第九十四話 リビングでの語らい
「幻滅なさいましたか?」
美琴がトイレから戻り、ふすまを閉めて数分後。
ようやく空いた浴室にさつきとさくらが行き、芹緒とつつじはリビングのダイニングテーブルで飲み物を飲んでいた。
「ううん、僕だって思春期の頃は、ね?」苦笑しながら芹緒は口をホットミルクで湿らせると続ける。「みんな女の子にしては性に対してオープンだな、とは思うかな」
「そうですね。私もお嬢様がいたすところを見るのはなかったので、少し驚きです。やはり同年代の集団生活で暴走しているところもあるのでしょう」つつじはお茶をすする。「お目当ての男性と最後まで行ければ話は早いのでしょうけど、今はそういう訳にもいかないですから」
そう言って意味深げに芹緒に視線を送る。
「元に戻ってもそういうことが解消する訳ではないですよ」
視線を感じつつもそれを見ず、ただ芹緒はつつじに念押しする。
「愛されているとは感じませんか?」
「過ぎた愛情は感じますよ」
芹緒の返答はやはり自信なさげだ。
テレビもついていないリビングに穏やかで少しだけいたたまれない沈黙が流れる。
「芹緒様は元に戻ったらどうされたいのですか?」
芹緒の呼吸に合わせるようにつつじが言葉を紡ぐ。その言葉はすうっと芹緒の腑に落ちる。
「まずはみんながどう反応するか、だよね。美琴さんの外見、美琴さんが入った私の体と、私の精神が入った私の体じゃ、やっぱり違うと思う」つつじが黙って促すので芹緒は続ける。「幸い、本当に幸い、僕は九条家から生きるに困らないお金を頂いてる。だからこれでいろんな借金とかの補填をして、あとはしたいことをするための資金にするかな」
「したいことの中には、皆さんと一緒になる未来はないのですか?」
「……」芹緒は黙ったままつつじをにらむような申し訳ないような目で見る。「僕は美琴さんや桜子さん、葵さんや姫恋さんとは釣り合わないよ。それはわかってるでしょ?」
「はい」つつじの返答は簡潔だ。「ですがそれはあくまで外部の判断です。芹緒様はどうしたいのですか?」
「僕は……」芹緒は視線を外し、俯いて言い淀む。「もう十分子どもみたいな夢は叶ったかなって」
「……」
「来世女の子になりたいだなんて荒唐無稽な戯言が、本当になったんだよ。これ以上は望めないよ」
芹緒の少し早口な言い訳めいた言葉が、つつじの耳には少し耳障りだった。
「上がりました」「つつじお待たせ〜」
何か言おうとしたつつじより早くリビングのドアが開き、バスタオルを一枚巻いただけのさつきとさくらがリビングに入ってきた。
つつじは一息つくと、二人のために飲み物を準備するために立ち上がり、芹緒は髪の長いさつきの髪を乾かすために立ち上がる。
どちらも意識してではない。無意識での行動である。
「〜♩」
芹緒に髪を乾かしてもらってごきげんなさつき。温和な笑みをたたえながらドライヤーを器用に扱い、てきぱきと髪を乾かしていく芹緒。
芹緒は自分を異物だと思っているようだが、少なくとも美琴の姿をした芹緒は誰も違和感を覚えるところがないくらい馴染んでいる。
どちらかというと芹緒の体で女仕草をする美琴の方が違和感がある。
だから二人が元に戻れば違和感なんてない、ただの日常になるとつつじは飲み物を入れながら考える。
つつじやさつきですら、元の姿と精神の芹緒とは会ったことがない。
桜子や葵、姫恋は尚更だ。
さくらは会ったことこそあるが、当時の芹緒のことを美琴を襲った暴漢だと勘違いして殴り倒している。
「……」
こう考えると芹緒の常識と思い込みで凝り固まった考えを溶かすことが出来るのは、素の芹緒と会った美琴しかいないのだろう。
結婚とか突拍子もない話はともかく、芹緒と自分たちをつなぐキーマンは美琴しかいない。
「それではお風呂いただきますね」
つつじは頭を軽く振って雑念を追い払うと、リビングから出ていくのだった。
「芹緒様ありがとうございました!」
さつきの髪を乾かし終え、さくらの髪を乾かすための準備に後ろを向いた芹緒の背に、さつきがバスタオルをはだけて勢いよく抱きつく。
「っ!?」
芹緒は背中に当たるふくよかな柔らかさにすぐさま反応するとさくらを盾にして逃げる。
「さつき?」
椅子に座っていたさくらはさつきの方を見て、すっぽんぽんの彼女を見て露骨にため息をつく。
「発情したのならトイレへ」
「芹緒様を慰めたいの!!」
「けっこうです」
さくらと芹緒の冷たい反応に、さつきは口を尖らせながらも落ちたバスタオルを拾い、リビングの隅に置いてあるボストンバッグに近づくと着替えを取り出し、着替えていく。
ただの裸よりも下着を着たりブラを付けて胸の肉を押し込んだりといった『普段異性に見せない何気ない日常シーン』に恥じらいを覚えて、芹緒はすぐに視線を外してさくらの髪を乾かし始める。
自分の着替えに芹緒が反応したとさつきが知ったら面倒なことこの上ない。
「どんな性癖でも誰も何も言いませんよ?」
ドライヤーをかけているのにさくらの声がしっかりと芹緒の耳に入ってくる。おそらくさくらの無駄に高い技能のうちの一つだろう。
「そういうのじゃないから」
「ですが」さくらはなおも続ける。「先ほどのさつきの行動はともかく、あんな見える場所で着替えているさつきが悪いのです。今見ずに犯罪に走るくらいなら見れるものは見ておいたほうがいいのでは?」
「違うから」
「ああ」さくらは合点がいったように頷く。「見られたくないものを見たい、という心境でしょうか。ですがそれは少し犯罪ちっくですね。同意がないものは」
「違うってば!」
芹緒はドライヤーをかけつつ大きな大きなため息をつく。
美琴たち少女は上流社会の子女で常識が一般人である芹緒と違うところがあるが、それに仕えるさくらたちメイドも十分一般常識から外れているようだ。
「さくらさんは一般常識の方面から僕を叱ってもいいんだよ」
「現在の芹緒殿は仕えるべき主人ですので。主人の希望欲望の矛先がメイドで済むのなら越したことはありません」
「普通にしてもらえることが僕の望みだよ」
「今さら他人行儀もできませんし。それに私は普通にしているつもりですよ」
「じゃあそそのかすのはやめようね。男は常に理性と戦ってるんだよ」
「その理性と戦う場面はここではないということです。お嬢様方ならともかく、私たちで発散出来るのでしたら。ほら、いつぞやのコスプレ撮影会のように」
「う」
さくらの言葉に芹緒は詰まってしまう。確かにあれは芹緒の悪ノリだった。最終的につつじもさくらも楽しんでくれたが、三人ではだかになって一緒にコスプレ衣装に着替えるなど、今考えると顔が赤くなる。
「こういうのお好きですよね」
不意に聞こえてきたさつきの声に、芹緒はつい振り向いてしまう。そしてすぐさま顔を背ける。
そこにいたのはメイド服に身を包みつつ、だが胸はほうり出し、たくし上げたロングスカートに晒された下腹部は下着を履いていないという、エロイラストにありがちな格好をしたさつきだった。
芹緒は力なくドライヤーを持つ手を下ろすと、首を横に振る。
きらいじゃない、きらいじゃないが。
「やっぱり三次元はダメですか?」
芹緒の様子にさつきが追い打ちをかけてくる。
芹緒はどうにか動くと視線をさつきの顔から下に向かないようにして近付いてドライヤーを渡すと、
「おやすみなさい」
そう言ってリビングを出た。
芹緒がリビングから出ていくと、さつきは肩をすくめてスカートから手を離し、いそいそとブラウスのボタンをしめていく。
そんなさつきの姿をさくらは怪訝そうな目で見るがさつきは挫けない。
そのまま芹緒に手渡されたドライヤーでさくらの髪を乾かし始める。
「私たちにお手付きでもつながりは出来るんですけどねえ」
「フォローはしましたがさつきのやり方は突拍子もなさすぎます」
「やっぱり脱毛してつるつるがいいんでしょうか。でも芹緒様のストライクな年齢は下でしょうし……。さくら、あなた十六だし全身脱毛してみない?」
「黙りなさい」
芹緒が聞けばどっちもどっちな立場だが、とりあえずさくらがさつきの言葉を止める。
「芹緒殿を繋ぎ止めるのに私たちでは役不足だと思います」
もちろんだからといってお嬢様方を使うなんて不敬なことは考えていない。
彼女たちが自分たちを使ってつなぎ止めようと考えているだなんてことも気付いていない。
「もっと芹緒殿の今までの人生にあった身近で、芹緒殿が生きる希望になるようなものを見つけなければ」
そしてそれは決して酒池肉林ではないのだろう。
芹緒が部屋に戻ると、すでに姫恋も桜子も葵も寝息を立てて寝入っていた。
そうだね、一人えっちは疲れるもんねー。
すやすやと眠る少女たちを見てそんなことを考えながら(間違ってはない)、芹緒はベッドに乗ると葵の横に身体を横たえた。
昨夜からみんなの頭がピンクになっている気がする。この空気に飲み込まれたら元に戻ってからも自分も彼女たちも暴走しそうだ。
芹緒は小さくため息をつくと目を閉じた。
幸運なことに芹緒はすぐ夢の世界へ旅立った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
次の日の朝。
芹緒はぱちっと目を開け寝転んだまま寝ぼけた頭で見渡そうとして、葵の寝顔のドアップに驚いた。
身じろぎこそしてしまったが声も上げず大きく動かなかったのは、他人と一緒に寝ることに慣れてしまったからだろうか。
葵は寝相も悪ければなかなか起きない。
そっと葵の身体を自分の上からどかす。温かい体温が葵のパジャマの上から芹緒の手のひらに伝わる。
本当に不思議な感覚だ。
つい二週間前までただ一人孤独に生きていたというのに、今では少女たちと集団生活はおろかベッドを共にするのが当たり前になってしまっている。
桜子もまだすやすやと寝ている。姫恋はやはり毛布やかけ布団を蹴飛ばし、桜子の布団に侵入している。
芹緒は苦笑するとそのまま姫恋の上に毛布やかけ布団をかけ直し、踏まないように足を動かして部屋を出た。
「おはようございます芹緒殿」
「おはようさくらさん」
いつものようにさくらが芹緒の部屋の前の廊下で行儀正しく正座していた。
芹緒を守るためだけではなく、桜子や葵、姫恋もいるのでさくらからすれば当然と言えば当然の行動なのだろう。
そしてリビングに顔を出すと
「おはようございます芹緒様」「おはようございます芹緒様♩」
つつじとさつきが挨拶してくれた。
「おはようつつじさんさつきさん」
芹緒も挨拶を返すと、そのまま踵を返してトイレへ。そして洗面台に行って顔を洗う。
「……」
水に濡れた顔をあげれば鏡に映るのは目鼻立ちの整った、どこから見ても美少女の顔。
この顔を見るたびに芹緒の気持ちは引き締まる。
美琴さんに返すまで大切にしないと。
そして誰もいない洗面台で芹緒は顔の手入れをしていく。
これが自分の顔だったらたとえ美少女になったとしてもここまでしないだろう。
誰かの大切な身体だからこそ、芹緒は面倒なこともいやな顔せず出来る。
パジャマを脱ぎ、寝汗に濡れる下着を脱ぎ、ジョギング用の下着に着替える。
寝る時は形が崩れないようにする機能のブラ、そしてジョギングの時は激しい揺れでも支えることの出来るブラ、と使い分けている。そしてそれに合わせて下も履く。
寝る時、運動する時、そして生理時以外は特に決まりがないので、なんでも着ていいのだが、なんでも着ていいという自由は芹緒にとっては不自由極まりない。
好みの下着を着たが最後、メイドたちや少女たちに揶揄われるのは目に見えている。
そしてもちろん数多ある下着の中から芹緒の好みの下着なんてそうそう見つからない。
芹緒の人生には『ファッション雑誌を見る』という行動はないのだ。
そもそも少女ものの下着を着ているという事実を再認識するだけで恥ずかしくてドキドキする。
ピンクのジャージを手に取り着ていく。着終わって姿見に自身の姿を映す。
金髪の少女がピンクのジャージを着てこちらを覗き込んでいる。
あまりにも可愛らしい。
そっと鏡の中の自分に触れようとして、芹緒は我に返り、洗面台を出る。
リビングに戻ると、つつじとさつきが食事の用意をしていた。
「昨夜は遅かったのに芹緒様は早いですね」
つつじの声に芹緒は肩をすくめるだけで答えた。
正直昨夜のこと、少女たちの痴態やさつきの行動は思い出したくない。
芹緒にとって素直に驚くことは、彼女たちはそんな自分たちの行動をそこまで恥じていないことだ。男性である自分ですら恥ずかしいと思うのに。上流階級の女性たちは奔放なのだろうか??
「芹緒様、ホットミルクです」
「ありがとう」
「おはよー!!」
「おはようございます」
ホットミルクをちびちび飲んでいると、姫恋の元気な声と桜子の少し眠そうな声がリビングに入ってきた。入ってきたのは声だけで、本人はリビングに入ってこないところを見るとまず洗面台に向かったのだろう。
芹緒は子どもの頃からまず起きてる家族に挨拶する習慣がついていたが、やはり女性は家族や身内であっても洗っていない顔を見せるのは恥ずかしいのだろうか?
そうさつきに話すと、さつきは何を今さらといった感じで
「好きな人には可愛い自分を見て欲しいなんて当たり前じゃないですかー」
と返されてしまった。
言われてみれば理解出来る。理解出来ないのは好意の対象が自分ということ。
今日もまだ芹緒の夢は覚めていないらしい。
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