第七十三話 期間限定イベント
「優香様は行ってみたいアトラクションはありますか?」
一番乗りたかったジェットコースターに乗って一息ついたのか、桜子はそう言ってスマホのスタジオガイドを見せる。
桜子のスマホは真っ白なケースに包まれており、上の方にウサギの耳のようなでっぱりが二つ、ちょこんと飛び出している。純白は彼女のイメージに良く似合い、そしてウサギモチーフのスマホケースを使っているのが普段大人びているとはいえ、やはり年頃の女の子だと感じさせる。
このテーマパークには海外の映画会社のアトラクションが多いが、日本のアニメやゲームと期間限定コラボしているアトラクションも多い。
その中で芹緒が気になったのは、男女と女児の三人が偽の家族を営む作品の、期間限定アトラクションだった。
このアニメは芹緒も見たことがある。そしてゴーグルを装着してアトラクションを体験するという点も気になった。
「これどうかな?」
芹緒が示したアトラクション情報に、桜子は上品な笑みを浮かべて頷く。
「それにいたしましょう。あちらですね」
「あーそれ期間限定だもんね、行かないとだね!」
姫恋がスマホでアトラクションを確認してはねるようにはしゃぐ。
姫恋のスマホケースは、芹緒も知るキュートな世界観で商品を展開している会社のキャラクターが大きく印刷されたものだった。
つい気になって葵のスマホを見ると、葵は真っ黒なスマホケースに包まれた大きめのスマホを両手で器用に扱っていた。
芹緒は自分に渡されている美琴のスマホを見る。日本で大人気のメーカーのスマホで色はピンク、ケースもピンクで、元の自分なら持つだけで二度見されそうな可愛さ全開といったアイテムだ。
美琴の姿だから様になっている。
ちなみに美琴、桜子、姫恋が日本で大人気なメーカーのスマホ、芹緒、葵が世界的に普及しているOSのスマホである。
芹緒と美琴は入れ替わって元の自分とは違う種類のスマホを扱うようになったが、元々芹緒には様々な種類のスマホをさわってきた歴史があるから使えるのはともかく、まだ若い美琴が自分のものとは違う種類のスマホを使いこなしているのには驚きだ。
美琴曰く『こっちのスマホはPCと同じ感じで扱えるから楽ね』とのことだった。
……芹緒としては美琴が使いこなし過ぎて、芹緒のスマホの中身を全部知ってしまったことは大変問題なのだが。
「それでは皆さん行きましょうか」
そう桜子が宣言して一向は次なるアトラクションへと歩き出す。
歩いているうちに先ほどとはみんなの位置が変わっていることに芹緒は気付いた。
先ほどは桜子と手をつないだ芹緒が先頭だったが、今も桜子と手をつないでいることに変わりはないものの、先頭は姫恋と葵の二人になっていて、その後ろを芹緒たちが歩いているという順番になっている。
そして芹緒と桜子の左右にはつつじとさつきが特に会話に入ることもなく歩調を合わせて歩いている。
(僕守られてる……?)
明らかに芹緒と桜子はみんなに囲まれて、他の客から見えにくくなっている。その証拠に変な視線を感じることも少ないし、芹緒の容姿に声がかけられることもない。
「みんなありがとうね」
芹緒は全員に聞こえるくらいの大声を出して感謝を口にする。
姫恋と葵は大声にびっくりして立ち止まってしまうが、後ろを振り向いて葵はピースを、姫恋は敬礼ポーズをするとすぐに歩き出す。
つつじとさつきは何も言わずにただ笑みをこぼす。
背後からは美琴の大きな手が芹緒の肩をぽんぽんと優しく叩く。
桜子の芹緒の手を握る力が一瞬ぎゅっと強められる。
芹緒の心が温かくなる。だがすぐにこれは美琴の姿だから優しくされるんだ、と心の悪魔がささやく。しかしそれさえも身体を包む天使の声がさえぎる。
『人の好意は素直に受け取りなさいな』
芹緒は天使を受け入れた。
期間限定アトラクションのある建物に着くと、一行はやはり優先的に入場していく。
乗るのはまたもコースターだ。芹緒はゴーグルをするから誰にも見えないとは思いつつ、今度は失敗するまいと先ほどの桜子のようにワンピースをお尻の下にしっかりと敷き、捲れるのを防いでからショルダーハーネスを引き下ろし、クルーから渡されたゴーグルを装着する。
ゴーグルを装着すると見慣れたキャラクターたちが息づくあのアニメの世界が広がっていた。
芹緒はキョロキョロと辺りを見渡すが、横にいる桜子はもちろん、自分の手足すら見えない。
身体は固定されている感覚はあるのに、それが見えていないというのはVRに馴染みのない芹緒にとってとても新鮮な感覚だ。
自分の手を包み込む桜子の手の温かさが愛おしい。
しばらくしてコースターが動き出すのと目の前の風景が動くのが同時に起こった。
芹緒は一瞬にして理解した。これは先ほどのジェットコースターより怖いのではないか!?
何故なら視界はゴーグルに奪われている。先ほどのようにレールの先が見えない。予測がつかない。
と、桜子が小声で話しかけてきた。
(物語を楽しめば大丈夫ですわよ)
芹緒の手を通して緊張感が伝わったのだろう、桜子の言葉は今の芹緒を落ち着かせるのに十分だった。
色んなアクションがあるはずだ。それを自分も体験するだけ。わかりきったレールよりも予測出来ないワクワクを楽しもう。そう芹緒は肝を据えた。
それからの芹緒は目の前で繰り広げられるアクションとそれに伴って自分の身体も振り回される摩訶不思議な新鮮な体験を思う存分楽しんだ。
ゴーグルの中で思わず目を瞑ったり驚きで身体をビクッと振るわせたり時には大声を出したりと、全身で体感するVRでの冒険は他では味わえない。
芹緒はいつかまたこのVR世界での体験を味わいたいなと思った。
「すごかった!!!!!」
姫恋がゴーグルを外して満面の笑みでそう叫ぶ。それに芹緒も
「ホントだね!!!」
と大声で肯定する。
そんな興奮する二人を美琴たちは嬉しそうな顔で見つめる。
美琴たちは継承パスを持っているだけあって出入り自由で何度も遊びに来ている。慣れてしまったとは言わないが、芹緒や姫恋のような新鮮なリアクションや素直な感情は出てこない。自分たちが好きで楽しんでいるものを彼女たちも好きになって楽しんで、喜んでくれて自分ごとのように嬉しい。
美琴は美琴で先ほどのジェットコースターで芹緒の体でどのように体感するのかを認識してからは、普通に楽しんでいた。記憶している動きよりも大きい反動が来るのだ、これを楽しまないでどうするのか。
「優香様。次はどこ行きましょうか?」
「また僕の行きたいところでいいの?」
芹緒がそう返すと、桜子はふふ、と笑みを浮かべる。
「デートですもの。優香様のエスコートで私はどこでも着いていきますわ」
このテーマパークに来たらまずジェットコースターに乗ると決めているので私がエスコートしてしまいましたが、と桜子は小声で恥ずかしそうに告白する。
桜子は普段しっかりしているように見えるのに、時折見せる子どもらしさがギャップとなって芹緒の心を刺激する。
「桜子さんは可愛いね」
だからつい心の声が漏れてしまう。
芹緒の心の声が漏れること自体、美琴たちは大歓迎だが問題は、
「また桜子に!!」
「芹緒さん桜子がタイプなの?」
「優香、慌ててる」
何故か芹緒が桜子ばかりをひいきしているように見えてしまうことだろうか。
芹緒としてはそんなつもりは一切なく、ましてやまだ彼女たちの誰にも好意はともかく、恋すら自覚していない。ただ純粋に可愛いと思ってそれがうっかり声に出てしまっただけだ。だが葵たちはうっかり声に出る褒め言葉や行動が『桜子ばかり』ということに嫉妬する。
つつじとさくらは頭を振り、さつきは楽しそうに芹緒に詰め寄る少女たち+中年男性を見つめる。
桜子は芹緒の不意の言葉に顔を赤くして喜びをかみしめている。
「優香さん、アタシも可愛いよね!?」「もちろん元気があって可愛いよ」
「優香、ほめて」「葵さんもいつも可愛いって思ってるよ」「よし」
「芹緒さん私も!」「美琴さんはいつも前向きで僕もそうなれたらなあって思ってるよ」
桜子は全員を褒めるという芹緒の行動に少しほほを膨らませながらも、芹緒の一言一言に首を縦に振る。どうやら無自覚にウソ判定をしてしまったようだ。
桜子は自分が力を使ってしまったことと、芹緒がみんなを本心から褒めていることに少しだけ落胆しつつも、その誠実さを内心賞賛する。
全員を褒めるという行動はひっかかるが、それでも桜子からすれば芹緒のこの言動は大きな進歩だ。
あれだけ内気で好意を向けられても、それを受け取ること自体に恐怖を抱いていた素振りを見せていた芹緒が、今やこうやって好意や思ったことをそのまま口に出せている。
自分たちがやってきたことは間違ってなかったと首を縦に振る。芹緒が前を向いていることも、自分たちが芹緒を好きなことも。
改めて桜子は芹緒に問う。
「次はどこへ連れて行ってくださいますか、優香様」
あれから様々なアトラクションに乗ったり参加したりして、陽もとっぷり暮れてしまった。
そろそろテーマパークを離れようかという雰囲気になったとき、不意に芹緒が意見を出した。
「お土産屋さんに行きたいな」
「一番商品を取り扱っているのは、入場ゲート近くのショップですわ。そちらに行きましょうか」
桜子の言葉に全員が思い思いに肯定し、一行はこのテーマパークで一番大きなショップへ足を運ぶ。
「ありがとうね。僕ちょっと一人で見てくる」
そう言って芹緒がグループから離れる。その後ろを芹緒に気付かれないようにさくらが付き、全員を安心させる。
芹緒にもプライバシーや一人行動は必要だ。そして芹緒は年数だけならここにいる女性たちより長い。
だが芹緒は『女の子』としては赤ちゃんもいいところだ。自分が外からどう見られているか、恐怖は感じているようだが、世の中見るだけでは満足しない人間もいる。
その点さくらなら芹緒のプライバシーを尊重しつつ見失うことはない。適任だ。
そして美琴や桜子、葵、姫恋はたくさんのぬいぐるみやキャラクターグッズを見て楽しそうに話をする。
それを見守るのはつつじとさつきだ。二人で彼女たちの背後を押さえてしまえば不審者の接近を許さない。そしてそんな美琴たちをさらに外からショップの店員たちが上司の指示の元、しっかりとその周囲を見張っている。
上司からすれば彼女たちはVIP中のVIPだ。何かあれば上司の立場は苦しいものになる。
芹緒は男性だった頃より低い視点を久しぶりに感じていた。自分の隣にいる明らかに小学生だろう少女と目線がそれほど変わらない。少女は両親に目の前のグッズをおねだりしていた。
芹緒は美琴の財布を預かっている。というより入れ替わりの際に財布まで交換させられたのだが。
その中にはお金は入っていない。カードが数枚入っているだけだ。芹緒の財布にあふれているポイントカードではない。クレジットカードだ。それも芹緒の知るようなプラスチックではない。聞いたことくらいしかない金属製のプラチナのクレジットカードだ。
そんなすごいものを使うことにためらいを覚えるが、だからと言ってここで例えばつつじなどに『お土産買いたいからお金ちょうだい/貸して』と言うことはあまりにも恥ずかしすぎる。それでは隣にいた小学生と同じではないか。
芹緒は見た目は女子中学生になっても中身まで子どもになったつもりはない。
芹緒は財布の存在を確かめるようにポーチをギュッと抱きしめると、さらに商品の棚をのぞいていく。
ちょうど帰る客が寄る時間なのか、ショップの中はこの身体になってから最大の人ごみだった。
元の芹緒の身長なら男性の顔は見えたし、女性は見下すことも出来た。
だが美琴の身長では女性すら少し見上げなければ顔が見えないし、男性の顔を見るには首が痛くなりそうなほど高い。
芹緒は『すみません通してください』と何度も言いながら人ごみをかき分けて移動していく。
誰かの体にぶつかったりぶつかられたりしながらも色々な商品を見て、芹緒はようやく良い感じの商品を見つけた。
芹緒はそれを必要分同じものを手に取るとレジへ向かう。
レジも大混雑だ。並んで待っているとさつきが芹緒を見つけて寄ってきた。
「芹緒様。皆さんショップの外で待たれていますので、買い物終わったら出口の左側に来てください」
「ありがとう」
さつきは芹緒の持っているものに少しだけ視線を落としたが、そのまま何も言わずに立ち去った。
何も言及されなかったことに安堵した芹緒だが、ものがダメなのかなと不安が鎌をもたげる。
芹緒は全員分のお土産を手に持っていた。
食べ物や消費されるような消え物ではない。形に残るものだ。
つつじもさつきもさくらも客人の選んだものに対して文句を言う性格ではないことは、今までの生活でわかっている。芹緒だって彼女たちとは仲良くなれたつもりだ。
美琴や桜子たちも芹緒に悪く言う子じゃないことは知っている。冷やかしてくるのは葵くらいなものだろう。
だが芹緒としてはダメなものはダメと言ってほしい気持ちも少しある。生まれてこの方、部署へのお土産という形以外、芹緒から女性個人に好意の形として物を送ったことなどない。ただ年数だけ重ねた人生経験の浅さに泣きたくなる。
不安になるがみんなを待たせている。これは芹緒の気持ちの押し付けだ。喜んでほしくて選んではみたが、彼女たちがどう反応するかは二の次だ。
「次のお客様どうぞ!」
大戦争真っ只中のレジ担当クルーから呼ばれた芹緒はレジに向かうと商品をカウンターに置き、ポーチから財布を取り出し、白銀のクレジットカードを差し出す。
「カードで……」
商品を個包装していたクルーはそのカードを一瞥して「ひゅっ」と息を飲む。だが芹緒が首から掛けている継承パスを見ると得心したのか、その後は何事もなかったかのように作業を続け、芹緒の差し出したカードを丁重に受け取り、会計を済ませていく。
「九条様、このたびはお買いあけ誠にありがとうございました」
カードを返したクルーは丁寧にお辞儀して芹緒を見送った。
周囲の人たちの何事?という雰囲気に背中を押されるように、芹緒はショップを早足で飛び出した。
明るい店内から外に出ると、より暗さが際立つ。
先ほどさつきに言われた待ち合わせ場所に目を向けると、芹緒に気付いた姫恋が手を振ってくれた。そこに行くとさくらを含む全員が揃っていた。
「みんないつもありがとう」
芹緒はそう言って先ほど購入した小さな綺麗な包装に包まれたものを全員に手渡していく。
「私たちにまで……ありがとうございます」
芹緒から手渡されたつつじはそう言って顔をほころばせる。つつじはてっきり美琴たち少女四人へのお土産だと思っていた。だからこれは不意打ちだったし、だが芹緒の性格を考えれば納得の行動だった。
(全員に渡してしまうのが芹緒様の優しさでいいところで欠点なんでしょうね)
つつじからすれば、芹緒を好いている少女たちだけにプレゼントして好感度を上げたらいいと思うのだが、決めきれない、決断出来ない、博愛の精神。それが芹緒だ。
もっとワガママになれれば……と思うものの、芹緒にはなかなか難しい注文であることもわかっている。
だからプレゼントをつつじに渡したあと芹緒からの
(このお金はあとで僕の財布から返しますから)
という耳打ちの言葉に内心吹き出してしまう。
芹緒のことだ、全員に渡して全員違うものということはあるまい。全員同じものならそれほど高価なものではないだろう。おそらく自分が支払えるだけのものを人数分購入したということ。
(芹緒様は九条家にとってお客様なのですからどんどん使ってくださっていいですのに)
芹緒は知らないが、先ほど使用した美琴名義のカードに利用上限は、ない。
やろうと思えばそのカードで好き放題暮らせるのだ。
まあそんな人間ではないとみんな理解しているからこそ、全員が全員惹かれるのだが。
「わ、チャームだ!! キレイで可愛い!!」
さっそく中身を取り出した姫恋がみんなにみせびらかす。
特に高価そうでもセンスがずば抜けているわけでもない、金色のチェーンがついていて、何の変哲もないカットがされた、青い色のついた透明な宝石のようなチャーム。
他の少女たちも取り出したが、色も形も全く一緒の同じものだ。
「これは今日ここで遊んだ思い出と、今までありがとう、これからもよろしくねって気持ちを込めたんだ。みんなのセンスに合わないかもしれないけどそこはごめんね。僕あまりこういうのに慣れていないから」
「全然そんなことありませんわ!!」珍しく桜子が大声を出す。「優香様が私たちのために心を込めて選んでくださったという事実が大切なのです。贈り物の価値は値段や他人からの評価ではありません、贈った人と贈られた人その二人の間にあるものなのですわ……優香様、私大事にいたしますわ、ありがとうございます」
「桜子の言う通り」葵もチャームのストラップを握りしめながら続く。「優香が私のために選んだ、その事実がとても大事。ありがとう優香」
「うん。そうだね」姫恋もチャームを夜空にかざす。「すっごく気持ちがあったかい。好きな人からの心からのプレゼントってこんなに嬉しいんだね。アタシ知らなかった。優香、ありがとう」
「芹緒さんらしいのよね」美琴もそっとチャームを目の前にかざす。「お金の使い方もプレゼントの選び方も。いい。芹緒さんらしくてとてもいい。このまま結婚指輪にしちゃおうかしら? ……冗談だってば。芹緒さんありがとうね!」
「私たちにまで……ありがとうございます芹緒様。これからも誠心誠意仕えさせていただきますね」
「芹緒殿らしくて素敵ですね。ありがとうございます。大事にさせていただきます」
さつきとさくらもお礼を言うと、最後に残ったつつじもお礼を述べる。
「芹緒様ありがとうございます。そして」つつじはわざとコホンとせきをして言葉を続ける。「先ほどの耳打ちは受け付けません。そのカードは思う存分お使いくださいませ。これは九条家からの指示です」
「それはダメだよ!?」
つつじの言葉に芹緒が反論しようとするが直後に美琴に抱きつぶされてしまい言葉が続かない。
「遠慮しないの!!」美琴は満面の笑みを浮かべながら言う。「あなたはこんなに愛されているんだから、大人しく好きにしなさい!」
直後。
美琴が芹緒の頬にチューをした。
それを見た少女たちが自分たちもと動き、メイドたちは中年男性から女子中学生への接吻を見えないよう、慌てて壁を作るのだった。
皆さんの評価やブックマーク、感想が心の支えです。
読んで気になる、面白いと思っていただけた方はぜひ評価やブックマーク、感想をよろしくお願いいたします。




