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ヤサシイセカイ  作者: 神鳥葉月
第二章 理屈と想いと

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第八十四話 芹緒のお仕事

 一時間後、芹緒はふらふらと仮面の女性たちの部屋を出た。後ろには表情こそ仮面で分からないが雰囲気がツヤツヤしている女性五人が続く。

 廊下に出ると仮面の女性たちは部屋での寛いだ空気から一変して背筋を伸ばし、普段のように厳かな雰囲気をまとおうとするが、さすがにそれには無理があった。


 でも芹緒はそれでいいと思っている。

 彼女たちが厳かな雰囲気をまとおうとするのは、九条家であっても緊張を崩せない、自分たちの『外』と認識しているからだ。

 芹緒としては彼女たちの元上流階級の女性という矜持が許しさえすれば、仮面をつけ声をかえヴェールもしているのだから、新しい自分に生まれ変わった気持ちで他の人間とも仲良くなってほしいのが本音だ。

 芹緒が雇うかはともかく、芹緒のメイドになりたいと常日頃言っているのだから、メイド修行も教本や自習だけではなく九条家の人間に教わることが出来たらいいのにと考えている。

 現状、九条家の中のあの大広間だけが彼女たちの世界だ。これでは待遇はともかく囚われていた頃と変わりない。

 もう彼女たちを繋ぐ鎖などないのだから、彼女たちの意志で動いてほしい。


 ただ芹緒も受け身タイプだ。

 自分を差し置いて他人にあれこれ言える立場ではない。

 今回のスキンシップを機に、少しずつ彼女たちが普段通りの個性を出せたらいいなと考える。

 そう考えて廊下を歩いていたところで。


「!」


「あ、有栖さんこんにちは」


 紫苑有栖と今日も会ってしまう。


「こんにちは芹緒様。気持ち悪いのをぞろぞろと引き連れて楽しそうね」


 芹緒の背後の女性たちをジロジロと見た有栖の歯に衣着せぬ言葉に、芹緒の背後の空気が剣呑なものに変わるのを感じる。

 芹緒は曖昧な表情を浮かべたまま、左手で背後に『抑えて』とハンドサインを送る。


「失礼しますね」


 芹緒は自分と敵対するような女性との処世術は分からない。

 何をしても言っても藪蛇にしかならない気すらする。だからここは撤退一択だ。


「……ふんっ」


 金髪の少女は鼻を鳴らして芹緒たちの横を通り過ぎていく。

 仮面の女性たちは全員仮面を付けている。だからその中の一人が横を通り過ぎる少女を憎悪に満ちた目で睨んでいたことなぞ誰一人気付かなかった。






「それじゃあ行ってきます」


「行ってらっしゃいませ。またお迎えにあがりますね」


 心砕かれた女性たちが眠る部屋の前まで来ると、芹緒は仮面の女性たちと別れる。


「こんにちは。いつもご苦労様です」


「こんにちは美琴様。今日もよろしくお願いいたします」


 扉の両脇を固めた男性たちにぺこりと頭を下げると、男性たちは両開きの扉を開ける。そして芹緒はゆっくりと歩を進めて中に入る。

 背後で扉が閉まる。


「ふう……」


 あの二人の男性は入れ替わりのことを知らない。

 だから美琴として扱われている。

 あまり親しくない人間の前で他人の、それも少女の振る舞いをするのは心にくるものがある。


 この家の中で美琴との入れ替わりを知っているのは、仮面の女性たち、さくらが隊長である美琴の護衛隊の副隊長の男性、紫苑鷹秋の一人娘紫苑有栖、そして医者くらいだ。

 そしてこの部屋の中を知っているのは護衛隊のメンバーと医者と仮面の女性たち。

 紫苑有栖はこの部屋も父の非道な行いも知らない。


 ここには紫苑鷹秋の度重なる陵辱によって心を閉ざした女性たちが、生命維持装置に繋がれ眠っている。

 元々は何もない大広間だったが、彼女たちを受け入れるため急遽ベッドや生命維持装置が置かれている。だがそれだけだ。

 真っ白な前開けタイプの患者衣を着て真っ白なシーツに包まれて横になって目覚めぬ女性たち。

 花もなく、訪れる者もほぼなく、ただ寂寥感を覚える広間。

 こんな寂しい空間から彼女たちを一刻も早く解放したいと芹緒はここに来るたびいつも思う。


 彼女たちは上流階級の女性たちだ。

 その醜聞で女性自身だけではなく、その家すら大きく揺らぐ。

 だから行方不明の女性たちが見つかったからと言ってすぐに家族に連絡は出来ない。眠れる女性たちの知らぬ間に家族に捨てられる可能性だってある。

 だから紫苑鷹秋の隠し部屋から女性たちが見つかったとき、九条当主、九条道里はこの大広間を彼女たちの簡易受け入れ場所とした。

 病院にしなかったのは、一人二人ならともかく、二十人以上の女性たちを素性を知られることなく預かってくれる病院がなかったためだ。

 そして芹緒が女性を癒す術を持っていたこと。


 最初の最古参の女性が目覚めたのは、ここに移動してわずか一日のことだった。

 だが外の世界では一日でも、芹緒にとって心の世界はその数倍、数百倍の時間が流れていたような体感だった。

 隠し部屋から彼女たちを見つけたのは芹緒だ。

 そして芹緒は美琴の身体で誰かを癒す力を操ることが出来た。

 目の前で目覚めることなくただ生きているだけの女性に対して、救う力を持っている芹緒に選択肢は存在しなかった。

 九条道里の二ヶ月同居は問題ないはずだ。四六時中一緒にいることなんて出来ないし、美琴は脂肪吸引手術で何日も家を空けている。

 それでも九条道里の天啓が変わらないなら問題はないと考えていい。


 誰もいない大広間。

 特に順番もなく、端っこから順々に心に語りかけていっている。

 今日は昨日目覚めた女性の隣の女性だ。

 芹緒は見ただけでは分からないが、今まで助けてきた女性の中でも年下のように見える。こんな女性ですら紫苑鷹秋は陵辱したのかと思う温厚な芹緒ですら吐き気がするほど憎悪を感じる。


「すー……はー……」


 芹緒は意識して深呼吸する。

 これから全てをさらして女性と相対するのだ。憎悪を見せてしまってはかえって彼女を萎縮させてしまう。……最初は反応すらないのだが、それでもこれは礼儀だ。


 ここに来ると座る椅子を彼女のベッドの脇に置いて、そこに座る。

 医者や目覚めた女性たちからは『せめて横になって治療してください』と言われるが、わざわざベッドを毎回移動するのも大変だし、同じベッドに寝るなんて論外だ。

 それに元のデブ中年男性の姿だったらベッドで横にならないと集中が続かなかったに違いないが、今の美琴の姿なら特に苦に感じない。

 それにとても座り心地の良い椅子を用意してもらっている。これ以上は贅沢だ。

 芹緒は目を瞑ると力を使う。

 そして一番近くにいる女性の心を見つけるとそっと心の世界で近づいていく。

 その途中で自分の体を見てみる。

 確かに元の芹緒の、美琴が脂肪吸引する前の醜く太ったデブモンスターの中年男性の姿だった。


(この姿を晒して彼女たちは僕を信じてくれたのか……)


 恥ずかしいやらくすぐったいような感覚だ。

 そして今回が初めて、自分が中年男性のハダカを晒して女性に接することを自覚して語りかける。


(集中……集中……)


 自分の姿が恥ずかしいと思ったり、女性の外見への口撃が大ダメージを受けることなんてあってはならない。

 ただ一心に、女性を救いたいという気持ちだけが、彼女の砕かれた心を一つにして、解かして、目覚めさせていくのだ。


(お願い……目を覚まして。新しい平和な世界が貴女を待っているよ)


 芹緒は語りかける。

 語りかける。

 語りかける。

 語りかける。

 語りかける。

 ……

 ……

 ……

 ……

 …

 …

 …

 …






 とんとん。

 芹緒の身体を誰かが叩く。

 これは時間が来た合図で、叩いているのはいつものお医者さんのはずだ。


(ダメだった……)


 女性のほうを見る。

 先ほどまで粉々だった心は、見事な女性の裸体を形取っている。その表面にヒビなどなく、まるで生きているようだ。だがその肢体はだらんと心の世界の宙に浮いている。


 目覚めない。


 人の輪郭をとりもどした心が、心の世界の身体が回復しているということは、芹緒の語りかけ自体は届いているはずなのだが。

 徒労ではない。

 あと一歩届かなかっただけ。

 芹緒は自分にそう言い聞かせる。だが。


 ……。


 外の世界と心の世界の時間の流れは異なる。

 もう少し努力しても外の世界では数分にも満たないだろう。

 芹緒はそう考えて、改めて女性に語りかけ始めた。




 もう一度身体が叩かれるまで芹緒は懸命に語りかけたが、彼女に変化はなかった。






「あまりご無理はなされませんように」


 芹緒が目を覚ますと、肩を叩いてくれた白髪の初老の医師がそう芹緒に声をかけた。


「芹緒様のされていることは奇跡に近いことです。慌てず、落ち着いて取り組みませんか?」


「そうですね、ありがとうございます」


 芹緒はそう言って元の自分より年上のお医者さんに頭を下げ、椅子から立ち上がり伸びをする。

 固まっていた身体が伸ばされて気持ちがいい。


「何度も言いますが、芹緒様もベッドを使用なさるべきです」


「ベッドは取り回しがね」


「いえいえ、ベッドは案外取り回しが楽ですよ。キャスターがついてますからな。それに座りっぱなしは腰に悪い。美琴様が腰痛持ちになってもよろしいのですかな?」


「う」


 芹緒自身はどうでもいいが、美琴に身体を返したときに腰痛持ちになってしまってはバツが悪い。


「……次回からベッドをお願いしてもいいですか?」


「もちろん」


 芹緒の恥ずかしそうな言葉に白髪の医師は好々爺のような笑顔を浮かべる。


「本当に芹緒様は美琴様と比べて表情豊かですな」


「すみません」


「いいことですよ。以前の美琴様は思い詰めていたのか、あまり笑いませんでしたからな。表情筋を鍛えるのにちょうどよろしいでしょう」


 確かにそれは、元に戻ったとき美琴にとっていいことだろう。

 今の美琴は初めて会ったときの大人しそうなお嬢様然とした雰囲気は霧散し、主に男性の欲望の赴くままに楽しそうに生きている。

 ……芹緒が元に戻ったときも表情筋が鍛えられていそうだ。芹緒も元々表情が少なかったから。


「元に戻られましたら改めてのんびりお話いたしましょう。芹緒様の心の世界の話は興味が尽きません」


「お酒は飲めませんよ」


「私が飲めたら十分です」


「なるほど。私は雰囲気で酔えるので問題ありません」


「コストパフォーマンスのよい体ですな」


 そう言ってまた笑う。

 今日女性を目覚めさせることが出来ず落ち込んでいた芹緒の心を軽くしてくれているのだろう。この医者と話しているといつも芹緒の心は軽くなる。ただの話術だけでこれだけ人を癒すことができる。これが本当の努力と研鑽を極めた医者なのだろう。


「それでは失礼しますね」


「私は皆さんの調子を見て回ります。それではまた明日」


 基本的に芹緒が力を使っている間はこの医者は入ってこない。芹緒とはいえ姿は九条家の一人娘なので念のためといったところだろう。


 芹緒が内側からノックすると、両開きの扉がそっと開かれる。そこには仮面の女性たちが静かに頭を垂れて芹緒を出迎えていた。


「「お帰りなさいませ」」


 芹緒は護衛隊の男性たちに黙礼すると廊下を歩き始める。その後ろに仮面の女性たちが付き従う。

 しばらく離れてから、最古参の仮面の女性が声をかける。


「今日はいつもよりお時間が遅くて少し心配でした。……お疲れでしょうからマッサージをいたしましょうか?」


「待たせてごめんね。……今日は上手くいかなくて少し粘っちゃった。マッサージは大丈夫だよ。あ」


 美琴たちの姿が視界に入る。時間通りに戻ってこないのでやってきたのだろう。


「おそーい!!」


「ごめんね」


 芹緒は美琴の声にそうかえすと、後ろを振り向いて仮面の女性たちに頭をぺこりと下げる。


「今日もありがとうね。また明日もよろしく」


「はい。お待ちしておりますね」


 そして芹緒は美琴たちの元へと歩を進める。

 それを仮面の女性たちは内心複雑な気持ちで見つめる。

 すると、美琴姿の芹緒と同じくらいの背丈の少女、芹澤家の次女だったか、彼女がこちらをじっと見つめているのに気付いた。

 仮面の女性たちはすぐに頭を下げて視線を躱す。

 以前はほぼ対等な関係であったが、今の自分たちは家を捨てた身。芹澤家は今や遥か雲の上の存在だ。

 すたすたと誰かが近づいてくる気配がする。

 芹緒の足音ではない。彼女はもっと音を立てない歩き方をする。


「ねえねえ。顔上げてよ」


 絡まれた。

 最古参の仮面の女性が最初に感じたのはそんな気持ちだった。

 今の芹緒の周囲にいる九条家、伊集院家、芹澤家、中川家。どの家も上流社会の中でも上澄みの存在感を放っている。彼女たちの機嫌を損ねては芹緒と引き離されかねない。

 最古参の仮面の女性は全神経を尖らせて顔を上げ、少女の言葉に備える。

 その少女は無表情ながらも口角を上げ、告げる。


「優香を囲う、考えがある、乗らない?」

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精神と時の部屋状態か…心は大分年取ってそうだ
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