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シバの生活は、朝起きたときに行う、超能力向上訓練から始まる。
今日もほんの数グラムの操作重量の増加と、ほんの数mmの操作距離の延長を獲得した。
シバはシャワーを浴びる前に、静的ストレッチと軽い筋肉トレーニングを行うことにした。ストレッチも筋トレも、念動力を使って軽い負荷をかけることで、より効率を上げている。
運動で浮かんだ汗をシャワーで流し終えたら、高等専門学校の課題の制作にとりかかる。
今回も屑宝石を使った作品を作るつもりでいるが、ビーズバッグとは違うものを作る予定にしていた。
シバは拡張現実を見るためのバイザーを目に着けると、バイザーの機能を使ってインターネットに接続する。そして、景色が良い場所の画像を検索した。
ズラズラと検索結果が現れ、その内の一つを選んだ。
その景色は、どこかの島の砂浜で、地平線に沈みかけている夕日を映したものだった。
シバはその島の名前を検索し、検索で見た景色と同じ場所を拡張現実上に投影する。
シバは自室に居ながら、目ではリアルに感じる島の景色を感じることができるようになる。
「昼の景色はあまり良くないな。夕方の景色に変えてみるか」
拡張現実上の景色の時間帯を操作し、明るい昼間から薄暗い夕方に変える。
良い雰囲気の景色になったところで、シバは風景を細かく移していく。検索結果で出た景色を参考にすると著作権に違反しかねないため、場所や構図を変えようと試みているのだ。
シバは視点移動を繰り返し、そしてとある場所から子供の目線で見る風景を気に入った。
視線を下げたことで、島の全てが大きく感じられ、海はより雄大に変わり、水平線に輪郭をつけた太陽もその上に輝く星も一層輝いて見える。
シバはこの景色をスクリーンショットで何枚か保存し、この景色を元に作品を作ることにした。
早速製作に取りかかろうとして、屑宝石の数が心許ないことを思い出した。
「ボクサノリア署長に作ったバッグの分、宝石が減っていたんだった」
シバは頭を掻くと、仕方がないと政府の上司に連絡を入れる。
その上司の親戚が、この国で宝石商の元締めをしている大企業の経営者で、その大企業が屑宝石の入手先なのだ。
そしてシバが政府が抱える厄介事を、シバに割り振られる規定分以上に一つ片付けると、その屑宝石を渡される約束になっている。
シバがお伺いの連絡を入れると、待ってましたとばかりに、新たな任務が送りつけられてきた。
「不正取引を行った、とある大企業所属の営業部長の暗殺か。複数の大企業から罪状証明されているって、どれだけ恨まれているんだ、この人は」
この国は資本主義社会であり、価値の創造こそが至上である。
その資本主義の中において、絶対に許せないとされる項目が幾つかある。
中でも四大と評されるものがあり、窃盗、殺人、放火、そして不正取引だ。
窃盗は物品と金銭の価値交換を阻害するとして、殺人は利益を生む存在を損ねるためとして、放火は価値あるものを損じるためとして、そして不正取引は創造した価値を貶める行いだとして、絶対悪に認定されている。
そういう認識が広がっているからこそ、先日にシバがスパイ――情報の窃盗者だと疑われた際に、問答無用で拘束されそうになったという背景がある。
そんな大悪事のうちの一つを、この営業部長とやらが行ったというのだから、不正取引に巻き込まれた大企業は怒り心頭で殺そうとしても仕方がない。
ちなみに、殺人が忌避されている社会なのに、どうしてシバという政府の犬に殺人依頼が来ているのかというと、その人物が生きて生む利益と発生させる損害を比べて損害の方が大きいと判断されたためだ。価値を生まないどころか、価値を損じさせる人物は、百害あって一利なしだから死んでくれというわけだ。
「あんまり俺の能力は暗殺向きじゃないんだけどな……」
最高の暗殺とは、殺した証拠が死体に残らないものだという。死亡した原因が自然死や突然死だと思われれば、暗殺を疑われることがないからだ。
しかしシバの念動力では、そんな真似はできない。できて、高層階からの飛び降り自殺だと偽装するぐらいだろう。
そんな事実は政府の上司、そして依頼してきた複数企業も分かっているだろう。
暗殺に向かない超能力による暗殺を依頼したということは、標的が誰かに殺されたのだと分かる方法で殺してくれということに他ならない。
「どうしたもんか……」
シバは暗殺対象の詳しいデータを見ることにした。
幾つかの点がクリアできるのなら、暗殺は容易ではあるからだ。
営業部長は会社員だ。そして価値を創造する仕事ではない。
この手の人物の住居は、川の中州に作られた企業支配地域の囲いの中にはなく、会社員区と呼ばれる中州の対岸に広がる街の中にあることが多い。
そのシバの予想は当たっていて、営業部長の住居は会社員区の高級高層マンションの一室にあった。
居場所が判明したのだから早速暗殺に、と言いたいところだが、問題が一つあった。
「家族と同居しているのか。妻が一人に、子供が三人。大企業の部長様なんだから、不正に手を出さなきゃ一生幸せな暮らしを送れただろうに」
映画の中の暗殺者なら、標的とその家族も丸ごと殺してお終いにするところだろう。
しかし、この国では殺人は許されざる悪事の一つだ。そして暗殺依頼は、営業部長『だけ』に出されている。
つまりは、営業部長の妻や子供たちを殺してもいけないということ。
不測の事態で殺してしまっても拙いため、マンションに突入して殺すという手は使えなくなった。
「となると、車での移動中に事を済ませるしかないわけだが……」
その車も問題だ。
大企業の部長級が乗る車だけあり、かなりの防御性を誇っている。衝突時にエアバッグが後部座席まで展開することに始まり、窓は防弾ガラス、車体に防弾プレート内蔵で、タイヤだって防弾ゴム製。エンジンだって市販品の中では最高出力の物が乗っていて、防弾性で重たくなった車体を瞬時に時速百kmへと押し上げる馬力を持っている。
生半な攻撃手段では、車体を貫通させて車内にいる人物を殺害することは、かなり難しい。
では、車から降りてきたところを狙えば良いじゃないかと思うだろうが、そうもいかない。
シバが社会科見学で行った企業を参考にして貰えばわかるだろうが、警備ロボットが山の様にいて外壁にはセントリーガンが等間隔に配置されていたりと、かなり物々しい防衛手段を持っている。そして営業部長が車から降りるのは、その物々しい警戒網に護られた敷地内。
暗殺しようと敷地に入れば蜂の巣だし、敷地の外から暗殺も狙撃可能地点が潰されている可能性が高い。
マンションの中も、道中も、そして企業敷地の中も、暗殺することは難しい。
シバはじっと暗殺方法を考えた後で、溜息を吐きだす。
「シーリに借りは作りたくないんだが……」
シバは任務の多くで相棒として組んだ経験のあるシーリに、この余分な任務の手伝いを打診した。
あくる日。
シバはシーリと会社員区で合流すると、とあるカフェテリアチェーンのカップを手に、車道と歩道を隔てる柵の上に並んで座った。
二人とも会社員区に住む若者といった格好をしているため、朝からデートをしているカップルのように見える。
シバは、新発売だというペアベリーフラベチーノをストローで吸い込み、あまりの甘さに頭痛を覚えたように眉を寄せる。
「甘過ぎだ。身体に悪い味だ」
「シバの完全栄養食だけしか知らない舌じゃ、この甘さからくる幸福感は分からないだろうなー」
シーリはニコニコと、定番だというコーヒーフラペチーノをオプションをマシマシで飲んでいる。
シバが思い出せるだけで、シーリが加えたオプションには甘さを増大させるものが三つは入っていた。その甘さを想像するだけで、シバの舌が甘さで麻痺したように感じられてしまう。
「そんな精製糖の塊を飲んでいいのかよ。体重調整大変だと思うが?」
「たまには甘味を解禁しないと、ストレス太りするんだってば。それに今日はチートデーにしたし」
一日の間は何を飲み食いしても良い日。減量中に体重の減りが停滞した際に行うことで、停滞を突破することができると言われている。
そんなチートデーを組み込んでいるということは、減量が大変なのか。
シバがそんな予想をしていると、シーリに半目を向けられた。
「あのね、シバ。誰のせいで、私が減量に苦しんでいるか分かってる?」
「……一日毎に数グラムずつ、扱える重量を増やしているんだ。そう詰られたくないんだが?」
「私に配慮してくれてありがとう、とでも言って欲しいわけ?」
「オーケー。申し訳なかった。俺の力が未熟なばかりに、シーリの成長を阻害しているようで悪かった」
「棘のある言い方ね。でもシバの扱える重量が増えれば、私の体型もより良くなるって点は覚えておいてよ」
シーリの言葉に、シバは思わずと言った感じで彼女の肉体を観察してしまう。
パッと見で小学生かと思える小さい身体には、女性的な起伏が乏しい。ここから多少太っても、全体的にぷにっとするだけではないのか。
シバが疑念を抱いていると、シーリは自分の起伏がない胸のあたりで腕組みする。
「ここのボリュームだって、体重を増やせるのなら、増すことだって出来るんだから」
「……成長に期待しているってことが?」
「バカね。豊胸注射をするに決まってるでしょ」
「シリコンでも注入するってことか?」
「あのね、知らないの? 乳房内の脂肪増殖を促す信号を発生させる薬剤を注入するのよ。体質によるけど、一度の注射で二サイズは確実に増量されるらしいわ」
話を聞くに、かなり危険そうな薬物だ。
「ちなみに、どこが作っている薬だ? 囲いの中の企業か? それとも囲いの外か?」
「安心しなさい。私が狙っている薬剤は、囲いの中のものだから。外のと比べると、倍近い値段がするけど、安全には変えられないわ」
「外の薬剤だと、やはり危険なのか?」
「危険も危険。囲いの中の企業の試作品の横流しや、科学記号が似ているだけの別物だから、こんなことになった人も居るらしいわ」
シーリが立てた指を横に振ると、シバのかけているバイザーに記事のリンクが現れた。
記事を表示させてみると、薬害問題としてソファークッションのような大きな乳房を写された女性の姿があった。記事によると、一度の豊胸注射の効果が延々と続き、真っ平からソファークッション大までに膨らんでしまったのだという。
「恐ろしいな」
「薬害賠償と、その比類ないほど大きな乳房で癒して稼ぐことで、悠々な生活を送れているみたいだけどね」
雑談を続けていると、シーリの身動きが一瞬だけ止まった。その仕草を見て、シバの表情も真面目なものになる。
「来たか?」
「ええ。高級マンションの駐車場を出た車が、移動ルートに乗っている。ハッキングした監視カメラの映像で、その車に標的が乗っていることは確定しているわ」
「乗っている場所は?」
「後部座席の真ん中。出勤中に資料の確認をするみたい」
「このすぐ傍を通るんでいいんだよな?」
「掴んだ情報によればね」
シバはシーリの言葉を信じて、手にある甘いフラペチーノを半分ほど一気に飲み込んだ。
過剰な糖分が胃から血液に乗って全身を駆け巡る感触を得ながら、シバは自身の脳を念動力を最高に使える状態へと整えていく。
「もうすぐ近くを通るわ。車の時速は六十km。シバの能力範囲を考えるとチャンスは一瞬ね」
「分かってる。どの車だ?」
「いま通りを曲がって、この車道に入ってきた車。あと十秒ほどで、ここを通過するかな」
シバは横目で車を確認する。確かに資料にあった、標的が使用している車に間違いなかった。
あとはシーリの調べた内容を信じて、暗殺を実行するだけだ。
シバは意識を集中し、念動力の影響範囲を展開する。自身の背中側を通り過ぎる、標的外の車を幾つも感じながら、標的の車が来るのを待った。
そして狙いの車――その助手席の真ん中に座る標的が、影響範囲のギリギリに入った瞬間、超能力を発動した。
車の装甲とガラスを通り抜けて出てきた、『ゴギッ』という首の骨る音。
シバは音を聞いた瞬間に柵から腰を上げると、シーリの肩を抱き寄せて歩き出す。あたかも雑談を終えて、別の目的地へ向かって歩くカップルのように。
「標的の生死は?」
「ちょっと待って。異常を感じて、車が路肩に止まったみたい。運転手が慌てた様子で降りてきて、後部座席のドアを開け、標的の様子を見ているみたい。この監視カメラじゃ角度が悪いから、近くの店のカメラに切り替えて――」
説明の途中で、シーリの言葉が途切れた。
「どうした? 問題があったか?」
「問題っていうか、標的の有り様を見て絶句しただけ」
「ああ。確実に殺すため、捻り折ったからな。あまり良い状態じゃないだろ」
「捻ったっていうか、ねじ切った雑巾のような有り様なんだけど?」
「首を折っただけじゃ蘇生されかねないからな。背骨の骨折や内蔵がねじ切れる痛みによる、ショック死を狙ったんだ。死んだものは、この肉体を機械に置き換えられる現代でも、生き返らせることは出来ないからな」
「死者の脳のデータを吸い取ってAIで再現させることはできるけど、それはAIが真似ているだけで本人じゃないって証明されているものね」
シーリが取得する監視カメラの映像から、標的が死亡している可能性が高いと判断して、シバは任務の暫定完了を政府の上司に送った。
標的の死亡確認は、搬送先の病院が行ってくれる。その死亡認定が下されたころこで、この任務は完全に完了となる。
これで課題の制作ができると安堵しつつ、シバはシーリに顔を向ける。
「あとは、シーリへの報酬だな」
「ふふーん。今日一日、デートに付き合ってもらうから」
シーリは喜色満面の笑みでシバの手を握ると、目的地に向かって歩き出した。
高身長の男性と一緒に歩く、嬉しさを全面に出している少女。
この二人を通りがかりに見た人達は、ほぼ一様に、仲が良い兄妹を見やる目つきを送っていた。