第六十一話 これからは
すぐに芹緒は我に返る。
自分自身にときめくなんてありえない!!
すぐに思考を切り替える。
紫苑鷹秋を無力化しないと終わらない!!
顔を真っ赤にした芹緒は美琴に抱きしめられたまま、美琴の背後で床にのびている紫苑に向かって力を操り、全力でその体を包み込む。
ぎゅっと抱きしめられているおかげで、美琴には芹緒の顔は見えない。
眩い光が紫苑を包み込む。そのあまりの光量に目を向けられないほどだ。
「え、なに!?」
「何事ですか!?」
何も知らず慌てる美琴の声に扉の向こうから野太い男の声が重なる。
美琴はすぐさま冷静になると、ここまで連れて来てくれた、よく知る声の主に向かって叫ぶ。あられもない格好の彼女たちの姿を見せる訳にはいかない。
「心配ない!! 突入前に羽織るものを五枚準備して!!」
美琴は、この光がどういう力なのかは知らないが、光から溢れる温かさに芹緒の存在を感じていた。
(芹緒さんの力だから大丈夫)
芹緒は力を操って紫苑の意識を失わせることに全力を注ぐ。全身麻酔のように紫苑の体を麻痺させていこうと力を操る。
だが紫苑本人が意識朦朧としていても、その力は芹緒に負けじと抵抗してくる。
芹緒はそんな紫苑の力をも優しく包み込み、ほどき、霧散させていく。
そして。
とすんっ。
紫苑の体が優しく床に寝かされる。
まるで紫苑は寝ているようだった。事実全身麻酔のように芹緒の力の影響を受け、紫苑は意識を失っていた。
大量の血を吐き出し青白かった顔も、芹緒の力の影響で血色が戻っている。
「ありがとう。他の人は今はこの部屋に入れちゃダメ」
「はっ!」
美琴は大きな布を持ってきた護衛部隊の副隊長にそうお礼と指示をすると、ハダカの芹緒、桜子、葵、そして痛々しい姿のさくら、姫恋に順にかけていく。
そして桜子と葵のところへ行くと、心を込めて素知らぬ顔で声をかける。
「桜子様、葵様。僕の美琴さんを助けてくれてありがとうね」
「……桜子」
布を受け取って身体に羽織った葵がくい、と首で美琴を指し示す。
「はい」桜子も葵の意図に気付いて美琴に質問する。「あなたは美琴様ですか?」
「やだなぁ、美琴さんはあそこにいるじゃないか」
「ごめんなさいね」桜子は謝る。「私の力、少し強くなりましたの。声に出さなくてもウソかどうか分かるようになったのですわ」
「それってズルくない!?」
「ひっかかった」
思わず叫ぶ美琴に、ニヤリと葵が笑う。
「!!」
桜子の力は強くなっていない。普段の力では、相手の答えがウソかどうか分かるだけだ。
だが桜子の仕掛けた罠に美琴はまんまと引っかかってしまった。
そもそも。
「初対面なら、私たちの名前知ってるの、おかしい」
「あ」
「ずいぶん……キャラがお変わりになったことで」
桜子の知る美琴はもっとお淑やかで大人しい子だったはずだ。こんなフランクな子では決してなかった。
「積もる話はさ」美琴が未だ目を覚さない姫恋を抱き起こして言う。「帰ってからにしよ?」
「待って」
紫苑を眠らせたあと、ずっと壁を確かめていた芹緒が声を上げる。
「ん?」
美琴はそんな芹緒を不思議そうに見つめる。
この部屋は悪趣味が過ぎる。いくら美琴が男に憧れ女性に欲情するとしても、この部屋の写真にはムカつきしかない。
「ここの壁の奥」布を纏った芹緒は悔しそうに壁に拳を叩きつける。「女性がたくさん囚われています」
「「「!!!!!」」」
すぐさま手すきの護衛部隊によって壁の破壊が行われ、多くの女性たちが救出された。
芹緒の誘拐事件から数日後。
桜子と葵、そして元気になった姫恋は芹緒の家に招待されていた。
「みんないらっしゃい」
三人を出迎えたのは、芹緒姿の美琴だった。
「狭い部屋だけどどうぞ上がって」
「あなたの家じゃないでしょうに……」
「失礼」
「アタシはこのくらいの家の方が安心するなー!!」
中年男性の部屋におじゃました女子中学生三人は、ワイワイおしゃべりしながらリビングに入ると、思いおもいの椅子に座る。
「お菓子とジュース用意したよ」
美琴の言葉につつじとさつきがお盆の乗せたお菓子やジュース、コップを配っていく。
その間、桜子や葵は興味深そうに部屋の中を眺める。ずっと上流階級の住民として過ごしてきた二人にとっては、とても新鮮な狭さだ。
「ここに……五人で住んでいるんですの?」
「そう。寝る時は私は向こうの畳の部屋で、芹緒さんはあっちの個室。つつじとさつきはこのリビングに布団を敷いて寝るんだ」
「さくらは?」
「……私が芹緒さん襲うかもしれないからって、廊下で寝ずの番」
美琴の恥ずかしそうな告白に女子たちから笑いが巻き起こる。
つつじもさつきも笑顔を浮かべる。
「優香さんは今日も?」
お菓子を頬張りつつ、姫恋が不在の芹緒の話題を振る。
「うん」美琴はジュースを飲みながら「あの時保護された女性たちの心を、力を使って癒しに行ってる。さくらはその護衛」
「あれは元はといえば美琴様の力、なんですわよね?」クッキーを手元の取り皿に置き、桜子は確認する。「今の体に力は?」
「全然ないよ」美琴はなんでもないことのように答える。「力なんていらないよ。芹緒さんが美琴になって、私と結婚してくれれば九条家を運営出来るし。今まで叩き込まれた帝王学の知識は私の頭にあるよ」
「優香の意思は」
葵がケーキを切り分けながら聞く。
「芹緒さんは女の子になりたかったんだよ? そして私は男になりたかった! これってハッピーじゃない?」
「あら、そうだったんですのね」
美琴の言葉に桜子が反応し、美琴はしまった、という顔をする。
「優香さんは優しいもんね。女の子似合うと思う」
「……子どもの頃から、そうだったのか、男としての自信を失ったから、そうなったのか、疑問」
姫恋と葵がそれぞれ感想を言う。全員芹緒が女の子になりたかったということに対して、特に何か思うわけではなさそうだ。
「もし男性としての自信を失われて女性になりたくなったのだとしたら、自信を取り戻させてあげたいですわね」
「そうだよ!!」姫恋が声をあげる。「優香さんは元に戻らないと!! 私の処女あげるって約束したんだもん!!」
姫恋の発言につつじがむせるが、さつき以外誰も気にしない。
「いやいや」美琴が顔の前で手のひらを立てて横に振る。「芹緒さんの体の童貞は芹緒さんに捧げるものだし、私の身体の処女は私が貰うの。これはもう決まってるの。諦めてね」
つつじが頭を抱えてその場にへたり込む。さつきはつつじに肩を貸しながら、リビングを出て芹緒の部屋に運んでいく。すぐ横になれるベッドがあるのはあそこだけだ。
「まだ何も決まっていないとお聞きましたが?」お茶を一口飲んでから桜子も参戦する。「紫苑家は紫苑鷹秋様の暴走でお取り潰しが決まる『見通し』と聞き及んでおります。九条美琴様の『許嫁』も現時点ではまだ紫苑鷹秋様のままですわよね?」
「ああもう、九家ってば動き遅すぎるの!! さっさと会議開いてあいつの許嫁の権利を剥奪してくれれば、あんな事件起きなかったのに!!」
桜子の冷静なツッコミに美琴は頭をくしゃくしゃにして叫ぶ。
「やっぱり美琴様の口調に慣れませんわね……今までネコを被っていたんですの?」
「んー……」美琴はしばらく考え込むとやがて答える。「ずっと男になりたかったけど、嫡女だったから、あんまりワガママも言えなくてね……。だから男になれてはっちゃけちゃったっていうのあると思う」
「優香は、フリー」葵は断言する。「美琴の許嫁ですら、ない」
「あのね」美琴は全員に噛んで含めるように言う。「私と入れ替わっている限り、私と芹緒さんは一蓮托生なの。だから芹緒さんはフリーなんかじゃないの。強いて言えば九条美琴は許嫁がいなくなってフリーかな。そこはこの私、芹緒優香が支えるから心配しないで」
「お二人が元に戻れれば、お二人の関係も解消ですわね?」
「私は元に戻りたくないよ!」
「あと一ヶ月半くらいで元に戻れるって優香さんに聞いたよ」姫恋はフライドポテトを口に放り込みながら喋る。「元に戻りたくないだなんて、美琴さん、そんな聞き分けの悪い子じゃないとアタシは思ってるけど」
「うっ」
姫恋のまっすぐな言葉に美琴は黙り込む。
元に戻ったら芹緒が自殺する可能性があるのは、さすがに言えない。つつじたちにバレたのだって偶然だったのだし。
美琴が自殺したかった原因は、今回の事件で完全に絶たれた。だから元に戻らない理由は、『芹緒が死ぬかもしれない』こと、『自分が男になりたかった』こと、そして『芹緒は女の子になりたかった』こと。これらの理由が残っている。
静寂がリビングを支配する。
さつきも気を利かせてリビングには戻って来ていない。
「相談が、ある」葵が顔を寄せ、小声で話す。「これから先の、相談」
「なんですの?」
「葵様の言うことだから、いい話なんだろうけど……」
「なになに??」
「桜子も、許嫁で問題、抱えてる」そう言われて桜子は黙って頷く。「そこで『芹緒家』を立ち上げる。初代当主に優香を据え、名家に仕立て上げる」
「その心は?」
困惑気味に桜子が尋ねる。
「優香が、男に戻れば、桜子や美琴は、優香の子種だけ貰えば、いい」
つつじが聞いたら卒倒しそうなことを葵は言う。
「当主はそのまま、美琴や桜子が継げば、いい。姫恋や私は、嫡女ではないから、優香の正妻なり、側室なりに、なれる」
葵は続ける。あまりしゃべらない葵にとっては珍しいことだ。
「優香が、女のままなら、私たちにはどうしようも、ない。芹緒家は作らず、美琴の嫁候補」
「魅力的な提案ですけれど」桜子が嘆息する。「優香様が男に戻ったとき、力がなければ私や美琴様の婿候補にはなり得ませんわ」
「力さ、私より芹緒さんに馴染んでる気がして仕方ないんだけど……。つまりさ」そして美琴が納得したようにニヤリと笑う。「誰かが独占するんじゃなくて、色々なパターンを見据えて私たちで芹緒さん囲っちゃおうって話だね?」
「いえす」
「誰かに独占されるよりはみんなでシェアした方がいいのかも」
「優香もハーレム、喜ぶはず」
「アタシ、女の子の優香さんともナカヨク出来るようお兄ちゃんの本読んで頑張る!!」
「わ、私にもその本貸していたただけませんか?」
「みーとぅー」
「私も!」
「美琴は女同士にはならないんだから不要でしょ!!」
少女たちは話の内容はともかく、楽しそうに笑い合う。
こうして女子中学生四人による、芹緒包囲網がここに結成された。
「くしゅん!」
九条家のとある大広間。
そんなことは露知らず、ベッドに腰掛ける、目の焦点が合わない女性の元に膝立ちで座り込みながら、芹緒が腕で口元を押さえて小さなくしゃみをする。その間も芹緒の手から放たれる優しい光は、女性に向け続けられている。
紫苑鷹秋によって粉々に粉砕された心の器を少しずつ少しずつ、女性の内面に話しかけながら癒していく。
「よければこちらをどうぞ」
さくらがそっと上着を芹緒に羽織らせる。さくらの身体は芹緒の力によってすっかり元通りだ。
「ありがとう」
芹緒はさくらの顔を見て笑顔を浮かべるとすぐに女性の顔を覗き込んで治療を続ける。
周囲には多くの女性が植物人間状態でベッドに寝かされている。
ここに入れるのは芹緒とさくら、精神科医の三人だけ。
芹緒の力による治療で今まで五人ほどの心が回復した。
残念ながらネット世界に流出したデジタルタトゥーは回収しきれないし、上級社会に密やかに流れる悪評を完全に消すことも出来ない。
なので芹緒は心を癒しながら女性たちに、整形の薦めと第二の人生の提案を行っていた。
幸い九条道里がその女性たちを受け入れることに賛成してくれた。
今は新しい『誰か』として、過去を捨てて生き始めている。
もちろん戻りたいと願う女性にも最大限の配慮をする。
女性の家族と話し合い、戻ってきた女性と家族が泣きながら抱き合う場面も見た。
芹緒にカウンセラーの資格はない。
ただ芹緒は女性たちの心に寄り添うだけ。
もちろんちゃんとした精神科医も芹緒のバックに控えているが、今のところ話さえ出来ない女性たちに対して医者は無力だ。
自分が少しでも誰かの役に立てる。
そのことが芹緒にとって無性に嬉しかった。
ある意味では誰かのためではなく、自分の心を癒すためにしているのかもしれない。
偽善かもしれない。
でも、それでもいい。
「美琴様、そろそろお戻りになりませんか? お友達の皆さんもお待ちです」
「……そうですね」名残惜しそうに芹緒は傍の女性の頬を撫でる。「また来ますね」
芹緒はそう言って立ち上がるとさくらと一緒に大広間を出る。
扉の前に立つ大柄の男性が二人に黙礼する。
彼は護衛部隊の副隊長。今はこの大広間で眠る女性たちの保護のため、選ばれた極少人数でここで警備をしている。
「よろしくお願いしますね」
「はい、芹緒殿お任せを」
「おい」さくらが周囲を気にしながら忠告する。「その名はあまり人前で公言するな」
「大丈夫。私たちしかいないからおっしゃったんですもの、ね?」
芹緒は自分の名を呼んだ彼に、そう言って微笑む。
「! ……はい、すみません」
美琴のものではないその笑顔。中身が中年男性だと知っていてもその笑顔はとても優しく愛らしい。
誠実な人柄が伺える。
立ち去っていく芹緒の背に改めて副隊長は黙礼する。
(入れ替わったのが芹緒殿で本当に良かった……)
八月の終わりから毎日連載を続けて、九月はかなりの期間ランキングに入ることが出来ました。
ここまでなんとか書いてこれたのも、様々な形で私にモチベーションを与えてくれた、読者の皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。
第一章はここまでとさせていただきたいと思います。
少しだけ休ませていただいたあと、第二章を始めたいと思います。
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