第六十七話 愛されたい
「こないだみんなで泊まった時にはどんなお話したの?」
美琴が興味深そうに芹緒に聞いてくる。桜子たちから聞いてないのか芹緒から直接聞きたいのか、それは分からないが芹緒は前回話した片思い話を美琴に披露した。
「なるほどねー」美琴はうんうんと頷く。「それって、芹緒さん男性として見られてなかったんじゃないかな?」
「だよね」芹緒も苦笑しつつ厳しい美琴の意見を肯定する。芹緒もそう痛感していたからだ。「『男らしさ』っていうのが年を重ねても分からないんだよね……」
「男らしさ、ですか……」
桜子は首を傾げる。
「頼りがいとか?」
姫恋も同じように首を傾げる。
「優香と正反対」
葵は芹緒と美琴を見比べて残酷な現実を突きつける。芹緒の見た目は太った中年おじさんだ。ダンディといった言葉とは無縁の、性的魅力のかけらもない不審な人間だというのは自覚している。
「女性は分かりやすいよね、外見が性的魅力に溢れてるから」
「ケンカなら、買う」
「葵さんは自分を卑下してるけど、そういうスタイルが好みな人もいるよ」
「ロリコンに好かれるのは、いーやーだー」
芹緒の言葉に葵は寝転んだまま手足をじたばたさせる。
嫌がる葵の気持ちも分かるが、誰かに愛されるのは羨ましい、と芹緒は思っている。思っていた。中年男性でありながら『来世生理の軽い可愛い女の子に生まれ変わりたい』と願うほどには。
だが今はどうだろう。芹緒の認識的には愛とまでは行かなくても芹緒は今、四人の少女から好意を向けられている。迷惑なんてひとかけらも思っていないが、この状況に困惑しているのは確かだ。
葵と同様芹緒もまだ自分に自信がない。そんな状況である一面だけを好きになられている状況が、葵の言う『ロリコンに好かれても嬉しくない』なのだろう。
自分に自信があればある一面だけを好きになられたとしても、その相手のことを好ましく思えば、自分をさらけ出して全てを好きになってもらおうとするのかもしれない。
「優香さんはさ、理想が高くなっちゃったんだよ」姫恋が枕を抱えたままつぶやく。「恋や愛や女の子。そういうのにずっと無縁で、年を取って色んなことを経験しないまま知識だけ入ってきちゃって、ハードルが高くなってるだけ。もっと気楽に付き合ってもいいと思うんだ。そ、その……運命の人って一回で見つかるものじゃないと思うから」
「それは同感」美琴も大きく頷く。「自分とフィーリングが合う人間が最初に見つかるなんて天文学的な確率だと思う。だからみんな『運命』なんて言葉使うんだろうけど。もっと気楽にハダカの付き合いから始めてもいいと思うの」
「ごほんっ」
さくらのわざとらしいせき払いが聞こえてくる。
「私は子どもの頃からそんなこと出来る環境じゃなかったからね。枷がない芹緒さんが羨ましいよ?」
「うーん……」
芹緒は首を曲げて曲げてころんと横になる。それでも美琴の言葉には納得できない。
「でしたらお二人が優香様に抱く感情は」
「「本物だよ」でしょ」
桜子の言葉に美琴と姫恋は素早く反応する。
「どこにテレポートするか分からない私があの夜、芹緒さんと出会ったの。そして私たちはお互い入れ替わったの。これって運命よね? そして私には芹緒さんを愛して養っていく自信があるわ」
美琴はそう言うとひょいと芹緒を抱き上げ、あぐらをかく自分の膝の上に芹緒を乗せる。そしてぎゅっと抱きしめる。姫恋も二人の近くに行くと芹緒の手を取り両手で握る。
「アタシはさっきも言ったけど優香さんの内面に惹かれてるの。外見なんて関係ない」
「うむー」
葵はうんうんと頷くと芹緒の空いた手を取り自分の胸に当てる。
「ちょ、ちょっと!?」
この展開は前もあった。芹緒は慌てるが葵は薄い表情のまま目を瞑り、芹緒の手を自分の胸の上で動かしている。柔らかい感触から手を離そうとするが、片手では両手の葵に敵わない。葵が何を考えてこんなことをしているのかさっぱり分からない。
姫恋が同じことをしようとしないのが救いだ。
「前もこんなことがありましたような……」
目の前の光景に桜子がそう言い、芹緒も思い出す。あの時は美琴がいなかったが、姫恋と葵にほっぺにキスされたときのことが脳裏によぎる。
「私だけ仲間外れというのは寂しいですので……えいっ」
可愛らしい掛け声とともに、桜子は美琴の膝の上にいる芹緒の膝の上に座る。顔と顔が近付く向きで。
こちらを見る少し照れた表情がズルい。
「桜子ズルい!!」
「桜子、したたか」
「桜子大胆なんだねー」
そんな三人の声を気にも留めず。
「優香様、好きです」
「!!!」
大胆な告白。それは女の子の特権。
芹緒の頭にどうでもいい言葉が流れる。
「何度でも言いますわ。優香様、好きです。優香様はもっと自分に優しく、素直な心に従ってその枷を外してもいいんですのよ? 『人を好き』になる気持ちが分からなくても、まずはこの『女性の性的魅力』からお試しになってもいいんですの……あいたっ」
「桜子、ちょっと調子乗りすぎ!」
桜子が芹緒に身体を擦り付け、顔をじっと見つめながら芹緒を籠絡しようとしていたところを、芹緒の頭の後ろからその様子を見ていた美琴が桜子の頭にチョップを入れる。
「桜子はこないだも優香さんのファーストキス奪ったんだよね!」
「卑しい女」
「へえ……」
「ちょっ!? あれはお二人がほほを占領してるからっ」
「額にちゅーが選択肢にない時点でえっち」
「えっち」
「えっちだね」
「もうっ!!」
三人に責められ桜子は顔を真っ赤にして拗ねてしまう。芹緒はそんな桜子の頭をついよしよしと撫でてしまう。
「あー!! こないだも桜子だけナデナデだった!」
「優香、平等という言葉、知ってる?」
「そうね、平等は大事ね」
「……分かりました」
芹緒はみんなの中心で全員の頭を順に撫でていく。……美琴の頭は自分の頭でもあるので、内心かなり複雑だったが。
それからは結局四人の少女たち(見た目中年男性含む)が芹緒を、精神的にも物理的にも取り合いながら楽しく時間を過ごすのだった。
葵が夢の世界へ旅立ったため、芹緒と桜子、姫恋は自力で芹緒の部屋に移動することにした。葵はさくらが布団ごと抱えて芹緒の部屋に運んでいく。
「おやすみなさい、そしてありがと」
美琴が全員に小さな声でおやすみの挨拶とお礼を言う。姫恋はびっと親指を立てる。
「また明日ね」
戻ってきたさくらが瞬く間に三人分の布団を抱えて芹緒の部屋に入っていく。
リビングを通ったところでまだ起きていたつつじとさつきにもおやすみなさいと挨拶する。
「アタシトイレ!」
「私も行こうかしら」
「じゃ先にどうぞ。アタシ大っきいほうだから!」
「もうっ。ありがとうございます姫恋様」
芹緒はさっさと部屋に戻る。姫恋は寝る前にナプキンの交換をするのだろう。それを誤魔化すためのウソ?がひどいが。
「ふわあぁ……」
芹緒もかなり眠い。ベッドに座ったとたん大きなあくびが出て口を大きく開き、手のひらの甲で口を隠す。
「優香さんお嬢様だねえ」
「ごほっ!?」
同じベッドに座る姫恋の何気ない言葉に芹緒はむせてしまう。
「アタシよりよっぽどお嬢様だし、女の子だよ」
「元に戻ったときこのクセが出ないといいけど」
そう言って二人で小さく笑い合う。そこに桜子が帰ってきたので姫恋はベッドを下り、寝ている葵を踏まないように足を進めて部屋を出る。
「優香様」寝ている葵を除いて部屋に二人きりになった桜子は、目を伏せながら改めてつぶやく。「先ほどは途中になりましたが、私としては優香様が私たちの外見、もっと言ってしまえば女の身体の『性的魅力』に興味を持って視線をくれるのも嬉しいのですよ? それもまた、『愛されている』ということなのですから。そして私が『愛されている』と感じるということは、優香様は私を『愛している』ということになりませんか?」
理屈っぽい桜子の言葉に芹緒は考えさせられる。
今まで思いもよらなかった考え方だった。
『相手が愛されてると感じるということは、こちらは相手を愛している』
極端な考えだ。
芹緒に都合のいい考えだ。
だが芹緒にこの考えに反論出来るだけの言葉がない。
当然だ。芹緒はずっと誰かに愛されたいと願い、そのためならどんな愛され方でも受け入れたいと思っていたほどなのだから。その受け身の愛は歪ながらも誰かからの愛を受け取っているということになる。
「少々屁理屈な考え方ですが、優香様ならこちらの方がお好みでしょう?」
「……そうだね、それは認める」
「もちろん優香様の視線を嫌がる女性もいることでしょう。ですが私たち四人はそんなことはありません。ですから優香様は何も気にせず、私たちを見たり触れたりして愛してくれていいのです。そういった『外見』や『肉欲』の先にも、本当の愛はあるものだと私は信じております」
考える。
基本的に女性は受け身だ。
好きな男性の気を惹こうと彼女たちは化粧をし、身綺麗にし、鮮やかに着飾る。
男性もそうかもしれないが、女性は特にその傾向が強いかも、と芹緒は思う。
女性は他人の体を受け入れ、他人の体液を受け入れる。
そうしたいと決めて身体を開くまでの女性の心理は、女性に入れるだけの男性のそれとは比較にならないだろう。男性の芹緒はそう想像することしか出来ない。
そこまで考えて芹緒は立ち止まる。
彼女たちはそこまで言っていない。
もしかしたら言っているかもしれないが、その覚悟があるかどうか、その責任が取れるかどうかはまた別の話だ。
彼女たちは未成年。彼女たちの暴走を止めるのは大人である芹緒の役目だ。
……では今この瞬間。
成人である女性が芹緒を愛して芹緒を受け入れると言ったとき、自分はどう反応するだろうか。
考えるまでもなく、美琴や桜子たちと同じような反応を取るだろう。
結局相手の問題ではない。受け入れる芹緒自身の問題なのだ。芹緒の精神が未熟すぎるのが問題なのだ。
「ただいまー」
姫恋がそう言って戻ってきた。そして芹緒のベッドに横になり、芹緒の身体を抱き枕のように抱き抱える。
上流社会のご令嬢たちがこの狭い部屋に身を寄せ合うようにして寝転ぶ姿、関係者が見たら頭を抱えるだろう。
だが桜子も姫恋も楽しそうにおしゃべりをしている。無防備に楽しんでいる。
「朝はジョギングなんだっけ?」
「そうだよ」
「楽しみだね!」
「……どうしましょうか」
姫恋は楽しそうに笑い、桜子は悩ましげに考えている。
ここだけ見れば普通の子どもだな、芹緒はそう思った。
「おやすみなさい」
「「おやすみなさい」」
翌朝。
アパートの出入り口、ジャージに着替えた芹緒とさくらのところに、美琴、姫恋、桜子が姿を現した。
葵はやはり起きてこないらしい。
「美琴様、無理をしてはいけませんわよ?」
「桜子こそね」
二人は準備運動の間、軽口を言い合う。
一方は年代の平均体重を超えた巨体、一方は運動が苦手な女子。
「有酸素運動が苦手なのです。運動全般がダメという訳ではないんですよのよ?」
芹緒の視線に気付いた桜子が頬を染めて言い訳じみたことを言う。
芹緒は黙って笑顔で頷く。
「無理なスピードでは走りませんのでご安心を」
さくらがそう声をかけ、ジョギングは始まった。
芹緒と美琴は一週間前から一緒に走っているので、お互いのペースは分かっている。というより美琴は自分の身体のペースを分かっている。
最初は芹緒のほうが元の自分の体を信じきれず「ウォーキングにしよう?」と提案したほどだ。
だが今まで芹緒の巨体を支えた下半身は軽くなった体を喜ぶかのように軽やかに動いた。もちろん汗だくではあるが、見てて痛々しいほどではない。
一方桜子はというと。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
序盤から大きな呼吸を繰り返している。芹緒はさくらに合図を送るとペースを落としてもらう。そして桜子の横に行く。
「もっとゆっくり行こう? 自分の身体に少し負荷がかかるくらいでいいんだよ」
「皆様の……足手まといは……イヤ、です」
「ウォーキングにしよ」
「はあ、はあ、えっ!?」
芹緒の提案に桜子が悲しそうな声を上げる。
「そうですね。運動は楽しく継続するのがコツですから」
さくらがそう言い、全員が歩き始める。姫恋が桜子にこっそり言う。
「あのお家の仕組みだと、広くても全然歩かないもんね。ゆっくり歩くのも楽しいよ!」
「すみません……」
「桜子さん」謝る桜子の姿に芹緒はかつての自身の姿を重ねてしまう。「気にしなくていいんだよ。桜子さんの気持ちは私が良く分かるから。いつも私も謝ってばかりだった。でも私たちは今桜子さんに謝ってほしいんじゃなくて、一緒に楽しんでほしいんだ。だから息を整えて、景色やおしゃべりを楽しもう?」
「はい……」
そして桜子は立ち止まると大きく深呼吸を繰り返し、息を整える。
マインドセットは桜子たちお嬢様の方が得意分野だろう。芹緒の出る幕はない。
少しして桜子は顔を上げた。
「お待たせしました」
「お待ちしておりました、お嬢様」
芹緒はそう茶化して言って桜子の手を取った。桜子の頬が朱に染まる。
「優香さんさぁ、頭ナデナデといいファーストキスといい今といい、桜子ばかり優遇してない?」
「してないよ!? き、キスは桜子さんからだし!?」
「私何もしてもらえない……。やっぱり私が襲うしか」
「美琴お嬢様?」
「ふふ」
桜子は賑やかな顔ぶれを見渡すと、芹緒との手を離す。
不思議そうに自分を見る芹緒に桜子はそっとささやく。
「せっかく落ち着いたのにまたドキドキしてしまいますので」
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