第六十八話 心の中で
周りの景色を見て他愛のないおしゃべりをしながら歩くのはとても楽しいだろう。
芹緒は楽しげに話す美琴、姫恋、桜子の少し後ろで、彼女たちの軽やかな笑い声をラジオ感覚で楽しんで歩いていた。
友人のいなかった芹緒にとってその光景は眩しいものに映る。
もちろん途中何度も彼女たちから声をかけられ、応じてはいたがやはり同世代の会話は話も弾む。
狭い空間なら芹緒が中心になることも多いが、外では自然なグループが形成されていた。
そうこうしてジョギングもといウォーキングの一行は、いつもより少し遅い時間に目的地の折り返しの公園まで辿り着くことが出来た。
「ふぅ……」
桜子は呼吸こそ少し荒いが、それほど辛そうではなさそうだ。その証拠にタオルで汗を押さえる顔にはすがすがしい笑みが浮かんでいる。それは美琴も同様だ。
ちなみにさくらは汗一つかかず、芹緒と姫恋は少し汗ばむ程度。
「やっぱり私たち運動不足だよねえ」美琴がさくらの準備してくれたスポーツドリンクを飲みながら言う。「基本的に車で送り迎え、歩くのは校舎の中と家くらい。桜子は家の中も歩いてないでしょ?」
「そうですね……」桜子はベンチに腰掛けスポーツドリンクをゆっくりと飲みながら肯定する。「もう少し体力をつけませんと」
「最初走っちゃったから桜子は体力消耗しただけだと思うよ?」ストレッチしながら姫恋が助け舟を出す。「いつも舞踊や歌唱してるんだから、普通に体力はあるはず」
「そうだといいのですけれど」
姫恋の言葉に桜子は困ったような笑みを浮かべる。
「大丈夫大丈夫。私が走れてるもの」そんな桜子に美琴が笑顔でそう声をかける。「この体でもジョギング出来たわ」
「ペースが早すぎました。気をつけます」
そうさくらが頭を下げると桜子は慌てて首を横に振る。
「私は勝手について来たのですからお気になさらないでくださいな。この朝の時間で私も自分のペースを見つけてみせますわ」
前向きな桜子の言葉に全員が笑顔になる。
「ここっていい感じの公園だね! まだ色んな遊具がある!」
話題を切り替えるように姫恋が公園内を見渡して言う。
確かに、と芹緒は思う。最近の公園は子どもがケガをするとか管理が出来ないとかでほとんどの遊具は撤去されてしまい、ベンチくらいしかない公園も多い。朝から老人たちが占拠しているところもある。
だがここはすべり台やジャングルジム、鉄棒といったちょっとした遊具がまだ残っていて、公園内は人影がなく、朝の時間はいつも芹緒たちが独占している。
今日は来るのが遅かったがそれでも朝食前の時間だ。
「外ですべり台とかやったことないかも」
美琴が呟くと桜子もうんうんと頷く。さくらはさもありなんと深く頷く。
彼女たちは室内で多くの使用人たちに見守られながらそういった遊具で遊んでいたのだろう。錆だらけの遊具など触らせてもらえまい。
「ていっ」
不意に姫恋は鉄棒に向かって駆け出すと、鉄棒に身体を乗せぐるんぐるんと器用に何周も回ってみせる。
「おー!!」
姫恋の突然の技に芹緒たちは思わず拍手をしてしまう。
「姫恋様は身体が思うように動いて楽しそうですわね」
その光景に桜子が羨望を込めて呟く。それに芹緒は同意するように頷き、
「でも桜子さんも舞踊で思い通りに踊れるならすごいことだよ」
そこに美琴が口を挟む。
「鉄棒、芹緒さんもやってみたら? 私の身体なら出来るかも?」
「いや、そんな簡単なことじゃないと思うよ」「優香さんやってみよ!!」
尻込む芹緒の元へ華麗に着地した姫恋が駆け寄ると、そのまま芹緒の手を引いて鉄棒の前まで連れて行ってしまう。
そして芹緒は鉄棒を前にして佇む。
鉄棒の前に立つなんて何十年ぶりだろうか。小学校の頃から太っていた芹緒にとって、何も上手く出来ない体育の時間は水泳の時間以外苦痛でしかなかった。鉄棒なんて逆上がりすら出来なかったのだ、正直今さら好んでやりたいとは思わないし、恥をかきたくない。
ただ、今は若くてそこそこ運動神経のいい美琴の身体だ。そしてそばには出来る姫恋もついている。
もしかしたら出来るのかもしれない。
芹緒は不安と期待がごちゃ混ぜになった感情のまま、鉄棒を握る。春休みとはいえ朝はまだ鉄棒は握ると冷たさが手のひらに突き刺さる。
「優香さん逆上がり出来る?」「出来たことない……」「じゃやってみよう!」
そして姫恋の指導が始まる。
「鉄棒をしっかり握って……、握り方は、うんそう、で身体を少し後ろに引いて。片足を大きく蹴り上げて腕を引き付けるの。鉄棒をお腹にくっつけるイメージで! 身体を丸めると身体がくるって回るよ!」
姫恋の言葉にただ従い、芹緒は鉄棒を両手で握って身体を後ろに引く。あとは足で蹴って腕を引き付けてお腹で回るだけだ。その時身体を丸めれば身体は勝手に回るはず。
芹緒は姫恋の言葉を頭に入れると、動き出す。
ざっ!
ぐるん!
すとん。
「……」
芹緒の決意とは裏腹に、あっけなく逆上がりは成功してしまった。鉄棒から下りて着地した芹緒はしばらく目を瞬かせる。
「優香さん上手!」
「さすが私の身体」
「お見事です優香様」
さくらも含めたその場の全員が拍手をしてくれる。気恥ずかしいが、生まれて初めて逆上がりが出来たことが嬉しい。
調子に乗った芹緒はそのまま二度、三度と逆上がりをやってみたのだった。
帰りもおしゃべりしながらアパートに帰りつく。
「おかえりなさい」
家に帰るとつつじが出迎えてくれた。
「皆さん、シャワーを浴びたら朝ごはんですよ」
「美琴さんどうぞ」「ありがとう」
この中で一番の汗っかきの体の美琴からシャワーを浴びに行く。
芹緒はバスタオルを洗面所から取ると自室に入る。
自室では葵がまだ寝ていた。さすがに朝ごはんの時には起こさないと。出来れば自分が起こしてあげたい。芹緒は昨夜の姫恋の行動を思い出しながらそう願う。
そしてパンツ以外を脱ぐとバスタオルを纏い、汗まみれの衣服を持って自室を出る。
「美琴を洗うの?」「そ」「代わろうか?」「ダメです」
姫恋の申し出を芹緒はピシャリと断る。
いくら痩せたとはいえまだまだ贅肉の残る体を女子中学生に見せることには抵抗があるし、彼女たちは前も見たがる気がする。あれは子どもには見せてはいけないし、恥ずかしくて女の子には見られたくない。
「芹緒さーん」「はーい」
しばらくして聞こえてきた美琴の声に返事をし、芹緒は浴室に入っていく。そこでは美琴が背中を向けて風呂椅子に座って待っていた。
芹緒は手早く泡を作ると、垢すりタオルで美琴の背中をゴシゴシと擦っていく。だいぶ力の入れ方も分かってきた。
「いい気持ち〜♪」
美琴が気持ち良さそうな声をあげる。
毛が生えたりして汚い背中だったはずだが、あの入院中に何かしたのかキレイな背中になっている。脂肪はまだまだあるが、美琴は体を鍛えたりダイエットを継続している。いずれ男性らしい体になっていくのだろう。
「……」
目の前の背中は今の芹緒には大きく広い。以前よりは脂肪がなくなり、男性らしさが、見える。
芹緒と違って美琴は実行も継続も出来る。とても頼もしい。
芹緒は思わず生つばを飲み込む。
自分が求めてやまなかった男性らしさ。ただ背中を見てるだけなのに男性らしさを感じるのはどうなのか。そう思いつつも心の内がバレないよう、芹緒は黙々と手を動かす。
「終わりー」「ありがとうね芹緒さん」
素知らぬ顔で終わらせてそう言った芹緒の言葉に、何も知らない美琴は素直にお礼を述べ、シャワーを出して芹緒の手の泡を洗い流してくれる。
「それじゃあね」「はーい」
そして芹緒は浴室を後にした。
周囲を見渡し芹緒は安堵する。ここに葵がいなくて本当に良かったと。
芹緒が美琴の、自分の、男性の背中に、たとえ一瞬でも見とれたなんて知られたらいくらなんでも恥ずかしすぎる。
この生活には男性は芹緒姿の美琴一人しかいない。女性は皆華奢だ。そんな中体格が大きい背中を見て少し見とれるくらい男女問わず誰でもあるだろう。
そう決めつけると、芹緒はかぶりを振って変な考えを頭から追い出した。
「ぎゅー」
どうやらメンバーの入れ替わりは夜のお風呂までらしい。
シャワーが芹緒の順番になると当然のように姫恋が芹緒の手を引き浴室に向かう。誰も反対しないのがかえって不気味だ。
そしてシャワーを浴びながら背中から姫恋が抱きついてきた。
抱きしめられることで自身の身体が華奢であることを改めて実感する。
姫恋の女の子らしいきめの細かい柔らかな肌が芹緒の身体を包み込む。年相応に膨らんだ胸も芹緒の肩に形を変えるほどに押し付けられている。その甘い柔らかさに身体から力が抜けそうになる。
「姫恋さんダメだって!」
ドキドキする。やっぱり女の子の身体はドキドキする。
芹緒は姫恋を引き剥がしながらそう安堵する。
姫恋が短い髪を洗っている間に芹緒は泡を作って姫恋の背中を洗っていく。身体の前は自分でやってもらうように言った。みんな汗だらけだ。自分たちだけが時間をかけるわけにはいかない。
二人は手早く身体を洗い終えるとさっさと上がる。
姫恋は昨夜よりも落ち着いた様子でサニタリーショーツとナプキンを装着する。
そして芹緒はワンピース、姫恋はTシャツにショートパンツというお互いいつも通りの服装に着替えると洗面所を出て桜子とさくらの二人と交代した。
「葵起こそうか」
姫恋がリビングを見渡してそう言ってきた。
芹緒は頷くと「僕が起こしてくるよ」と宣言する。「優しく起こしてあげないと」
「あはは。昨日のはびっくりさせちゃったかな? でも桜子もあれぐらいしないと無理って言ってたんだよ?」
姫恋や桜子のありがたい忠告を聞きながら芹緒と姫恋は部屋に入る。
「すー…すー…」
「葵さん朝だよー。そろそろ起きよう?」
芹緒は葵の肩を揺するが当然のように起きない。そこで芹緒は葵の布団を引っ剥がす。中から身体を横にして少しだけ背中を丸めた葵が出てくる。
芹緒はその葵の両足を掴むと上に持ち上げ、手を離して落とす。持ち上げた勢いでパジャマの上着が胸元までずり上がるが、そんな勢いにも関わらず、葵は起きる気配を見せない。
「やっぱりダメージを「ダメ」はーい」
姫恋の言葉を遮り、芹緒は考える。
外からの接触は効果なし。かといって大ダメージを与えるような起こし方は論外だ。
くすぐってみようか?
そう考えた芹緒は葵の素足を捕まえると、裏側をこちょこちょとくすぐってみる。それを見た姫恋ももう一足をくすぐり始める。
しばらくくすぐるが効果はなさそうだ。
「……」
くすぐりながら芹緒は何の気なしに葵の耳に口を近付けると、「ふうっ」と吐息を吹きかけてみる。
とたん。
「あひゃあああ!?」
吐息を吹きかけられた耳を押さえながら葵が跳ね起きた。
「おはよう葵」
「ぞ、ぞくぞくするぅ……はうっ」
どうやら耳が弱いのは芹緒だけではなかったらしい。というかまさか起きるほど耳が弱いとは……。芹緒が首を傾げていると
「くすぐりで、ほぼ起きて、た!!」
「おはよ葵。くすぐりでさっさと起きない葵が悪い!」
葵の抗議の声に姫恋があははと笑う。
どうやら葵はくすぐりや耳が弱いらしい。
「おはよう葵さん。もうすぐ朝ご飯だよ」
「……おはよう、優香、姫恋。普通に起こしてほしい」
そんな葵の言葉に芹緒と姫恋は顔を見合わせる。
「「普通にって?」」
そして声がハモってしまう。
葵の普通の起こし方とは?
「三十分ほど、揺すってもらえれば、起きる」
「それは普通じゃないよ葵」
「使用人さんたちならそれくらい時間かけてくれるかもだけど、ここにはいないからね。姫恋さんのフライングニーとくすぐりプラス耳。どっちがいい?」
「どちらも甲乙つけがたい、イヤ」
そんな葵のワガママな言葉に二人は笑ってしまうのだった。
朝食を食べた後、芹緒は力の練習を行う。今日は一緒に美琴や桜子、葵も正座で並んで行う。力がない姫恋も端っこで正座している。
以前はさくらに力の使い方を学んでいたが、紫苑鷹秋の事件以来芹緒は力を扱うことが出来るようになっていた。今行っている練習はより力を繊細に扱うための練習だ。
「みんなキレイだねえ」
姫恋が芹緒たちが放つ力の煌めきを見てそうこぼす。
芹緒は白い光を。
桜子は青白い光を。
葵は薄い桃色の光のオーラを身に纏っている。
力を扱える少女たちは力を見える形で具現化している。とは言え普段桜子や葵が力を使う際オーラを纏うことはない。訓練のために敢えてオーラを放っているのだろう。
桜子と葵は互いに力をぶつけ合って鍛えているようだ。それぞれのオーラが絡み合う。
美琴は早々に正座を諦め、ただ瞑想している。
美琴本来の力は美琴の身体に宿っているため、芹緒の体にいる美琴は力の扱い方をイメージしているだけだ。
そもそも美琴は美琴の身体であった時も、力の自覚が出来ず、力を自分の意志で発動させることも出来ていなかった。
このままでは芹緒と美琴が元の身体に戻った際に美琴が力を使えない可能性がある。さくらの指導は美琴に付きっきりだった。
美琴としても戻りたくない前提があるとはいえ、元々は美琴の力であるものを、芹緒だけが扱え当の本人が使えないのはプライドが傷つく。だから熱心に瞑想する。
桜子と葵はあの事件の際、オーバーフローして力の可能性を広げることが出来た。だがその反動は大きかった。芹緒のアパートに来るのに事件が終わってから一週間かかったのも、二人とも体調の回復に時間がかかっていたからだ。
だから今日は力を使いつつ、少しずつ力を使いこなせるようにしている状態だ。
そもそも桜子も葵も力の拡張なんて考えたこともなかった。
ウソを見抜く力。感情の色を見る力。これだけで十分だと考えていた。
紫苑鷹秋の力の使い方を見なければ、あそこまで追い詰められなければ、力を鍛えるなんて考えには至らなかった。そういう意味では数少ない紫苑鷹秋の功労だ。
そして芹緒。
芹緒は今力の意味を拡大解釈して使っている。オーバーフローして出力自体を上げるのではなく、様々な解釈で力を使っている。
美琴が本来の姿で使っていたのは、ランダムテレポートと身体入れ替わり。
芹緒が今使えるのは、力の放出による実質的なバリア、そして相手の心に潜ること。
葵の力がほぼ見るだけで発動するのに対して、芹緒の力は身体の動きを止め、全身全霊でなければ相手の心には潜れない。その代わり色が見えるだけの葵の力に対して、芹緒は相手の心とダイレクトに会話出来る。
芹緒はその力を使って心を打ち砕かれた紫苑鷹秋の被害者女性たちに語りかけている。
「姫恋さん、姫恋さんに力使ってもいいかな?」
「うんいいよ!」
芹緒が遠慮がちに力の練習相手に姫恋を選ぶと、姫恋は嬉しそうに両手を広げ芹緒を迎え入れるポーズを取る。
芹緒はゆっくりと力を姫恋に向けると、白い光が姫恋の身体を包む。
「優香さんの力は温かいんだよね。すごく満たされるよ」
姫恋の気持ちよさそうな声も耳に届かず、集中する芹緒はそっと姫恋の中に侵入する。
気付くと芹緒は広大な空間に放り出されている。これが芹緒のいつもの光景だ。
芹緒は視線を彷徨わせると、遠くに光るものを見つける。あれが姫恋の心だ。
ゆっくりその光に近付いていくと、その光は次第に人の輪郭を取る。さらに近付くとその光は姫恋の姿となった。
淡く光る姫恋は生まれたままの姿だった。
芹緒の接近に近付いた姫恋はブンブンと手を振って芹緒を呼ぶ。
今芹緒が相対している女性たちは芹緒が近付いても全く反応しない。それどころか心のコアが砕かれ光を放つどころか真っ黒な硝子の欠片になって散らばっている。
芹緒はただただ語りかけながらその欠片を一つずつ合わせていって元の形に戻していく。
それは途方もない作業だ。
心の中ではいったいどれほどの時間が過ぎているのか分からない。体感時間では年単位だ。
それでも『この欠片を元の姿に戻せば心は戻る』という、なんの根拠もない気持ちに突き動かされて、芹緒は欠片を欠けのない球体に戻す。
そうするとその球体は真っ黒な人の形を取った。
身体を丸めて目を閉じ、全てを拒否するような姿勢。
そんな姿に芹緒はただひたすらに語りかけた。
『大変だったね』
『大丈夫だよ』
『もう怖くないよ』
『あなたを待っている人がいるよ』
もちろん『自殺しようとした芹緒が言うな』、という気持ちは常に持っている。
だが怠惰でデブで借金すらある、社会から必要とされない存在の中年男性の自分と、彼女たちでは立場が違う。彼女たちは紫苑鷹秋によって、他人によって人生を歪められた被害者だ。自業自得の芹緒とは根本的に違う。
彼女たちは救われるべきだ。
語りかける声で芹緒に目を向ける者もいたが、その視線には侮蔑が篭っていた。それは仕方ない。この心の世界では芹緒も女性も心は丸裸だ。芹緒の汚い心が見えるのだろう。
それでも芹緒はただひたすら彼女のために言葉を心を尽くす。
すると少しずつ、本当に少しずつだが、黒いガラスの球体だった心が光輝くようになるのだ。
そうして今まで五人の女性が芹緒の説得により前を向いて現実と向き合うようになってくれた。
ただ芹緒が驚いたのは、彼女たちが目を覚まして起き出した途端、例外なく芹緒に抱きついてキスをしてきたことだったのだが。
上流階級の女性の感謝とはこれほど情熱的なのかと芹緒は驚いたほどだ。
『優香さーん!!』
『ありがとうね、姫恋さん。目はつぶるから安心して』
『何を今さら。優香さんもハダカだからお互い様だし今さらだよー』
『へ?』
姫恋の指摘に慌てて芹緒は自分の体を見渡す。
それは未成熟な少女の姿ではなかった。
芹緒が疎ましく思った、美琴が手術をする前の、本来の芹緒の姿だった。
『わわ!?』
芹緒は慌てて前を隠そうとするが、近付いてきた姫恋に止められる。
『ここでは全部曝け出すんだね。芹緒さんがそんなんじゃあ治療される女性はもっと恥ずかしいんじゃない?』
『……まさか僕がこの姿だなんて気付いてなかった』
『ふーん。優香さんはずっとその姿でみんなを立ち直らせたんだから、もっと自信持っていいと思うな!』
『でも醜いよ……』
『これが身体も心も揃った優香さんかあ。ぎゅー』
姫恋が抱きついてくる。心の世界だからなのか、姫恋の身体はとても温かい。
『興奮するから離れて!』
『いいんだよ優香さん。アタシで興奮してくれたらすっごく嬉しい。優香さんがロリコンだろうがそうでなかろうが、アタシを見て興奮するなら、アタシすごく自信が持てちゃう』
『姫恋さんは今でも十分魅力的だよ! 僕は女体に耐性ないから!!』
『あっ大きくなってる♡』
『姫恋さん!?』
ここは心の世界。隠し事は出来ない。姫恋の言葉は真実だと芹緒には分かる。もちろん芹緒の発する後ろ向きな言葉が真実だというのも、また姫恋には伝わるだろう。
触ろうとする姫恋を拒絶し、芹緒は姫恋と距離を取る。
姫恋はとても優しい笑顔を浮かべる。
『今の姿の芹緒さん見ても、やっぱりアタシ気持ちは変わらないな!』
『……』
芹緒は黙るが姫恋は続ける。姫恋には芹緒の心が見えている。
『怖がらないで。アタシと一緒にハジメテ、しようね!』
『帰る! 姫恋さんありがとう!!』
『優香さんありがとね!!』
姫恋は離れていく芹緒にそう言いながら手を振った。
「はあ……」
瞑想を止め目を開けた芹緒は大きくため息をつく。
考えたら当たり前のことだが、相手に芹緒のハダカの姿が見えていることは盲点だった。しかも美琴のような見目麗しい少女の姿ではなく、デブで醜いあのモンスター姿の中年男性のハダカとは。女性たちが汚らしいものを見るような視線でこちらを見てきたのも今なら頷ける。語りかけることばかりに夢中で、自分自身がどんな姿か気にする心の余裕はなかった。
芹緒は頭を抱える。今日行くのが一気に気が重くなる。
ただ不思議なこともある。それは目を覚ました女性たちが芹緒に好意的?に接してきたことだ。
目を覚ましキスをしてきた後も、彼女たちは身体のリハビリがてら芹緒の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれている。
目を覚ました女性たちはこんな一般人から離れていくと思っていたので、今でも芹緒の周囲に寄ってくれるのは何故だろうと思っていた。それが彼女たちにはあの中年男性のだらしない体を見せていたとなればなおさらだ。
気にはなるが聞くのが怖い。
彼女たちが裏表なく接してくれているとは思っているが、他人とのコミュニケーションが苦手な芹緒にとって、女性の本当の気持ちなど分かるわけがない。
心の中の世界とは違って現実の世界では何も分からないし信じられない。
もしかしたら給湯室で雑巾を絞るように、彼女たちの出してくれる飲み物には何か入っているのかもしれない。
(仕方ない……か)
芹緒はそう結論付ける。
別に感謝されたくてしている訳ではない。芹緒にもやることがある、出来ることがある、それだけでしていることだ。芹緒の独りよがりだ。
彼女たちがどう思おうと芹緒のすることは変わらない。そう考えると少しだけスッキリした。
「トイレ行ってきます」
芹緒はそう言って和室を出て行く。
リビングの扉が閉まったとたん、芹緒の体も心も全部見た姫恋がつぶやく。
「優香さん可愛い♡」
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