第八十一話 抱擁
朝ごはんを食べたあとは自由時間となった。
まだ九条邸に行くには早い時間だ。紫苑有栖と鉢合わせでもしたらまた余計な摩擦が生じてしまう。
つつじたちはそう考えて自由時間を設けることにした。
そうして芹緒は少女四人に連れられて、昨日寝たスイートルームへ移動していた。姫恋が行ってみたいと言い出したのだ。
スイートルームは芹緒たちが朝食を取っている間にしっかり清掃され、芹緒が昨日初めて訪れたときに感じたような新鮮な静謐な空間に戻っていた。
換気もされ、朝嗅いだような身体にまとわりつくような生々しい匂いはしない。それが昨夜との落差を感じてかえって恥ずかしい。
「キレイな眺めだねー!! ロマンチックだぁ」
姫恋がすたたーっと窓際まで近付いて両手をぺたりとガラスに付けながら、陽射しに照らされた景色を眺めて可愛らしい感想を述べる。
そんな純粋無垢な少女に対して、美琴、桜子、葵の三淑女方(?)はソファに座りながら何やらコソコソと秘密の相談をしている。
芹緒の足は自然と姫恋の方へ向かってしまう。仕方がない、何か企んでそうな少女たちと何も企んでいない少女、どちらの側にいたいかといえば当然の帰結だ。姫恋の隣に立つと訊ねる。
「昨日の部屋からは見えなかったの?」
「昨日のお部屋も豪華だったけど、ここまで全面ガラス貼り!って感じじゃなかったよ。夜だったから夜景がとてもキレイな眺めだったけどね」
「そっかあ」
「ねね、昨日は桜子と寝てどうだった?」そんな質問を裏表なく聞いてくる。「一昨日は私と寝たけど、昨日は桜子と二人きりだったじゃない? どんなお話してたのかなって」
姫恋はお兄さんのマンガでえっちな知識を仕入れているようだが、さすがに女の子同士で寝て何かあるだなんて夢にも思うまい。
芹緒が答えに窮していると、
「それではみんなで一緒に遊びませんか?」
後ろから桜子の声が聞こえてくる。振り向いて状況を理解した芹緒はその場から逃げ出した。
そこには二人の少女、桜子と葵と、一人の中年男性の姿をした美琴が、何故か下着姿でソファにいたからだった。
芹緒は一目散に出入り口にダッシュする。そしてエレベーターの昇降ボタンを押すが反応しない。
エレベーターを諦めた芹緒は今度はトイレに向かう。そしてトイレに鍵をかけ立て篭もるとすぐにスマホを取り出し、さくらに電話する。
「さくらさん助けて!」
「どうしましたか!?」
「姫恋さん以外が下着姿になってます!!」
「美琴様も?」
「はい!!」
「それは良くありませんね、すぐ行きます」
頼もしいさくらの言葉に芹緒は便座の上でほっと安堵のため息をつく。
桜子たちが何を企んでいるかは分からないが、巻き込まれたらまた芹緒が恥ずかしい目に合う類の『遊び』だと容易に想像がつく。
姫恋を置いてきてしまい自責の念にかられるが、彼女たちも姫恋に何かすることはないだろう。
「ほら姫恋、すごいでしょう? これがおちんちんだよ」
「うわ、どんどん大きくなってる……? お父さんやお兄ちゃんのとは形も大きさも違うね??」
「これが私たちの未成熟なアソコとちょうどいい大きさなのですよ」
「ほら、こうやって」
「こらああああ!!!」
これみよがしに聞こえてきた、あんまりにもあんまりな言葉の数々に、芹緒は立て籠っていたトイレから飛び出すと声が聞こえてきたベッドルームに突撃してお姫様を助けに向かう。
「何やってるの!!! ……あれ?」
そこには相変わらず下着姿の桜子と葵、そして何故か下着姿になっている姫恋の姿があった。だが肝心の美琴の姿がない。
「はい捕まえた」
「あっこら離して!!!」
芹緒の背後から現れた美琴が、芹緒の両腕を絡め取る。芹緒が昨日と同じように足を股間にぶつけようとしたが、美琴は器用に躱すとしゃがみ込んで芹緒の足を後ろから抱え上げ、首の後ろで手を組んだ。この格好では肩すら決められ腕も思うように動かせない。というかそれよりもこの体勢はえっちなマンガで見たことある大股を開かされる恥ずかしい体勢じゃないか。
芹緒は自身がその体勢を取らされたことに羞恥を覚える。美琴が知っているのはもう気にならない。美琴のことだからどこからか情報を入手したのだろう。
「優香、パン、ツー、丸、見え」
下着丸出しの葵がぐっ、ぐっ、ぐっ、ぐっとハンドサインで芹緒の状態を伝えてくる。
ネタが古い、女の子が使うネタじゃない、葵さんもパンツ丸見えだよ! 内心のツッコミが追いつかない。
「優香さんごめんなさい。こう言えばみんなで遊べるって」
「ええ優香様。悪いのは私です。昨日は私たちだけで楽しんでしまいましたからね。短い間ではありますが皆さんで楽しみませんか?」
「私も楽しみたい!」
背後の美琴がそう言うが、今の芹緒姿の美琴にとって下着姿の美少女三人は目の毒だろう。芹緒の身体に当たる部位がそれを主張している。美琴は伊集院家、芹澤家、中川家を敵に回すつもりなのか???
「優香、違う」芹緒の感情を読んで思考を把握した葵が、芹緒の認識を正す。「ここで触れ合うだけ。下着姿なのは服にシワつけないため。美琴は芹緒と遊ぶだけ。私たちも、今の美琴と遊ぶのは、色んな意味で、危険」
「みんなでぎゅーってするのいいよね」
姫恋の発言で、彼女たちがどう姫恋を説得したのか理解する芹緒。おそらく昨日は『抱きしめあって寝ましたわー』くらいのことを桜子が言い、美琴が『私も芹緒さんぎゅーってしたい』みたいなことを言い、葵が『みんなで抱きしめ合うの、ステキ』的なことを言ったに違いない。
「それって僕の危険は考慮されてないよね!?」
「私の理性を信じて」
「無理」
「ひどい!?」
「芹緒殿大丈夫ですか!?」
芹緒が美琴と言い合っている間にさくらがスイートルームに飛び込んできた。そして下着姿のお嬢様方と、下着姿の中年男性に捕らわれている仕えるべきお嬢様のはしたない格好に、一瞬大きなため息をついて首を左右に振ると、さくらは美琴に声をかける。
「美琴様。芹緒殿を解放してください」
「はーい」
さくらの呼びかけに美琴は素直に応じ、解放された芹緒はさくらに駆け寄るとその背中に隠れる。
「さくらさん」桜子がさくらに声をかける。「下着姿で触れ合うだけですわ。それに美琴様は男性の姿になってなかなかスキンシップが取れてないご様子。美琴様の相手は優香様だけです。私たちは美琴様とは近づきませんのでご安心を」
「ご安心要素はどこに?」
芹緒が思わずツッコむが桜子は続ける。
「さくらさんがここにいてくださればどうでしょうか? 問題があれば止めていただければ」
「……」
さくらが考え込む。
芹緒としては考えることなどないと思うのだが、改めて考えてみると、美琴は芹緒の姿になってからスキンシップがない。芹緒だって中年男性だった頃はスキンシップに死ぬほど飢えていた。来世美少女になりたかったのも誰からも嫌われない愛らしさを求めていたのではないか?
「あの……」芹緒がおずおずと声をあげる。「さくらさんが見張ってくれるなら、美琴さんのスキンシップ、受け入れます」
「いいの「本当っ!? 嬉しいありがとう芹緒さん大好き!!!」」
さくらの言葉を無視するように美琴が抱きついてくる。男性の脂肪だらけの肉体に抱きしめられるのはやはり精神が男性の芹緒には無視出来ない葛藤があるが、それよりもこの美琴の喜びようだ。
あれほど『男性になりたい』と誰憚る事なく言いのけた美琴でさえ、『中年男性』という人から愛されない存在は耐えられなかったのだろう。
二週間スキンシップから切り離された生活は辛かったに違いない。
『キモい』『生理的に無理』という女性が放つ、中年男性の存在を否定する言葉で、社会で成功していない、認められない中年男性は存在すら許されない。人様の迷惑にならないよう、見つからないように社会の片隅で体を縮こませて生きるしかないのだ。
「スキンシップが出来ないのは、年頃の女の子にとって辛いことだと思います」
「芹緒殿がそれでいいのであれば……」
芹緒の言葉にある程度納得する要素を見出したさくらがそう言って、背中に張り付く芹緒を下着姿の少女たちの前に押し出す。
「さすが優香」葵がそう言ってサムズアップする。「じゃあここでワンピース脱ごうか」
「!!??」
「みんな下着だから。ほらほら、早く早く」
「向こうの部屋で着替えてくるっ」
「ダメ。脱衣シーンは貴重」
「〜〜!!///」
芹緒はさくらを見る。さくらは頷くと
「では私も脱ぎましょう。一人だけ服を着ていては皆さんも恥ずかしいでしょうから」
あらぬ方向に理解した。そしてそのまま上着を脱ぐとズボンを下ろし、あっという間に下着姿になった。
頭が痛い。
さくらのようにみんなの注目が集まる前にさっさと脱げばよかった。今は全員の目が芹緒に集中してしまっている。恥ずかしすぎる。
「手伝ってあげようか?」
顔を赤くして縮こまっている芹緒に姫恋が余計な親切心を発揮して近付くと、芹緒のワンピースを捲り上げる。
だが背中のファスナーを下ろしていないため、ワンピースはスカート部分だけが捲れた状態になって下着だけ丸見えの状態になってしまう。
「あれ?」
ぐいぐいと引っ張る姫恋にさくらが慌てて近寄ると、いったんワンピースを下ろし、背中のファスナーを下ろして改めて芹緒のワンピースを優雅に脱がしていく。
だがいくら優雅に脱がされてもみんなに注目されているのには変わらない。芹緒はようやく下着姿になるとベッドに飛び込むとシーツの中に隠れた。
「優香さんごめんねえ」
姫恋の声がくぐもって聞こえる。女の子になってからワンピースしか着ない芹緒と違い、姫恋はシャツに短パンという格好しか見たことがない。おそらくワンピースは着慣れないか着た事がないのだろう。だから仕方ない。
「気にしないで」
「えっちなことはしないから出てきてよー」
そう言いながら美琴がシーツを剥ぎ、中で縮こまっていた芹緒を抱き起こしてあぐらをかいた膝の上に乗せる。
芹緒の肩に顎を乗せ、芹緒のお腹の辺りで手を組む。
「自分の身体だってわかっているのに、すごく安心する……」
美琴は自身の身体に拒否反応は出ないらしい。それは当然だろう。同年代の女子と比べても美琴の肢体はずば抜けているし、手入れも行き届いている。芹緒の体のような、同年代の男性と比べても醜くて女性が生理的に受け付けないモンスターとは訳が違う。
お尻に当たるアレは確かに気になるし複雑な気持ちだが、美琴の肢体やこの下着姿の女性ばかりの空間に興奮しないようなら男じゃない。あくまでも興奮の対象は芹緒本人ではない。全ての内情を知っている美琴が興奮しているのは雰囲気なのだ。そう思って耐える。
それに……。
今まで桜子たちに抱きしめられたことは何度もあるが、醜いモンスターで自身の体とはいえ姿が見えないからなのか、男の大きな体で抱擁されるのはすごく安心感がある。
ドクン、と胸の奥が脈打つのが分かる。
芹緒自身が美琴の操る自分の姿を意識しているのは自覚している。仕方ない。美琴が芹緒に深い愛情を持っているのは知っている。紫苑鷹秋の時には絶望から美琴の姿に希望を見た。意識しないほうがおかしい。
(四十数年男として生きてきても、僕はどこまでも受け身なんだろうな)
美琴姿の芹緒の浮かべる表情は、無意識に乙女のそれになっていたことは、芹緒と美琴以外の全員が知ることとなった。




