第七十九話(1/3) スイートルームで
今回は分割投稿(1/3)です。
2/3が見つからなくても問題ないように書いています。
扉の手前が狭い空間だっただけに、芹緒は吸い込まれるように扉の向こうへと足を踏み入れてしまう。
まず視界を圧倒したのは、正面に広がる全面ガラス張りの大壁だ。夜景がそのまま室内の壁となり、煌めく宝石を散りばめたような光の絨毯が眼下に広がる。まるで支配者にでもなったような景色の壮大さに、芹緒は思わず息を飲む。
室内は、優雅な曲線を描く何組ものソファセットがゆったりと配置されており、一つ一つが美術品のように見える。家具の色調は白と濃紺を基調とし、アクセントカラーとして金や銀が使われている。
正面の夜景とは反対側の壁には、巨大な抽象画が飾られ、周囲には柔らかな間接照明が当てられている。
空調は気にならない絶妙な温度で、微かに高級なアロマのような香りが鼻孔をくすぐる。
この一週間九条家に通っているが、借りている豪奢な部屋にもようやく慣れてきたところだ。
だからこのような贅沢の粋を極めたような空間は、小市民の芹緒にはまだまだ借りてきた猫のような居心地の悪さを感じてしまう。
リビングの奥には、大人数が座れるバーカウンターが見え、そのさらに奥にはダイニングルームと、使用人が使うのだろうか、キッチンへと続くサービスドアが見て取れた。あちらにある部屋はベッドルームか。
すべてが『最高級』『最高峰』という言葉を具現化したような空間であり、『選ばれた人間だけがアクセスを許される世界』の隔絶感に芹緒は気圧されるばかりだった。
桜子が案内するがまま芹緒はついて行き、そのセレブリティ溢れる空間や小物一つ一つにため息を吐く。
スイートルームの案内が終わり、ガラス越しの夜景を複雑な感情が入り混じりながら見つめる芹緒の腰を桜子がそっと抱いていたことに芹緒は遅れて気付く。
まるで自分が恋する乙女のように感じられて慌てて桜子から離れて自分を取り戻す。
「……他のみんなは?」
答えは分かっているが一応口に出す。
「一つ下のフロアの部屋ですわ」
「ここは僕たちだけ?」
「ええ!」
桜子が芹緒と腕を組みながら嬉しそうに笑う。
美琴の身体と桜子では桜子の方が背が高い。まるで恋人同士のように密着してくる桜子の体温や柔らかさが否応なしに芹緒を包み込む。
「軽食でもいかがですか? 夕食後の運動にしてははしゃぎすぎましたし」
「もういい時間だし、夜遅く食べちゃうと、ね?」
こそこそ桜子から離れようとしつつも美琴の身体を案じる芹緒の台詞に、桜子は中学生の少女とは思えない色気のある笑みと共に、芹緒の腕から離れるとその手で芹緒の肩を抱いて抱きしめる。
慌てて離れようとする芹緒を、逃さないように安心させるように桜子は言葉を紡ぐ。
「そうですね。あまり食べすぎてはあとあと困りますわよね。飲み物だけ用意させましょう」
桜子は芹緒を腕の中に収めたまま、器用にスマホを操作してどこかに電話する。
「ええ。いつものを二つお願いいたします」
桜子が電話に気を取られた隙に、慌てて芹緒は桜子の腕の中から脱出して距離を取る。残念そうな表情を浮かべる桜子に、芹緒の心の中の警報が鳴り響く。
芹緒はこのスイートルームに足を踏み入れたことを後悔し始めていた。
「さあさあ優香様。こちらで寛ぎましょう」
桜子が近くのソファに腰掛けると、立ちすくんでいる芹緒を手招きする。
複数あるソファはそれぞれ絶妙な距離で配置されており、広いリビングで違うソファに座るのはあまりにも二人の距離が遠くなる。
いつもなら桜子の手招きに応じるが、今の桜子と同じソファに座るには不気味で怪しすぎる。
なんだか取って喰われそうな気がする。
芹緒が警戒心をあらわに立ち尽くしていると、先ほどと同じような真っ黒な服装の今度は女性が現れ、フルーツに彩取られたグラデーションが目を引く黄色のドリンクと、同じくグラデーションがかかった真っ赤なドリンクをテーブルの上に置く。そして各種お菓子が盛られた大皿を中央に置いて、女性は頭を下げ部屋を出ていった。
「優香様?」
怪しいところは何もない。今の状況以上に怪しいところはどこにもない。
この身体は当たり前だが美琴のものだ。そしてこれも当たり前だが桜子は美琴の同性の同級生だ。
美琴の中にいる芹緒は彼女たち少女よりずいぶん年上のくたびれた中年男性だ。
多少の辱めやえっちな光景にはもう慣れている、はずだ。
昨夜だって姫恋と一緒に同じ布団で寝た。
今日はロケーションがすごいだけですることは同じ、寝るだけだ。
桜子が強引に動く前に座った方がいいだろう。
そう観念して芹緒は桜子の隣に腰掛ける。
芹緒は気付いていないが、シチュエーションは同じでも芹緒から、ということは基本的にない。
いつも桜子や葵、美琴からアクションを起こされるのが普通だ。
桜子は嬉しそうに目の前の黄色いドリンクを芹緒に手渡す。
「これは?」
「マンゴーベースのノンアルコールカクテルですわ。雰囲気が出ますでしょう?」
「そっちは?」
「こちらはイチゴベースですわ。あら……」
そう言って桜子は赤いカクテルのストローに口をつける。
「イチゴ味をご所望ですか?」
ぺろりと唇を舌で濡らす桜子の言葉に年不相応の色気を感じつつ芹緒は考える。
どうして別のものを持ってきたんだろう?
普通に考えれば、桜子がどちらも好きというパターンだ。
だがどちらかに何か入れているのでは、という疑念もある。
……何かを入れていたとしてもそれでどうなるとも思えない。
これで桜子が男で自分が女なら色々考えなければいけないのだろうが、自分が本当に嫌がることを桜子がするとは思えない。
飲まない、という選択肢もある。
ぐるぐると考えた末、芹緒は黄色いカクテルを手に取り、ストローに口を付けた。フレッシュなマンゴーの甘さが口に広がる。
馬鹿馬鹿しい。
考えすぎは芹緒の悪いクセだ。
桜子たちの過剰なスキンシップも、芹緒が受け入れればそれはただのラッキースケベだ。
それでいいじゃないか。
「二人とも口を付けてしまいましたが、乾杯いたしましょう」
「何に?」
「私たちだけの夜に、ですわ」
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そして芹緒は……。
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