第九十三話 天真爛漫な少女たち
「それではおやすみなさい」
「おやすみなさい」
「はい、お二人ともおやすみなさいませ」
「「おやすみなさいませ」
芹緒と葵がおやすみの挨拶をつつじたちと交わし、リビングを出ていく。
残されたつつじ、さつき、さくらはお互いに顔を見合わせる。
「あれほどいやがっていた芹緒様から、美琴様にキスをするなんて……」
「芹緒様真っ赤でしたねえ、可愛い」
「美琴様も嬉しそうでした。……まあお二人の仲を進めるわけにはいかないのですが」
つつじの驚きの言葉、さつきのにんまりと嬉しそうな顔、そして喜びつつも複雑そうなさくら。
九条家のメイドとして、美琴だけが輪に入れないのは切ない。だから芹緒の心づかいには感謝している。
だが物事には限度というものがある。
さくらから今朝も芹緒は美琴と抱き合って二人だけの空間を作り出していたという報告もあった。
芹緒と美琴の距離が近くなることは歓迎だが、適切な距離を保ってほしいつつじとさくら、そしてくっついちゃえ!なさつきに別れる。
つつじとさくらにしても、さつきが前言った『芹緒様より紫苑鷹秋みたいな男を優先するの?』という問いには答えに窮してしまう。
九条家としては後継ぎである美琴が力ある男性と結ばれるのは大前提。
だが力があり良識もある上流男性は大抵結婚している。そして力があり良識がない上流男性すら結婚や婚約者がいる。
上流階級のこの世代、どういうわけか男性が極端に少ないのだ。
それでも家督を継がない女性なら一般男性と結婚したり妾や第二婦人として身を寄せる術がある。
美琴や桜子は幼少の頃から許嫁がいた。
葵はすでに許嫁が決まっている姉がいるため、それほど催促されていない。
姫恋の家の中川家はまず姉の結婚相手を探すところから始まっているため、姫恋にはまだ誰もいない。
今頃姫恋の父親は上流社会の未婚男性の少なさと、未婚男性の質の悪さに頭を抱えていることだろう。
美琴の相手については、これからどこかの上流家庭に生まれてくる男児に期待するという考え方もあるが、今の美琴にとってそれは芹緒への恋心を止める理由にはならない。むしろ逆効果だろう。
「結局なるようにしかならないんですよ」
知ったような口ぶりをするさつきに、つつじとさくらは大きなため息で返す。
そしてさくらはダイニングテーブルの椅子から立ち上がると、部屋の隅に置いてある五つの箱を愛おしそうに見つめた。
「芹緒殿も美琴様たちも、芹緒殿が楽しめることで楽しんでいただけて本当によかったです」
「私が買いました。どやぁ」
「それについてはさすがです、さつき。また買い足した方がよろしいですね」
「そうですねえ。いきなり全部渡すのではなく、少しずつ小出しに渡すのが良さそうです」
そう言ってさつきはスマホを取り出しネットからカードショップサイトを探すとそこで箱を買い足していく。
「あーこれがさっき芹緒様が言ってた高いカードですねえ。カード一枚に数千万円とか、もはや美術品ですね」
「芹緒殿の今の資産であれば自分で買えますね」
「そうですね」
芹緒の口座には、九条家から芹緒が一生働かなくてもよいほどの金額が振り込まれている。
二人の入れ替わりは美琴が芹緒を巻き込んだものだ。その賠償だ。
「このお金を遠慮なく使えるくらいの心の余裕、生まれて欲しいですねえ」
「そうですね」
「ああ」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
芹緒の部屋をそっと開けると、すでに姫恋と桜子はベッドの傍らに敷かれた布団で寝ていた。
まだ三十分ほどしか経っていないのに姫恋は寝相悪く、うつ伏せになって手足を投げ出し、かけられた毛布も布団もあっちこっちにやっていた。
桜子は自分用の毛布と布団にくるまって姿勢正しく寝入っている。
「熱いのかな?」
「姫恋体温高そう」
春とは言えまだまだ冷え込む季節だ。桜子も姫恋に布団やら掛け直したのだろうが、このままでは姫恋が風邪をひいてしまう。
芹緒がすごい寝相の姫恋にそっと毛布や布団をかけ直していると、不意に姫恋の目がパチクリと開いた。
「わっ!?」
芹緒が驚いて仰け反ると、そのまま姫恋は上半身を起こす。そして
「寝る前にキスなんかしたら寝れるわけないでしょ!!!」
姫恋は赤い顔で小さく、だが通る声でそう叫ぶ。
「そうですわ」
寝た姿勢のまま桜子も目を開けて同意する。
「今までのキスはどちらかというと流れと勢いでしておりましたわ。でも先ほどは……。優香様とはもうお互いを慰め合った仲ですのに先ほどのキスでドキドキいたしましたわ」
桜子は顔色こそ変わっていないがすすすと掛け布団で口元を隠す。
和室ではなんてことはない風に立ち去った二人だが、布団に潜り込んで先ほどの衆人環視のキスに悶々としていたようだ。
「二人ともまだまだ乙女」
「まだ中学生だからね……」
葵の言葉に芹緒が当たり前のツッコミをする。
過激な言動が目立つが、彼女たちはまだ中学生。花も恥じらう正真正銘の乙女である。
普段の積極的な言動と、正反対の乙女な顔。このどちらも少女たちなのだろう。
衝動に突き動かされ行動する彼女たちは、芹緒にとって眩しい。まさに青春時代、思春期。
「美琴とのキス、優香からした」
そして葵が先ほど見た光景を二人に暴露し、キャー!とどこから出ているか分からない黄色い声が芹緒の部屋に小さく響く。え、姫恋さんと桜子さんの二人だけだよね??
「優香さんやるなあ。美琴喜んだでしょ?」
「もちろん。あれは濡れてる」
「葵。今の美琴様なら『勃起している』ですわ」
「ごめん、間違えた」
「違う、そういうことじゃない……」
芹緒が力なく訂正するが、起き出した姫恋と桜子を交えた少女たちのおしゃべりは止まらない。
少女とはいえ『女三人よれば姦しい』、まさにその通りだった。
「あ、葵さん。その……」
しばらくして、遠慮がちな芹緒の声に葵が反応する。
葵とキスがしたいから声をかけた訳ではない。計画していたことが計画通りに進まないのが芹緒にとっては困るのだ。
「私はどっち? してくれる?」
そうして芹緒と共にベッドに座り込んだ葵が唇を舌で舐める。唾液で濡れた唇が艶っぽく薄く光を反射する。
「アタシも次からは優香さんにしてもらおっと」
「私もですわ。自分からしてもこんなに気持ちが昂るのに、優香様からしていただけたらどうなるのか……」
「今日は私のターン」
葵がそう言い、言外に芹緒からのキスを求める。
葵は可愛い女の子だ。先ほどの美琴のような男性、それも中年男性にするという心理的抵抗はない。
だがそれとは別の、自分がしていいのかという心理的抵抗が芹緒の中に芽生えている。
「優香……」
葵はそう言って芹緒に近付くと顔を寄せ、目を閉じる。唇は閉じられ、芹緒を待っている。
傍らでは姫恋と桜子が固唾を飲んで見守っている。
葵がここまでしてくれたというのにキス出来なければ男じゃない。葵の勇気に応えるべきだ。
「ん……っ」
「「!!!!!」」
芹緒が顔を近付け葵の唇に自分のそれを合わせると、端の二人から声にならない悲鳴が上がる。
芹緒のキスは唇と唇をくっつけただけのフレンチキスだったが、葵は舌を出して芹緒の唇や唇の間をねっとりと舐め回し、芹緒を誘う。
観念した芹緒が唇を開き舌を出すが、その葵の舌はひらりと引っ込んでしまう。
『自分から来て』
葵からの明確なメッセージに、ここまで勇気を出した芹緒は勢いそのままに葵の口内に舌を差し入れる。
待ってましたとばかりに葵が口内で芹緒の舌を出迎え舌を絡ませてくる。
「んっ」
どちらのものともつかない息継ぎが静かになった芹緒の部屋にやけに大きく聞こえる。
まるで二人の舌が鳴らす水音まで聞こえてきそうだ。
いつの間にか葵が芹緒の顔を両手で押さえ、鼻が当たらないよう顔を傾けながらキスに没入する。
「ぷはっ……はあっ」
たっぷり三分は経っただろうか。
三分間キスを交わし合った二人は唇をようやく離す。その間に粘性の強い唾液の橋がかかる。
「優香ありがと」
頬を赤らめ瞳を潤ませた葵の言葉に、同じく瞳を潤ませた芹緒が真っ赤な顔でこくこくと頷く。
「……はしたないのは承知ですが、トイレで少し気分を鎮めてまいりますわね……。姫恋様もされるのでしたら浴室でお願いいたしますわ」
「優香さん一緒に行こ?」
「ダメ。今日優香は私のもの」
「むう」
姫恋は唇を尖らせると芹緒の前まで来てその顔を正面に見つつ、手をギュッと握ってきた。
「……うん、これでする」
「お願いだから黙ってして……」
少女たちの堂々とした一人えっち宣言に、芹緒は顔を両手で覆ってそうこぼす。
「じゃあ私は優香と」
「しません」
葵と二人っきりになった芹緒の部屋で葵がそう言ってくるが、芹緒は毅然と返す。
「優香は発情してないの?」
「聞かないで」
下腹部がもやもやして切ない。これが女の発情の兆しだと芹緒はもう知っている。
だが昨日の今日でしてばかりはいられない。思春期の少年だった芹緒はそれこそサルのように一人えっちに明け暮れていたが、今は少女だ。少女はそんなにしないはず。そう芹緒は漫画で得た知識で知っている。
「女の子だって人間だもの。えっちな気分にもなるしオナニーだって普通にするよ」
「言わないで」
分かっている。芹緒の知識は所詮少女幻想に囚われた固定概念だ。本物の少女たちがどうかなんて知らないし知る術もなかった。
だから純然たる少女の言葉はきっと正しいのだろう。それはこの身体の疼きが証明している。
だが芹緒は見た目こそ美琴という少女だが、中身は倍以上生きている中年男性だ。
我慢してやり過ごすことも出来る。はず。きっと。おそらく。
「そ。じゃあ私はここでするね」
「ちょっと待って」
「待てない」
寝転んでパジャマの上から胸を触り始めた葵が視界に入ったとたん、芹緒の行動は早かった。
すぐさまベッドから飛び降り、部屋を飛び出した。
「……芹緒殿もですか?」
芹緒の部屋の出入り口、廊下に座っていたさくらが同情するような憐れむような視線を芹緒に向ける。
「違う。葵さんが部屋で始めたから」
「あー……。芹緒殿は?」
「僕はしない!!」
「失礼ですが、我慢は良くありませんよ。私たちが発散することも出来ますが」
「しなくていい!!」
芹緒はそう言ってリビングに舞い戻る。
「せっりおさま〜♩」
ニコニコしたさつきが手をわきわきさせながら芹緒を出迎える。
さつきの顔を見た芹緒は思わず身体を引く。
そしてふすまが閉じられた和室からは悩ましげな少女の声が聞こえる。
そんな芹緒の疑問に気付いたのか、さつきが答える。
「芹緒様と葵様がリビングを出たあと美琴様がおトイレに篭りまして」
「桜子様が和室を使用中です」
顔を少し赤らめたつつじが後を継ぐ。そのつつじが見たであろう美琴の、というか芹緒の外面がリビングのすぐ横のトイレで発電しているのを見せてしまって、芹緒の申し訳なさが最大限に達した。
「ああ……」
そして芹緒は文字通り床に崩れ落ちる。そんな芹緒につつじが近寄ってぎゅっと抱きしめる。
「大丈夫です。芹緒様のお考えが正しいです。お嬢様方少し性に奔放すぎます」
スキンシップが過剰だった自分たちを棚に上げつつじは言う。
「体液交換だけでいいならキスでなくても唾液だけ指につけて交換でも良かったのではありませんか?」
そんなつつじの真っ当な指摘に、芹緒はつつじの抱擁の中で力が抜ける。その通りだった。
「それはさておき芹緒様芹緒様。ここで私がサクッと性欲発散させてあげますよ」
そんな二人に近付くさつき。だが芹緒は力なく首を横に振る。
「こうして抱きしめてもらえるだけで安心するから大丈夫。ちょっと待ってね、耳塞ぐ」
芹緒は両手だけを抱擁から出して自分の耳を塞ぎ、小さく聞こえる桜子の嬌声を遮断すると、つつじに身を委ねる。
「よしよし……優香ちゃんは可愛いですねえ」
そんな芹緒の行動につつじがお姉ちゃんモードを発動させる。
芹緒の返答にさつきは手をだらんと下ろしてダイニングテーブルに改めて腰掛ける。
「みんなお盛んですねえ」
芹緒以外の少女が性欲を発散させた後。
部屋に戻った美琴は桜子が撒き散らした発情した女の匂いにやられ、和室の窓を全開にした後またトイレに籠ることになるのだった。
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