころ以外で」
合言葉を交換し終えたところで、ブックメーカーの表情がスッと抜け落ちると、シバを手招きで呼び寄せてから小声で喋る。
「情報端末はあるか?」
「多機能バイザーなら」
「上々だ。少し貸せ」
シバは紙袋からバイザーを出し、手渡す。
ブックメーカーはバイザーを持つと、一分ほどしてから、シバへと返却する。
「中に入れた、後で見ろ――ってのが狙い目だけど、おススメはしないぜ。なんせ大穴だからな」
後半部をあからさまなほどの大声で放つブックメーカーに、シバは演技で助かったという感じの笑顔を向けた。
「助かった。まあ身代を傾けない程度に、一発逆転を目指してみるさ」
「そいつは良い。ギャンブルなんてのは、余った金でやるもんだ。生活費まで賭けるようになっちゃあ、お終いだからな」
シバはブックメーカーに別れを告げ、競馬場からも出る。
そして競馬場の出入口に待機していたタクシーを拾い、宿泊しているホテルの名を告げて、タクシーを発車させた。
その車内で、シバはバイザーをかけ、ブックメーカーが入れたという情報を見る。
どうやら、あのブックメーカーはシーリと同じく電子機器を操れる超能力を持っているらしく、バイザーの記憶領域に電子ファイルを転送することが出来たようだ。
そのファイルの中身を確認すると、それはこの国が裏で行っている、恐るべき兵器についての情報が書かれていた。
そしてシバの真の任務は、その兵器を破壊し、可能なら研究データも抹消することのようだった。




