第七十四話 すき焼き
美琴の家で夕食を食べる流れをすっかり忘れて桜子のターンに入ってしまいました。
『第七十二話 ジェットコースター』の最初で美琴の家では食べない文章を挿入しました。
ライブ感覚で書きすぎ!
芹緒姿による美琴の行動はなんとか周囲の人たちには気付かれずにすんだようだ。
もちろんクルーや監視カメラに先ほどの場面は映っているだろうが、彼らの目にはその前に彼女たちの首にかかる継承パスが見えている。芹緒姿の美琴や美琴姿の芹緒にもだ。彼らが深く追求することはあるまい。
何よりそのあとの光景を見れば、中心にいる金髪の少女がとても愛されていることが手に取るように分かる。
ここに口を挟むのは無粋というものだろう。
そして一行はテーマパークを出たあと、再び送迎用リムジンで移動を始めていた。
「お腹ぺこぺこ〜」
姫恋がお腹を押さえながらそんなことを言った拍子に、姫恋のお腹が『きゅ〜』と小さな可愛らしい同意の音を立てる。そのドンピシャなタイミングに車内は明るい笑いに包まれる。
「桜子、今夜はどこ?」
ジャンケンで芹緒の左隣を勝ち取った葵が、芹緒の右隣の桜子に話しかける。その際芹緒のワンピースから伸びるむき出しの腕に自分の胸を押し付けることを忘れない。
「今日はすき焼きにしようかと思っております」
葵の行動が目に入った桜子は目を細めると、同じように芹緒の腕に葵より大きい自身の胸を押し付ける。
両方からぎゅうと押し込まれた芹緒は顔を赤くしながらも何も言わない。
言ったところで彼女たちの対応は変わらない。いや先ほどから、さらにひどくなっている。対面にいる姫恋もまるでいつ芹緒に抱きつこうかというように身体を揺らしている。目が合うとニコニコ笑顔を向けてくれるが、その動きは獲物を狙う獣の動きだ。お腹を空かせた姫恋に食べられかねない、そう芹緒が思ってしまうほどだ。
それに対して同じく対面席の美琴は背筋を伸ばし姿勢良く、だが足を広げて座ってはいるが、顔にあまり余裕はない。
それも当然だろう。
芹緒は現在美琴の姿を借りて女の子になっている。女の子同士ならある程度のスキンシップは周囲からは仲良しとして微笑ましく見られる。
だが現在美琴は芹緒の姿、つまり中年男性の姿である。いくら美琴が元の芹緒の姿から体重を減らしたとしてもその事実は変わらない。
事情を知らない人間から見れば中学生に抱きつく中年男性でしかないのだ。
そして芹緒の体の芹緒さんは小さいながらもまだまだ現役とばかりに反応が早い。
だからメイドたちの監視も厳しい。
そういうわけで美琴は目の前の光景に混ざりたくても混ざれないという、悲しい状況なのだ。
「もうすぐですよ姫恋様」
先ほどの姫恋のお腹の訴えを聞いていた助手席のさつきがそう後ろの席に声をかける。
そして桜子と葵から、これから行くすき焼き店が座敷であること、四人ずつに分かれることを聞いた少女たちは芹緒の隣、正面、そして同じ鍋を選ぶべくふたたびじゃんけんを始めるのだった。
「皆様こちらです」
店員が奥の座敷に全員を案内する。
そこは店内でも奥まった位置にあり、高級すき焼き店とはいえかすかに聞こえていた喧騒は全く聞こえなくなっていた。
靴を脱いで室内に入ると、簡素ながらも品のある座敷が目に入ってきた。
「優香さんはここね!」
姫恋が入り口から一番奥の座布団に座ると芹緒を手招きで呼ぶ。
芹緒は苦笑しながら頷くと姫恋の右隣に座る。そしてその芹緒の右隣に桜子が座る。
今日芹緒とデートする権利を得た桜子が違う鍋なのは意味がある。
そして姫恋の正面にさつき、芹緒の正面に葵、桜子の正面に美琴が座る。
一番出入り口に近い場所につつじがつき、さくらは周囲を見渡せるつつじの正面に座る。
少女たちのジャンケン結果はこのように決まった。
全員が座ったことを確認した店員は「それでは」と言うと鍋を作り始める。
温まった鉄鍋に牛脂をひき、しばらくして頃合いと判断した店員がそれぞれの鍋に数枚の牛肉を重ならないように並べて焼き始める。
そうするうちに座敷内に肉の焼けた香ばしい匂いが立ち込める。
「ごくっ」
そのつばを飲む音はとても小さな音だったが、肉が焼ける音以外静まり返った室内では以外に響く。
「優香様、もう少しお待ちを」
そう桜子にささやかれてはじめてつばを飲んだのが自分だと芹緒は気付く。失礼ながらも芹緒はまた姫恋だと思い込んでしまっていた。心の中で芹緒は姫恋に謝る。
と、正面の葵がニヤニヤ笑いながら自分を見ていることに気付く。おそらく芹緒の感情を読んだのだろう。恥ずかしい、反省、謝罪の感情。それを見て葵は芹緒がどのような気持ちなのか分かった上で笑っている。
仕方ない。これは芹緒が悪い。
その間にも店員は鍋の中の肉に砂糖をふり、醤油をたらしていく。砂糖と醤油の焼ける甘い匂いが室内に立ち込め、気持ちはいやが応にでも高まる。
そして。
「最初のお肉はどなたにお取りしましょうか?」
そう尋ねる店員の言葉に
「では私と、この方に」
と桜子が自分と芹緒を指名する。
「承知いたしました」
店員が芹緒と桜子の前の小皿に最初に焼けた肉を取り分けていく。
「さ、優香様。いただきましょう」
「う、うん、じゃなくて、はい。いただきます」
芹緒はこういう場所でのマナーはわからない。だから桜子の言う通りにするのが無難だ。
芹緒は箸を取って小皿に取り分けられた湯気の立ち込める香ばしい肉を口に入れる。
すき焼き特有の砂糖の甘さが感じられるが、すぐに醤油の塩気や肉汁が舌の上ににじんでくる。噛み締めるとまるで溶けるようにお肉がほどけ、幸せな美味しさが口の中いっぱいに広がる。
「美味しい……」
芹緒が上品に口の前に手を当て、素直な感想を口にする。
そんな芹緒の様子を全員が子どもを見るような優しい目で見つめる。
気がつくと小皿に取り分けられていた二枚のお肉はお腹の中に消えていた。
「それでは失礼いたします」
そんな芹緒の上品な振る舞いと素直な感想を見て、満足そうに店員は一礼して下がっていった。
「ここからは私たちにお任せください。芹緒様もお嬢様も普段通りで結構です」
さつきとつつじが退出した店員の代わりにどんどん鍋を作っていく。
肉を入れ野菜を入れ割下を入れまた肉を追加していく。
そうして美味しそうな鍋が出来上がった。
「つつじさんさつきさんありがとうございました」
この場を仕切る桜子が二人にお礼を言い、二人も小さく頭を下げる。
「それではいただきましょう。いただきます」
「「いただきます」」
桜子のいただきますにみんなが追従して待ちわびた夕食が始まる。
「姫恋様どうぞ」
さつきが一番空腹で待っていたであろう姫恋の取り皿に鍋をよそって渡す。
「ありがとうです、さつきさん!」
姫恋はお礼を言うとさっそくお肉を取り卵につけ、それをぱくっと頬張る。
「ん〜〜〜!!!」
姫恋の幸せそうな表情が満面に浮かぶ。
「優香様、どうぞ」
そんな姫恋を見て優しい気持ちになっていた芹緒の前に、よそった取り皿を桜子から見せられる。
芹緒のためによそってくれたのだろう。
「ありがとうね、桜子さん」
「優香様もお腹すいていますものね?」
小声でいたずらっぽくささやく桜子の言葉に、苦笑しながらも芹緒は頷く。
それを受け取ろうとした芹緒だったが、桜子はその取り皿を渡してはくれなかった。
「え?」
代わりに桜子はその取り皿からお肉を取り出すと、自分の目の前にあった卵につけ、持ち上げたお肉を卵の器ごと芹緒に近付ける。
「優香様、あーん」
「は!?」
「あーん」
桜子は肉がまとう卵がこぼれないよう、卵の器ごと芹緒の口元に持ってきてくれている。
芹緒は周囲を見渡し、助けて仲間がいないことを悟った。
全員が嬉しそうに羨ましそうにただ見ているだけだった。
「優香様、冷めてしまいますわよ」
「あ、あーん……」
芹緒は覚悟を決めて口を開けると、桜子の丁寧な箸使いで芹緒の顔を汚すことなくお肉は芹緒の口内に入っていく。
芹緒は桜子のお箸を舐めてしまわないようにお肉だけもらって顔を後ろにひく。
だがお肉がなくなったことで桜子のコントロールがずれたのか、箸が芹緒の唇にそっと当たってしまった。
芹緒はお肉を口に含みながら感謝と謝罪を口にする。味はわかるはずもない。
「桜子さんありがとう、ごめんね」
だが芹緒の謝罪は無意味だった。なぜなら桜子は芹緒の唇に当たってしまったその箸を、年齢に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべながらそっと自分の唇に当てたのだから。
「……///」
それを見た芹緒のほうが赤面してしまう。
桜子とは自分の意思ではないとはいえすでに口同士でキスしている。今さら間接キスでなんて、とは頭では理解していても桜子の仕草やその表情に芹緒はドキドキしてしまう。
「優香さん、はい、あーん」
それを皮切りに、姫恋、葵、美琴からも次々にお箸が突き出される。
側から見ているさつきやつつじ、さくらからすればまるで餌付けされているようだ。
少女たちの一つ一つの行動や仕草にいちいち反応してしまう芹緒の様子は、いつ見ても可愛らしい。
少女たちの『あーん大作戦』は、姫恋が熱々の豆腐を芹緒の口に放り込んでしまうまで続いた。
桜子がようやく渡してくれた取り皿の中は、まるで小さな鍋のように彩りさまざまな具材がよそってあった。
芹緒は先ほどの教訓にならい、豆腐をまずは箸で半分に割り冷ますことにする。そして人参とお肉をまとめて取ると、それを卵にからめて口に運ぶ。程良く冷めたお肉と人参が口の中で混ざり合っていく。
「桜子さん、こういう場所で白米は頼めるの?」
芹緒は桜子に問いかける。
口の中で広がるすき焼きと白米のマリアージュ。これは外せない。
「大丈夫ですよ。姫恋様も白米いかがですか?」
「いる!!」
姫恋はさつきの手を借りずに自分で取り皿によそって食べている。
美味しそうに食べる若い子は芹緒の目には眩しく映る。たくさんお食べ。そう言葉が出そうで頭の中でかき消す。
さすがに葵も食事中は他人の感情を読むことはしないらしい。美味しい、幸せ。そんな感情しか読めまい。
桜子の意を受けたさくらが外に控える店員に白米を希望者分頼み、すぐにそれは運ばれてきた。
姫恋と芹緒は卵にからめたお肉を口にほおばると、白米を口に放り込んで咀嚼する。
全てのおかずは白米をたべるために存在する。
それが芹緒の嘘偽らざる本音だ。
少し甘辛い味付けも白米と合わさることでちょうどいい塩梅になる。
だが芹緒も美琴の胃の大きさはすでに把握している。
芹緒はゆっくりと取り皿の食材を味わって食べていく。
最初こそ少女たちからの餌付けで色々食べたが、そのあとはマイペースで食べることが出来ている。
他のみんなも楽しく語らい、賑やかで平和な時間が流れる。
今はまだ意識の戻らない心を砕かれた女性たち。彼女たちが全員過去から解放されたらこんな風に一緒にご飯を食べたいな。芹緒はそう心に願う。
「しめはどうなさいますか?」
「うどんでよろしいですわよね?」
「はーい!!」
時間は流れ、しめの時間のようだ。店員の尋ねる声に桜子が確認をとり、姫恋が肯定の声を上げる。
芹緒姿の美琴以外は全員女性。デザートならともかくおじやもうどんもそれほど入らないだろう。
白米は先ほど芹緒と姫恋、美琴がいただいたのでうどんになるのは必然だった。
店員は手際良くうどん玉を鍋に投入し、鍋に残ったタレとからませていく。
そして美琴は多めに取り分けてもらうと芹緒を含む他の女性たちは少量のうどんをいただいていく。
「ほっとするね」
芹緒の素直な言葉に姫恋も頷く。
「やっぱりしめはうどんでなきゃ!」
「これはこれで、アリ」
一本ずつちゅるちゅると、わざと音を立ててうどんを飲み込みながら葵も頷く。葵の家は伊集院家に次いで伝統と格式のある家柄である。なので葵は出来ないのではなくやらないだけだ。そして格式ばった礼儀作法にとらわれないこの集まりを心地良く思っているのが良く分かる。
「心ゆくまで食べるのも幸せだねえ」
芹緒姿の美琴はそう言いながら豪快にうどんをすすっていく。
鍋はみんなでつつくものだ。だからどうしても遠慮というものが発生してしまう。
その点このうどんは自分の取り皿に取り分けられたものだ。問題なく食べられる。
「ごちそうさまでした」
「「ごちそうさま」」
桜子の声に全員がいただきますの時と同じように声を揃える。
ほっと弛緩した空気が流れる。
入れ替わる前は一人での食事が当たり前だった。入れ替わってしばらくはこういった大人数での食事は苦手だった。
だが今はどうだろう。芹緒のことを知った上で一緒に食卓を囲んでくれる人がこんなにいる。
芹緒も大人数での食事にいつしか慣れ、楽しさを感じていた。
ここからまた一人での食事にはなかなか戻れそうもない。昔感じることはなかった寂しさを感じてしまうだろう。
それでもこの美琴の身体は返さなければいけないし、彼女たちの好意はありがたいがそのまま受け取るわけにもいかない。芹緒は年数を重ねただけとはいえ、大人なのだから。
みんなが思いおもいに立ち上がり、芹緒も少し膨らんだお腹をさすりながら立ち上がろうと足に力を入れる。
だがそこで桜子が耳を疑う言葉を放ったことで、場が凍りつく。
「では次はプールに参りましょうか」
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