第九十六話 キーホルダー
「いってくるねー」
「「「「いってらっしゃーい」」」」
芹緒がさつきだけを連れて家を出ていくのを、四人の少女たちは手を振って見送ることしか出来なかった。
バタン、と玄関の扉が閉じた後もその場に立ち尽くす彼女たちの顔には、不満と少しの反省が浮かんでいる。
「本当に置いていかれるなんて……。私が優香様を怒らせてしまいました……」
一番落ち込んでいるのは桜子だ。どさくさに紛れて自分の力を使ってしまい、芹緒の機嫌を損ねてしまったのを後悔している。
「そんなことないと思うよ。芹緒さんも一人で羽を伸ばしたかったんじゃないかな。自分のスマホも持っていったし、話の合うさつき連れていったし。気にしないで明るくいこ?」
美琴がそう言って桜子の肩をぽんぽんと叩く。叩かれた桜子は美琴の顔を見上げてはあ、とため息をつく。
「どうしてため息なのよ」
美琴が口を尖らせるが、
「見た目は優香様ですが、やはり違いますわね。……受け取り手である私の気持ちの問題でしょうか」
「それはあるかも」桜子の言葉に姫恋が同意する。「美琴の姿でも優香さん感じるし、逆に優香さんの姿でも美琴を感じちゃうよ。元に戻ったらしばらく混乱しそう」
「優香の機嫌を取る」そう言って葵はすたすたとリビングに戻る。「欲しいと思っていたカードをプレゼントする」
「そうだね。あとは……つつじ!」美琴は葵の言葉に同意するとつつじに声をかける。「カードゲームのパック、準備しておいてね!」
「心得ました」
つつじはそう言って頭を下げる。昨夜の時点でパックどころか箱が入っている段ボール、カートン単位で注文はすでに済ませてある。
「お二人とも、優香様が欲しいと願っていたカードを教えてくださいまし」
「カードイメージだけだからなぁ。言葉では伝えられないよ」
「通販サイトの画像を見まくる」
「私たちが強くなって優香さんの相手するのも、喜んでくれそう! みんな頑張ろ!!」
姫恋の元気な声が廊下に響いた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
一方その頃。
芹緒はさつきの運転で一路九条家を目指していた。
目的地が九条家のため、今まで一人娘の美琴を置いていくことはなかったが、今美琴たちのそばにはさくらがついている。
先日の服部一襲撃事件の教訓を得て、芹緒たちはさらに美琴護衛隊に遠巻きに見守られている。
何かあれば即彼らが動くことだろう。
「芹緒様良かったですねえ、皆さんがカードゲーム遊んでくれて」
「そうだね」芹緒は送迎用リムジンの後ろの席で一人、ゆったりと座りながら返事をする。「みんなにはちゃんと返事はしたいけど……」
「その話はいったんやめましょ」さつきが呑気な声で芹緒がマイナス思考スパイラルに陥りそうになるのを止める。「そのハンドバッグについているキーホルダー、それもカードゲーム関係ですか?」
「ああこれ」芹緒は内心さつきに感謝しつつ、言われたキーホルダーを手に取る。手のひらに乗るサイズの直径三センチほどの丸いフレームに可愛らしいイラストとチェーンがついたキーホルダーだ。「これはカードゲームじゃないよ。僕が昔からやってるMMOのギルドのエンブレムなんだ」
「おしゃれですねえ。運営が用意している既存アイコンとは思えないです」
「このゲームはギルドエンブレムとかオリジナル画像をアップロード出来るからね。昔ギルドマスターがデザインしたものなんだ」
「すごいですねえ。それを審査する運営も大変そうです」
「著作権侵害とかパクリとかありそうだもんね。でもそこら辺だけはしっかりした運営だよ」
「『そこら辺だけ』はですか?」
さつきが笑みを含んだ声で問う。
「『そこら辺だけ』はね」
芹緒も同じトーンで返す。そして二人で笑い合う。
MMOなのだからゲームのバランスに力を入れて欲しいものだが、どうにも力の入れ方を間違っている運営だと常々芹緒は考えている。
ただ芹緒はほぼ無課金で遊んでいるため、天上人たちの不満は他人事に思えてしまう。そして天上人プレイヤーたちもその仕様を理解して大金を注ぎ込み、不安定なバランスの中で有利な状況を作ろうと楽しんでいる。
その分、ユーザー同士の結束は固い。
ギルドエンブレムの件に限らず、このゲームにはさまざまなユーザーフレンドリーな箇所が多々見られる。
芹緒が昨日レアをゲット出来た件もまさにそうだ。本来芹緒のような参加方法でレアが手に入ることはなかなかない。
廃課金者だけでなく、無課金者にも優しい。
廃課金者は課金をすることで強さだけではなく尊敬も集める、一種の別世界感がこのMMOには特に感じられる。
だから現実世界では独りだった芹緒の心を掴んで離さない。
カードゲームで遊ぶ時もあるが、リアルでは対戦相手、つまり人が必要だ。
週末集まるか集まらないかくらいでしか遊ぶことは出来ない。
その点、オンラインゲームであるMMOならば、いつログインしても誰かしら仲間たちが出迎えてくれる。
「今みたいな気持ちの時はこのキーホルダーに助けられるんだ」
そう言って芹緒はギュッとキーホルダーを握りしめる。
美琴になってしまった姿でさえ手のひらに収まる小さなキーホルダー。それが芹緒に心の安寧をもたらしている。
芹緒の言葉に返事をせず、さつきは安心しながら安全運転を心がける。
芹緒は心優しすぎる。怒って当然だというのに怒ってしまった相手を気遣い、そのことに落ち込む。
それから芹緒とさつきは最近楽しみにしている漫画の話で盛り上がりながら九条家に向かうのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「……ごきげんよう芹緒様」
芹緒は車を降りた先、屋敷に入ろうと階段に足を乗せたところで、玄関からメイドたちを引き連れて出てきた紫苑有栖と鉢合わせた。どうやらこれから出かけるようだ。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていたのを瞬時に隠し、芹緒に挨拶する。
「ごきげんよう紫苑様」
芹緒は失礼のないよう、教えられた仕草で有栖に挨拶を返す。
だが有栖は芹緒に顔を向けることはない。
有栖にとって芹緒は美琴と同じ位かそれ以上に生理的に受け付けない存在である。
芹緒と美琴は父親を陥れた(と有栖が勘違いしている)相手。
美琴が中年男性の体に入れられているのは、同じ女としてその悍ましさにまだほんの少し同情の余地がある。
だがよりにもよって男性、それも父親と同じくらいの男性が、年頃の少女の身体に乗り移り、あまつさえその麗しい外見通りに少女として振る舞う様は、中身の元の醜い姿を知っているだけに吐きそうなほど気色が悪い。
有栖から見ても美少女と認めている美琴の身体に穢らわしい中年男性が入っているのだから、有栖には想像するのも悍ましいほどのいやらしい行為をその少女の体に行なっているに違いない、と有栖は信じこんでいる。
そしてこの潔癖さこそが九条道里が彼女に父親の悪行を伝えなかった理由でもある。
そのまま芹緒の横を通り過ぎようとした有栖の視界の端に見慣れたデザインが飛び込んできた。
なぜ『これ』をこんな男が持っている??
この軟禁状態の生活での唯一の癒しとも言える空間を土足で踏み躙られたような怒りと嫌悪がふつふつとわいてくる。
許せない。
「……芹緒様。少しお時間をいただけませんか? 二人きりでお話したいことがありますの」
有栖は激情に駆られるまま、だが愛想笑いを浮かべながら口を開いた。
外から見ればその感情は見えない。有栖とて上流階級の娘。感情を見せないことなぞ造作もない。
驚いたのはさつきだった。
有栖が芹緒や美琴を嫌っているのはさつきはおろか九条家の全ての人間が知るところだ。そして有栖のメイドたちも皆一様に驚いているところを見ると、彼女たちの中でもそれは周知の事実らしい。
そんな有栖が芹緒と一対一で会おうとしている。よくない想像しか浮かばない。
「どれくらいですか?」
「十分もいらないわ」
「わかりました」
「芹緒様」
あっさりと返事をする芹緒にさつきが心なしか緊張した声を出す。だが芹緒はジェスチャーでさつきを宥めると改めて有栖に向き合う。
芹緒は四人の少女たちと過ごして女性と二人きりになることには慣れたようだが、状況を考えて欲しい。さつきは唇を噛みつつ、だが何も言えない。
有栖というゲストを前にして彼女を侮辱することなどメイドたちには許されていない。
「私の部屋でもいいかしら」
「はい」
「芹緒様!」
だがどうしても声が出てしまう。
「芹緒様に何かするわけないでしょう?」緊張した様子のさつきとは逆に余裕の笑みを浮かべて有栖は言葉を続ける。「聞きたいことがあるだけ。ここはあなた方九条家の屋敷。私が何かしたらすぐに皆さんが飛んでくるわ。それともご自分の仲間を信じられないのかしら」
さつきからは有栖の笑顔は獲物を前にした肉食獣のような格下の相手をいたぶるような凄みが見える。
「紫苑様、あまり挑発はしないでいただけませんか?」そう言って芹緒が間に入る。「あとさつきさんも心配しすぎ。十分って言ってるんだから十分経ったら迎えにきたらいいよ。それでよろしいでしょうか紫苑様?」
おそらく芹緒は今朝の一件で自省し、相手の要求を受け入れる気持ちになっているのだろう。だがそれも相手を考えて欲しいものだとさつきはやきもきする。
「ええ。さすが芹緒様は大人でいらっしゃいますわね」
そして有栖は玄関から中へ引き返す。その後ろを慌ててメイドたちが付き従い、さらにその後ろに芹緒と芹緒を守るようにさつきがその手を取り付き従うのだった。
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「失礼いたします」
有栖の部屋は美琴の部屋と比べればこじんまりとした、だが一般人の感覚からすればとても広い一室だった。
四人家族が余裕で過ごせそうな広さ。だがここには人が暮らしている生活感はなかった。
奥に見える扉の向こうが寝室だろうか。
「……その外見に合わせた言動はやめていただける? あなたの姿を知っているから虫唾が走るわ」
室内をきょろきょろと見渡していると早速有栖から言葉のナイフが飛んできた。
だが芹緒としても素の自分でいられるのはありがたい。元の自分の姿が気に入らないと言われるのは当たり前のことだからあまり気にしてはいけない。落ち込んでいい場所は『外』ではない。『自分が安心できる場所』、家だ。
「そのキーホルダー、どこで手に入れたの?」
有栖は即本題に入る。十分どころか一分も経たないうちに芹緒との会話を打ち切りたい様子がありありと伝わる。
芹緒が持っている小さなハンドバッグにはキーホルダーは一つしかついていない。
普段あまり付けてはいないが、たまたま付けた日に限って目ざとい誰かに見つかってしまうとは。
今日はとことんついてない日なのかもしれない。
「ゲームのオフ会で」
だから芹緒は簡潔に答える。芹緒から見ても目の前の有栖という少女の機嫌が分かるほどだったからだ。
「それはなんていうゲーム? いつ?」
そんな有栖の物言いはどこまでも高飛車。だが芹緒は問われるままに矢継ぎ早に飛んでくる質問に淡々と答えていく。
「そのキーホルダー、もう少し近くで見せてもらってもいいかしら?」
いくつもの質問に答えていくうちに有栖の態度が目に見えて変化してきた。
ゴミどころかウジを見るような蔑むような視線はすぐに消え、困惑と戸惑いがその表情に見え隠れしている。
そして有栖の質問から芹緒もまた『もしかして』とモヤモヤが一つの形を形作ろうとしている。
有栖はソファに座らせた芹緒の隣に腰かけ、芹緒が持ち上げたハンドバッグに付けられたキーホルダーを隅から隅まで念入りに見ていく。
そして観念したように芹緒とは反対側に倒れる。その衝撃で有栖の赤いワンピースの裾がふわりと飜るが有栖は気にしない。芹緒も自然に首を反対側に振って視界から外す。
「芹緒様……下のお名前は?」
一分にも満たない沈黙ののち、有栖から決定的な質問がなされる。
「優香。紫苑様の下の名前は……有栖、だよね」
ここまでの問答ですでに答えは出ている。もはや意味をなさない確認。
起き上がった有栖と芹緒はどちらからともなくスマホを取り出すと、いつものMMOにログインする。そして無言でスマホを操作し溜まり場に集まると、互いのスマホの画面を見せ合う。相手が見せてくる画面にはそれぞれ自分のキャラが写っている。
再び沈黙が部屋を支配する。がその静寂はすぐに有栖の悲鳴によって破られた。
「よりにもよってどうしてあなたなの!!!!」
「……」
有栖の悲痛な叫び声に芹緒は言葉を失う。
「何事ですか!?」
どうやら有栖の叫び声が廊下まで響いたらしい。すぐに有栖お付きのメイドたちとさつきが扉を蹴破らんばかりの勢いで雪崩れ込んできた。
「なんでもありませんわ」「……なんでもない」
自分の肩を抱いて俯く有栖と項垂れる芹緒。
やはり二人きりにするんじゃなかったとさつきは後悔するのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「芹緒様、何かお具合が悪いのですか?」
あれから芹緒は玄関に戻り、仮面の女性たちと共に彼女たちの部屋まで来ていた。
だが芹緒の上の空な様子に心配そうな声をかける。
「大丈夫だよ」
芹緒はそう言って自分の言葉で自身を落ち着けようと自制する。
『また後で会いましょう』
有栖からそう言われた。
まさかMMOゲーム内でお世話になっている『アリス』がこんな近くにいるだなんて思いもしなかった。
『アリス』がお金持ちなのは知っていたが、それがすぐさま『紫苑有栖』とは結びつくはずもない。
向こうも芹緒がまさか『ユウカ』だなんて思わなかっただろう。
性別をはっきり伝えているわけではないが、芹緒のゲーム内言動は中性的でどちらかというと女性と間違われるレベルだ。
そんなキャラのプレイヤーがまさか中年男性だとは思ってもいなかっただろう。
ネットで男性が女性と自分を偽るネットオカマ、通称ネカマをするにしては芹緒には十分な下準備も知識もなく、この年齢でネカマなど拗らせにも程がある。
ネカマだと言いふらされるかもしれない。
芹緒は『アリス』ならそんなことはしないと信じているが、ことそれがリアルの人間だと認識してしまうと恐れてしまう。
ネカマだと言いふらされてもゲームプレイに実害はない。せいぜい茶化されるくらいだろう。
だがその『茶化される』こと自体が芹緒には苦痛だ。
芹緒はただネット上で自分がなりたい自分を表現しているだけなのだ。
自分に男らしさを感じたことはなく、来世美少女になりたい男がネットという匿名の世界でどう振る舞うか、振る舞いたいか。
芹緒はネット上で現世を生きるための休憩をしているのだ。
『また後で会いましょう』と言った有栖が何を考えているか分からない。
メイドたちが突入してすぐ二人は引き離されている。その去り際に伝えられた言葉があれだ。
楽しく遊んでいたプレイヤーがリアルで気に入らない人間だった。そのことでまだ言い足りないことがあるのか。芹緒が落ち着けないのも無理はない。漠然とした不安が一番心にくる。
「ふう……。えいっ」
芹緒は掛け声と共に両頬を両手でぱちんと可愛らしい音を立てて叩く。
「「芹緒様っ!?」」
仮面の女性たちが慌てて駆け寄るが、芹緒は笑顔でなんでもないとみんなを安心させるように微笑む。
小さくため息をついて仮面の女性たちは胸を撫で下ろす仕草を見せるが、内心全く安心できていない。
芹緒が本当に中年男性なのかと疑ってしまうほどには、彼は幼い。
知識もあるし肉体年齢はそうなのだろうが、どうにも社会経験の経験値が足りていない気がする。
女性の扱いしかり人とのコミュニケーションしかりだ。
そんな芹緒を咎める人はここにはいない。彼女たちはそんな朴訥な彼を好いている。
上流社会の薄汚れた泥の沼に沈んで欲しくない。
だがそんな思いこそあれ、芹緒と一緒になりたくても一般社会の規範はそれを許さない。
だから葵が企む『芹緒家』勃興計画に乗った。
泥をかぶるのはすでに汚れた自分達がやればいい。彼女たちはすでに決意を固めている。
芹緒は彼女たちが処女だろうが非処女だろうが関係なく愛してくれる。それは信じている。
ただ芹緒が全員を受け入れるまでの壁が高い。高すぎる。
少女たちは近くで、そして仮面をつける女性たちは芹緒を囲む手として。
芹緒を文字通り囲む計画は着々と進みつつあった。
「助けられた私が言うのもおかしいですが、人を助けることよりどうか自身をご慈愛くださいませ」
「ありがとう」
そう言って芹緒が立ち上がる。
だが女性たちは知っている。それでも芹緒は自分の体を顧みることがないことを。
入れ替わっている美琴の身体は大事にしているが、自分自身となると頓着しない言動を何度も見聞きしている。
悔しいが自分達では芹緒という小舟の帰ってくる港にはおろか、繋ぎ止める碇にすらなれない。それもまた忸怩たる思いで自覚している。
芹緒が扉の向こうへ消えていくのを彼女たちはただ黙って頭を下げて見送るのだった。
どうかご無事で。
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