第六十九話 九条邸での出会い
力の訓練も終わり、お昼を食べたあと。
姫恋が少し遠慮がちに芹緒に話しかけてきた。
「優香さん、お仕事のジャマしないから私たちも九条家行っていい? 美琴からは許可もらったよ」
「美琴さんの許可があるなら問題ないよ。悪いけど私はみんなの相手出来ないけど」
「ええ。意識不明の皆様の顔を見る気など毛頭ございません。その、ただ少しでも優香様と一緒にいたくて……」
「移動時間くらい、かまえー」
「芹緒さん愛されてるねえ」
「あはは……」
桜子、葵、美琴の声に芹緒は力なく笑う。
「それでしたら全員で行って晩御飯は外食にいたしましょうか」「それならうちで食べる? せっかくみんな来るんだし」
つつじの提案に美琴は被せてそう言うとスマホを取り出しつつじたちが止めるヒマもなく電話をかける。
「アタシ美琴の家行くの初めて!!」
すでにワクワクしている姫恋。
そしてあれよあれよというまに、全員で九条家に行くことが決まってしまった。
そして全員が準備を終えてリビングに集まる。
「あれ、桜子ワンピースなんだね?」
姫恋が目ざとく桜子の服装に気付く。
「ええ。お泊まりさせていただいている立場で着物はご迷惑ですし、今日は行きたいところもありますので」
普段着物姿でいることが多い桜子が、お出かけの服として選んだのは淡いクリーム色のワンピースだった。落ち着いた光沢を帯びたそれは桜子の白い肌を柔らかく照らし出し、胸元と裾に施された細かなレースが歩くたびふわりと揺れる。
胸元には小さなリボン。控えめなのにまるで桜子自身の慎ましい可憐さをそのまま形にしたようで目が離せない。
長い黒髪は軽く巻かれ、肩のあたりで自然に流れている。
彼女が首を傾げるたび、髪に飾られた薄桃色の花飾りがきらりと光り、春風みたいに柔らかい印象を添えていた。
「桜子、本気出しすぎ」そんな桜子に葵がしっかりツッコミを入れる。「ギャップ萌え狙い?」
「どうですか優香様、似合ってますでしょうか?」
葵の言葉はきっちり無視して桜子が芹緒に問いかける。
「桜子さん上品でよく似合ってるね。ワンピース姿は新鮮だね」
「ありがとうございます。ワンピースは身体のラインが出やすいので少し苦手ですが、優香様にそう言っていただけると着てよかったですわ」
芹緒の裏表のないほめ言葉に桜子ははにかんだ笑顔を見せる。
「また桜子抜け駆け」
「抜け目ないのよね……」
「優香さん、アタシもワンピース着たら似合うかな!?」
「姫恋さんがワンピース着たらすごく似合うと思うよ。元気な子のワンピースっていいと思う」
「!!」
芹緒の言葉に満面の笑みを浮かべる姫恋。付いてないはずのしっぽがパタパタと揺れているのが見える。
「芹緒さんこういうのは言えるんだねえ……」
腕を組んで頷く美琴。
「みんな可愛いから何着ても似合うよ」
「優香、正座。それはダメ」
「ええっ!?」
出る前ですらバタバタする芹緒たち一行だった。
「どうぞお降り下さい」
九条家の邸宅の玄関口に送迎用リムジンを停め、さつきはそう言う。
芹緒を含むお嬢様たち五人が降りたあと、邸宅から出てきた使用人が彼女たちを案内するのを横目に見やりながら、つつじは疲れ果てた声で言う。
「美琴様が四人に増えた感覚です……。さつきはよく無事に運転出来ましたね?」
車中では美琴たち四人が芹緒に対して誰が聞いてもセクハラだと言える言葉を投げかけ、芹緒が慌てるのをみんなして楽しんでいた。
芹緒が美琴と入れ替わっている状態だからまだ何も起こっていないが、元に戻った芹緒が本気で彼女たちに手を出したら、四つの家の大騒動に発展すること間違いなしだ、とつつじとさくらは思っている。
もちろん芹緒はそんなことはしない、という信頼の元のからかいなのだが、それでもやりすぎは良くない。
ちなみにつつじたちも同じようなからかい方をしていたのは棚に上げている。
芹緒だって男なのだ。
彼女たちの幼い誘惑に釣られて手を出してしまう可能性はゼロではない。
つつじとさくらには芹緒に対して好意はあれど恋愛になるような感情は今のところない。
どうしても異性として男を見る時には自分の好みを探してしまう。
だが彼女たちは恋愛まっしぐらだ。最悪芹緒を襲いかねない。
「まああのくらいの年齢でしたら恋に恋するのは自然ですし」
「あれはそんなレベルを超えていると思うのだが……」
さつきの呑気な返事にさくらも頭を抱える。
彼女たちはお嬢様四人が『芹緒』家を擁立して芹緒ハーレムを構想しているなど、夢にも思っていない。もし知ってしまったらさつき以外失神してしまうだろう。
さつきとしてはまた素性の知れない、もしくは素性が分かっていても胡散臭い男に美琴を差し出すくらいなら、芹緒ルートはありだと思っている。芹緒に四人女を囲う甲斐性があるならそれもいいとすら思っている。
大体、さつきたち使用人がどう思ったところで美琴がどうなるかはさほど変わらない。彼女たちは所詮美琴付きのメイドというだけだ。父親である九条道里やその上の九家の思惑なんて知らないし知り得ない。
「大体」さつきは頭を抱える二人に疑問を投げかける。「紫苑鷹秋より芹緒優香様のほうがよほど人間的に魅力的でしょう? 何か問題ありますか?」
「その芹緒様に美琴様を愛し抜く姿勢が見られないのが問題です」
「紫苑鷹秋を例に上げたらハードルがどこまでも下がってしまいます」
つつじやさくらがそう意見を言うが、さつきも言い返す。
「美琴様が男で芹緒様が女だったら? 男性の美琴様が女性の芹緒様を振り向かせられるよう努力する。これなら納得なのに逆だと認められないなんておかしいですよ」
「さつきの言いたいことは理解出来るが、頭がついていかない。年齢の問題もある」さくらは呻く。「このまま元に戻らなければそうなる未来もあり得る。道里様のお言葉を疑うつもりは毛頭ないが、あの天啓も絶対ではないのだから」
そう。
九条道里の力は『未来』が見える、そしてそこへ続く道を示唆する。
だがその道から外れればその『未来』にたどり着けないこともあり得るのだ。
そもそも美琴が芹緒のような男性と入れ替わる未来など道里は見たことがないはずだ。もし見えていたら全力で回避したことだろう。
「未来は分からないくらいで丁度いいんですよ」さつきは呑気だ。「もっと素敵な未来があるかもしれないんですから」
使用人の案内で屋敷の中に入ると、そこには出迎えの人影が複数いた。
皆同じ使用人の服装をしているのだから、全員使用人ではあるのだろう。
だがそのうちの何名かはその集団内で異質な空気を纏わせていた。
背格好体格から辛うじて女性だと分かるその数名は顔全面を覆う白い仮面を付け、また個性というものを全く感じさせない。
それが彼女たちが纏う異質さだった。
頭には修道女のようなヴェールを付け、髪の長さも色も外からは推し量れない。
さすがに身長や体格からは個々の違いこそあるものの、それだけでは彼女たちの素性は見えてこない。
この仮面を付けた女性たちが、芹緒の力によって目を覚ました者たちだった。
仮面を付けていない使用人が前に進み出て美琴とその客人を出迎える。
「それじゃあまたあとでね」
芹緒がそう言うと美琴や桜子たち、芹緒と仮面の女性たちという二つの集団に別れ、それぞれ廊下の反対側へ向かう。
美琴たちは美琴の自室へ、芹緒は仮面の女性たちを伴いながら廊下の向こう、屋敷の奥深く厳重に警備された空間に向かう通路へ向けて歩いていく。
ふと桜子と葵が後ろを振り向くと、仮面の女性たちがやたら親しげに芹緒にまとわりついているのが見える。
桜子たちの視線に気が付いた一人が、優雅に頭を下げる。そしていきなり芹緒の腕に抱きつく。
芹緒は慌てて離れようとするが女性たちの華やかなで嬉しそうな、そして桜子たちのかんに障る笑い声が聞こえてくる。
そうこうしながら芹緒たちは廊下の角を曲がって姿を消した。
芹緒が消えていった廊下の角を見ながら立ち止まった葵はつぶやく。
「……敵」
「ずっと優香様に声をかけられて立ち直れたのです。生まれたてのヒヨコが初めて見た者を親だと思うようなもの、と思いたいですが……事前に聞かされていても実際目の当たりにしてしまいますとイラッとしますわね」
「みんな大人の女性だったね……顔が見えないのにすごくセクシーさを感じたよ」
「私の懸念をみんなも感じてくれて嬉しいわ」
葵たちの感想に美琴が大きく頷く。
いつの間にか全員が立ち止まっていた。
ここに来る車中で芹緒から話は聞いていた。
心象世界の中では誰もがハダカだ。それは相手だけではなく、自分も例外ではなかった。
芹緒はため息を吐きながらも先ほど姫恋に指摘されて気付いたことを素直に話してくれた。
意識を取り戻した彼女たちは仮面をつけて過去を捨て、リハビリのために九条家で生活していると。だがその全員が芹緒付きのメイドになりたがっていると。
『助けてくれた人に恩返しがしたいんじゃないかな。でも自分自身のために頑張って欲しいよね』
『……優香好かれてる』
『ないない。心の世界では僕は今の美琴さんみたいな見た目じゃなくて、あのモンスターみたいな姿だったからね』
葵の指摘に芹緒は苦笑しながら首を横に振る。
だが送迎用リムジンの中の女性たちの意見は芹緒と違っていた、そして一致していた。
『鈍感すぎる。百パーセント好かれてる、慕われてる』
いくら芹緒の見た目が本人の言う醜いモンスターだったとしても、そのモンスターがずっと自分が目を醒ますことが出来るよう粉骨砕身の努力を続けているのだ。
例え最初こそ見た目で侮蔑の対象だったとしても、ずっと語りかけられ、女性の目に映るモンスターの心が純粋な『救い』の感情一点のみなら、絆されない方がおかしい。
あれから一週間。
目を覚ました女性は五人。
明らかにペースが早すぎる。
芹緒が手慣れたのか、桜子たちは知らないが人生に諦観している芹緒の言葉は人の心に染み入るのか。
美琴たちは芹緒の知られざる人たらし、女たらしの能力に舌を巻く。
『嫌われてないだけいいじゃないですか』
そんなさつきの言葉は桜子や葵といった少女たちの横をただ通り抜けていく。彼女たちにとってまさかのライバル出現にさつきの言葉は余りにも軽い。
「あの方々は皆さん上流階級の女性よ。個人特定は出来ないけど私たちよりよっぽど年齢は芹緒さんに近いわ。そして家を継がなきゃいけない私や桜子なんかよりよっぽど自由」
「由々しき事態」
そう立ち止まって話していると、違う廊下の遠い角から、装飾の多い豪奢な赤いワンピースを纏った女性が出てきた。
その女性はこちらへまっすぐ歩いてきたので、美琴たちは口をつぐむ。
彼女は立ち止まっている集団の中に芹緒姿の美琴を認めると、少し離れた場所で立ち止まり、顔をしかめながらも
「ごきげんよう美琴様。今日はどのようなご用件で?」
そう声をかけてきた。声からすると美琴たちとそう年齢は変わらないか少し上のようだ。
長い手入れの行き届いた金髪を、前から左右にそれぞれ編み込み後ろで一つにまとめている。
「……ここは私の家だから用事があろうがなかろうが帰ってきても勝手でしょ。それより私を美琴って呼ばないで」
「すみません芹緒様。まだここのしきたりに慣れておりませんので。それでは失礼いたします」
慇懃無礼に美琴たちに形ばかりの礼をするとそのままその女性は美琴たちの目の前を通り過ぎていく。
「……誰?」
彼女が玄関を出て姿を消したあとの姫恋の問いに、美琴は脱力したように答える。
「紫苑有栖。紫苑鷹秋の一人娘ね。紫苑家はお取り潰し予定だからお父様が後見人になってて今は家に身を寄せてるの」
「仲良くなさそう?」
「そりゃあそうでしょ。前回の事件のこと、私はともかく芹緒さんまで恨まれてるからね。芹緒さんは誘拐された完全な被害者だし、家がお取り潰しになったのだって自分の父親の自業自得なのに」
「実情、知ってるの?」
「婚約破棄と芹緒さん誘拐までは知ってるかな。芹緒さんが今してることは知らない」
紫苑鷹秋が多くの女性の心を壊して性奴隷として扱っていたという事実は知らないらしい。
「それよりも。紫苑様は美琴様より大きい娘がいながら、美琴様と結婚しようとしていたんですのね……」
桜子の声には明らかな嫌悪感が含まれていた。
子どもがいながらその子どもと同年代の子と結婚しようと考えるその発想が桜子には受け入れ難い。
確かに年下と結婚する男性は多い。妻に先立たれ再婚することにも文句はない。だがさすがに子どもと同年代の娘と結婚しようとするのはどうなのか。
……この考えを芹緒にぶつけたらさすがの芹緒も自省して桜子たちから離れて行きかねないが、そもそも芹緒には子どもはいない。結婚したこともない。ついでに言えば芹緒曰く誰かと付き合ったことすらない恋愛・結婚初心者だ。
そして芹緒との恋愛に関していえば、芹緒よりも桜子たちが前向きなのだから本人たち的には何も問題はない。芹緒にそんな自省はさせない。
紫苑有栖には母親がいない。
正確には誰が母親か分からない。
紫苑鷹秋は昔から目についた女性を片っ端から自分のものにし、子を孕ませ、その子に力がなければ僅かばかりの手切れ金を持たせて母子ともども家から追い出すということを繰り返していた。
そのうちそれすら面倒くさくなったのか、ひっそりと女性を攫い心を壊し性奴隷として扱った。そこから生まれた力持つ子が有栖だった。
だが鷹秋は有栖の力だけではおさまらなかったのかさらに権力を欲し、美琴の許嫁の座を射止めたのだ。
九家としても紫苑鷹秋の行動は目に余りつつも、人攫いまでは知らなかった。そのため美琴の許嫁として紫苑鷹秋を選んでしまったのだ。
有栖は立場を鼻にかける人物だった。
使用人を見下す態度などは父親譲りだろう。その性格が災いしてか交友関係はあまりない。遠縁である美琴自身ほとんど有栖とは交流がなかった。
そんな彼女が態度そのままに我が屋敷を自由に闊歩しているのは、美琴としても思うところがないわけでもない。
ただ彼女の立場に立って考えれば、彼女の気持ちも多少理解出来る。
父が突然許嫁を一方的に破棄され、逆上して美琴(芹緒)を誘拐。その事件によって紫苑家はお取り潰し(予定)。自身はその切っ掛けを作った美琴の家に身を寄せねばならない。
普段芹緒姿の美琴には会わないものの、美琴姿の芹緒は毎日屋敷を訪れる。そんな芹緒と顔を合わせたくなくて時間をずらして廊下に出てみれば芹緒姿の美琴に出会う始末。
機嫌が良いわけがない。
だが美琴も菩薩ではない。相手が敵対心を抱いているのが分かって笑顔でスルーは出来ない。上段に構えて無闇に刺激するよりもむしろ敵対してるほうがお互い楽まである。もし美琴が彼女を憐れんだら有栖は激怒するだろう。
そして下手な冗談は言わないことに越したことはない。冗談とは言う相手を選ぶものだ。
「とりあえず私の部屋に行きましょ」
そう言うと立ち止まっていた集団は再び動き出した。
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