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第一話 沙映姫

「これを明日までに仕立てておいて」


 目の前に、どさりと布の山が積み上げられる。わあ、と間抜けな声を上げた沙映(さえ)は、継母からじろりと睨めつけられて口をつぐんだ。

 継母は小さく嘆息すると、おもむろに布の山を指さした。


「まさか出来ないとは言わないだろうね」


 意地の悪い口調でそう尋ねられ、少しの間思案する。昨日持ち込まれた装束の直しは、ほぼ終わっていて、あとは異母姉から持ち込まれたものと……。

 しかしこの量、どう考えても一人で明日までにと言うのは無謀ではないだろうか。寝ずに針を動かしたとて、間に合うかどうか。


(……なんて、考えても仕方ないわ)


 ため息を口の奥で押し殺して首を振る。出来ない、などと答えればどんな目に遭わされるかわかったものではない。ただでさえ食事もろくに貰えずに、薄暗いこの部屋にずっと閉じ込められ、こうして縫い物やらの雑用ばかりを言い付けられているのに。

 お陰で腕も身体もがりがりに痩せてしまっている。年頃の娘だというのに、沙映の身体は小さな子どものようにさえ見えた。。

 だが、ここで反抗したところで、折檻が増えるだけだ。細い指を重ね合わせ、沙映は小さくうなずいた。


「承知しました」

「ふん……お前など、この縫い物の腕もなかったら全くの役立たずなのだから。きちんと早く仕上げなさいよ」


 頭を下げて答えれば、絢子(あやこ)は口をへの字にし、鼻を鳴らして踵を返した。いつまでもこんなところにいるのも嫌だ、とばかりに立ち去ろうとするが、その間際に「明日までだよ」と念を押すのだけは忘れない。だが、いつもなら、もう一言二言くらいは余計な嫌みを言うはずだ。それがなかったのはどうしたのか、とそっと顔を上げて後ろ姿を見送る。


「どうなさったのかしらね、継母上(ははうえ)さま」


 だが、その疑問に答える声はない。それを思い出した沙映が小さくため息をつくのと同時に、おなかの虫が「ぐう」と大きな音を立てた。


(そういえば、昨夜はご飯をいただけなかったのだった……)


 こうしてグズグズしていてはいけない。たった一人残ってくれていた最後の女房も、継母によって連れて行かれてしまったのだ。だから沙映は、自分の面倒は自分で見なければならなかった。

 じわり、と涙がにじみそうになって慌てて衣の袖口で目元を押さえる。その衣も所々すり切れていてみすぼらしい有様だ。

 元は何色だったのか、それすらわからないほど色あせてしまっている単衣。寒い時分だというのにすり切れてぼろぼろのそれしかなく、隙間風が入ってくるので身体が冷えて仕方がない。

 情けなさと口惜しさに、沙映の頭の奥がじんとしびれた。


(母上さま……なぜお亡くなりになってしまったの……?)


 心の中でそう問いかけてみても、答えなどあるはずもない。沙映の母は、もう五年も前に儚くなってしまったのだから。

 沙映の母は、早くに両親を亡くし、寂れた邸に暮らしていた。そこへ物好きにも通ってきて面倒を見ていたのが、沙映の父である中務郷(なかつかさきょう)(みや)だ。しかし、契りを交わして子を孕んだ途端に訪れはめっきり減り、母は一人で子を産み、育てた。

 その母が亡くなった後になってようやく姿を見せた父は、なにがしかの情がわいたのだろうか。沙映を自邸に連れ帰ってくれた。

 本来であれば高貴の姫君として大勢の女房に(かしず)かれる――そんな生活を送っていてもおかしくないはずだ。だが、嫉妬深く狭量な中務郷の宮の北の方、継母の絢子は、自分が面倒を見るからと父宮の手出しを拒み、沙映を日の当たらない薄暗い部屋に押し込めて、こうして雑用ばかりをやらせるのであった。

 だが、ほかに頼るものもない沙映は、黙って絢子に従うしかない。

 ただ、針仕事が苦でないことは、不幸中の幸いといえた。むしろ、心躍る仕事ですらある。

 これほど大量に、しかも急ぎで押しつけられるのでなければ、だが。

 はあ、とため息をついた沙映は、のろのろと手を伸ばすとそっとつややかな生地の表を撫でた。



 そんな風にぼろぼろになるまでこき使われてばかりいたある日のこと。春の陽気になり、いくらか寒さも和らいできた時分のことである。


「お前にいいお話を持ってきてあげましたよ」


 憤懣やるかたないという顔つきでやってきた絢子は、沙映の顔を見るなりそう言った。何事か、と首をかしげた沙映の前には、相変わらず針仕事の山が積んである。

 それらをちらりと横目で見た絢子は、脇によけてある完成品を手に取った。その出来映えに「ふん」と鼻を鳴らしたものの、どうやら及第点ではあるようだ。やり直しを言い付けられなかったことにほっとしつつ、沙映はなんだろうかと首をかしげた。

 そんなぼけっとした沙映の様子を見て、絢子はますます眉をつり上げる。


「全く……どうして実充(さねみつ)さまはこんな話をお引き受けになっていらっしゃったのかしらね……」


 困ったこと、とその衣を抱えると、絢子はつまらなそうな口ぶりでこう告げた。


「お前の縁談がまとまったわ。お相手は陰陽少将おんみょうのしょうしょうさまよ」

「陰陽少将さま……?」


 呆然としながらそう繰り返すと、絢子は呆れたように沙映をみやった。陰陽少将とは、近衛府(このえふ)の少将であり陰陽師である人のことを指している。沙映が知っているのは、その程度のことだった。

 それからぐちぐちと絢子が話すところによれば、元々はこの話は中務郷の宮家の二の姫か三の姫に、と持ち込まれたものであるらしい。だが、二の姫にはすでに通ってきている恋人がいるので嫌だと泣くし、三の姫は陰陽師など恐ろしいと言って嫌がっているのだそうだ。

 だが、恐れ多くも帝からのお声懸かりであるし、断ることも出来ない。そこで、沙映にお鉢が回ってきたのだ。

 確かに、沙映とて父は中務郷の宮。帝の言う「中務郷の宮家の姫君」には当てはまる。


「少将さまとはいえ、陰陽師。物の怪を相手にしたりすると言うし、(やしき)では人でないものを仕えさせていると言うではないの。そんな相手に……」


 かわいい娘はやれない、というわけか。ぶつぶつとまだ繰り言を述べている絢子の姿を見ながら、だけれども、と沙映は心の中で小さくつぶやいた。

(喜んで、どこへなりとも参りましょう……少なくとも、今よりひどい扱いにはならないでしょうしね)

 と。

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