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シバは様々な機材が入った箱を手に、マルヘッド高等専門学校に登校した。
その足で、事務の窓口へと向かう。
「おはようございます。クリーンルーム付きの実習室を借りたいんですが、空きはありますか?」
事務員は虚空に目を向けて、事務員のみが見ることができるマルヘッド高等専門学校のサーバーにある情報を確認する。
「はい。いくつか空きが御座いますが、利用目的は?」
「作品の制作に使います」
シバが箱を持ち上げて示すと、事務員は納得の頷きを行った。
「制作物の大きさはどの程度で?」
「四号のSサイズです」
使用するキャンパスの大きさを伝えると、事務員は虚空へ指を二回振る。
「その大きさですと、小さい実習室でも良さそうですね。使用権のパスをお送りします」
事務員がシバへ向かって指を振ると、シバがかけている電子バイザーに実習室の使用を許可する電子パスワードが送付されてきた。
「パスワードの有効期限は本日のみです。閉校時間前に制作を切り上げる際は、こちらの窓口にお伝えください。短い時間でも使用したいという生徒もいらっしゃいますので」
「わかりました。失礼します」
シバは礼儀正しく一礼すると、指定された実習室へと向かった。
実習室は、六畳ほどの大きさの小部屋だった。
部屋の奥には一畳ほどの大きさのクリーンルーム――埃などが入らないようガラスとプラスチックで区切られた場所があり、両壁には作品制作に必要な機材や道具が配置されている。
シバは床に箱を置くと、内容物を一つ取り出し、クリーンルームに備え付けられている掃除機で取り出した物についている埃を吸い取る。そうして綺麗にしてから、クリーンルームのガラスを横滑りさせて開けると、その中へ入れた。
同じ工程を、持ってきた箱の中身全てに行い、クリーンルームを閉じきる。
するとクリーンルームの換気機能が働き、ガラスを開けた際に入り込んでいた微細な塵をフィルターで越し取り、綺麗な空気のみを戻す。
こうして塵一つない綺麗な空気になったクリーンルームの前に、シバは備え付けの椅子を持ってきた。
「座る前に、ちょっとチェックを入れるか」
シバは六畳ほどの実習室の中を、時計回りに一周する。
念動力を発動させて、盗聴器や盗撮機器が部屋に仕掛けられていないかを探しているのだ。
特に怪しい物体はなさそうだと判断して、シバは椅子に座り、クリーンルームと向かい合う。
「人の目がないことが確認できたんだ。ちゃっちゃと制作してしまおう」
シバはふぅっと息を吐いてから、再び念動力を発動する。
クリーンルームの中に収めたうち、四号キャンパスが直立した。
次に粘性のある接着剤の蓋が開き、中の接着剤が生きているスライムかのように持ち上がる。そして、立ったキャンパスに、スライム化した接着剤の触手が伸びてきて、キャンパスの表面に薄っすらと接着剤が塗布されていく。
シバは、バイザーに以前に作成した風景写真を呼び出すと同時に、念動力でクリーンルーム内にある粉にした宝石を詰めた箱の蓋を開ける。
宝石の種類毎に区切った場所に配置してある箱から、写真にある風景と同じ色の粉が浮かび上がり、キャンパスの表面にくっ付いていく。
キャンパスの最上部一列の宝石粉による色付けが終わったら、また次の列に同じ作業を行っていく。
まるでインクジェットプリンターのような作業方法と速さで、キャンパスの上には宝石粉で描く風景が作り上げられていく。
そうして十分も経たずに、一枚の絵が完成した。
しかし完成したものの、シバは少しだけ気に入っていなかった。
これで終了としても評価が得られることは間違いない作品ではあるが、平面的過ぎて面白みに欠ける。
シバは宝石粉の在庫を確認し、上塗りを試みることにした。
上塗りといっても、キャンパスの全てにしたのでは芸がない。
一番遠くの景色である夕焼けの太陽と空は今のままに起き、それ以外の場所を同色で上塗りしていく。
少しだけ厚みが増したが、まだたりないと判断し、今度は手前側の景色にさらなる上塗りを施した。
こうして、三層の厚みのある宝石粉で出来た絵が完成した。
画材が粉であるため、目に見えて厚みが分かるものではない。しかしそれでも、三層で厚塗りした場所と一層で済ませた場所では、存在感の違いがあるように感じられる。
「厚塗りしたのは成功だな」
シバは満足そうに頷くと、絵の仕上げに入る。
宝石粉を少量ずつ絵に付け加えて、ディティールの増強を測る。
そうして、バイザーに映る景色と、キャンパスに描かれた絵に差がないことを確認する。
満足いく出来だと自画自賛すると、接着剤の乾燥を待つため、クリーンルームの換気機能を最大にしてタイマーをかける。待っている時間は暇なので、バイザーをインターネットに接続してニュースや動画の閲覧で時間を潰す。
接着剤が乾燥した後も、シバはキャンパスの絵を保護するため、表面にトップコート剤を念動力で薄く均一に塗りつけ、それが乾燥する時間を待った。
絵の制作よりも乾燥に時間が取られ、都合三時間の実習室の滞在となった。
制作物を先生に提出し、帰路に着こうとしたところで、上司からライブ通信が送られてきた。
これはとても珍しいこと。
シバは脳に生体機械を入れていない。そのため軍用ゴーグルや電子バイザーがないとインターネットに接続できない。つまり、今の世界にしては珍しいほどに、連絡が取れない人物だ。
そういった背景があるため、シバへの連絡は通信ではなくメールで行わる事が殆ど。
ライブ通信を送ってくるときがあるとすれば、それは緊急事態を意味している。
「こちら、コンバット・プルーフ。どうした?」
シバが通信を繋ぐと、バイザー越しの視界に、拡張現実上で映し出された人物が現れる。
その人物は、艶やかな茶髪をボブカットにし、丸顔で目がぱっちりの、ユニセックスなスーツ姿。成人していることは間違いないが、男性か女性化判別できない見た目。
この人物が政府の職員であり、シバの上司なことは間違いない。
だがシバは、この人物と実際にあったことがないため、本当にこの姿で実在しているのか疑っている。
ともあれ、今は緊急事態のようなので、そういった疑問をシバは横に置くことにした。
『コンバット・プルーフ。緊急事態です。マルヘッド高等専門学校が、テロリストに襲われているらしいのです。急いで向かってください。テロリストは殺害して頂いて構いません』
二コリともせずに、堅い口調で言ってくる。
しかし言葉の内容を聞いて、シバは首を傾げる。
「どこの情報だ、それ? 信憑性は?」
『それをお伝えする必要がありますか? 急を要する事態だという認識が足りていないのでは――』
「待て待て。俺は、いまマルヘッド高等専門学校の校内に居るんだ。ゴーグルの景色を送るから、見てくれ」
シバが通信で学校の様子を送ると、上司の声が少しの間止まった。
『――この映像。録画や加工ではありませんね?』
「真っ新なライブ映像だよ。あ、そうだ。通信を繋いだままにしてくれ。いまから事務の窓口に行くところだったら」
シバが窓口に着くと、実習室の世話をしてくれた職員が出てきた。
「実習室に不具合など、ありましたか?」
「いえ。制作が終わったので、実習室を利用権限を返そうかなと」
「えっ。借りてから半日も経ってませんよ?」
「最後の仕上げにクリーンルームが必要だっただけなので」
シバは世話話をしながら利用権限を返却し、そして先ほど出来たばかりの本題を切り出した。
「それでですね。俺の情報通の友達が、この学校がテロリストに襲われているって連絡してきたんですけど、事務員さんは何か知ってます?」
シバが聞くと、事務員は呆気に取られた後に失笑した。
「ぷふ。学校にテロリストですか。パルプフィクションのような話ですね」
「俺も学校が襲われてないって言ったんですけど、間違いない情報筋から襲われているって連絡がきたっていうもので。何かしらの警報が誤作動しているんじゃないかなって」
「ああ、なるほど。もしそういうことがあったのなら、勘違いも起きそうですね」
そんなはずはないけどと、事務員は断じている。
しかしシステムチェックは指振り一つで完了できるもの。
事務員はシバの懸念が払しょくできるのならと、システムチェックを走らせて、急に眉を寄せた。
「……警報自体は作動してませんが、緊急通報のラインにマルウェアの感染が認められました。まったく、誰がこんな悪戯を」
「ちょっと待ってください。そのマルウェアを消すのは、ちょっと待って――って友達が言ってます!」
シバが慌てて職員を止めたところで、どうやらこの事務員に政府の方から通信が来たようだ。
「えっ、あ、はい。はい。そういうことでしたら、チェックしていただいても、はい、はい」
事務員が通話していると、シバの方にも連絡が来た。相手は、シーリだ。
『やっほ、シバ。無理矢理通信に入り込んだけど、簡便ね』
「こっちが通信開くまで待てよ。今回は緊急事態だから多めに見るけどさ」
『はいはい。じゃあシバのゴーグルを経由して、学校のシステムに入り込んで、マルウェアの製作者を解明するからさ、少し待ってて』
シーリはニコニコと笑いながら言うと、ほんの数秒足らずで学校にマルウェアを潜ませた相手を掴んできた。
『取るに足りないハッカーの制作物だけど――あー、これは厄介。私と同じ能力者の風味がある』
「ハッカーじゃないのか?」
『うーん、なんって言ったらいいかな。ハッカーがマルウェアを学校に感染させる際に、誰かが電創力で干渉したような感じ。マルウェア全体の作りは雑なのに、隠蔽能力だけ緻密なプログラムで出来ているんだよねー』
「一応聞いておくが、シーリの手製ってことはないよな?」
『あははっ、まさか。私なら通報に仕込むだけじゃなくて、学校に設置している拡張現実の通信機にも仕込んで、拡張現実では襲われているっていう関じのホログラムを映すようにするよ。その方が、シバのような素人間以外は、大混乱させられるし。ま、やらないけどね』
意外と凶悪なことをさらっと言ってくるシーリに、シバは肩をすくめることしかできなかった。




