第六十五話 姫恋とのお風呂
「ただいまー!」
芹緒の家に戻ってきた姫恋はいつも通りの元気な声で先に靴を脱いで中に入っていく。
「おかえりー」
みんなの声が次々に聞こえてくる。
「遠くまで行っちゃってた、あはは」
「姫恋様。楽しいからって危ないですわよ」
「ごめんなさいー!」
「芹緒殿」車に乗らず、走って帰ってきたさくらは玄関にいる芹緒の背後から小声で話し掛ける。「お風呂は問題ありません。身体を暖めることが大事です。長湯はダメです、長くても十分くらいで」
「助かります。着替えは僕が準備する、という形にするので、すみませんが……」
「はい、必要なものは分かる場所に入れておきます」
「ありがとうございます」
さっと二人は打ち合わせをすませるとなんでもない顔でリビングに入る。
賑やかで温かい空間。
「優香、優香」リビングに入ってきた芹緒のワンピースの袖を掴んで、葵が声をかける。「優香の部屋で、私たちも、寝る」
「聞いてないんだけど……」
「すみません優香様」桜子が申し訳なさそうに話す。「美琴様と同じ部屋で寝るのは、少し心の準備が必要ですので……私と葵は布団を敷いていただいてそこに寝ますので」
「……むしろ僕が布団に寝て、三人ベッドでもいいんだよ?」
芹緒が状況を鑑みて譲歩する。
この狭いアパートで八人が寝るのはいくらなんでも大変すぎる。
女性七人の中に唯一男性の体を持つ美琴がいるからなおさらだ。美琴は一人部屋にするしかないだろう。
……そもそも狭い家なのは来て分かったはずだし、泊まるなんて話もさっき聞いたばかりだ。
彼女たちは来る前から、泊まることも芹緒の部屋で寝ることも視野に入れていたのだろう。
そこでふと、先ほどの桜子の言葉に違和感を覚える。一人足りない。
「姫恋さんはどこで寝るの?」
「アタシは優香さんと一緒にベッドだよ!!」
元気よく姫恋が抱きついてくる。
……そういうことか。芹緒は最近諦めとともに理解が早くなってきた。
その日芹緒とお風呂に一緒に入る子は、寝るときも一緒、ということなのだろう。
今まで芹緒に黙っていたのは拒否権を使われないようにするために違いない。
それでも聞いてみることにする。
「僕が一人でどこかで寝る選択肢は「ない、残念」ですよねー」
間髪入れずに葵から否定される。
「なら僕が美琴さんと一緒に和室で寝たらいいんじゃないかな?」
「すみません、それはダメです」
芹緒の言葉に今度はつつじが首を横に振る。
今まで同じ部屋で寝たことはないが、さくらが夜中監視していることもあり、美琴が芹緒の部屋に近付いたことは一度もないはずだ。
大分美琴が芹緒の体重を落としてくれたため、芹緒もそれほど自身の見た目に悪感情は持ちにくくなっている。
それでもダメなのか……と不思議に思っていると、さつきが口を芹緒の耳元に寄せてこそこそと囁く。
「ご自身に置き換えて考えて下さい。無防備に眠る少女の肢体。ピチピチのお肌。上下する胸。ドキドキしませんか? そして美琴様にとって元々ご自身の身体です。手が伸びてしまうかもしれません。そして、触らずとも伸ばした時点で私たちとしてはアウトです」
言い方がイヤらしいが、つまりエサを見せるな、ということらしい。
「それに……」さつきは少し言い淀むが、ちゃんと言葉にする。「美琴様は以前から女性好きだった可能性が先ほど浮上しました」
そう言って芹緒が着替えるためにリビングにいなかった時の話を教えてくれる。
「前から男になりたかったなら当たり前じゃないかな……」
「お嬢様付きメイドとしては、色々複雑な想いがあるのですよ……」
「早く良い男性と入れ替われるといいですね」
「また無茶をおっしゃいますね……」
「そこー! 聞こえてるんだけどー!!」
美琴がジト目でツッコミを入れてくる。笑いが巻き起こるリビング。
芹緒は肩をすくめるとぽんぽんと姫恋の肩を叩いてお風呂へ向かう。
二人がリビングを出ると、さっそく美琴、桜子、葵がこそこそ話し出す。
「芹緒さん思ったより普通に行ったね? 一緒って恥ずかしくないのかな?」
「もう姫恋様とのお風呂も三回目ですし慣れていらっしゃるのでしょうか?」
「……みんなさあ、もうちょっと慎み持とうよ? 芹緒さん中身男の人だよ?」
「美琴、説得力、ない」
「私たちとも一緒に入ってますしね、芹緒様。ずいぶん美琴様の身体のお手入れも上手くなられましたよ」
「そうですね。身体の洗い方もあまりいやらしさなどを感じず、安心出来ます」
「ねえ、ますます私だけ芹緒さんと一緒に入れてないの、ズルい気がするんだけど!?」
「そう思われるのでしたら、早く元に戻られてはいかがでしょうか?」
「元に戻って女の私と男の芹緒さん一緒のお風呂に入っていいの!?」
「「「ダメ」ですね」」
「やっぱりズルい……」
「やっと優香さんに身体洗ってもらえる!」
姫恋はそう言いながら嬉しそうに洗面所に向かう。
芹緒は自分の部屋に入ると、自分の着替えとは別に、さくらが準備してくれたサニタリーショーツや色の濃いパジャマを持っていく。
ナプキンなんかは様々な種類のものが洗面所にもトイレにも置いてある。二週間前には考えられなかった景色だ。もちろんサニタリーボックスも設置されている。
芹緒が洗面所に入ると、姫恋はスポーツブラにパンツという下着姿で固まっていた。
「ゆ、優香さん」姫恋は顔を赤くして小さな声で、でもはっきり聞こえる声で言う。「どうしたらいいんだっけ?」
「普通に脱いじゃっていいよ。でナプキンの外し方は分かる? そうそう、折り曲げて付けてるだけだから。使い終わったのはそこの蓋付きのゴミ箱へ。下着には汚れついてない? ならそのまま洗濯カゴでいいよ。ショートパンツは汚れちゃってるから、少し洗うね。水で軽く手洗いして落ちる範囲でいいかな。あとはこれも洗濯カゴ」
「はー……すごいね」
ハダカになってタオルを巻いた姫恋は、テキパキ手洗いをする芹緒を目を丸くして見ている。タオルは芹緒がどうしてもと言って巻かせたものだ。いくらお互いハダカを見た仲だとはいえ、この家のルールには従ってもらいたい。
「僕の場合は痛かったり重かったり、血も多くてナプキンから漏れたりもしてたからね。皆さんから教えてもらって自分でも覚えてやってみたりしたの」
自分の穿いた下着を目の前で手洗いされるというのは、想像以上に恥ずかしいものだった。芹緒はすぐさま自分でやるようになった。
『汚れた下着は捨てますよ?』とつつじは言っていたが、お店で気にせず放り込んで買ったものとはいえ、まだついこないだ買ったばかりだ。芹緒の庶民根性が少し汚れたくらいで捨てることを許さない。もちろん入れ替わりが元に戻ったら捨ててもらうが。
「さ、入ろ」
「うん!!」
浴室に入ると、さっそく姫恋が
「私今日長風呂しちゃ良くないんだよね? それなら優香さんから洗っちゃおう!」
「まず髪洗うね」
「そっか」
芹緒の言葉に姫恋が素直に頷く。
芹緒が自身の髪を洗う間に、姫恋も髪を洗う。
長いブロンドヘアーの芹緒に比べてショートの茶髪な姫恋は、男性の頃の芹緒と同じくらいのスピードで洗い終えた。
そして芹緒が丁寧に髪を洗っているのを興味深げに見つめている。
「女の子として接すると優香さん可愛い反応するけど、こうやって外から見てると男の人とは思えないねえ」
「……この身体は美琴さんのものだからね。預かっている間はちゃんとケアしないと。自分一人で出来ないといつまで経っても誰かと一緒に入らないといけないし」
「つつじさんたち女性らしい身体つきだもんね〜。ドキドキしちゃう?」
「……女の子と入る時点でドキドキだって」
「もうアタシは慣れちゃった?」
「まさか。今日は姫恋さんの身体のこともあるからね。そっち優先」
「ふーん、格好いいじゃん」
「普通のことだと思うけどなぁ」
「んー」髪を洗う芹緒の背中に抱き付く姫恋。「今のアタシにとってその『普通』がすごく嬉しいんだよ」
「褒めるかからかうか、どっちかにしようか」
「えー、これはからかいじゃなくて愛情表現だってば」
「そう言いながら胸を押し付けるのはやめて……ひゃん! 僕のさわるのもダメ!!」
「あはははは! もう優香さん可愛い〜!」
なんとか引き剥がし、髪を洗い終える芹緒。姫恋が笑顔であることは、嬉しい。
「それじゃあ身体洗うね」
「アタシ先だとあんまり長く浸かれないから先に上がっちゃうことになるから、まずは優香さんを洗ったげる」
「よろしく」
姫恋が泡立てネットにボディソープを垂らし、泡を作り出していく。
過去二回、姫恋に身体を洗われた葵や桜子の悲鳴が耳に甦る。
「姫恋さん、優しくしてね?」
「……う、うん」
姫恋の顔を見つめながらそう言った芹緒の顔を、姫恋は赤い顔で受け止める。
「?」
内心首を傾げていた芹緒だが、さっきの台詞が抱かれる前の女の子が言いそうな台詞だと気付いてしまう。
(姫恋さんにそんなの伝わる訳ないよね。ああいうのはえっちなマンガだ……し……)
姫恋には兄や姉がいて、いろいろな知識は兄姉が持つマンガから得ていたはずだ。
(まさかね……)
今までどれだけ桜子や葵が優しくしてと懇願しても出来なかった姫恋だ。ここに来て急に出来るようになるわけがない。
「洗うねー」
芹緒も覚悟を決めて姫恋のパワーに備える。
だが姫恋の手つきは芹緒の予想外の優しいものだった。
芹緒が習った泡を転がすやり方で、芹緒の身体を泡まみれにしていく。
「姫恋さん上手だね」
「……」
姫恋は夢中なのか、返事が返ってこない。それもいいかと芹緒はすっかり寛いで姫恋の優しい洗い方に任せていた。
変化が起こったのは身体の前に手を伸ばしてから。
鎖骨までは普通だったのに、胸に手を伸ばしてから急にさわり方が変わったのだ。
えっちなさわり方に。
「ん!?」
泡ではなく姫恋の指が芹緒の乳房を優しくさわるかさわらないかといったタッチでさわる、かと思えば大胆に胸を揉んだり。
「んあっ、ちょ、ちょっと、姫恋さん!? やっ///」
執拗に胸やその先を弄る姫恋の指……これはもう愛撫と言ってもいいのではないか。
芹緒はやめさせるべく、姫恋の両手を掴む。
「はぁっ、姫恋さん、これはダメだよ……」
「えっちマンガみたいに『優しくして』って潤んだ瞳で言うから、アタシが自分でする時みたいにしてみた」
「言ってないし潤んでない」
最後の告白は敢えてスルーする。
「姫恋さん胸まではとても良かったから、普通にお願いできる?」
「優香さんも毎日人に囲まれてるから発散したいのかなって「ないです」」
姫恋の恥ずかしい基準が本当に分からない。
結局アソコ以外洗ってもらい(そこも攻防があったのは言うまでもない)、芹緒の身体洗いは終了した。
芹緒は姫恋を交代で椅子に座らせ、身体を洗う準備をする。
「アタシだけ優香さんに洗ってもらえないかと思ってたよー」
「あんまり期待しすぎると肩透かしくらっちゃうよ」
そして時折りお湯をかけて身体を冷やさないようにしつつ、泡を作り出すと丁寧に姫恋の身体をあわあわで洗っていく。
他の二人に比べると姫恋の手足は健康的な日焼けをしている。背中にもうっすらとだが夏の名残が残っている。
「優香さん、前もだからね」
「はいはい」
他の二人の全身を洗った時点で、芹緒に選択肢はない。
芹緒は手を伸ばして姫恋の鎖骨や胸、お腹に手を伸ばしあわあわと洗っていく。
「優香さんに揉んでもらって大きくしないと!!」
姫恋がそう言って芹緒の腕を自分の胸に持って行こうとするが、芹緒も全力で抵抗する。
「揉んで、大きくは、ならないって、ば!!」
だが姫恋の力は芹緒より強い。結局芹緒は両腕を掴まれ、あわあわの手で姫恋の胸を上下に往復するはめになった。
「優香さんの手泡だらけでくすぐった~い! アタシのおっぱいどう?」
「ノーコメント」
「背中に当たる優香さんのおっぱい「美琴さんのだから!」大きいなぁ」
そうして姫恋たちはいちゃつきながら(姫恋視点)、身体の前を洗い終える。
「それじゃあ立ってね」
芹緒の言葉に姫恋は素直に立ち上がる。芹緒の眼前に姫恋の薄い尻が迫る。芹緒は意識せずに尻を洗い、足を洗っていく。
「ここ……どうしたら?」
今まではしゃいでいた姫恋の声が小さく不安気になる。こことはアソコである。
「専用の石鹸があるからそれで洗おうか。自分で出来る?「やって」……はい」
そう声をかけて専用石鹸を泡立てて姫恋の股間を泡で軽く撫でていく。
「んっ……///」
敏感な部分をフェザータッチされた姫恋は思わず息の籠もった高い声を出すが、芹緒は無視する。女の子はそういう気分でなくても、ああいう声が出るものだ。出るものだ。
そうして芹緒はシャワーを出して姫恋の泡を洗い流していく。そして全身を洗い終える。
「優香さんありがとー!! 気持ち良かった!」
「それは良かったね……」
精神力こそ削られたが心づもり出来ていればまだなんとかなった芹緒だった。
「入ろっか」
「うん!」
二人は向かい合って湯船に浸かる。
「……これ恥ずかしくない?」
「じゃあ芹緒さんこっちおいで?」
「……このままで」
美琴と姫恋は身長差が十センチほどある。今までつつじやさつき、さくらに抱き抱えられてお風呂に浸かってきた芹緒だが、同年代の女子に抱き抱えられるのは何か悔しい。
「はいはい」
姫恋はそんな芹緒を捕まえると器用に足の間に身体を置かせ、芹緒のお腹に手を回す。自然芹緒の頭が姫恋の胸に当たる。
「なんか安心するー」
姫恋が芹緒の肩に顎を乗せてそう呟く。
暴れようと思った芹緒だったが、姫恋の言葉に抵抗を諦める。姫恋が安心するならいいか……。
「これでアタシも本当に女になったんだねえ……」
姫恋がまぶたを閉じてポツリと呟く。
芹緒的にはその言葉には違う意味を見出してしまうが、そんなことは言わない。
芹緒は四十年以上、男として過ごしてきた。
今の姫恋くらいの年齢の時は女兄弟や女友だちがいないこともあって、生理のことなんて何も知らなかった(女友だちがいたとしても誰も男友だちに教えないだろうが)。ただのん気に好きなことを好き放題していた。
(女の子って大変だな……)
芹緒は改めて思う。
女の子になりたかったのは、『可愛い女の子なら無条件に愛される』と思い込んでいたからだ。
もちろん生理があるのも知ってたし、美琴が言うようなイヤらしい視線やセクハラ、見下しといったデメリットも言われてみれば納得だった。
それでも女の子が良いと思っていた。
だがそれは男で人生の半分以上を過ごしてきたからこそ出てくる想いなのかもしれない。
最初から女であれば、美琴のような考えになっていたかもしれない。
早ければ小学生の高学年から生理が始まり、そして女の子は否応なしに大人の社会に組み込まれる。もちろん男の子もそうかもしれないが、女の子は性被害が多すぎる。芹緒だって二次元ではもっと幼い子をそういう目で見ていた。
そしてそれは本人の意思とは無関係なのだ。
「姫恋さんおめでとう」
「ありがとう? まあこれで優香さんの子どもも産めるってことだしね!」
「げっほっっ!?」
「違うっけ?」
「姫恋さんが大人になっても僕のことが好きで、僕も姫恋さんが好きだったら、可能性はあるかもね」
「やだなぁ、大人になるまで待つの」
「いやいやいや」
「将来小賢しくなって優香さんとセックスするのに理由をつけちゃうような大人になりたくない」
「……一時の感情だけでしてはいけないことだよ」
姫恋の感情は尊いが、それでもまだ社会を知らない『子ども』の考えだ。
その暴走をたしなめるのは大人の役目だと理解している。
姫恋は芹緒を抱きしめたまま、芹緒は抱きしめられるまま、身体を温めあった。
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