第六十六話 沈思黙考
「今度は自分でやってみようか」
「うん」
浴室で身体を拭き終わって洗面所に来た芹緒は、そう言って姫恋を促す。
姫恋はこくりと頷くと芹緒が準備した(厳密にはさくらが準備した)グレーの下着を手に取る。
「なんか格好悪いね」
ハイウエストの下着を見て姫恋が言う。
「でもお腹を冷やさないからいい下着だよ。溢れても目立ちにくいし。ほら、ポケットも付いてる」
芹緒が指し示す場所には小さなポケットが確かに付いている。
「ここにナプキンを入れておけば慌てずにすむんだよ」
「なるほどー」
芹緒の経験談に姫恋は感心したように頷きながら、サニタリーショーツに足を通す。
そしてお風呂の中で芹緒に言われたように、立ったままクロッチ部分に渡されたナプキンを装着していく。
「こんな感じ?」
「うんうん、それでいいよ」
芹緒に褒められたのが嬉しかったのか、姫恋は喜色満面の笑みで下着を上に上げる。
「パジャマも濃い色の、漏れても目立ちにくいものだから、これ着てね」
「何から何までありがとう!」
「ううん。あとは寝る前におやすみ用に交換したらいいかな」
「はーい」
そして芹緒もパジャマを着ると二人揃って洗面所を出てリビングに移動する。
「早かったですね」
さくらがそう声をかけてくる。
「ううん、楽しく入れたよ。次の人どうぞ」
芹緒がそう答える。
二人で会話することで、姫恋への疑いを万が一にでも減らす作戦だ。
楽しく入れたのは間違いないのだから問題ない。
それに芹緒姿の美琴を含めて八人の大所帯だ。美琴は一人で入らないといけないので、あと六人、美琴一人、二人組、二人組、一人の計四組入らなければいけない。あまり長湯するのも問題だろう。
「では葵様行きましょうか」
「あい」
桜子と葵が連れ立ってお風呂へ向かう。
「分からないことがあったら浴室リモコンにインターホン付いてるから、それで聞いてね」
「わかりました」
芹緒の声に桜子が了承の意を示してリビングを出て行く。
「優香さんの身体の洗い方気持ち良かったよー!!」
姫恋が自慢するように椅子に座っている美琴に言うが、言われた美琴も負けてはいない。
「私毎日芹緒さんに背中流してもらってるのよね」
「僕の体だと自分の背中は手が届かないからね。キレイにしたいし」
「優香さんのおっぱいもさわったよ!!」
「それ元々私のだから。私のおっぱいさわって嬉しいだなんて、姫恋も私と同じじゃない」
「アタシのもさわってもらった!!」
「無理やりだから!!」
「私もさわっていい?」
「美琴様ダメです」
リビングは相変わらず騒がしい。
自分にさわらせたのを美琴に言うのは恥ずかしくないのだろうか? ……恥ずかしくないんだろうな。
「私は芹緒さんのおちんちんさわり放題だけど?」
「アタシもさわりたい!!」
「姫恋様ダメです」
つつじのツッコミが忙しそうだ。
そんなものを話題に出さないでほしい……。そう思いつつ、芹緒は美琴が事件後手術を中止して帰ってきた日を思い出す。
『芹緒さん見て見て! ここ何もしてないんだよ!!』
芹緒が痩せて戻ってきた美琴の背中を以前のように力強く擦っていたとき、不意に美琴がそう興奮気味に話しかけてきた。
『そういうのはいいから』
芹緒は大きなため息を吐きながらそう返すが、美琴は譲らない。
『私も以前の芹緒さんのおちんちん知ってるから驚いてるんだよ! 自分のでしょ、気にならない?』
『……まあ、少しは』
芹緒のコンプレックスの大きな一つである、『アレが小さいこと』。
それが『変化』したというならば、確かに気になることではある。
芹緒の美琴の背中を擦る手が止まる。美琴はそれを『肯定』と受け取って、椅子の上で体を少し回し、芹緒に見えるようにする。
以前より細くなった太ももの間にあるアレ。外から客観的にアレをまじまじと見るのは初めての経験だ。
そして、それは自然な段階ですでに十分な長さを保っていた。
『えっ!?』
芹緒が驚いた声を出すが無理もない。芹緒が知るアレは悲しくなるくらい小さかったのだから。大きくなればそれなりの長さにはなるが、自然の姿は本当に小学生にも負けるほどの短さだった。
それが今は……。
『うわあ……』
芹緒は感動の声を上げる。確かにアレの手術で『痩せれば体から出てくる』とかそういう記事を見たことはあるが、まさかここまで効果があるとは。
と、芹緒の声に反応したのか、アレが大きくなり始める。
『美琴さん?』
『これは私の意思じゃないよお!!』
そんな言い争いをしてる間に臨戦体制を整えるアレ。芹緒が今まで見ていたはずの相棒はすっかり立派な姿になっていた。
元々ポテンシャルはあったのだろう。それが脂肪に阻まれて体の奥に隠されていた。
男で四十年以上生きてきたが、この大きさはどこに出しても恥ずかしくない代物だ。
むしろ……。
芹緒は知らず知らずに唾を飲む。
『前より大きくなってない?』
『私の身体で見てるからじゃない? さわる?』
『こらっ!!』
笑いながら芹緒の手を掴もうとする美琴から離れるが、視線だけは何故か外せなかった。
芹緒がアレな回想をしている間に二人のじゃれ合いは終わったらしい。芹緒もいつの間にか椅子に座らせられ、長い金髪をつつじに乾かしてもらっていた。
(あの大きさなら女性に見られても大丈夫だね……)
芹緒は小さいことがコンプレックスで、風俗にも行ったことがない。だからこそ女体に対して拗らせてしまったのだろうことは自覚している。
(元に戻れたら、まずは美琴さんたちをちゃんと説得して……)
理屈なく芹緒を好きと言ってくれる彼女たち。大人としての説得をしても難しいことはわかっている。だが向こうから与えられる無償の愛情をまだ芹緒は素直に受け止めきれていない。
先ほど姫恋からのキスを受け取れたのは、芹緒も姫恋の役に立てたという自負があったからだ。
(じゃあ彼女たちが成人したら……。僕の年齢を理由に断るんだろうな)
彼女たちは未来あるお嬢様たちだ。そんな彼女たちの旦那になるには年齢が離れすぎている。
(だけど、じゃあ自分で恋人を探せるかというと……)
今までの人生、芹緒は言い訳ばかりで何もしてこなかった。出来て風俗行くくらいが関の山か。
(元に戻れなかったら……)
最悪の、そして甘美な妄想だ。
今現在美琴の力は美琴の身体、つまり芹緒側にあり、美琴の心は芹緒の体にある。身体と心は二つに別れたままだ。
美琴は家族を説得して芹緒を妻にするだろう。
(童貞を失う前に処女を失う……?)
芹緒はさまざまな媒体で、男性より女性の方が快感を感じると目にしてきた。連続で出来るとも。
芹緒にはそれが羨ましい。愛されるの極致じゃないか、と。
某マンガで見た、『男性よりも強い快感で頭がパーになる』、なりたい。
そこまで考えて芹緒は呆然とする。
(僕は本当に元に戻りたいのか……? 美琴さんに身体を返すという道義的理由以外、もしかして、ない?)
「芹緒様終わりましたよ」
「あっ、ありがとうございますつつじさん」
(そうだ。つつじさんやさつきさん、さくらさんに道里社長は、美琴さんと僕の入れ替わりが元に戻ることを望んでいる。それに桜子さんたちだって……)
『アタシの処女あげるね!』
姫恋の言葉が脳裏に鮮明に蘇る。期待なんてしていないが、姫恋は本当にそうするだろうという確信はある。
芹緒だって姫恋のことはキライではない。むしろ好きだ。だがこれが彼女の処女を喜んで受け取れるほどの好きなのかと言われると疑問符が頭に浮かぶ。
どうしても娘、頑張っても妹までだ、と思う。それでも女体には免疫がないので、彼女たちのアタックは芹緒に覿面に効くのだが。
彼女たちの『女体』に興味があるのは芹緒自身自覚している。だからこそ懸命に自制している。身体目当てなんて最低だ。
だが芹緒には『愛』が分からない。
「優香さんはこの時間いつも何してるの?」
ドライヤーを終えた芹緒にパジャマ姿の姫恋が話しかけてくる。その姿はいつも通り元気そのもので、つい先ほど初潮を迎えて狼狽えていた子とは思えない。
(みんなにバレたくないんだよね)
芹緒や葵と比較して症状が軽いこともあるだろう。
それでもその姿は芹緒の学生時代の女子たちを思い出す。彼女たちの体調がどうかなんて芹緒は全く気付かなかったし、興味もなかった。
「?」
笑顔で首を傾げる姫恋。
芹緒は姫恋が生理だと知っているのに彼女を見ても全然分からない。女の子って強いな。芹緒は素直にそう賞賛する。
「普段は力の扱い方の練習かな」
「もう使えるのに?」
「今は人助けにも使っているからね。より繊細に力を扱えるようにしないと彼女たちに危険が及ぶかもしれないし」
「もう芹緒さんが私ってことでいいと思うなぁ。私は婿養子ってことにして九条家に戻るね」
「お嬢様、それは最後の手段です」
(つつじさんそれを手段に入れないで)
「優香さんって朝からどんなスケジュールなの?」
「ジョギングしてお風呂入って、九条家行って人助けして、夕方帰ってくる感じかな」
「あれ? あんまり遊ぶ時間ない?」
目を丸くして驚く姫恋に芹緒は申し訳ないと思いながらも言う。
「ジョギングはともかく、九条家に行くのは僕がやりたいことだから……。みんなと遊ぶことより優先したいな」
「優香さんえらい!!」
そう言って抱きついてくる姫恋。うんうんと頷く美琴。
「アタシたちも優香さんのジャマするつもりはないよ! その代わり夜はベッドでたっくさんお話しようね!」
「出来ればリビングでしてもらえると私も仲間に入れるんだけど……」
「なんかさ、こしょこしょ話ってベッドとか布団の中でしたくない?」
「わかるけどさー」
芹緒は会話してる二人を置いて立ち上がると、リビングのドアの近くまで行きさくらに手招きする。
さくらはすぐに芹緒に付き添って廊下に出た。
「芹緒殿、どうしましたか?」
「提案なんだけど……」
「芹緒さんありがとう!!」
和室の並べられたいくつもの布団。
その真ん中に座ったパジャマ姿の美琴が嬉しそうに芹緒に礼を言う。
和室の畳いっぱいに、ぎゅうぎゅうに敷き詰めた布団には同じくパジャマ姿の芹緒と桜子、姫恋、葵も思い思いの姿で寝転がっている。
部屋の隅、さくらが気配を消して立っているのが申し訳ない。
「お礼ならさくらさんに言ってね。僕たちが寝たら運んでくれる手はずなんだから」
「私は芹緒殿の提案に賛同したまで。美琴様も仲間外れは悲しいでしょうしね」
芹緒の提案は、『みんなで和室で寝よう(女の子は寝たら芹緒の部屋に移動)』だった。
ずっと和室に四人の少女が寝ていると美琴も我慢出来ないだろうし、美琴お嬢様が同性(?)相手に手を伸ばすという事案をさくらも出来れば見たくない。
かといって一週間寝る前のおしゃべりに美琴だけ参加出来ないのも悲しい。
という考えの元の発案だった。
ちなみにみんなが寝る芹緒の部屋に美琴が行くという別案はさくらにより却下された。
「ねえねえ何話す? やっぱり恋バナ?」
ワクワクした様子の美琴の言葉に思わず苦笑する。
これはもう一度片思いを話すしかないか、と芹緒が口を開きかけたとき、別の声が聞こえた。
「あ、アタシね? 今すっごく気になってる人がいてね?」
姫恋だった。小さく手を挙げている。
顔を赤くしてたどたどしく話し始める。
「その人はアタシが困ったときにすぐ寄り添ってくれて、近くにいるとすごく安心するの。とても頼りになってアタシその人といるとすっごくドキドキしちゃうの」
「芹緒さん、だよね?」美琴が遠慮がちに言う。「姫恋も芹緒さん好きなのはみんな知ってるよ?」
「うん」姫恋はあっさり認める。「今までよりもっともーっと、好きになっちゃった。美琴たちもすごく頼りになるけど、優香さんは……トクベツなんだ」
そう言って抱えていた枕をぎゅっと抱きしめて顔をうずめる。だが髪の間からのぞく耳は真っ赤だ。
「……優香様、一体何があったのですか? あ、いえ私の質問には答えていただかなくてよいのですが」
桜子が思わず質問してしまい、慌てて引っ込める。力が発動してしまうのを危惧したのだろう。
「姫恋の感情、好き好きで、あふれてる」葵はそう言うと肩をすくめる。「ごちそうさま」
「そっかあ……」美琴は感慨深げに呟く。「姫恋良かったね。気持ちがもっと強くなって。で? 肝心の芹緒さんはどうなのかな?」
美琴がニマニマと笑顔を浮かべながら芹緒を見る。美琴は自分が今男性だと言うことを忘れないでもらいたい。すごくイヤらしい笑みを浮かべている。
「僕は特に何も特別なことはしてないよ。困ってる人を助けただけ」
「芹緒さんは目の前に困ってる人がいたら誰でも助けちゃうの? 芹緒さんならそうなのかもね」美琴が少し真面目な顔になって言う。「でもね? 女の子っていつでも自分が一番なのがすごく嬉しいんだよ」
「ううん」美琴の言葉を否定したのは姫恋だった。「アタシは、そんな優香さんだから好きになったの。ただでさえここにライバル?が三人もいるんだもん。そんな独占欲はないよ」
「優香、愛されてる。ヒューヒュー」
葵が口で言って芹緒をはやし立てる。
「姫恋さん……ありがとうね」
芹緒が噛みしめるように姫恋にお礼を言う。普段元気な姫恋が時折見せる乙女らしさは破壊力抜群だ。
正直めちゃくちゃ可愛いし抱きしめたいしえっちなこともしたい。だが、男のようにがんがん攻めたいかというとまた違う。芹緒は小さいアレで長い間苦しんでいたため、セックスしたいという気持ちがあまり湧かない。
女体には興味あるが男性として接するのは興味が湧かない。
『人を愛する』とは真逆の発想だ。
『来世可愛い女の子になりたい』と思うようになったのも、今世男性としてセックスを楽しむことはないと絶望してのことだと、自己分析している。
(だからと言ってレズも興味ないんだよね……)
そうなると残るのは。
(自分はホモなのかなぁ……)
だが芹緒は男性を好きになったことはない。男性キャラすらだ。
そもそも同性愛も『愛』だ。芹緒は愛を知らない。
芹緒は思いに耽っていく。
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