第九十五話 実験結果
「おはよお〜」
ふすまが開いて寝ぼけまなこをこすりながら美琴が起きてきた。
そしてリビングのみんなと挨拶を交わすと
「さくら、芹緒さんをちょっと怖がらせてよ」
と宣った。
「昨日の実験でしたね。……本当にするのですか?」
「でもさくらだって葵の言葉のおかげで服部一の状況が分かったし、それは信じてるでしょ? このままじゃ芹緒さんとみんながキスしただけになっちゃう。まあ私は毎日それでもいいけど」
「さくらさん、お願いします」
美琴の言葉に芹緒もさくらに頭を下げる。さくらはすぐに芹緒の頭を上げさせつつ、念のため確認する。
「私の気迫を真正面から受け止める、それだけですよ。いいですね?」
「私がちびるくらいの気迫を受けたら、私の意思とは無関係に力がピンチだと判断してくれるんじゃないかな……?」
芹緒の覚悟を聞いて、さくらは芹緒の手を引いて布団が畳まれた和室へ移動する。
そしてふすまを閉め、二人きりの空間を作り出す。
さくらは動きやすい黒のジャージ姿だ。これが彼女の寝巻き。
さくらは美琴の親衛隊長を務めており、みんなが寝静まる夜中は起きて警護をしている。芹緒の部屋に来てからは警護の対象が少し変わったがやることは変わらない。
そして彼女は全員が起きたわずかな時間に睡眠を取る。ショートスリーパーにも程がある。
今朝はまだ寝ていない。気配が弛緩するのか、徹夜のハイテンションで鋭いのか……。
対して芹緒はピンクのジャージを着てさくらから三歩ほど離れている。狭い和室ではお互いそれほど距離が取れない。
「では行きますよ」
さくらはそう言うと一度小さく息を吸い。
きぃん
まるで甲高い音が聞こえるほどに空気が軋んだ気がした。
さくらは先ほどと同じように、リラックスして立っているだけだ。ただその視線だけが真っ直ぐに芹緒の目を射抜いている。
「……っ」
その視線だけで芹緒は身じろぎ一つ出来なくなった。指先一つ動かすことが出来ず、まばたきすら出来ない。まるで彫像にでもなったかのようだ。
動けばその瞬間さくらの手が足が伸びてきて芹緒の身体を破壊する。そんな確信を覚えた。
息すら普通に出来ない。心臓の鼓動がばくばくと脈打っている。
それでも動こうとして。
どさっ
気がつくと芹緒はその場にへたり込んでいた。
愕然とした表情、そしてほろりと一筋の涙が大きく見開かれた瞳から溢れ。
「芹緒殿っ!?」
慌てて気迫を解いたさくらだったが遅かった。
ピンク色のジャージの股間を色濃く濡らした芹緒はそのまま横に倒れたのだった。
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気がつくと芹緒は温かいお湯の中でまどろんでいた。
一人で入っているわけではない。自分の身体は誰かの足の間に固定され、頭の後ろには柔らかいふくらみが二つ、いつものように芹緒の頭を優しく包んでいる。
両腕は芹緒の肩に回され、時折優しく芹緒の肌を撫でていく。
「ごめんねさくらさん」
「気がつかれましたか。……芹緒殿すみませんでした」
芹緒が声をかけると申し訳なさそうな声が返ってくる。芹緒を抱きしめる力が強くなる。
「僕がお願いしたんだから気にしないで。あれからどれくらい経ったのかな?」
「まだ十分ほどです」
「言葉にしないと伝わらないと思うから言うね」そして芹緒はさくらの両腕を優しく撫でる。「さくらさん、どんな時も見守ってくれて助けてくれてありがとう。生理のときもすごく嬉しかったよ」
「芹緒殿……」
さくらの声は少し震えている。
「私は初対面のとき芹緒殿に嫌われて当然のことをしました」
「それはもう水に流したでしょ。言いっこなしだよ。あのときも今回もさくらさんは仕事を忠実に実行しただけ。だからさくらさんは頼りになるんだよ」
「はい、ありがとうございます……」
抱きしめる側が慰められるという、不思議な、だが温かい空間はしばらく続いた。
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そして。
改めて新しい真っ白なジャージに袖を通した芹緒とさくらがリビングに戻ると、葵以外がダイニングテーブルに座り、興奮した様子で二人を出迎えた。
「芹緒さん、聞こえたよ」
美琴の簡素な言葉。だがそれは葵の予想を裏付ける一言だった。
芹緒の見たことや感じたこと、思ったことが他人に伝わる力。
この発動条件が解明されたのだ。
これが常に発動出来れば芹緒の身の安全はより一層高まる。
「でも美琴さん起きてたよね??」
「私が起きてる間も芹緒さんの思考とか聞こえてきたよ。寝てるのは関係ないのかな? それとも私と芹緒さんだからかなぁ?」
そう言って美琴が流し目で芹緒を見るが、元の自分の姿の流し目に気分が下がることはあっても上がることは断じてない。
「それじゃあ寝るのが関係あるのかないのかは葵次第かな」
「そうですわね。私は聞こえて来ませんでした」
桜子が肩を落とす。
美琴と条件に違いはない。それこそ美琴が言ったように『美琴だから』なのかどうかは同条件の葵次第だ。次行うとしたら桜子は芹緒のピンチの時に寝ている必要があるだろう。
「でも僕の考えてることもだだ漏れなのは……」
芹緒が苦笑する。
美琴が喋った内容は、先ほど芹緒が和室で体験し感じ思ったことだった。
そして、力が使えない姫恋には伝わらなかったようだ。
「私も自由に力使えるようになりたいなあ!!」
「私もずっと思ってる」
地団駄を踏みそうなほど悔しがる姫恋と、生まれてからずっと力を扱う訓練を行なって来たのに自分の意思で力を使えたことがない美琴。
「美琴は優香さんの考えてること伝わるんでしょお? いいなあ」
「プライバシーの侵害になりかねないからね。姫恋さんはそのままでいて」
「そう? じゃあいいや!」
芹緒の言葉に機嫌を直した姫恋が芹緒に抱きついてくる。その勢いに押されながらも芹緒は優しく姫恋を抱き止める。
「女の子同士、芹緒さんが好きなJCだから抱きしめてもらえるのいいなぁ」
美琴が芹緒に抱きついて癒しの表情を浮かべている姫恋を見ながら口を尖らせる。
「語弊がありすぎる」
「でも事実でしょ?」
「さて、ジョギング行こうか」
よほどの心構えがないと中年男性を、しかも自分の体を抱きしめるという勇気が出ない芹緒はそう提案したのだった。
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「おかえり、バッチリ見えた」
ジョギングから帰ってきた芹緒たちを寝ぼけた様子の葵が出迎えてそう伝える。
「彼女の殺気、お風呂のおっぱい枕、姫恋の抱き心地、全部伝わった」
「さくら?」
「芹緒殿と一緒にお風呂に入るとどうしても身体の小さい芹緒殿を後ろから抱きしめる形になるではありませんか。その際芹緒殿がゆったりと入れるよう私の身体にもたれかかると胸に頭が当たるだけです」
さくらが理路整然と美琴に言い訳をするが、早口なのとその言葉の多さが逆に怪しく感じてしまう。
「美琴様、さくらだけじゃないです。私やつつじもしてますから」
「……芹緒さんに甘すぎない? 私あなたたちとお風呂に入ることすらもうなかったと思うのだけど?」
「美琴様は早いうちからご自身で一人で入りたいとおっしゃっておりましたから。それに芹緒様は甘やかすと可愛いんですよねえ」
「むー。それはそうだけどお」
「優香さんやっぱりおっきいおっぱい好きなんだねえ。私の抱き心地は私が優香さんを抱きしめるのと同じかな?」
姫恋がにまにまと芹緒の顔を覗き込む。
「優香、裏切り者」
桜子の家のお風呂で芹緒に慰められた葵にとって、芹緒の正直すぎる感想は裏切りと感じたらしい。
「内心の自由は守りたいよ」
「優香様」そんな中、桜子が芹緒に正対して話しかけた。「私たちのこと愛してますか?」
「!?」
「!!」
芹緒が驚き、葵がすぐに芹緒を見る。
芹緒はすぐさま葵を押し退けると自室に入り、鍵をかけた。
「あっ逃げた!」
「そりゃあ逃げますよ……。心筒抜け状態で桜子様と葵様の力を受けるのは辛いでしょう」
扉の向こうからさつきのフォローが聞こえてくる。
だが耳と心を塞いだ芹緒には聞こえない。
とにかく心の中でカードゲームのことを考える。すぐに思考が切り替わって欲しいカードや作りたいデッキの構想で頭がいっぱいになる。
桜子と葵の力は視界に収めていないと発揮されない。これは本人たちが言っていたのを聞いたことがある。
だが芹緒の伝達の力は制限なしだ。
紫苑鷹秋の事件の際も芹緒と葵たち、美琴とかなり距離が離れていたにも関わらず、芹緒の伝達の力は働いていた。
だから自分で自分を騙すしかない。
ジョギング帰りの汗をかいた状態のまま、芹緒は自室に一時間以上立て篭もったのだった。
そして。だから。
「お風呂は一人で入る。今日は一人で行くね」
しばらくの間籠城した芹緒は開城する条件としてそんな条件を彼女たちに飲ませたのだった。
「申し訳ございませんでした」「ごめんなさい」
そっと扉を開けると頭を下げている桜子と葵。
「人の心を覗くのはプライバシー違反だよ」
「はい……」「はい」
芹緒は大きなため息をつくと頭を下げている二人の頭をぽんぽんと叩いて謝罪を受け入れる。そして両腕を広げて二人を抱きしめる。スキンシップは大事だ。
「いつかちゃんと答え出すから、それまで待ってて、ね?」
「優香様はいけずです」「わかった」
芹緒は知らない。
無我夢中で頭を一杯にしたカードの数々が姫恋以外の少女たちに伝わり、プレゼントされてしまうのはまた別のお話。
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