第六十三話 ダメ
毎週火曜日、金曜日更新にしたいと思います。
彼女たちの素直でストレートな言葉に、芹緒はただただ困惑していた。
『好きなものは好き』
『誰かを好きって理屈じゃない』
それくらいは言葉で知っている。
自分に関係ない人たちの間でその言葉が成り立つことも知っている。
自分だってTCGは誰かに指示されて好きになったのではない。好きだから好きなのだ。確かに言葉では説明しようがない。
だがそれがまさか『自分』に向けられるとは今まで思っていなかった。
芹緒にとっての『好き』とは自分からの一方通行な言葉だったのだ、と思い知る。
「まずは、お互いのこと、もっと知って、いこ?」
笑顔を浮かべた葵がそう言うと
「優香様。私たちも女ですから優香様から愛のお返事いただきたいですわ」
桜子が艶のある笑みを浮かべる。
十三歳でも女は女。その笑みに女に、人に、好かれることのない芹緒は思わずドキリとしてしまう。
そんなこと言われても困ってしまう。『愛のお返事』ってなんだろう……? アイラブユー、でないことは確かだ。
「優香さん」カレーを食べ終えた姫恋が椅子から立ち上がり、軽やかな足取りで芹緒のところまで来ると、芹緒を椅子ごと後ろから抱きしめる。「アタシの魅力いっぱい教えちゃうね♡」
いつも元気いっぱいの姫恋が芹緒の耳元でこしょこしょと囁く。身体がゾワゾワと震える。芹緒はASMRが聞けないくらい耳が弱い。
「芹緒さん」同じく食べ終えた美琴がテーブルの上に両手を組んでそこに顎を乗せる。「もちろん私も参加するから。男女ペアなのは私だけなんだからみんなに負けないよ。芹緒さんは私のものなんだから」
「それなんだけどさ」芹緒の身体を抱きしめていた姫恋が手を上げる。「今美琴の力って優香さんに全部行ってるんでしょ? 元に戻る力も優香さんが持ってないかな?」
「!!」
ハッとした芹緒は思わず立ち上が……ろうとして姫恋に抱きしめられていたので、そのまま椅子に座り直す。
言われてみれば確かにそうだ。
今まで入れ替わりは『美琴の力』だとばかり思い込んでいて、力を認識出来たときも、紫苑鷹秋と戦ったときも、つい先ほどまで女性の心を癒やすために力を使っていたときも、この力で入れ替わりをしようなんて全然考えていなかった。
むしろ『二ヶ月後に元に戻れる』という九条道里の言葉を信じて縛られていた感すらある。
「じゃあやってみようか「ダメ」
弾む芹緒の声に割り込んできたのは、美琴の短く、冷たい一言だった。
普段明るい美琴の鋭利な表情に、芹緒の心も凍りついてしまう。
「みんなからさっき聞いたよ。芹緒さんは私たちが『私の力』で入れ替わってるって説明したんだよね?」表情を引き締めた美琴がみんなを見渡す。三人がそれぞれ頷くのを見て話を続ける。「一応みんなには説明したよ? 『私の力だけど無意識に発動したんだ』って。無意識だったの、あの入れ替わりは。狙って発動したものではないの。だから芹緒さんが意識して入れ替わろうとしたってムダ。ムリ」
美琴はズバズバと話していく。
芹緒は美琴の言葉で思い出す。あの時はただ、桜子たちに申し訳ないという気持ちで事情を話したが、あの時美琴のことは頭にあったか?
これでは美琴がイジワルや気紛れで芹緒と入れ替わった、と説明したようなものじゃないか……!
「美琴さんごめん……」
「んー、芹緒さんに謝ってもらいたくて話してる訳じゃないし、怒ってる訳でもないから、気にしないで」美琴は顔を叩くと笑顔を作る。「私たちには入れ替わってメリットがあったでしょ? そのメリットを私は手放したくないの。だからダメ」
美琴が言う『美琴のメリット』、それは言うまでもなく『男になること』だ。
『芹緒のメリット』。それは……来世を待たず可愛い女の子になれたことだろう。
だけど入れ替わりではダメだ。美琴の女の子としての、これからの人生を奪うことになる。
こんな中年男性に固執せずとも、若い美琴ならこれから選択肢は無限にあるはずだ。
現に今回の美琴の脂肪吸引手術は、普通では有り得ない結果を出している。あの調子なら力を使わなくとも性転換手術も問題なく行えるのではないか。
「美琴様のメリットは先ほど聞きましたわ。紫苑鷹秋様との婚約解消、そして男性になることですわよね。そして優香様のメリットは女の子になること」
「ごほっごほっ!?」
芹緒は桜子の口から出てきた恥ずかしい秘密に思わず咳き込み、美琴を見る。
美琴は顔の前で両手を合わせて芹緒に謝る。
「ごめんなさい芹緒さん! うっかり話しちゃった!」
「ごめんね、僕気持ち悪「優香さん良かったね、可愛い女の子になれて!!」」
芹緒が自虐的な言葉を言い終わる前に、姫恋が大きな声でそれを遮る。
「美琴は可愛くて、おっぱいも大きい。優良物件」
葵がぐっ!と親指を立ててくるが慌てて芹緒は反論する。
「美琴さんも言ったでしょ! この入れ替わりは無意識なんだって!! 僕が望んだ訳じゃ」
そこに桜子が加わる。
「でもお二人の都合にはとてもよろしいんですのよね。……少し美琴様がうらやましくもあります。優香様、私の身体と入れ替わりはいかがですか? 美琴様とはまた違った良さがあると思うのですけれど」
「私の力だっての」美琴が桜子を止める。「芹緒さんにあの爺と結婚させる気?」
「あっ」
「でも元に戻ってくれないと優香さんとえっち出来ないよ!」
姫恋が芹緒の両肩を前後に揺らしながらとんでもないことを言う。
「美琴様の入れ替わりのデメリット、はないのですよね……。そのお姿で満足されているのですから」
「優香のデメリット、なに?」
「そりゃもちろんこの身体を美琴さんに返せないことだよ! 美琴さんはあんな中年男性になっていい人じゃない」
「芹緒さん」美琴が静かに喋り出す。「身体が元に戻ったら、九条家、伊集院家、芹澤家、中川家の娘たち四人とお付き合いしてもらう訳だけど大丈夫かしら?」
「はい!? なんで四人と!? 大丈夫じゃないよ、問題だらけだよ!?」
「当然じゃない。私たちは本来自由恋愛なんて許されない身なのに、これだけ心を揺らしてくれたんだもの。責任は取ってもらわないと、ね?」
「ええ」
「うむー」
「そうだよ!!」
四人は口々に答える。
落ち着いて考えれば四人同時に付き合う必要はないのだが、芹緒の頭はそう捉えてしまっていた。
どうしてそんな、と言いそうになってしまうが、もうその答えは彼女たちの口から既に出ている。
『好きだから』
(僕にそんな責任は取れない……。もう死ぬだけの自分なのに)
そう考えて芹緒はようやく美琴の意図に気付く。
美琴は自分の身体を人質にして、芹緒の自殺を防いでいるのだ。
美琴が芹緒の体に満足しているのもある意味本心だろう。だが入れ替わりを拒むのはそれだけではない。
美琴自身の自殺の原因は取り除かれた。紫苑鷹秋の失脚によって。
だが芹緒は?
来世なれるかもしれなかった可愛い女の子の生活を、今世で味わうことが出来た。
今世に未練があるかと自問すれば、何も言葉が出てこない。
芹緒は誰かのために生きることは出来そうだ。女性たちの心のケアは芹緒の生活に生きがいとハリを与えている。
自分だけのために生きることは出来るか。
……。
これも桜子たちには言えない。
最初の入れ替わりは問答無用だった。そもそも希望すら聞かれていない。
だが次、力を使って入れ替わるとすればそれはお互いの同意が必要になるだろう。
芹緒は自分だけのために力を使おうとは思わない。
おそらく美琴は、芹緒が中年男性に戻っても生きる目的を見つけるまで、入れ替わりには同意しないだろう。
……見つかるのだろうか、生きる目的だなんて。
「優香さん?」
黙ってしまった芹緒を姫恋が不安気に揺する。そろそろ止めないと首が取れそうだ。
「姫恋さん止めて止めて。首が取れちゃう」
「あっごめん」
「優香。話してくれない?」
「ごめんね。今は話せない」
葵の言葉に謝る芹緒。
それを聞いて桜子は自分の顎に右の拳をつけて考え始める。
つつじやさつき、さくらは何も口を挟まず、ただ洗い物をしながらお嬢様たちの会話を聞くとはなしに聞いている。
「あーもう!!」爆発したのは姫恋だった。「むずかしい話はナシ! 要は優香さんのハートを射止めたらいいわけでしょ?」
「そうよ」
姫恋の恥ずかしい物言いに美琴は笑顔で頷く。
「そうよ、じゃないんだよ……」
でも、と芹緒は考える。
(僕は……美琴さんや桜子さん、姫恋さんや葵さんの誰かと恋に落ちて、人生を歩きたくなるんだろうか)
想像する。
彼女たちは上流階級の資産家のご令嬢だ。
彼女たちに見初められれば、今までとは比べものにならないほどの贅沢な暮らしが待っているだろう。
婿養子として入れば責任あることは彼女たちに任せて左団扇な生活も夢ではない。
(僕はそんな暮らしがしたいのか?)
違う。
ただ愛されたかっただけだ。
だというのに。
実際にこれだけ愛されてなお、心は疑心暗鬼になり、相手の心を疑ってしまう。相手を信じきれない。
彼女たちはまだ未成年だ、年上の男性への憧れなんて麻疹のようなものだ。
彼女たちが成人したとき、自分は五十歳を超えている。そんな高齢者に魅力などない。きっと捨てられる。
二兎を追うもの一兎をも得ず、という。それが四兎なんて追いかけたらどうなるのか。
「よいしょ!!」
姫恋が強引に芹緒を椅子から立たせる。
「桜子、あれ貸して!」
「はい。無くさないでくださいね」
そんな会話をして、姫恋は桜子から小さな青い石が入った透明な小箱を受け取る。
「少しお散歩してくるね!!」
「では護衛を」
姫恋の声にさくらが立ち上がるが、桜子がそれを制する。
「今姫恋様にお渡ししたのは認識阻害の小結界です。姫恋様や近くにいる人間を認識するのが難しくなります。誰も優香様や姫恋様と本人と認識出来なくなるので安全です」
「……外も暗いこんな時間だと、女の子二人だけの外出は危ないと思いますが」
「あ」
「大丈夫!! この時間アタシよく出かけるから!!」
「ごめんねさくら。護衛なしのお出かけはワクワクしちゃうかなー」
芹緒からすれば確かに夜ではあるがまだまだ普通の時間である。コンビニにはもっと遅い時間に一人でフラッと行ったことは何度もある。ただし中年男性の時だが。
(女性は大変だなぁ……)
結局姫恋と芹緒二人だけの外出は許可された。
もちろん二人には内緒でさくらがこっそり後ろから護衛をするのだが、それは二人には知る由もなかった。
「芹緒様が後顧の憂いなく男性に戻ったら上流社会から解放してあげる、という選択肢はないのですか?」
つつじがダイニングテーブルの空いた席でカレーを食べながら美琴に尋ねる。さつきはカレーを食べながらそんなつつじを横目で見るだけだ。
本当はさつきと一緒に和室のこたつテーブルで食事しようと思っていたのだが、二人とも美琴たちに呼ばれてしまった。
「んー……芹緒さんがよっぽど私たちやその生活を嫌わない限りないかな?」
「男性に戻られても力をお持ちでしたら美琴様や私が動きますし、力をお持ちでなくても葵様や姫恋様が放っておかないでしょう?」
「いえす」
お嬢様方はなかなか頑固だ。
確かに芹緒は『良い人』だ。彼と知り合いになれて良かったとつつじは思う。
だが、九条家のお嬢様の旦那様として釣り合うかといえば、首をひねらざるをえない。
優しいだけではお嬢様は不幸になる。つつじはそう思っている。
「私は芹緒さんに不自由させないよ?」
ああ。つつじは心の中でため息をつく。
お嬢様方は帝王学を学び、資産もある。女性が専業主婦で男性が働くというひと昔の価値観を、彼女たちは性別を逆転して実行出来るのだ。愛する人は家に、自分は働く。
「年齢差もありますよ?」
「優香より年老いた爺が、若いオンナ囲ってるの、知ってる」葵がぼそっと毒を吐く。「私の祖父」
「つつじさんは優香様と私たちが結ばれることに反対なのですか?」
「美琴様のお相手としては相応しくないとは思っております」
桜子の問いにつつじは率直に答える。
「紫苑鷹秋が良くて芹緒さんがダメな理由、私には全然見当もつかないんだけど?」
それを言われると弱い。
紫苑鷹秋は色々黒い噂がありつつも、家格も立場も申し分なかった。……今となっては黒い噂があるだけであんな男の元へ、大事な美琴を送るような判断はダメだった、と戒めているが。
一方芹緒優香。
確かに心優しいし可愛い反応をする、年齢の割に幼い印象がある男性だ。
だがやる気や野心といった、飢えた狼のような肉食の雰囲気は微塵もなく、絶食してそのまま死にそうなタイプが芹緒だ。
事実芹緒は美琴と会わなければあの日死んでいたはずだ。……芹緒が死んでいた場合、美琴も死んでいたはずなので、芹緒が自殺をやめ、美琴を家に送り届けてくれたことには本当に感謝しているが。
上流社会で生きていくためには野生生物のような生き汚さも時には必要だ。それが芹緒には根本的に欠けている。
沈黙してしまったつつじに代わってさつきが発言する。
「つつじは芹緒様にもっと積極的に、もっと男らしくって思ってるんじゃないかな?」
「それは……そうですね」
「でもね、今の時代、『男らしく』とか『女らしく』とか、そんなこと言ったら怒られちゃう時代です。私も芹緒さんにはもっと積極的になってほしいと思いますけど、少しずつ変わってきてますよ、芹緒様。ほら、桜子様の家にみんなでお泊まりする際とか、自分から『行きたい』って言ってきたじゃないですか」
「え、何それ」美琴がさつきの発言を聞き咎める。さつきはしまったという顔をする。「ねえみんな。私そんな話一言も聞いてないんだけど? そもそもみんなとお泊まり、私したことないんだけど!?」
「ええと、その、タイミングが合わなかっただけですのよ?」
「美琴の視線は、いやらしい」葵がひどいことを言いのける。「姫恋とスキンシップ取ってるときも顔、にやけてた」
「うえっ!?」今度は美琴が慌てる番だ。「そっそんなことないってば! 私生まれついての女だよ!?」
「今は、女が女を好きでも、いい時代」葵の言葉は止まらない。「でも相手の気持ちは、考えないと、ダメ」
「芹緒さんに対して皆さんがしていることを考えると、葵様もそれは言えないのでは……」
「つつじ! それはあなた達にも言えるんだからねっ!!」
パジャマからまたワンピースに着替えた芹緒は、姫恋と一緒に家を出る。
「手つなご?」
にぱーと笑顔を浮かべながら差し出された手に、芹緒は少し照れつつも自分の手を重ねる。
「あっちにショッピングビルあるね? 行ってみよ!!」
暗がりの中、少し遠い場所に高い灯りを見つけた姫恋に手を引かれて夜の田舎町を二人で歩き出す。
この姿になってから夜歩くのは初めてかもしれない。
毎朝かかさずジョギングしているが、それ以外の外出時は大抵つつじやさつきの運転する送迎用リムジンで、アパートの玄関まで送り届けてもらえる。
自分の車はいつもの場所にある……送迎用リムジンは少し離れた駐車場を借りて停めているらしい。
インターチェンジもある大通りでもこの町では街灯は少ない。二人横に並んで歩く幅すらないところもある。
「ふーん」姫恋は道路と、いつの間にかつなぎ直された手を見て嬉しそうに頷く。「レディーファーストだ!」
「ま、まあそんな感じ」
芹緒はマンションの階段を降りたあと、車道側を歩くため姫恋の左から右側にさりげなく移動したつもりだったが、道路に出たことで見抜かれてしまったらしい。
ここは芹緒の住んでいる町、家からあのショッピングビルまでどんなルートか頭に入っている。
ただ配慮しただけなのだが、ご機嫌な姫恋を見てると自然と芹緒も笑顔になる。喜んでくれて何よりだ。
もし二人の姿が認識出来るなら、小柄な子が道路側を歩いている姿は微笑ましいものだっただろう。
認識阻害の小結界の効果で、今の二人はこれといって特徴のない女の子二人の姿に周囲からは見えている。
「これってデートだねぇ」
姫恋がつないだ手をギュッと握り込んで芹緒の顔をのぞき込む。
『デート』という単語を聞いて芹緒の心臓がドクン!と跳ね上がる。
「姫恋さん、僕はデートしたことがないんだ」芹緒は白状する。もう全員に芹緒が童貞であることは知られているのだ。それに比べたらそこまで恥ずかしくはない。「だからあんまり期待されても」
「優香さん」芹緒の言葉を遮り、姫恋は優しい声色で語りかける。「アタシもデート初めてだよ? ニンゲン初めてじゃないことないって! むしろ芹緒さんと一緒にハジメテのデート出来るのなら嬉しいよ!」
「姫恋さん……」
芹緒は姫恋の言葉に心がじんと温かくなるのを感じる。が、すぐに以前言ってた言葉を思い出す。
『優香ちゃんが元に戻ったらアタシの処女あげるから』
……姫恋にとって『ハジメテ』は大事なのかそうでないのか、芹緒には全くわからない。
……2つ前で芹緒の入れ替わりのメリット、話してたので修正しました。
芹緒は愛されてるなぁ(嫉妬)。
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